【第三巻】第五章 先触れの鈴(一)
穂月六日の昼、広場は久々の大入りだった。
ドヤール・マウンティ、モトリー興行の初日である。荷車を三台並べた即席の舞台、借り物の緋毛氈、ガスが立てた幟には「王都仕込み・講談」の墨文字。リリは舞台袖で木戸銭の箱を抱えたまま眠っていた。箱が減らないのは人徳か睡眠か、判定は難しい。
客入りは、麦酒の親父の見立てで「春花祭の七割」。興行としては上々である。うちの街の民は娯楽に飢えており、王都帰りの講談とあれば、店を閉めてでも来る。実際、金物屋は店を閉めて来ていた。閉めた店の前に「講談に行ってる」と貼り紙をする律儀さが、うちの街である。防犯上どうなのかという意見は、平和な街では却下される。
俺とあいつは、予告どおり最前列に座らされた。
「――さあて諸君、王都武闘祭、無名戦の闇より現れ出でたる謎の剣士! 何処より来たりて何処へ去るを知らず!」
張り扇が鳴り、群衆が沸く。演目は当然「仮面の挑戦者」である。当人を最前列に座らせて当人の伝説を語る興行というものを、俺は人生で二度と経験したくないのだが、経験の希望調査は今日も実施されなかった。叔父の前で、叔父の罪をそっくり写した芝居を演じさせた王子の話がある。あちらは客席の顔色を見るのが目的だった。こちらは、客席の顔色を見られないのが目的である。
「その棒は雷光! その足は静寂! 白光の剣士と打ち合うこと、数えて五十七合!」
「五十七!」
合いの手を入れているのは隣の当事者その二である。楽しそうで何よりだ。俺は麦茶の入った竹筒を傾け、表情筋に平常運転を命じた。二年目の命令系統は、今日も従順である。
――と。
五十七合のくだりが山場に差しかかった、その時だった。
ちりん。
鈴の音が、群衆の頭上を渡った。
振り仰ぐと、広場に面したパン屋の屋根の上、煙突の脇に、まだら服が座っていた。三叉帽。帽子の先で揺れる鈴が三つ。膝の上に頬杖をついて、興行を見下ろしている。
王宮付き道化、トリル。
調査団の到着は明後日のはずである。だが考えてみれば、先触れというものは本隊より先に来るから先触れなのだった。それにしても屋根の上からとは、入り方まで道化である。
ドヤールも気づいた。気づいて、しかし講談師の性で、止まらなかった。
「その正体は――今もって、誰も、知らぬ!」
「――知ってるよ」
鈴の声が、屋根から降ってきた。
広場が、しん、となった。
全員が屋根を見上げた。まだら服は頬杖のまま、にっこり笑った。
「……なんてね。知ってるのは、あの仮面が上等の白木だったってことだけさ。続けとくれよ、講談師の旦那。いいところだったんだ」
どっ、と群衆が笑い、講談が再開された。俺は竹筒の中身を、静かに、全部飲んだ。心臓に悪い道化である。あの「なんてね」の前の一拍は、確実に、狙って置かれていた。視線は俺には一度も向かなかった。向かないことが、何よりの雄弁だった。
興行がはねた後、トリルは屋根から――文字どおり――降ってきた。
「やあやあ、白光の旦那。それと、白湯の旦那」
「トリルさん! 来てくれたんですね!」
あいつが駄け寄った。王都で世話になった道化との再会に、顔じゅうが喜んでいる。
「明後日の本隊より二日早いお着きで」
「先触れだからね。先に触れるのが仕事さ」
「触れる、って、何に」
「そりゃお前さん、街にだよ」
トリルは帽子を揺らして、広場をぐるりと見回した。
「王様の使いが来る前の街ってのはね、一番正直な顔をしてるんだ。掃除の跡、噂の湿り気、賭けの番付。本隊が着いたら消えちまう顔を、先に見ておく。それが先触れの芸ってもんさ」
「賭けの番付まで知ってるんですか」
「『実は王族』に銅貨三枚張られてたそうだね」
没収された番付の中身が王宮の道化に流れている。この街の噂網は、性能がいいのか悪いのか、たまに分からなくなる。
ドヤールが舞台を降りてきて、トリルと名刺代わりの口上を交換した。講談師と道化。芸人同士の挨拶は、傍で聞くぶんには火花のようで面白い。曰く「王都で一番良い声だ」「そっちは王都で二番目に良い帽子だ」「一番は誰だ」「うちの王様」「勝てん」。勝負は一瞬で決した。
そこへ、子供たちが押し寄せた。
まだら服、三叉帽、鈴。子供の目に、道化というものは砂糖菓子と同じ引力を持つらしい。あっという間に囲まれたトリルは、囲まれ慣れた身のこなしで、囲みの中心にしゃがんだ。
「やあ、お客さんがた。木戸銭は笑い一つでいいよ」
「ねえ、その帽子、なんで三つに分かれてるの」
「一つはうちの王様のぶん。一つはあたしのぶん。残りの一つは――内緒のぶん」
「内緒って誰!」
「内緒って言った先から聞くんじゃないよ」
と、子供の一人が、例の狐の面を頭の横につけているのに、トリルの目が留まった。十日交替の共有財産、本日の当番の子である。
「おや。いい面だね。王都の祭りの狐だ」
「兄ちゃんの土産! みんなで順番こ!」
「順番こ、ときたか」
トリルは狐の面の子の前で、両手を広げた。何も持っていない。と思った次の瞬間、その掌に、どこからか小さな紙の蝶が現れて、ひらりと宙を舞い、狐の面の額にとまった。広場がわっと沸き、子供たちの目が皿になった。
「面の主どのに、王都から祝儀だよ」
手妻である。それも、かなり上等の。放って、受けて、隠して、開く――と、俺の頭が勝手に手順を分解して、それから勝手に、縁側の型、と註を打った。打ってから、慌てて頁を閉じた。閉じたが、遅い。分解した手順は、もう帳簿に載ってしまっている。道化の手妻と、木工師の縁側の型と、幼馴染の銅貨の手妻。同じ棚の、同じ段に。
で、だ。
嫌な予感はしていたのである。あいつがトリルの袖を、そわそわと引いたのだ。
「あの、トリルさん。折り入って、聞きたいことがあって」
「なんだい、改まって」
「仮面の人のことなんです」
来た。
「トリルさん、無名戦の作法を仕切ってたでしょう。だから、その、何か知りませんか。あの人がどこの誰で、今どこにいるのか。手がかりだけでもいいんです」
トリルの目が、す、と細くなった。細くなった目は、俺を見なかった。見なかったが、俺の胃のあたりは勝手に細くなった。
「白光の旦那。お前さん、あの人を探してどうする気だい」
「礼を言いたいんです。準決勝の礼と……それから、また会いたい。今度は、素顔で」
「素顔で、ねえ」
トリルは三叉帽の鈴を、指先で一つ、鳴らした。
「――鳴らしていいかい」
「え?」
「昔っから、こういう筋の質問には、鈴で答える決まりでね」
ちりん、と一つ。
「今のは何て答えたんです?」
「『仮面ってのは、外す日を自分で選ぶ』って答えたのさ」
「……えっと、つまり?」
「つまり、探すだけ野暮ってこと。向こうの支度ができたら、向こうから鳴るよ。鈴ってのはそういうもんだ」
「そうか……そうですよね。会いたがってるのに探し回るのは、なんか違うって、俺も思ってたんです。じゃあ俺、待ちます。強くなって待ってれば、いつか向こうから」
「そうそう、その心意気」
「でも、一つだけ確かめたいんですけど」
「なんだい」
「あの人、元気にしてるんでしょうか。怪我とか、してないでしょうか。準決勝、俺、結構本気で打ち込んだから」
トリルの帽子の鈴が、笑いを堪えるように小さく揺れた。
「……大丈夫だろうさ。あの手の御仁はね、旦那が思ってるより、ずっと丈夫にできてるもんだよ」
「そうですか! よかった」
よかった、で済むのが、あいつの偉大さである。丈夫にできている当人は、麦茶の竹筒を握り直した。握力の行き場が、他になかった。
会話は円満に着地した。着地したが、俺の見たところ、二人の理解は途中で一度も交差していない。あいつは「運命の再会を待つ」話をしており、トリルは「隣の男の観念を待つ」話をしている。平行線のまま双方満足して合意に至る会話術というものを、俺は今日、屋根の下で見学した。見学料は、俺の胃で払った。
夕方への帰り際、トリルは思い出したように足を止めた。
「ところで白湯の旦那。ちょいと聞くがね」
「なんだ」
「この街、夜はいい音がするかい」
「……最近、静かすぎる夜がある」
「ふうん」
道化は帽子のつばを、ひょいと持ち上げた。化粧の下の目が、初めて、まっすぐ俺を見た。
「――音の消し方が、二流だねえ。この街に来てるやつ」
「気づいてたか」
「商売柄ね。静けさで飯を食う連中の静けさと、静けさしか残せない連中の静けさは、鈴一個ぶん違うのさ」
言い残して、まだら服は路地の角に消えた。鈴の音だけが、しばらく後を歩いていた。




