第一章 辺境都市の雑用係(三)
昼飯のあとには、昼飯のあとの仕事がある。
本日の残り依頼は一件。「迷い猫の捜索」。依頼主はパン屋のマルグリット婆さんで、報酬は銅貨五枚と焼きたてのパン一つ。ギルドを通すほどの案件かと言われれば微妙なところだが、婆さんは律儀に毎回ギルドへ届けを出す。お上を通さない探しものは見つかった気がしない、というのが婆さんの持論である。役所より信心深いギルドの使い方だ。
「陛下がね、朝からいないんだよう」
「またですか」
「またなんだよう。今月三度目だよう」
陛下、というのは猫の名前である。灰色の雄猫で、名前の由来は態度の大きさだと聞いている。この街で俺に敬意を払わない生き物は、今のところ陛下だけだ。敬意を払われたいわけではないが、引っかかれない程度の外交関係は結びたいものである。
パン屋の軒先を出て、俺は目を閉じ、三つ数えた。
……見つけた。旧市街の北、時計塔の隣の煙突の上。日なたで丸くなっている。呼吸は安定、怪我なし、機嫌は不明。ここまで、三秒である。
問題は、ここからだ。
依頼を受けて三秒で猫を連れ帰る雑用屋は、どこからどう見ても雑用屋ではない。幕が上がって三秒で終わる芝居に銅貨を払う客はいないのだ。依頼主の満足というものは発見の速さではなく、捜索譚の厚みに比例する。だから俺は今から二時間かけて、この三秒を芝居に仕立てる。俺の本当の特技は、たぶん強さではない。強くないふりの方である。この特技だけは、我ながら年季の入り方が違う。二年間、真面目に凡人をやってきた。凡人のふりというのは案外な技術職で、手の抜き方にも書き順というものがあるのだ。この道の練度でなら、俺は今日もこの街の誰にも負けない。誇っていいのかは知らない。
まず八百屋のおかみに聞き込みをする。
「灰色の猫を見なかったか」
「うちのキャベツを狙う奴かい」
「たぶん違う」
「なら見てないね」
「キャベツを狙ったら、それは通報してくれ」
次に、井戸端の子供たちに似顔絵を見せる。
「これ、猫?」
「猫だ」
「豚みたい」
「豚ではない」
「しっぽがカブみたい」
「猫だと言っている」
画才のない似顔絵は捜索譚のいい小道具になる。批評は手厳しいが、宣伝効果は抜群である。
似顔絵が界隈を回覧されている間に、俺は市場の裏をゆっくり一周した。急がば回れと古人は言った。回る必要が一切ない人間が回る場合の格言は、まだ発明されていない。
広場に差しかかったところで、通行の邪魔になる声がした。
「おい、そこの荷物」
「荷物に名前はないのか」
「知るかよ。いいから聞け」
声の主はドヤール・マウンティ。C級冒険者、二十歳。癖のある金髪を後ろへ撫でつけ、風もないのに外套の裾を翻す訓練を積んでいる男だ。腕は悪くない。口はもっと悪い。
「俺様は昨日付でC級中位に上がった。今日からは『紅蓮のドヤール』の名を覚えとけ」
「昨日は『黒曜の牙』じゃなかったか」
「改名した」
「忙しいな」
「二つ名ってのはな、育てるもんなんだよ」
「そうか」
「ちなみに候補は他に三つある。聞きたいか」
「遠慮する」
「『災厄の申し子』『緋色の残像』『泣く子も黙る何か』だ」
「最後のは未完成だろ」
「大器晩成って言葉を知らねえのか」
二つ名は盆栽か何かなのだろうか。とはいえC級中位は、この規模の街では立派に中堅である。実際、去年の熊騒ぎでは逃げ遅れた行商人を担いで走ったのがこの男だった。本人がその話を一切しないあたり、株の配分を根本的に間違えていると思う。
「で、F級殿は今日も大冒険か?」
「猫を探してる」
「猫お?」
ドヤールは大げさにのけぞり、それから広場の端を指さして固まった。
「……いたぞ。あれだろ、灰色の」
時計塔の隣の煙突の上で、陛下が日なたから身を起こしたところだった。見つかるのが二時間ぶん早い。芝居の構成が狂うが、目撃者がいる以上は仕方がない。
「見てろよ荷物。ああいうのはな、俺様が颯爽と取ってやるのが街の平和ってもんだ」
「やめておけ。猫の爪は前向きに曲がってる。登るのは名人だが、降りるのは素人だ。だからああして降りられなくなる。どうでもいい知識だが、この商売では飯の種になる」
「講釈はいい! 見てろ、これが上を目指す者の背中だ――」
ドヤールは屋根に取りつき、雨樋を軋ませ、煙突に手をかけたところで陛下に引っかかれ、落ちた。
積んであった空の麦袋の上に、である。運の良さだけはC級中位ではない。
「……おのれ猫」
「陛下だ」
「呼び方までえらそうだな!?」
「大体なんだってお前が猫なんか――いや、いい。F級は猫がお似合いだ。俺様は次の大物討伐で名を上げる男だからな」
「そうか。頑張れ」
「その他人事面、いつか吠え面に変えてやるぜ。覚えとけ」
騒ぎに驚いたのか、陛下は煙突から屋根へ、屋根から荷車の幌へ、幌から地面へと、教本のような三段降りを決めて着地した。降りられるのか。素人はどっちだ。陛下はそのまま悠々と歩いてきて、俺の肩に飛び乗った。重い。そして態度が重い。
「なんでお前には行くんだよ」
「日頃の外交だ」
麦袋から起き上がったドヤールに、俺は銅貨を一枚放った。落下の場所代というやつである。受け取った男は眉間に皺を寄せ、それから思い出したように言った。
「おい、そういや聞いたか。王都から――」
「ドヤールさんや、あんた屋根に登ってくれたのかい」
いつの間にか追いついてきたマルグリット婆さんが、籠からパンを取り出してドヤールに押しつけた。焼きたてである。
「べ、別に礼をされる筋合いはねえんだぜ。……もらうけどよ」
もらうのか。もらったパンを、この男はきっちり半分に割って婆さんの籠へ戻した。こういうところである。ドヤール・マウンティの株の配分は、本当にどうかしている。
パン屋に着くと、婆さんは籠を差し出した。
「陛下や、心配したんだよう」
陛下は俺の肩から婆さんの籠へ、家賃を払ってやる者の顔で移動した。
「今月三度目ですが、脱走の理由に心当たりは」
「新しい首輪が気に食わないんだろうねえ」
「なるほど。陛下の治世も楽ではない」
「今度は鈴でもつけようかね。ありきたりだけど、効くのかい」
「音が鳴れば、居場所だけは分かります」
「じゃあ決まりだ」
陛下は籠の中で、勅令に不服のある顔をしていた。
帰り際、婆さんは俺に五枚の銅貨とパンを持たせて、しみじみと言った。
「あんたは本当に、探しものの名人だねえ」
名人。
その言葉に、俺は少しだけ苦い記憶がある。歩きながら、パン一つぶんの長さに圧縮して話そう。
三年前、十五の年。故郷のフェルマータ村の隣、トレモロの町で武術大会があった。賞金は銀貨十枚と小麦一袋。婆ちゃんと二人暮らしの台所事情には大金で、俺は力試しのつもりで出た。
一回戦、相手の剣が折れた。俺はまだ構えただけだった。
余興の的当てでは、的が消えた。台座ごと、である。
観客は静まり、審判は三度計り直し、翌日には「魔剣持ち」の噂が町を一周して、一周する間に「悪魔憑き」に育っていた。噂というのは足が速いだけでなく、走りながら太る。村の大人たちは俺に親切なままだったが、俺を見るとき、視線が一歩ぶん手前で止まるようになった。人間の枠と化け物の枠は、案外あっさり隣り合っている。
それ以来、俺は力を隠すと決めている。理由は三つある。
一つ。化け物の枠に一度入ると、人間の枠には戻してもらえない。
二つ。強さは金貨に似ている。持っていると知られた瞬間、寄ってくる人間の目的が変わる。
三つ目は――三つ目は、いまだにうまく言えたためしがない。
湿っぽくなった。パンがうまいのが救いである。婆ちゃんが二年前に死んで、俺が村を出てこの街に流れ着いてからも、パンのうまさだけは世界のどこでも変わらない。
夕方のギルドに寄ると、掲示板の前に人だかりができていた。ミエルさんが真新しい張り紙を貼っている。
「サイキ様。ちょうどよかった、歓迎会の出欠を伺います」
「誰のだ」
「張り紙の通りです。台帳的には全員参加となっております」
「台帳は宴会まで仕切るのか」
「仕切ります」
――王都本部より、新任冒険者一名、当支部に着任予定。つきましては歓迎の――
「王都だと!? 俺様のライバルってわけか!」
人だかりの最前列でドヤールが吠え、後頭部が張り紙の下半分を塞いだ。着任者の名前の欄は、ちょうどその後頭部の裏である。
まあ、いい。誰が来ようと、俺の日常には関係がない。
――と、このときの俺は、本気で思っていたのである。




