【第二巻】第十二章 王冠の影(一)
表彰式は、翌日の麦月二十一日、昼に行われた。
なぜ当日でないかというと、決勝の夜の王都が、式典どころではなかったからである。街中が宴になった。大路の酒場は樽を通りに出し、屋台は在庫を投げ売り、どこの辻でも「白光」の唱和と、ドヤールの講談の切れ端が飛び交った。俺たちの宿の前にも人だかりができて、三日月の櫂の主人は、生涯最高の売上と生涯最悪の洗い物を同時に記録した。
宴の詳細は、省く。色々あった。以上だ。
……と要約したいところだが、省くと帳簿に穴が開く分だけ、拾っておく。
一つ。宴の最中、麦酒の親父の店に、白銀の甲冑が現れた。ソロ・アダマス卿である。店が凍りついた。卿は静かに席に着き、ドヤールの新演目「白銀、鳴りたる日の段」を最後まで聴き、木戸銭は要らんと言う講談師の荷車に、金貨を一枚、黙って置いて帰った。ドヤールはその金貨を「家宝にする」と宣言し、半刻後には「いや使う。金は使ってこそだ」と宣言し直した。講談師の家宝の寿命は半刻である。
二つ。南区の星が、弟弟子に支えられて、宴の隅に顔を出した。ジェスターは駆け寄って、長いこと、何かを話し込んでいた。別れ際、二人は握手をした。師範代の手は、まだ震えていたが、握り返す力はあったという。
三つ。ミエルさんが、果実水で三時間、帳面を一度も開かなかった。この人の宴への最大級の敬意である。
宴の主役は、途中から行方をくらました。
行方といっても、俺は知っている。あいつは宿の裏の井戸端で、桶を借りて、剣の手入れをしていた。宴より先に、剣。優勝の夜も、手順は変わらない。研ぎは十日に一度、油は使った日の夜に。
「飲まれてこないのか。主役だぞ」
「一杯だけ飲んだ。限界だ」
頬の赤いあいつは、布で刃を拭いながら、ふにゃりと笑った。この男の限界は、今夜も一杯である。
「なあ、ヨウタ。俺は今日、勝ったんだよな」
「勝った。六万人が見てた」
「そうか。……うん。今日のは、ちゃんと、俺の勝ちだ」
噛みしめるような言い方だった。昨日の夜の白湯の冷たさを知っている俺には、その一言の温度が、何よりの決算報告だった。
――で、翌日の表彰式である。
式は、大闘技場の円の中で行われた。壇上には準優勝の卿も立った。兜を小脇に抱えた素顔の卿に、観客は昨日と同じ大きさの拍手を送った。負けた翌日にあれだけの拍手をもらえる敗者を、王都は二十二年ぶりに見たのだという。
優勝者ジェスター・クラウンには、冠代わりの月桂の環と、賞金と、そしてギルドからの正式な沙汰が渡された。
「――B級冒険者ジェスター・クラウン。武闘祭の戦績をもって実技審査に代え、面談・書類審査と併せ、本日付でのA級昇格を認める」
鉢を埋めた観客が、昨日の続きの歓声で応えた。
A級である。
あいつが王都に来た目的が、いま、果たされた。壇上のあいつは、月桂の環を掲げ、観客に一礼し、それから、審査官に何かを確認して、驚くほど事務的に書類へ署名していた。ああいうところは、育ちである。誰の育ちかは、聞かれても困る。
式の後半は、俺にとって、別の意味で見物だった。
各方面が、優勝者の呼び方を、まだ決めかねていたのである。
審査官は「クラウン殿」と呼んだ。司会役の役人は「白光殿」と呼んだ。観客は「白光!」と呼び、教室の連中は「兄ちゃん」と呼び、ドヤールは「クラウン」と呼び捨て、麦酒の親父に至っては「うちの若いの」と呼んだ。いつからうちのになったのかは、誰も追及しなかった。トリルだけが、口上で全部の呼称を並べてみせた。曰く――
「栄えある優勝者! 呼び名は目下、白光、クラウン殿、鈴の輪の剣士、辺境の星、うちの若いの、以上五種が流通中! お好きな呼び名でお呼びください、本人はどれでも振り向きます!」
鉢が笑いに揺れた。実際、あいつはどれでも振り向く。名前が増えるというのは、そういうことである。ひと月前、名称未定の二人組として王都の門をくぐった男の片割れは、今や名前の在庫過多で振り向く角度が忙しい。
そして、もう一つの見物は――なかった。
無名戦の勝者の席である。
式次第には、愚者の椅子の敗者にも、席が用意されていた。円の隅の、白木の椅子が一脚。仮面のまま座ってよし、という古式ゆかしい計らいである。
椅子は、空のままだった。
無名の七は、現れなかった。当然である。無名の七は昨日の朝、円の真ん中で言うことを言って、それきり消えた。消えた男の椅子を、係の者が下げようとして――トリルが、止めた。
「そのままに。空の椅子ってのは、いちばん客の入る演目ですよ」
道化の言うとおりだった。式の間じゅう、観客の目は時々、あの空の椅子に吸い寄せられた。あそこに座るはずだった仮面は誰なのか。どこへ消えたのか。憶測が憶測を呼び、賭け屋が「仮面の正体」の相場を立てようとして、胴元に断られたという。素性の詮索は御法度である。御法度が、憶測を上等の酒に変える。仮面の男は、姿を消すことで、祭りの伝説の棚に、勝手に陳列された。
棚に並んだ当人は、西の中段で、干し杏を齧っていた。
伝説というのは、当事者の食っている物を知らないから成立する。
「なあ従者の兄ちゃん、あんた、仮面の人の正体、どう思うよ」
麦酒の親父が、隣で憶測の相場に参加してきた。
「さあ。落ちぶれた騎士とか」
「俺は王族の隠し子と踏んでる。あの棒さばき、只者じゃなかった」
「棒で王族は、ないでしょう」
「分かんねえぞ。世の中、見た目通りのもんの方が少ねえ」
含蓄のある憶測に、俺は干し杏で相槌を打った。見た目通りのものの方が少ない世の中の、見た目通りでない代表が、いま隣で杏を齧っている。
式の帰り、控えの通路の出口で、あいつは使者団に足を止められた。
昨日の、濃紺の礼装の一団である。先頭の男が、恭しく書状を差し出した。
「ジェスター・クラウン殿。明日、王宮より使いの者が、改めて宿へ伺います。……本日は式典ゆえ、口上のみにて」
「王宮から? 俺に、ですか」
「はい。仔細は、明日」
使者団は一礼して去った。あいつは書状と俺を見比べ、俺は書状の封蝋を見た。
王家の紋章である。輪の中に、剣と笏。
輪、である。
紋章学の講釈が、頭の中で埃を払った。紋章は名刺で、読める者が読めば家の格も縁も読める。王家の紋章の芯にあるのは、王冠である。
そして、いつかの登録棟の紋章描きの講釈によれば――王冠とは、古い言葉で「コロナール」。意味は、輪。この王都の名は、王冠の街という意味であると同時に、ただの「輪の街」でもあるのだという。輪とは、始まりも終わりもなく、内と外を分けるだけの形。王冠も、指輪も、そして――鈴を三つ並べた輪も、紋章学の分類では、同じ「輪」の棚に入る。
あいつの家の紋は、鈴を三つ、輪のかたちに並べたもの。
輪と、輪。
旗職人の言葉が、続けて埃を払う。猛獣じゃないのは今日これで二枚目だよ。一枚目は、言えないね。職人には守秘義務がある。
……考えすぎであってほしい符合が、また一つ、帳簿の隅で音を立てた。
「王宮か。何の用だろうな」
「優勝者の表敬だろ。飯でも出るんじゃないか」
「飯か! なら行こう」
単純な結論に、今日も救われる。救われながら、俺は封蝋の輪を、もう一度だけ見た。
宿への帰り道、あいつは月桂の環を大事そうに抱えて、ぽつりと言った。
「A級になったな、俺」
「なった。目的達成だ」
「うん。……変な気分だ。ずっと欲しかったものを貰ったのに、貰った瞬間から、次のことを考えてる」
「次」
「強くなりたい。もっとだ。卿と、次にやる時のために。それから――」
あいつは、空を見た。
「――あの人と、もう一度やる時のために。今度は、通してもらうんじゃなくて、俺の力で届くために」
仮面の人の帳簿は、まだ、閉じていない。閉じていないどころか、あいつの中で、次の目標の頁に格上げされている。俺は返事の代わりに、荷物を担ぎ直した。担ぎ直した荷の底で、白木の面が、小さく鳴った気がした。
祭りは終わった。
終わったはずの祭りの向こうから、別の何かが、こちらへ歩いてくる足音がする。等間隔ではない。もっと重い、礼装の足音である。




