【第三巻】第一章 南への道(三)
麦月二十六日の朝、トレモロの町の東口で、俺たちは五人から二人に戻った。
「クラウン! 次に会う時は互いに名を上げてからだ。覚えとけ!」
「ああ。ドヤール殿も、ガス殿も、リリ殿も、達者で」
「おい荷物。貴様もな」
俺への別れの挨拶が三文字なのは通常運転として、ドヤールは最後に一度だけ振り返り、妙に真面目な顔で言った。
「――王都の講談小屋で、待ってる」
外套の裾が翻り、東の街道に三つの背中が遠ざかっていった。歩きながらもう眠っているのが一人いた気がするが、あの一行はあれで回っているのだから、部外者が心配することではない。
さて、ここからは二人旅である。
二人旅には二人旅の法があり、我がパーティにおいてそれは「旅程特別条項」と呼ばれている。行きの道中で制定された第一条から第五条までの、あれだ。帰路に入った初日、あいつは早速それを持ち出した。
「ヨウタ、確認だ。旅程特別条項は帰り道にも適用されるか」
「されない。あれは行きの条項だ」
「第四条もか」
「第四条は……」
言いよどんだのが運の尽きだった。第四条とは、俺が「面倒だ」と言った場合、それは「検討する」と読み替える、という規定である。制定の経緯には触れたくない。触れたくないという気持ちを、当時の俺は「面倒だ」と表明し、それが「検討する」と読み替えられて条文が成立した。法治とは何なのか、考えさせられる出来事だった。
「第四条は生きてるだろ。ほら、さっき宿の精算の時も」
「あれは言葉の綾だ」
「第五条もあるぞ。買い食いは連帯責任。さっき干し無花果を買っただろう、俺は見ていた」
「お前も食っただろうが」
「連帯したからな」
胸を張ることか。かくして旅程特別条項は、帰路においても効力を有することが「当事者間の運用実績」により確認された。俺は法律の専門家ではないが、この国の法学が聞いたら泣くと思う。
「じゃあ第一条から確認するぞ。第一条、歩く速さは遅いほうに合わせる」
「有効。ちなみに遅いほうは常に俺だ。荷物の重さの分でな」
「第二条、道の選択で揉めたら、景色のいいほうを取る」
「有効。ただし『景色がいい』の判定権者について、行きに積み残した論点がある」
「多数決だろう?」
「二人で多数決をやると、可決に全会一致が要る。それは多数決と呼ばない」
「でも今まで全部一致してきたぞ」
「まあ、そうなんだが」
そうなのである。二年間、道の選択で割れたことが一度もない。制度の欠陥を運用で埋め続けるこの体制を、世間では何と呼ぶのか知らないが、うちでは相棒と呼んでいる。
「第三条は?」
「昼飯を抜かない。これは絶対規定だ」
「異議なし」
異議のあったためしがない。条文というより教義である。
道は南へ、緩やかに下っていく。
行きと同じ道のはずなのに、帰りの道は別の顔をしている。理屈は分かっていて、行きの俺たちは武闘祭という行き先を見ていたが、帰りの俺たちは、通り過ぎていく景色のほうを見ているからだ。景色の中には、当然、あれも含まれる。
二日目の昼、分かれ道に着いた。
右へ折れれば、半日でフェルマータ村。俺たちの生まれた村である。
あいつの足が、ほんの半歩ぶん、緩んだ。緩んで、止まらずに、まっすぐの道を選んだ。
「……寄らないのか」
聞いたのは俺のほうだった。我ながら珍しい。
「ああ。寄らない」
あいつは前を向いたまま言った。
「墓参りってのはさ、ついで、で行くもんじゃないだろ。王都の帰りに寄りました、じゃなくて――ちゃんと、帰りましたって言える時に、行く」
「……そうか」
「それに、今行ったら、報告することが多すぎる。A級になりました、武闘祭で優勝しました、すごい人に会いました。墓の前で三刻は喋る自信がある」
「墓が困るな」
「だろう? だから、まとめてからにする」
冗談の形をしていたが、冗談ではないことは分かっていた。
分かれ道を過ぎてしばらく、会話が途切れた。
村の方角に、低い山並みが見えていた。
あの稜線の向こうに、二人ぶんの家の跡がある。
あいつの両親の墓と、俺の祖母の墓が、同じ寺の同じ斜面にある。
風が、麦の刈り跡を渡っていった。
それだけの景色だった。
「――なあ、ヨウタ」
やがて、あいつがぽつりと言った。
「俺、王都で気づいたんだけどさ。俺、自分の家のこと、何にも知らないんだ」
「何にも、ってことはないだろ」
「いや、ほんとに何にもだ。家紋の由来も知らない。じいさんの名前も、実は怪しい。父さんの仕事だって、剣の稽古をつけてくれたこと以外、何をしてた人なのか……ほら、俺、九つで王都に行っただろ。家のことを教わるのって、たぶん、あの後の年頃なんだよ」
九つで村を出て、騎士学校の寮に入って、二年半後に流行り病の報せが来て、葬式にすら間に合わなかった。それがあいつの家の終わり方だった。俺はその頃、隣で祖母を見送ったばかりで、つまり俺たちは、家というものが軽くなっていく時期を、揃って通った口である。
「鈴の短剣だって、そうだ。父さんは『クラウンの家の剣だ。いつか話す』って言ったきりだ。いつか、なんて日は、来なかった」
「……」
「王都で、係の人たちが家紋を見て騒いだ時さ。嬉しいより先に、恥ずかしかったんだ。自分の家の紋のことを、赤の他人のほうが詳しいんだぜ。変な話だろ」
「変じゃないさ」
俺は言った。言ってから、続きを探した。こういう時に限って、俺の在庫の豊富なはずの理屈は、棚のどこにも見当たらない。
「家のことってのは……住んでるうちは、見えないもんだろ。出てから輪郭が見える。お前は今、輪郭が見え始めてるだけだ」
「輪郭、か」
「ああ。中身はこれから調べればいい。幸い、うちの街には妙に何でも知ってる酒場の親父がいる」
「そうだな!」
あいつの声に、日向の色が戻った。
「帰ったら、バラッドさんに聞くことの一覧を作る。家紋だろ、短剣だろ、あとじいさんの名前……ヨウタ、紙あるか」
「歩きながら書くな。転ぶぞ」
結局その晩、野営の焚き火で、あいつは「バラッドさんに聞くことの一覧」を本当に作った。
「一番、家紋の由来。二番、鈴の短剣のこと。三番、じいさんの名前。四番……クラウンって家名は、いつからあるのか」
「四番が一番でかい気がするが」
「順番は思いついた順だ。五番、父さんは何の仕事をしてた人か。六番――」
六番から先は、聞き書きの範疇を越えていった。七番「うちの家系に有名な人はいるか」、八番「なぜ村に住んでいたのか」、九番「母さんの里はどこか」。九番であいつの筆が少し止まり、俺は焚き火に枝を足した。火の爆ぜる音で、間は埋まった。
「十番。家宝は短剣の他にもあるか」
「強欲になってきたな」
「調査は網羅的にやれって、王都の試験官が言ってた」
「試験は落ちても死なないが、家宝は増えても食えないぞ」
「十一番――うちの家訓」
聞いていなかった。項目は十一で打ち止めである。壺から出てくる精は願いを三つまでしか聞かないと相場が決まっているが、うちの酒場の親父に、上限の規定はない。十一番まで付き合わされる親父が、今から少し気の毒になった。十一番目が「うちの家訓」。家訓の有無を他人に問い合わせる家は、王国広しといえどクラウン家だけだと思う。もっとも、問い合わせ先の酒場の親父が家訓の在庫まで持っていそうな気がするのが、うちの街の妙なところだ。
穂月一日の午後、それは後ろから来た。
蹄の音である。速い。俺たちは道の脇に寄った。二騎、続けて駆け抜けていった。鞍の脇に立てた小旗に、王冠の紋。王都の公用馬だ。
乗り手は俺たちを一瞥もしなかった。当然だ。公用の早馬は道端の旅人を見ない。見ないのだが――
「急ぎだな。王都から南に、何の用だろう」
「さあな」
俺は答えながら、砂埃の向こうを見ていた。
南へ下る公用馬が二騎。行き先の候補は多くない。この街道の先で公文書が要るほどの街は、モトリーくらいのものである。
嫌な予感、という言葉は使いたくない。使いたくないので、帳簿の言い方で言う。
――先方の記帳が、俺たちの帰宅より先に始まっている。
旅の残りは一日。荷物は行きより増え、聞くことの一覧は十一項目、そして俺たちの街には今、王冠の旗が二本、先回りしている。




