第七章 静寂の斥候(三)
操られた魔物、という報告の重さは、討伐等級の重さとは別物である。魔物なら等級で測れる。人が裏にいるなら、測り方そのものが変わる。ギルドは王都に照会を出し、街道の巡回を倍にし、掲示板には「単独での夜間外出は控えられたし」の紙が増えた。俺の夜間業務には、まことに都合の悪い世相である。なおドヤール一行は西の巡回を買って出たという。功名心も、使いようで公共事業になる。
混成群れの報告は、そんなふうにギルドを静かにざわつかせた。
操られた形跡のある魔物、正体不明の針、尾根の人影。報告書の行が進むたび、聴取役のミエルさんの羽根ペンは速く、正確になっていった。
「――以上で、報告は終わりですか」
「終わりだ」
「では、伺います」
彼女は羽根ペンを置いた。置く、という動作にここまで圧を込められる人を、俺は他に知らない。
「この一月、当支部の異常事案は七件。うち七件、現場にサイキ様がいます」
「ジェスターの現場に俺がいるだけだ。パーティだからな」
「では言い直します。クラウン様が来る前の二年間も、異常の『後始末』の現場には、いつもサイキ様がいました。井戸さらいの翌日に水位が戻り、案山子の修理の週に畑荒らしが絶え、屋根の雨漏りを直した家は、なぜかその冬、一度も薪が切れません」
「腕のいい雑用屋なんだ」
「そうですね。……サイキ様。単刀直入に伺います。あなた、何者です?」
二度目の直球である。一度目より、球速が上がっていた。
「雑用屋だ」
「それは職業です。私が伺ったのは、あなたが何者か、です」
「職業が人を作るって言うだろ」
「作られる前の材料の話をしています」
丁寧語の詰め将棋だった。逃げ道が一マスずつ埋まっていく。
だが、彼女はそこで、ふ、と盤面を崩した。
「――質問を変えます。あなたは、クラウン様の味方ですか」
「それは即答できる。味方だ」
「敵に回ることは」
「ない。何があってもだ」
「……結構です」
彼女は新しい書式を取り出して、何事もなかったように聴取の続きを始めた。
「第十三号案件は、急ぎません。台帳は逃げませんので」
「逃げてくれてもいいんだが」
「台帳は逃げません」
二度言われた。彼女なりの、休戦協定の更新らしかった。
協定に第二条があるとすれば、たぶんこうである。真実は急がない。ただし、嘘は積まない。実際、今日の聴取で、俺は一度も嘘を口にしなかった。言わずに済む形の質問だけを、彼女は選んで投げてくるのだ。世界一手加減のうまい取調官である。ちなみに今日の聴取で、こういうやり取りもあった。
「材料は北の寒村の生まれ、婆ちゃん育ちだ。これ以上さかのぼると先祖の話になるぞ」
「先祖の話は結構です。材料の割に、加工精度が高すぎるんですよね」
「褒め言葉として受け取っておく」
「三割ほど、褒めています」
残りの七割の内訳は、怖くて聞けなかった。聞けば、十号目の項目が増えかねない。
午後は、ジェスターと書庫に籠もった。議題は針と、操りの術である。
書庫の主は昼寝中の老司書で、俺たちは棚二本ぶんの魔導書と魔物誌を机に積み上げた。ジェスターの調べ物は速い。目次で当たりをつけ、頁の角を折らずに紙片を挟み、要点だけを帳面へ移す。学び方の姿勢まで主席である。隣で俺は、読める頁を三倍の速さで読み、半分の速さで読むふりをしていた。
「音で獣を操る、か。書庫の魔導書には載ってない。禁呪の類は王都の管轄だからな」
「術の理屈は分からなくても、効く仕組みの方から絞れないか。あの針は刺さる時に鳴ってた。つまり、音を体の中に直接届けてる」
「体の中に、音を?」
「蛇を見たことあるだろ。あいつら、耳がない」
「ないな。ないのに、足音で逃げる」
「骨で聴いてるんだ。顡の骨を地面につけて、震えを拾う。耳のない生き物の聴き方だ」
「詳しいな。それも猫情報か」
「婆ちゃんだ。蛇が嫌いだった。嫌いなものには詳しくなるんだよ、人間は」
「名言っぽく言ったが、経験則か」
「経験則だ。俺は説教が嫌いで、説教に詳しい」
「……そうか、骨伝いか! 待て、それなら」
ジェスターは魔物図鑑を引き寄せ、頁を繰った。
「図鑑の端にあった。地虫系と甲殻系の魔物は『皮膚で音を感じる』と。耳を塞いでも、体表で聴く。だから雷雨の日は地中に潜る――」
「操りの針が音の針なら、効くのは、皮膚や骨で聴く類の獣ってことになる」
「狼も猪も蚛蛛も、聴覚の鋭い獣だ。筋は通るな。……なあ、ヨウタ。これは俺の思いつきなんだが」
「言ってみろ」
「音で操れるなら、音で乱せるんじゃないか。強い音をぶつければ、操りの音が届かなくなる」
思いつき、と本人は言ったが、それは本日の書庫で最も上等な仮説だった。俺は頷きながら、頭の中の帳簿の、まだ名前のない頁にその一行を書き写しておいた。音で操るものは、音で乱せる。
裏を返せば、不穏な話でもある。操りの術者は、音の術具を自在に扱う。その人間が、もし鐘の音を嫌っていたとしたら――嫌う理由は、趣味ではあるまい。商売道具と干渉するのだ。鐘楼を見上げて耳を塞いだ、あの仕草。帳簿の隣の頁に書いてあった一行と、今日の一行が、線で繋がり始めていた。
そのとき、卓の端で、ちりん、と小さな音がした。
ジェスターの腰の鈴の短剣が、立ち上がった拍子に卓の角に触れたのである。
「ああ、悪い。……こいつ、よく鳴るんだ」
「昔からな」
「昔から、で思い出した。村の婆様たちが言ってたんだ。この鈴は音が澄みすぎてるって。鈴ってのは普通、もっと濁って鳴るもんそうだ」
あいつは短剣を抜いて、柄頭の小さな鈴を指で弾いた。
ちりん。
澄んだ音だった。書庫の埃っぽい空気の中で、その一粒だけが、妙に遠くまで届いた。音が消えたあとも、消えた場所が分かるような残り方をした。
「いい音だろう」
「ああ」
いい音だった。いい音すぎる、と言うべきかもしれない。
音というものは普通、鳴った場所に置き去りになる。この鈴の音は、置き去りにならない。届けたい場所まで歩いていく音、とでも言えばいいのか。仕組みは分からない。分からないものは、頭の抽斗の、あの夢と同じ段に仕舞っておいた。
俺は夢の中の鈴の音を思い出しかけて、思い出す前に、書庫の鐘が閉館を告げた。
夕方、報告書の写しを届けにギルドへ戻ると、窓口の空気が一段冷えていた。
黒衣の男が、立っていた。
北の学士様である。初めて間近で見る顔は、彫りの浅い、印象という住人の居着かない顔だった。すれ違って三歩で忘れる。そういう設計の顔である。
「――閲覧を申請したい」
声も、平坦だった。
「対象は、冒険者ジェスター・クラウン卿の討伐記録。全件。学術目的と観測される」
観測される、という言い回しに、窓口のミエルさんの眉が一瞬だけ動いた。
「学術目的とのことですが、ご所属と研究題目を伺っても」
「北方文書院、客員。題目は『辺境における特異戦力の記録法』」
「記録法。……記録の、法、ですか」
「記録は正確でなければ意味がない。世には、不正確な英雄譚が多すぎる」
不正確な英雄譚が多すぎる。その一点に限っては、あの男と俺は、たぶん酒を酌みながら語り合える。語り合う日は、永遠に来ないだろうが。来ないでもらわないと、困る。
「閲覧規定により、他者の記録の閲覧には、支部長の許可と身元の保証が必要です」
「保証。北方文書院の紹介状で足りるか」
「拝見します。……様式は適正ですね。受理し、支部長に回します。結果は三日後に」
「三日。……観測を継続する」
男は一礼して、音もなくギルドを出ていった。足音がしなかった。人間は普通、足音の消し方より先に、足音の立て方を覚えるものである。
待合の隅で、俺は懐の水晶片と針の重さを、布越しに確かめた。学士様の忘れ物と、学士様の同僚の得物。返却の窓口が開く日は、たぶん剣呑な日である。開かせないのが、俺の営業方針だが。
窓口のミエルさんと、待合の俺の視線が、合った。
彼女は何も言わず、新しい綴りの表紙に、一行だけ書いた。
俺の位置から、その字は読めなかった。読めなかったが、内容の想像は、たぶん外れていない。
第十四号案件、あるいはそれに類する題の綴りが、今夜この街でもう一冊、開かれたのである。綴りの増える速さで言えば、今月のモトリーは、支部開設以来の当たり月だった。




