第十二章 英雄譚の裏書き(一)
大事件の翌日というものは、祭りの翌日に似ている。
旧練兵場には片づけの人足が出て、移設した鈴は一基ずつ街道へ帰り、砕けた三基は鍛冶屋で鍰直しの列に並んだ。抉れた地面は埋められ、削れた胸壁には石工の隠居が出張り、街は、昨日の戦場を今日の日常へ、手際よく畳んでいった。畳み方の手際は、俺の知る限り大陸一である。なにせこの街は、祭りの撤去で鍛えてある。
婆さんの店は朝から再開して、店先には「本日、勝利記念の丸パン」の札が出た。中身は普段の丸パンと同じだが、名前がつくと売れ行きが違う。陛下は花冠を免除され、代わりに首の鈴を磨いてもらって、店先の定位置で尻尾を揺らしていた。
「あんたも食べな、勝利記念」
「普段のと何が違うんだ」
「気持ちだよう」
気持ちの分だけ、確かにうまかった。
治療院には、ジェスターが逆に呼び出されていた。傷の検分である。無傷と言い張る本人と、信じない医者の攻防が、窓の外まで聞こえた。
「動いたでしょう、昨日。縫い目に響いてます」
「動きましたが、勝ちました!」
「勝敗は縫合に関係ありません」
正論である。英雄は今日、包帯を巻き直されて、安静一日を言い渡された。
街道へ鈴を返す荷車には、ゴルドーの組が付き添っていた。
「三十基、全部無事に戻すぜ。……いや、二十七基か。三基は鍰直しだ」
「鍰直しの間、その区間は俺が夜に見回る」
「あんたが言うと、なんでか安心するな」
「雑用だからな」
「はは。そういうことにしとくよ」
そういうことにしとく、が増えていく。この街の大人たちは、詮索より信用の方が手間が省けると知っている連中だった。
俺も朝から、片づけの列にいた。
「よお、荷物! 聞け! 新演目ができたぞ!」
喉の治った講談師が、片づけの手を止めずに吼えた。
「題して『夜想曲を止めろ』! 今度のは一味違う。白光の一閃だけじゃねえ。鐘つき組の段、鈴直しの段、弓手の段、全部入りだ! 昨日の戦は、全員が主役だからな!」
「……いい演目だな」
「白光に教わったのさ。手柄ってのは、配ると増える」
配ると増える。あの男の帳簿の書き方が、講談師に伝染していた。伝染の仕方として、これほど質のいい流行を、俺は他に知らない。
「ちなみにだ、荷物。お前も出るからな」
「は?」
「『名も無き荷物持ち、外周を走る』の段だ。鈴を三十数える間に直した男がいたって、ゴルドーの組が騒いでたんでな。名前を聞いたら誰も知らねえ。だから『名も無き荷物持ち』だ。覚えとけ」
覚えとけ、と言われても困る。困るが、断る理屈も見つからなかった。
載らない名前が、講談には載るらしい。名も無き、という名前で。
世の中の帳簿は、たまにこういう抜け道を持っている。抜け道の風通しが、妙にくすぐったかった。
「ところでよ、荷物」
ドヤールが、急に声を落とした。
「昨日の鈴直し……三十数える間ってのは、講談用の誇張だよな? 俺様、盛っといたぜ」
「ああ。盛りすぎだ」
「だよなあ! ハハ、危うく本気にするとこだった!」
実測は二十八だったが、申告はしないでおいた。講談と実測の間には、適切な緩衝地帯が必要である。
昼、ギルドに呼ばれた。
窓口ではなく、例の保管室である。机の上には、書類の山と、見覚えのある綴りが二冊。第十三号案件と、統計の綴りだった。
「事件の公式記録が確定しました。読み上げます」
ミエルさんは、書式を手に取った。
「ノクトゥルヌ討伐。討伐者、ジェスター・クラウン氏。作戦立案、同氏。音響防衛、市民合同。特記事項、死者なし、重傷者なし。損害、鈴三基と地面と胸壁。以上です」
「正確だな」
「台帳ですので」
「一つ、訂正を頑めるか。作戦立案は、書庫の共同作業だ」
「クラウン様も同じことを仰いました。『仮説の土台はヨウタだ』と。双方の証言が相手を指しますので、台帳的には『同人ら』と記録します」
「……それでいい」
同人ら。三文字の中に、俺も入っている。入り方として、ちょうどいい深さだった。
「それから、こちらの件ですが」
彼女は、第十三号案件の綴りに手を置いた。
「本日付で、閉じます」
「……解決したのか」
「いいえ」
羽根ペンが、最終頁に走った。書かれた文字は、逆さからでも読めた。
――記載事項なし。
「九項目の異常は、一件も解決していません。解決していないまま、この街は昨日、誰も死なずに災厄を越えました。台帳的には、それで、閉じられます」
「約束の『燃やす』は、いいのか」
「燃やしません」
彼女は綴りを閉じ、紐で結んだ。
「燃やすのは、辻褒のご説明を頂いた時の約束です。説明は、まだ頂いていませんので」
「……手厳しいな」
「ですので、閉じて、保管します。誰にも開けさせない棚に。私が退職する日まで」
結び目を、彼女はきゅっと締めた。
「――貸しですよ」
「貸しの取り立ては、いつだ」
「取り立てません。貸したままにしておくのが、当帳簿の運用です」
「変わった帳簿だな」
「ええ。この街に来てから、そうなりました」
台帳係の帳簿を歪めたのが誰なのかは、聞かないでおいた。聞けば、俺の綴りが一頁増える。
二年ぶんの観測が、一冊に綴じられ、結ばれ、棚の奥へ仕舞われた。仕舞う手つきは、宝物のそれに似ていた。似ている、と思ったことは、言わないでおいた。
「それと、これを返す」
俺は、統計の綴りを机に置いた。
「旅は、やめたんでな」
「存じています」
「……預かり賃の話だが」
言うと決めてきたことがあった。決めてきたのに、喉の手前で三度つかえた。三度目のあとで、ようやく出た。
「あんたの九項目。……誤認は、一つもない」
ミエルさんの羽根ペンが、止まった。
止まって、置かれた。
彼女は何も書かなかった。何も聞かなかった。ただ、少しだけ長く、俺の目を見た。
「――利息として、十分です」
それだけだった。それだけで、この取引は成立した。世界一手加減のうまい取調官は、自白の受け取り方まで、世界一うまかった。
保管室を出る時、彼女が背中に言った。
「サイキ様。統計は、来年も付けます」
「そうか」
「零が三年続けば、傾向は『伝統』になります。伝統の管理は、台帳係の得意分野です」
伝統。
俺の夜業に、また新しい呼び名がついた。悪くない呼び名だった。
名も無き荷物持ち。その他。同人ら。伝統。
二年かけて、俺の肩書きは四つに増えた。どれも名前ではない。ないが、どれも、俺の形をしている。
ギルドの表に出ると、掲示板の前に人だかりができていた。
真新しい触れが、二枚。
一枚目。ノクトゥルヌ討伐を祝し、明後日の夜、商人組合とギルドの共催で祝宴を執り行う。会場、鈴鳴り亭および広場。街の皆の参加を乞う。
二枚目は、王都の紋章入りだった。
――冒険者ジェスター・クラウン殿。此度の功績に鑑み、A級昇格審査のため、王都への出頭を要請する。
王都。
人だかりのざわめきの向こうで、俺は二枚目の触れを、しばらく黙って見ていた。
祝いの触れと、次の物語の触れが、同じ板に並んで貼られていた。
人だかりの中から、当の本人がひょっこり現れて、二枚目を読み、俺の隣で腕を組んだ。安静一日はどうしたのか。聞かないでおく。
「A級審査、か」
「行くのか」
「行かない、と言ったら?」
「殴ってでも行かせる」
「はは。行くさ。ただし、条件がある」
あいつは触れの端を、指で弾いた。
「相棒同伴だ。王都までの道は長い。荷物持ちがいないと、俺は野宿で鍋も炊けない」
「鍋は俺の管轄だからな」
「そういうことだ」
王都コロナール。教団の本場に近く、観測者の巣に近く、そして――あいつの家名の由来が、眠っているかもしれない街である。
面倒の匂いしか、しなかった。
しなかったが、断る気は、最初からなかった。
「よし、決まりだ! なら明後日の祝宴は、壮行会も兼ねるな!」
「気が早い」
「善は急げだ。それに――」
あいつは、街の通りを見渡した。片づけの音と、パンの匂いと、講談の稽古の声のする通りを。
「この街に、いい報告を持って帰りたいだろ」
帰る、という言葉が、もう当たり前に使われていた。




