第四章 白光のジェスター(一)
オーガ・ロードの一件から数日、俺たちのもとに指名依頼が舞い込んだ。依頼主は商人組合。内容は、モトリーからトレモロの町へ向かう春の隊商の護衛である。馬車六台、行程一泊二日、報酬は前回の倍。指名の理由は言うまでもなく、荷馬車からはみ出していたあの死骸の宣伝効果だった。
「護衛か……! 責任重大だな!」
受注票を受け取ったジェスターは、拳を握って燃えていた。燃えるのはいいが、問題は依頼書の但し書きの方である。曰く、旧街道の峠に近ごろ盗賤団が出る。名を「夜霧の帯」。
「夜霧の帯、ですか」
窓口のミエルさんが調書をめくった。
「殺傷の記録はありません。積み荷の二割を『通行料』として徴収。二割、というのが几帳面ですね」
「几帳面な盗賤がいるのか」
「帳簿の気配がします。同業として、少し気になります」
「同業?」
「帳簿業です」
被害は隊商三つ。手口は荒くないが、商人組合の我慢はそろそろ限界らしい。
「盗賤相手なら俺の出番だな。人は斬りたくない。峰打ちなら十年鍛えてきた」
「頑もしいよ」
「お前は俺の後ろにいろよ。約束だぞ」
「善処する」
善処しない予定である。
なおジェスターは今夜、宿で装備の点検をしている。規約第六条、出発前夜の相互点検。俺のぶんの縄と鍋まで磨き上げてから、明日に備えて早々と寝たはずだ。相棒が寝ている間に相棒の明日の障害物を撤去しておくのは、第六条の精神に反していないと思いたい。
盗賤。人間である。
魔物なら夜明け前の間引きで済むが、人間はそうもいかない。斬れば死ぬし、死なせればあいつの初護衛が葬列になる。かといって放っておけば、あいつは正面から二十人を相手にする羽目になる。勝てるかもしれないが、勝ち方によっては人が死ぬ。あの男に人を斬らせるのは、俺の規則二号が許さない。正確には、規則にわざわざ書くまでもない前提である。
盗賤への対処について、世間の教本は二通りの答えを用意している。討伐するか、通報するか。どちらも正しく、どちらも明日の護衛を血の匂いのする仕事に変える点で、俺の採点表では揃って落第だった。第三の答えが教本に載っていないのは、たぶん、第三の答えを実行できる人間の頭数が、教本の刷り部数より圧倒的に少ないからである。
というわけで、出発前夜。
俺は峠の夜霧の中を、提灯も持たずに歩いていた。夜霧というのは上等な暑簾だ。向こうからは何も見えず、こちらからは全部見える。この非対称を商売道具にしている点で、夜霧の帯と俺は、悔しいが同業と言えなくもない。
盗賤団のアジトは、旧街道を見下ろす岩棚の洞窟である。見張りが二人、焚き火が三つ、人数はおよそ二十三。昨夜のうちに数えておいた。挨拶に伺うなら、先方の世帯規模を把握しておくのが礼儀というものだ。
見張りの横を、気づかれずに通り過ぎる。悪いが、俺の商売道具は視界に映らないことである。焚き火の輪の中心、上座とおぼしき岩に腰かけた髭面の大男の前まで歩いて、俺は足音を解禁した。
「夜分にすまない。求人の話をしに来た」
二十三人が、一斉に跳ね上がった。
「て、敵襲!」
「囲め! 囲め!」
輪が完成するまで、俺は黙って待ってやった。礼儀である。
囲まれた。刃物の輪というのは、輪の内側から観察すると案外に情報量が多い。得物の手入れが行き届いている者が七人、柄の握りが素人なのが五人、そもそも及び腰なのが残り全部。要するに、この稼業に向いている人間の方が少数派の集団だった。求人の見込みは十分である。
俺は懐から紙の束を取り出した。
「座ってくれ。長い話じゃない」
「何もんだてめえ! どっから入った!」
「そこの見張りの横から」
「ゲイルの横を!? おいゲイル!」
「し、知らねえ! 誰も通ってねえ!」
騒然とする輪の外から、矢が一本飛んできた。若いのが恐慌で放ったらしい。俺は振り向かずに二本の指でそれを受け、火の勢いが弱っていた真ん中の焚き火に、薪として足しておいた。
沈黙が、たいへん深くなった。
「座れ、お前ら」
髭面の大男が、低い声で言った。上に立つ者の判断の速さである。彼はゴルドーと名乗った。夜霧の帯の頭目だという。
「で。求人、って言ったか」
「明日、モトリー発の隊商が峠を通る。あれには手を出さないでもらいたい。というのが用件の半分」
「残り半分は」
「あんたらの転職先の話だ」
俺は紙の束を火の明かりの方へ向けた。書き出してきた求人の一覧である。街道の魔物よけの鈴、三十基の点検人夫、常時二名募集。伐採路の整備、日当銅貨四十、飯つき。トレモロの風車の石積み補修、経験者優遇。商人組合の夜間倉庫番、覚えがよければ護衛に昇格あり。どれも実在の口である。二年も雑用をやっていると、この街の人手不足の地図が頭に入る。地図と人手を線で結ぶだけの、単純な内職だった。
「おい、これ」
頭目の後ろから、算盤を持った痩せた男が紙を覚き込んだ。経理係らしい。盗賤団に経理係がいるのかと思うだろうが、いるのである。この団は帳簿をつけて積み荷の二割きっかりを持っていく、妙に律儀な稼業をしていた。
「日当四十で飯つき!? 頭、うちの実入りより良いですぜ」
「馬鹿、お前、誉れってもんが」
「誉れで矢の補充ができますか。先月の収支、言いましょうか。矢の補充が銀貨二枚、逃げ馬の飼い葉が三枚、雨の日の休業が九日、密告防止の口止めが――」
「やめろ! 全員の前で決算報告するな!」
だいたい把握した。義賤未満、中小企業の悲哀である。盗賤というのは襲っていない時間も飯を食う。そして襲っていない時間の方が、圧倒的に長いのだ。
「質問いいすか」
手を挙げたのは、まだ若い矢の男だった。さっき俺に矢を献上した奴である。
「その、倉庫番てのは……前科とか、聞かれます?」
「聞かれない。組合が見るのは、夜に起きていられるかどうかだけだ」
「賄いは」
「朝夕二食。麦粥だが、量はある」
「頭あ、俺、粥、食いてえです」
「泣くな馬鹿」
ゴルドーは額を押さえた。俺は聞いてみた。
「ちなみになんだが、なんで盗賤なんかやってる」
「先代の頭の代からの、まあ、流れだ。俺らの半分は北の戦の食い詰めもんでな。畑は焼けた、村は散った、気づきゃ峠にいた」
「なるほどな」
「同情はいらねえぜ」
「してない。経歴を聞いたのは、求人票の備考欄に書くためだ」
「……書くのか、備考欄」
「石積みの経験は」
「北の出なら誰でも積める。冬囲いで覚えるからな」
「なら風車の補修は北の出を優先で回す。石工の親方には話を通しておく」
「あんた、盗賤相手に世話を焼きすぎだろ」
世話を焼いているのではない。求人と求職を突き合わせているだけである。突き合わせが上手くいけば峠から盗賤が消え、峠から盗賤が消えれば俺の夜の巡回区域が一つ減る。人助けに見える省力化だ。誰も損をしていないところが、我ながら気に入っている。
それからゴルドーは、しばらく黙って焚き火を睫んでいた。頭目というのは、部下の空腹の勘定を最後に締める係のことである。長い沈黙の末に、彼は言った。
「……手を出さない。それでいいんだな」
「ああ。求人の口は、ギルドの掲示板の右下に貼ってある。『その他』の枠だ」
「あの、うちの帳簿はどうなります」
経理係が遠慮がちに手を挙げた。
「畳むなら綺麗に畳め。貸し借りを残すな」
「……いい帳簿の締め方だ」
経理係の目が、少し潤んでいた。帳簿係というものは、どの稼業でも報われないのである。
「あんたの名は」
「名乗るほどのものじゃない」
「……なあ」
立ち去りかけた俺の背中に、ゴルドーの声が追いすがった。
「あんた、何者だ」
俺は答えなかった。答えの持ち合わせがなかったからである。荷物持ちだと言えば嘘になるし、本当のことを言えば、この二十三人は明日から枕を高くして眠れない。
夜霧に一歩踏み込んで、振り向かずに片手だけ挙げた。
二十三人ぶんの転職相談を一晩で片づける荷物持ちが、世界のどこかに一人くらいいてもいいだろう。いてもいいが、履歴書には書けない夜である。帰り道、峠の下に明日の隊商の野営の灯がふたつ、行儀よく並んでいるのが見えた。明日の峠は、たぶん静かだ。静かにしたのは俺だが。本日の経費、紙の束一つ。今夜も収支は黒字である。
背後で、誰かのつぶやきが霧に吸われて消えた。
「……夜霧より怖えのが、いやがった」




