【第三巻】第六章 照合(一)
穂月八日の昼、書物の大名行列が南門をくぐった。
先頭に王冠の小旗を立てた騎馬が一騎。続いて幌つきの馬車が一台。そして、その後ろに――例の二台が来た。
書架馬車、というのだそうである。幌の代わりに木の箱がまるごと荷台に載っており、箱の側面には観音開きの扉、扉の内側には棚と革帯。つまり、走る書棚である。車輪は普通の荷馬車の倍の幅があり、馬は四頭立て。御者の隣には水瓶と砂袋が備えてあった。火消しの用意である。紙の行列は、火事を連れて歩く前提で編成されるらしい。
見物の群衆から、ほう、と声が上がった。武具の行列なら歓声だったろうが、書物の行列には嘆声が出る。うちの街の民は、見世物の格の付け方を心得ている。
見物の顔ぶれも一通り揃っていた。最前列に子供たち、その後ろに商店主の列、屋根の上に猫の陛下、そして群衆の外周を、講談師が取材の足取りで回遊していた。
「見ろよ荷物係、あの馬車! 『歩く書庫、南へ下る』――題は決まった。あとは中身だ」
「中身は見せてもらえないと思うぞ」
「見せてもらえないものを語るのが講談だろうが。覚えとけ」
芸の定義が今日も乱暴である。子供たちはといえば、馬車より馬に興味を示し、四頭立ての先頭馬に「隊長」という名を即日進呈していた。命名の速さは、この街の子供の伝統芸である。
「ねえ、あのお偉さんが本の親玉?」
「親玉っていうか、司書長さまだ」
「シショチョーってつよいの?」
「……ある意味では、この行列で一番強い」
子供の問いに真顔で答えてしまってから、俺は自分の回答を訂正しなかった。訂正の必要を感じなかったからである。
「すごいな、ヨウタ。本が、旅をしてる」
「ああ」
あいつの感想が、たぶん一番正確だった。本が旅をしている。二百年前の話を乗せて、十日の道を、火消しの水と一緒に。大水の前に、生き物を二匹ずつ舟に積んだ男の話がある。あの書架馬車は、二百年前の話を積んで走る、紙の箱舟だ。積み荷が生き物でない分、静かで、燃えやすい。
応接の天幕の前で、行列が止まった。
幌馬車から降りてきたのは、六人。俺は例によって数を取った。護衛の騎士が二人、書記らしいのが二人、革の前掛けの職人風が一人――これは製本師か修復師だろう――そして最後に、灰色の埃よけ外套の老人が一人。
痩身。白髪。腰は伸びている。降りる時、誰の手も借りなかったが、地面に降り立つ前に一拍、靴の裏で踏み板の乾き具合を確かめた。紙の敵は火と水である。濡れた靴で書架馬車に戻らないための、職業の癖。
王宮書庫司書長、アルヒフ。
王都の宿で一度会っている。あの時は夜で、燭台の灯りの下だった。昼の光で見る司書長は、思ったより小さく、思ったより目が動いた。目だけが、値踏みの速度で街を読んでいる。掃かれた道。磨かれた店先。天幕の柱の垂直。読まれている、と分かる読み方だった。
「――ようこそ、モトリーへ! 遠路はるばる、お疲れさまでした!」
あいつが進み出て、騎士学校仕込みの礼をした。
アルヒフは足を止め、二つ提げた眼鏡の、遠目用のほうを掛けた。
「クラウン殿。息災のようですな」
「はい! その節は、王都でお世話になりました」
「世話をしたのは書庫の記録であって、私ではない。……とはいえ、再会の挨拶としては、まあ、そういうことにしておきましょうかな」
言い方は素っ気ないが、目尻の皺が一本増えていた。この爺さんの帳面では、あれが上機嫌の記載なのだと思う。
応接は、ミエルさんの差配で滞りなく進んだ。
口上、書状の交換、日程の確認。調査は明日から、ギルドの資料室と町役場の文書蔵を借りて行う。期間はおよそ十日。クラウン殿への聞き取りは三日目を予定。必要があれば村への照会も行うが、当面は紙の照合が主である――と、書記が読み上げ、アルヒフが二度頷き、聞いていた群衆が「十日も見世物が続く」とざわめいた。娯楽の暦に、新しい行事が書き込まれた瞬間である。
応接の茶の席で、俺は司書長の妙な癖を一つ観察した。
出された茶菓子――マルグリット婆さんの焼き菓子である――を口に運ぶ前に、老人はそれを、皿の上で三つに並べ替えたのだ。
「……焼き菓子には三種おりますな。粉の菓子、蜜の菓子、粉と蜜の菓子。これは三番目。もっとも数が多く、もっとも分類が雑になる領域です」
「菓子も分類なさるんですか」
「分類できないものを、私はまだ、この世で四つしか知りませんのでな」
「四つ、というと」
「火。水。時。それから――人の忘れっぽさ」
言って、老人は三番目の領域を旨そうに食った。書庫の人間の世界では、菓子も人も、まず棚に並べてから味わうものらしい。ちなみに四つの分類不能物のうち三つまでが紙の敵である。残る一つが何の敵かは、聞くのが怖いのでやめておいた。
聞き取りが三日目、と聞いた時のあいつの顔にも触れておく。頷いた。頷いてから、膝の上の拳を、一度だけ握り直した。準備の紙三枚は、今朝も宿の机で四枚目を待っている。待つのも芸のうち、と道化は言ったが、待たされる側の三日間は、芸というより行である。
俺はといえば、天幕の隅で、設営の品目控えを付けていた。
借り物の椅子は返す先があり、天幕の綱は貸し主がいる。誰に何を借りて誰に何を返すか。祭りの裏側は、いつだって帳簿でできている。書き終えて顔を上げると――
目が、合った。
アルヒフが、俺の手元を見ていた。
正確には、控えの紙を、である。老人は写本用のほうの眼鏡に掛け替えて、断りもなくすたすたと寄ってきた。
「――その控えは、貴殿が?」
「ええ、まあ。設営の借り物の目録です」
「拝見」
拝見、と言った時にはもう手に取っていた。書庫の人間の「拝見」は、許可の申請ではなく着手の宣言らしい。老人の目が、紙の上を三往復した。
「……行の頭が揃っている。数字の桁も揃っている。品目、数量、貸し主、返却期限。列の切り方に無駄がない。誰に習われた」
「誰にも。手癖です」
「手癖」
アルヒフは眼鏡越しに、初めて、紙ではなく俺を見た。
「手癖でこの帳面を書く者は、二種類しかおりませんな。生まれつきの帳簿狂いか――書かねば死ぬ量の記録を、日々抱えている者か」
「前者ということにしておいてください」
「ほう。後者の言い回しですな、それは」
斬られた。
王都の書庫の入り口で立ち読みをして以来、俺はこの手の老人を甘く見ない主義に改宗していたのだが、宗旨替えの速度が現実に追いつかなかった。アルヒフは控えを丁寧に返し、眼鏡を掛け替え、何事もなかったように言った。
「時にお尋ねするが、この街で、筆耕を生業にする者はおりますかな。実は随行の筆写係が、道中で手首を痛めましてな。書架の積み替えで、荷の下敷きになりかけたのを庇って。……調査には写しの作業が山ほど出る。地元で一人、雇いたいのだが」
「筆耕なら、町役場の代書屋が」
「代書屋の字は、見ました。達者すぎる」
「達者すぎると、駄目なんですか」
「写しに要るのは、達者な字ではなく、正直な字です」
老人の目が、もう一度、俺の控えに落ちた。
「――原本の癖まで、そのまま写す字。飾らず、直さず、間違いは間違いのまま書き写して、欄外に『原本ママ』と注する字。そういう字を書く手は、百人に一人もいない」
嫌な予感がした。予感の欄は、外れた例の少ない頁にある。
「明日の朝、ギルドの資料室へ。手間賃は王宮の規定で払う。……ああ、名前を伺っておりませんでしたな」
「ヨウタです。ヨウタ・サイキ」
「サイキ殿。よい名だ」
よい名、の言い方に、引っかかりは無かった。無かったことを、俺はわざわざ確認した。名前を褒められるたびに相手の目の奥を確認する癖も、三年も続ければ堂に入る。入ったが、この爺さんの前では、確認の回数を増やすことに決めた。
老人は言って、書架馬車の方へ歩き出した。歩き出してから、半歩だけ振り返った。
「――記録の中で、また会いましょうかな」
記録の中で、また会う。
挨拶としては書庫流の洒落なのだろう。洒落なのだろうが、俺の耳には、妙な残り方をした。この爺さんの帳面と俺の帳簿は、明日から同じ机に載る。載せたのは俺の手癖で、俺の手癖を見抜いたのは、あの二つ目の眼鏡だ。
雇われたのが幸運なのか、捕まったのが不運なのか。
半々の欄が、また一行増えた。




