第4話 ママには内緒
雨の日は、公園へ行けない。
湊が傘の下から空を見上げると、隣の陸も同じ顔をした。
「今日、公園行けない?」
「雨だからね。うちに来てもらおうか」
莉奈が言うと、二人の顔が明るくなった。
「いいの?」
「航平さんの仕事が大丈夫なら」
「今日は終わってるよ」
航平と莉奈が二人で会うようになって、数か月がたっていた。
休日の予定を合わせるだけだった関係は、少しずつ平日の迎えにも入り込んでいた。
子どもたちが一緒なら、人に会っても説明はつく。
そう考えることが、航平にはもう珍しくなくなっていた。
莉奈の家には、湊の知らないブロックがたくさんあった。
床に箱を広げ、陸と車を作り始める。湊は赤い部品を集めた。陸は青いものを選んでいる。
航平はソファへ腰を下ろした。
莉奈が、その隣へ座る。
「ここなら濡れないし、ゆっくりできるね」
「子どもたちも楽しそうだしな」
肩に柔らかい重みがかかった。
莉奈が頭を預けていた。
「……子ども、いるよ」
「遊んでるから」
航平は床の方を見た。
湊が、赤い車を両手に載せてこちらを向いていた。
「パパ、できた。見て」
「うん。あとで見せて」
そう返し、莉奈に顔を戻した。
湊は車を持ったまま、しばらくそこに立っていた。
いつもなら、タイヤを回したり、もっと速く走る形を考えたりしてくれる。
けれど、今日は父親の目が、こちらへ戻ってこなかった。
「湊くん、ここ走らせよう」
陸が床を指した。
湊は座り直し、赤い車を押した。
タイヤが回る。その小さな音の向こうで、大人の声がしていた。
「航平、今日も帰るの?」
「帰るよ。まだ、家では何も話してない」
「ずっとこのまま?」
「……考えてる」
湊は車を止めた。
何の話か、よく分からなかった。
自分もここへ泊まるのだろうか。それなら、ママは迎えに来るのだろうか。
「でも、湊と離れて暮らすのは……」
「うん。そうだよね」
莉奈は子どもたちを見た。
「二人とも、こんなに仲がいいのにね」
航平の手が、莉奈の手に重なった。
湊はその手元を見て、赤い車を膝に引き寄せた。
*
夕飯はカレーだった。
熱いご飯の上でチーズが溶け、スプーンを入れると細く伸びた。
「チーズ、のってる!」
「好きだった?」
「うん!」
湊はうれしそうに食べた。
莉奈が笑い、航平もご飯までありがとうと言った。
子どもが喜んでいる。そのことが、航平には都合よく思えた。
ここへ来るのを湊も楽しみにしている。自分だけのためではない。
それから何度か、迎えの帰りに寄るようになった。
雨が降っていない日にも、莉奈は二人を家へ招いた。
床では赤い車と青い車が競争した。ソファでは、航平と莉奈の座る間隔がなくなっていた。
帰り道、湊が言った。
「今日、陸くんちで車の競走したね」
「うん」
「ママにも教えよう」
航平の足が、わずかに遅くなった。
握っていた湊の手が引かれる。
「……陸くんちに行ってることは、ママには内緒な」
「なんで?」
「ママ、疲れてるから。いろいろ気にするんだ」
湊は眉を寄せた。
千春は、幼稚園で何をしたか聞いてくれる。公園で友達と遊んだ話も、いつも聞いてくれた。
「遊びに行ったら、だめなの?」
「だめじゃない。でも、ママが嫌だって言ったら、もう行けなくなるだろ」
「陸くんと遊べない?」
航平は、その問いにすぐうなずくことはできなかった。
子どもを心配させたかったわけではない。ただ、あと少しだけ、家で面倒な話をせずにいたかった。
「そうならないように、パパが話すから」
「……うん」
湊は、握っていた手に力を入れた。
大好きな友達と遊べなくなるのは嫌だった。
ママを疲れさせるのも、嫌だった。
航平はその小さな手を引いて、家まで歩いた。
*
ある夜、莉奈は電話越しに切り出した。
「私、主人に別れたいって話そうと思ってる」
「本当に?」
「航平と暮らせるなら」
航平は黙った。
家を出たあとの部屋を、具体的に考えたことはなかった。
朝から莉奈と一緒にいられる。誰かに隠れて連絡しなくてよくなる。その先に湊の迎えや千春との話し合いがあることは、意識の端へ追いやっていた。
「航平は、まだ決められない?」
「いや。俺も、話す」
「無理して言ってる?」
「違う。ちゃんと一緒になりたい」
莉奈の声が弾んだ。
うれしい、と言われると、ためらいを口に戻すのが惜しくなった。
「ただ、俺はご主人ほどは稼いでないぞ」
「知ってるよ」
「贅沢はさせてやれないけど、それでもいい?」
「毎日、一緒にご飯食べられるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、いい」
自分に求められているのは、それだけなのだと思った。
電話を切ったあと、航平は莉奈の言葉を思い返した。
家族に話す順番よりも、新しい家で食卓を囲む姿を先に想像していた。
*
翌日の夕飯も、カレーだった。
千春が湊の皿を置くと、息子はその上をのぞいた。
「陸くんちのは、チーズが入ってた」
「そうなんだ。いつ食べたの?」
「この前。昨日も陸くんち行った」
千春は航平を見た。
「昨日、公園に行ったんじゃなかった?」
「そのあと、少し寄った」
「夕飯までごちそうになってたの?」
「うん。言うの忘れてた」
湊が、また口を開いた。
「昨日もね、パパと……」
そこで言葉が切れた。
息子の視線は、航平の顔へ向いていた。航平の箸も止まっている。
「……何でもない」
湊は皿へ目を落とした。
千春は、その小さな横顔から目を離せなかった。
聞けば、何度かお邪魔しているのだという。
けれど、回数よりも気になることがあった。
湊はなぜ、話していいか父親の顔を確かめたのだろう。
息子が眠ってから、千春は航平を呼び止めた。
「私、お礼も言ってない。そんなにお世話になってるなら、連絡したい」
「待って。連絡は俺がするから」
「どうして?」
航平が目をそらした。
千春は、自分の声が硬くなるのを感じた。
「二人で会ってるの?」
「子どもが一緒のときもある」
「一緒じゃないときも?」
返事が遅れた。
その数秒で、聞きたくなかった問いが形になった。
「付き合ってるの?」





