第三章 接待RPG、開幕(三)
四頭立ての荷馬車がオーガ・ロードを載せて東門をくぐったとき、モトリーの街は夕飯の支度を放り出した。
野次馬は三重の輪になり、輪の外から子供が肩車で覚き、どこかの窓から鍋を持ったままの主婦が身を乗り出した。無理もない。大人三人ぶんの高さの魔物が荷台からはみ出ているのだ。街の歴史に残る夕方である。少なくとも、酒場の語り草の歴史には確実に残る。
「白光の旦那がやったのか!?」
「一撃だったらしいぞ」
「いや、盾で受け止めて投げたって聞いた」
「素手で、って話じゃなかったか」
噂はもう走り出していた。走りながら、今日も着実に太っている。
「違います。俺は岩片を弾いただけで、あとは事故です」
当のジェスターは、荷台の上から律儀に訂正して回った。訂正するたび、野次馬の目がきらきらと輝いていく。
「聞いたか、謙遜してるぞ」
「本物は違うねえ」
「ますます気に入った!」
逆効果である。正直者の否定というものは、世間では上物の謙遜として流通する。
人垣の中には、マルグリット婆さんの姿もあった。籠の中の陛下は、大陸級の脅威の死骸を一瞥して、あくびをひとつした。
「陛下は胝が据わってますね」
「王者だからねえ」
真新しい首輪で、ちりん、と小さく鈴が鳴った。脱走対策は無事に施行されたらしい。あの音があれば、次の捜索は芝居の手間が省ける。
なお、後日談を先に書いておくと、この夜ドヤールは鈴鳴り亭で目撃談の講談を始め、講談は日ごとに成長し、五日後には「白光が吼哮ひとつでオーガを怯ませた」の段が追加されていたという。目撃者が四人もいるのに伝説が育つのだから、目撃者のいない場所については推して知るべしである。あいつが誠実に事実を述べれば述べるほど、伝説は勝手に足腰を鍋えていった。俺は荷馬車の陰で、生け捕りゴブリンの数珠つなぎを数えながら、その錬金術を眺めていた。嘘が一つもないのに英雄譚が製造されていく。世の中の仕組みというのは、たまに俺の仕事を勝手に肩代わりしてくれる。
ギルドの精算窓口は、時間外にもかかわらず開いていた。ミエルさんが、いつもの顔で羽根ペンを構えている。
「お疲れ様でした。報告書を確認します」
ゴブリン討伐二十二、うち生け捕り二十二。討伐証明の右耳は不要、現物がいるからだ。買い取り価格は上々で、等分してもF級の月収の倍になった。規約第一条は、初日から俺に甘い。甘さの原資があいつの命懸けだと思うと、受け取る手が少し重い。重いまま、受け取ったが。
「それと、オーガ・ロード一体。死因は――」
ミエルさんの羽根ペンが、止まった。
「――事故、ですか」
「突進して、落とし穴に踏み込んで、岩で頭を打ったんです」
ジェスターが生真面目に申告する。彼女は書式を三枚めくり、戻り、また、めくった。
「サイキ様」
「なんだ」
「数、合ってます?」
「ゴブリンなら二十二で」
「ゴブリンの話ではありません」
彼女は台帳を窓口の上で半回転させ、こちらへ向けた。カルタ大森林西部の生態調査記録である。
「この森の調査記録に、オーガ属の生息は過去十年、一件もありません。台帳的には、この森にオーガはいません」
「いないはずのものが出たから、騒ぎになってるんだろ」
「そうですね。では次の疑問です」
細い指が、記録の一行を叩いた。
「その落とし穴。先月の巡回調査で『作動済み』と記録されています。作動済みの穴に、なぜ落ちるんでしょう」
……この街の巡回調査は、仕事が丁寧で困る。俺が偽装した「作動済み」が、俺の仕掛けた穴の経歴書として、公文書に残っていたわけである。自分の過去の偽装に足首を掴まれる日が来るとは思わなかった。
――悔やみの三回目、確定である。夕方までに三回。宣言通りの消化率だが、嬉しくもなんともない。
「ゴブリンが掘り直したんじゃないのか。巣の前だし」
「ゴブリンが、掘り直した」
「器用だからな、あいつら」
「……そう記録しておきます。『諸説あり』と」
公文書に諸説ありの欄があるのか。あるのだろう、彼女の台帳には。
「なお、オーガ・ロードの件ですが」
ミエルさんは新しい書式を取り出した。
「規定では、討伐報酬は『冒険者の行為による討伐』が対象です。事故死は対象外。ただし『冒険者の設置物による死亡』は討伐とみなす判例があります」
「つまり?」
「落とし穴の設置者に、報酬の請求権が発生します」
「誰なんだ、設置者は」
「記録上、不明です」
俺である。記録上不明の俺である。
「請求権者が現れるまで、報酬は供託されます。銀貨で、およそ三百枚。告知は掲示板に十年間貼り出されます」
落とし穴の設置者、名乗り出られたし。俺は明日から毎朝、自分あての尋ね人の貼り紙の前を、素知らぬ顔で素通りして出勤することになるわけである。
銀貨三百枚。俺の家賃の三百か月ぶんが、名乗り出れば貰える場所に、名乗り出れないまま積まれている。誰にも請求できないのが難点だと今日の昼に言ったが、行政はそれを制度として完成させてきた。恐るべき事務である。
「引き取り手のない金って、どうなるんだ」
「十年経てば、街の鐘楼の修繕費に繰り入れられます」
「……いい使い道だ」
「そうですね。私もそう思います」
ミエルさんは、そこで初めて、ほんの少しだけ口の端を動かした。笑ったのかどうかは、判定の分かれるところである。
「本日の報告は以上ですか」
「以上だ」
「では最後に一つ。サイキ様は本日、現場のどちらに」
「荷物持ちだ。ずっと後ろにいた」
「後ろ、ですか」
「後ろだ」
「……そう記録しておきます」
諸説あり、と付記されなかったことを祈るばかりである。
ギルドを出ると、ジェスターが外で待っていた。
「今日は、ありがとうな」
「何もしてないぞ、俺は」
「いてくれた。それが大きい」
「……そうか」
「初日からオーガ・ロードなんて、普通は心が折れる。でもお前が平気な顔をしてるから、俺もまだ平気だって思えた」
平気な顔にも、いろいろあるのだ。製法までは説明しないが。
「明日は休みだ。ゆっくり寝ろよ、ヨウタ」
「お前もな」
ゆっくり寝ろ、と言われた俺の今夜の予定は、森の深部の再点検である。安眠の定義は人それぞれだ。
夜、長屋に戻って、出直しの支度をした。縄、岩粉の袋、油、獣の爪を模した偽装用の鉤。裏方の七つ道具である。七つあるかは数えたことがない。
支度を終えて、寝台に腰かけたまま、本日の決算をした。
教訓は三つある。
一つ。下ごしらえだけでは足りない。理不尽というものは、点検の届かない深さから、営業時間外に湧いて出る。
二つ。あいつは逃げない。あの男の勇気には保険がかかっていない。誰かが隣で、保険になる必要がある。
三つ。世間は勝手に英雄譚を書く。なら、書かせておけばいい。筋書きの管理さえ、こちらで握れるなら。
念のため書き添えるが、今日の英雄譚は九割があいつの実物で出来ている。災害級の四撃を正面で受けて立ち続けた男は、脚色なしで英雄の部類だ。俺が書き足したのは、結末の一行だけである。
つまり、結論はこうだ。
俺はこれから、ばれないように、あいつの隣で、あいつの英雄譚の裏方をやる。
どうせこうなる予感はしていた。加入二日目で夜なべが倍になったが、予感が当たったことだけが、ささやかな慰めである。
名づけるなら――接待、だろうか。相手に気持ちよく勝ってもらうための、見えない段取りの全部。ただし賭場の接待と違って、こちらの手心がばれた瞬間、卓ごとひっくり返る。
規則を三つ、定めておく。
規則一。ばれてはいけない。
規則二。あいつの勝利は、あいつの実力で成立させる。俺が削っていいのは、人間の領分を超えた理不尽だけだ。
規則三。死なせない。これだけは、他のすべての規則に優先する。
補則。この業務に報酬は発生しない。求めた瞬間、接待は接待でなくなるからだ。俺が受け取っていいのは、あいつが今日みたいに、何も知らない顔で笑って飯を食うこと。それだけである。それだけで、収支は合う。帳簿を手紙にする男の勘定とは、つまりそういうものだ。
以上、施行は本日ただいまより。承認者、俺。異議、なし。審議時間、麦酒半杯ぶん。役所より早く、役所より真面目な立法である。
英雄譚に裏方の名前は載らない、とバラッドは言った。
上等である。載せる気は、最初からない。




