↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/108

【第二巻】第二章 審査という名の見世物(三)

 麦月七日の昼、大路の食堂で昼飯を取っていたら、入口で外套の翻る音がした。

 音で分かった。外套というものは、普通に着ていれば翻らない。翻すには訓練が要る。そして王都広しといえど、外套を翻す訓練を積んだ男に、俺は一人しか心当たりがない。

「――いたな、クラウン! それに、おい荷物!」

 ドヤール・マウンティであった。

 癖のある金髪、C級の胸章、そして本日も絶好調の声量。後ろには斧を担いだ大柄のガスと、弓を背負った眠そうなリリが続いている。モトリーで別れて以来、ひと月ぶりの三人組である。講談を打ちながら旅をする自称・流浪の英雄一座で、実態は、講談の腕は本物、戦いの腕はそこそこ、そして人柄は三人とも、悔しいことに悪くない。

 食堂の客の三割が振り返った。声量の効果である。残りの七割は王都の民で、外套を翻す男の登場程度では振り返らない。都会の耐性は大したものだ。

「ドヤール殿! 来ていたのか」

「当然だろうが。武闘祭だぞ。俺様が王都で名を上げる、年に一度の書き入れ時だ」

「予選からか」

「予選からだ。文句あるか」

「ない。予選を勝ち上がる姿も見られるとは、得した気分だ」

 あいつの返しには皮肉の受け皿が存在しないので、ドヤールの構えた反論は行き場を失い、空中で分解した。ドヤールとジェスターの会話は毎回この形で決着する。攻撃側が勝手に転ぶ。

 三人はそのまま俺たちの卓に合流した。ガスが椅子を三つ、音もなく調達してくる。この大男の気配りは、斧より切れる。

「時にクラウン、貴様、本戦からだそうだな。B級様は結構なご身分だぜ」

「身分ではなく戦績だ、とギルドは言っていた」

「同じことだろうが。まあいい。決勝で会おうじゃねえか。俺様の新しい二つ名を披露してやる」

「聞こう」

「『王都に響く雷鳴』ドヤール・マウンティ」

「響きそうだな!」

「だろうが」

 俺は芋のスープを飲みながら拝聴していた。二つ名は自作するものではない、という常識は、この男の前では通用しない。自作して、名乗って、定着するまで名乗り続ける。三年これでやってきた男である。ちなみにモトリーでの二つ名は「大口のドヤール」で、これは自作ではない。

「ところで、だ」

 ドヤールが声を潜めた。潜めても声量が常人の平常値なのは、講談師の職業病である。

「貴様ら、『無名戦』を知ってるか」

「貼り紙で見た。仔細は口頭にて、というやつだろ」

「そう、それだ。昨日、予選の下見で聞き込んできた。いいか、こいつは武闘祭の裏の名物よ」

 ドヤールは卓に身を乗り出し、講釈の構えに入った。外套の襟を直し、指を一本立てる。仕草がいちいち舞台仕様である。

「本戦の裏でな、もうひとつの勝ち抜き戦が行われる。出場者は全員、仮面をつける。名を名乗らねえ。登録の名はどいつもこいつも『無名』。素性を調べるのは御法度、剥がすのも御法度。勝っても記録に名は残らねえ。残るのは『無名の勝ち』の一行だけだ」

 俺は職業柄、制度の条文を頭の中で並べ直した。調べるのが御法度、剥がすのが御法度。禁止というものは、破りたがる者がいるから条文になる。つまりこの枠は、素性を暴かれては困る者が現に出続けていて、暴きたがる者から彼らを守るために、祭りの側が壁を建てたということだ。誰得の壁かと言えば、仮面の側の得である。制度に守られた匿名。設計した人間は、名前の要らない強さというものを、よほど深く分かっていたらしい。仮面の舞踏会で出会って恋に落ちた二人の芝居があるが、あの二人は仮面のおかげで、互いの家の名を一晩だけ忘れられた。この枠も、たぶん同じ効能で、毎年埋まる。

「名が残らないのに、出る者がいるのか」

「いるんだなあ、これが。毎年、枠が埋まる。……なぜだと思う、クラウン」

「分からん。名が残らないなら、何のために戦うんだ」

「それよ」

 ドヤールは指を鳴らした。鳴らなかったが、鳴ったことにして先へ進んだ。

「誰にも分からねえ。分からねえから、名物なのよ。見巧者どもは――」

「観客、っすね」

「玄人の言い回しってもんがあるんだよ。……観客どもは毎年、仮面の下を勝手に想像して盛り上がる。落ちぶれた騎士か、家出した貴族か、それとも──ってな。講談の種としちゃ一級品だぜ」

 ガスの通訳が入るのは、ドヤールが講釈の熱で時々、楽屋言葉に足を滑らせるからである。滑った先で客が誰も待っていないのも、毎回のことだ。

 と、それまで黙って串肉を齧っていたジェスターが、ふいに顔を上げた。

「……それ、愚者の祭りだな」

「あん?」

「昔、北の方の祭りの話を読んだんだ。無礼講の日は身分が逆さになる。徒弟が親方に説教して、平民が王様の格好で練り歩く。一年に一度、世界をひっくり返して笑う日。――その日は、名前も逆さになる。名のある者が名を捨てて、名のない者が王冠を被るんだ」

 聞き覚えのある薀蓄だった。それもそのはずで、ひと月前、モトリーの祭りの夜に、こいつが俺に語った話である。あの晩は道端の話の種で終わった民俗誌の一頁が、王都まで歩いてきて、本物の制度と握手した。書庫籠もりの知識というものは、こういう再会のためにあるのかもしれない。あの晩と違うのは、王様の帽子の話をするジェスターの腰で、今日も鈴がふたつ鳴っていることくらいだ。

「無名戦は、その名残なんじゃないか。名を捨てる枠が、祭りの中にひとつだけ残ってる」

「……ほう。ほほう」

 ドヤールの目が光った。講談師の目である。

「もらった。その筋、俺様の講談でいただくぜ。『武闘祭秘話・愚者の遺産』――客が泣くね」

「泣くかどうかは分からないが、由来としては筋が通る。誰かに確かめてみたいな」

「確かめてどうする、クラウン。謎は謎のままの方が客が入る。覚えとけ」

 講談師と書庫育ちでは、真実の扱いが根本から違うらしい。卓の隅でリリが、眠そうな目のまま、ぽつりと言った。

「……名前を隠して出るの、名前が邪魔な人か、名前がない人だけ」

 一瞬、卓が静かになった。

 リリの言うことは、いつも短くて、いつも正しい。名が邪魔な者か、名がない者。無名戦の仮面の下は、昔からその二種類しかいないのだ。観客の想像がどれだけ膨らんでも、幹はその二本である。

「だな! つまり謎めいた訳ありの強者ってことだ。ますます講談向きだぜ」

 ドヤールの解釈は綺麗に上滑りしたが、俺は芋のスープの底を見ていた。

 名前が邪魔な人。

 俺の場合はどうだろう。名前はある。ただ、名前と一緒に出せない中身がある。中身を出せば名前が化け物の名前になる。それを三年、田舎で畳んできた。名を捨てれば中身を出せる枠が、この祭りにはある――思考がそこまで歩いたところで、俺は匙を置いて思考を打ち切った。歩かせる先のない思考は、歩かせないに限る。

「食ったな。よし、俺様は午後から予選の組分けだ。見に来い。俺様の初戦、講談より面白いぜ」

「行こう。ヨウタ、いいか」

「ああ。……その前にドヤール、ひとつ聞く。予選の下見で、妙なものは見なかったか」

「あん? 妙なもの?」

 ドヤールは記憶を漁る顔になり、それから、少しだけ声量を落とした。今度は本当に落ちていた。

「――一人、いたな。南区の道場の連中が連れてた剣士だ。控えの隅で、三刻ぶっ通しで素振りをしてた。休まねえ、水も飲まねえ、飯も食わねえ。周りが止めても、聞こえてねえみたいに振り続けてた」

「強そうか」

「強いなんてもんじゃねえ。振りが速すぎて、残像が遅れてくる。……だがよ」

 講談師は、そこで初めて、講談でない声で言った。

「あの目は、いただけねえ。何も映ってねえんだ。俺様は舞台の上の目なら千も見てきたが、あれは――幕が下りた後の、誰もいない客席の目だぜ」

 勘定を割り、食堂を出る。組分け札を引きに行く三人とは、大路の入口で別れることになった。去り際、ドヤールは外套を翻し損ねた。人混みで裾が隣の荷車に引っかかったのである。ガスが無言で外し、リリが無言で欠伸をし、ドヤールは何事もなかった顔で翻し直した。二度目は成功した。あの一座の芸は、失敗の処理まで含めて一つの演目である。

「予選、勝ち上がるといいな」

「勝ち上がるだろ。あいつの講談は、腕より正直だ。舞台の上で嘘をつかない男の剣は、読みやすいが、折れにくい」

 歩き出しながら、俺は昼の講釈を頭の中で製本し直していた。名を捨てる枠。守られた匿名。そして――誰もいない客席の目。

 帳面に書くまでもなく、最後の言い回しは記憶の帳簿の「?」の頁に、自分から綴じ込まれていった。飯を食わない師範代の噂から二日。噂は、輪郭を持ち始めている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。