第三章 接待RPG、開幕(一)
種月十五日、快晴。出発は夜明けと同時、のはずだった。
「待て。その籠はなんだ」
東門の前で、ジェスターが俺の背負い籠を指さした。
「荷物だ。俺は荷物持ちだからな」
「鍋が見えるぞ」
「昼飯を炊く」
「縄と、油と、それは……石鹸か?」
「傷は洗うと治りが早い」
「規約第二条だ。重い物は俺が持つ」
「第二条は危険な役目の話だろう。鍋は危険じゃない」
「熱すると危険だ」
「その理屈が通るなら世界中の台所が戦場だ」
朝から条文解釈で揉める二人組である。結局、籠は俺、剣はあいつ、という当たり前の分担に落ち着いた。憲法論議に費やした時間、およそ八分。なお議事録は存在しない。存在したら燃やす。
ちなみに本日の任務はゴブリン退治であるからして、あいつの装備を紹介したい。磨き上げた胸当て、騎士学校の紋章入りの盾、腰に長剣と例の鈴の短剣、そして洗いたての白い外套。歓迎式典にでも行くのかという正装ぶりである。ゴブリン相手には過剰と言うほかないが、本人は大真面目だ。対する俺は、いつもの雑用着に背負い籠である。並んで歩くと、騎士と行商人の道行きにしか見えない。実際、道中で二度、行商人に間違えられた。
「初陣だからな。礼を尽くす」
「ゴブリンにか」
「依頼人にだ。それと、剣を教えてくれた人たちにも」
こういうことを真顔で言う。俺は籠を背負い直して、口を閉じた。正論に正装で来られると、皮肉の在庫が全部湿気る。
カルタ大森林までは徒歩で半日弱。春の森は開店前の市場に似ていて、鳥が品出しの声を上げ、獣道には夜の商いの足跡が残っている。俺には二年通った通勤路だが、あいつには初めての売り場である。
「この森、どのくらい入ってるんだ?」
「雑用でな。薬草採りと、道案内と、たまに猫」
「猫?」
「陛下という御方がいる。灰色の。そのうち謁見できる」
「猫に謁見……いや、楽しみにしておこう」
「頼りにしてる、と言いたかったんだ。俺はこの森を地図でしか知らない」
「地図は嘘をつかないが、全部は言わないぞ」
「いい言葉だな。誰の言葉だ?」
「俺の」
「メモしていいか」
「するな」
歩きながら、俺は昨夜の点検結果を頭の中で復習していた。
――昨夜の業務報告。巣の位置、西部の岩場。個体数、二十二。ミエルさんの数字から二匹増だが、C級適正の範囲内。罠は入口に落とし穴が一つ、作動済みに偽装。周辺の上位捕食者、既に日課で排除済み。特記事項、なし。
つまり今回の俺の仕事は「何もしないこと」の確認だった。世の中には、何もしないために夜通し歩く仕事がある。給料は出ない。
なお、昨夜の点検は巣の表層までにとどめている。ゴブリンの巣は岩場の亀裂づたいに地下へ潜るが、最深部までは潜らなかった。ゴブリン以外の何かが入る隙間ではないからだ。この判断を、俺は夕方までに三回悔やむことになる。
森の入口で、先客がいた。
「よお、新婚パーティ」
「誰が新婚だ」
「規約とか作ってるって聞いたぜ。仲がよろしいこって」
ドヤール・マウンティと、その連れの二人である。斧を担いだ大柄の男がガス、弓を背負った眠そうな女がリリ。三人は東の沢で大猪の討伐だという。
「ゴブリン退治だって? 二十かそこらの巣だろ。見ててやるよ、先輩としてな」
「大猪はいいのか」
「猪は逃げねえ」
「逃げるだろ」
「あの、ドヤールさん。うちらの猪、先に行った方が」
「逃げねえっつってんだろ」
「逃げると思うっす」
リリの声は眠そうなまま正しかった。正しかったが、ドヤールたちは岩場の上に陣取ってしまった。観戦席である。木戸銭でも取ればいいのに。
ジェスターは気にした風もなく、巣穴の前で地形を検分し始めた。
「段取りを言う。燻して、追い出して、入口で受ける。ヨウタは俺の後ろだ」
「俺の配置はそこか」
「そこだ。矢面は俺の管轄と決まってる」
「規約第二条か」
「よく覚えてたな!」
「起草者が目の前にいるからな」
打ち合わせ、以上。単純明快、教本の第一頁である。だが第一頁を崩さずに実行できる新人を、俺は寡聞にして他に知らない。
「ヨウタ、風向きはどっちだ」
「北東から」
「なら煙は奥まで届くな。湿った葉を頼む。燻して追い出す」
燻し出し。巣穴攻めの定石である。定石なのだが、新米が初手で選べるかどうかは別の話だ。奥に籠もられて持久戦になるのが、新人のゴブリン退治の相場と決まっている。
あいつは入口の左右に土を盛らせ、退路を一本だけ残し、自分はその一本の正面に立った。盾を構える角度、剣を抜く時機、どれも教本通りで、教本通りにやれることが一番難しい。
湿った葉の白い煙が、岩の裂け目を這って奥へ吸い込まれていく。ゴブリンは鼻がいい。いいせいで、煙には人間の三倍弱い。奥から、苛立った悲鳴がいくつも湧いた。
煙が満ちて、最初の一匹が飛び出してきた。
「出たァ! さあ始まりました白光選手、初陣でございます!」
観戦席がうるさい。
「おーっと一匹目、盾で受けて剣の腹! 峰打ちだ! 二匹目、来る! 足を払った! 縛るのは荷物持ち! 流れ作業だ!」
「実況すんな」
「今のは騎士学校式の受け流しだな。盾の面で滑らせるやつだ」
解説までついた。斧の男である。
「詳しいっすね、ガスさん」
「……研究してんだよ、別に」
「三匹目四匹目、同時に来たァ! 白光選手、盾で一匹弾いて、もう一匹は――あーっと、峰! 今日も峰です!」
「峰打ち多くないっすか。殺さないんすかね」
「解説のガスさん、これはどういう狙いでしょう」
「……売るんだろ。生け捕りは高い」
「違うぞ」
ジェスターが、構えたまま真面目に答えた。
「斬る理由のない相手まで斬ると、剣が鈍る」
「だとよ」
「深いっすねー」
深いのか浅いのか判然としない観戦席である。なお生け捕りが高く売れるのは事実で、気絶組は俺が数珠つなぎに縛っている。武勇はあいつの管轄、経理は俺の管轄だ。
研究熱心な観戦席を尻目に、作業は進む。途中、あいつは前を向いたまま一度だけ声を投げてきた。
「ヨウタ、下がれてるか!」
「下がってる。安心して前を見ろ」
「よし!」
振り向きもせず、返事だけで安心する。信頼と呼ぶのか無防備と呼ぶのか。守られる係というのも、存外気苦労の多い職である。
ジェスターの剣は、見ていて気持ちがいいくらい無駄がなかった。殺さずに済む個体は峰で落とし、飛びかかる個体だけ斬る。二十二匹の群れを相手に、呼吸ひとつ乱れていない。
俺の仕事は、転がってきた気絶ゴブリンを縛り上げ、数を数え、たまに縄が足りなくなる演技をすることだった。手持ち無沙汰の演技というのは、実は縄縛りより難しい。
ついでに白状しておくと、その「転がってきた」気絶ゴブリンのうち三匹は、あいつの死角へ回り込もうとしたところを俺が指で弾いた個体である。弾いた瞬間は誰も見ていないので、世界の記録の上では自然に転がってきたことになっている。歴史というものは、目撃者の頭数で決まるのだ。
「十九……二十……二十一」
ジェスターが額の汗を拭って、巣穴を振り返った。
「あと一匹だな」
「よく数えてたな」
「討伐証明は右耳で数える規定だからな。数え損なうと、ギルドの台帳が合わなくなる」
「左耳で数えるとどうなるんだ」
「二重計上だ。両耳を切れば一匹が二匹になる。だから右と決まってる」
「行政だなあ」
台帳が合わなくなる、か。その台帳係の顔が浮かんで、俺は少し遠い目をした。
最後の一匹が、煙の中からよろよろと出てきて、ジェスターの峰打ちで丁寧に落とされた。二十二匹、確認完了。昨夜の俺の勘定と、一の位まで一致している。当然だ。数えたのは俺の方が先なのだから。観戦席から拍手が降ってくる。ドヤールだけが悔しそうに手を叩いていた。器用な拍手である。
「見事なもんだぜ、クラウン。……おい、どうした?」
拍手が、止まった。
ジェスターが巣穴の奥を見ている。俺も、見ている。いや、俺の場合は、見るより先に分かっていた。
地の底から、気配が上がってくる。
昨夜、点検しなかった深さから。ゴブリン以外の何かが入る隙間はない、と判断した、その隙間から。
観戦席で、リリが弓を取り落とした。ガスの拍手が中途半端な形のまま固まっている。空気が変わったことだけは、等級に関係なく伝わるものらしい。
――悔やみの、一回目である。
巣穴の奥の闇が、ずるり、と動いた。




