第三章
―三―
その日の朝は、静かだった。
「ん……」
寒さで目が覚めて、体を起こす。
「……」
上のベッドには冬歌の気配もない。連日深夜まで楽しそうに推理を話していた兄分の元気さにまた一つ尊敬する点を増やしながら、カレンダーを見た。今日という日付を思い出して、僕も動かなければとベッドから降りる。
「……」
百合愛の声も聞こえない部屋は、とても静かだった。
「……?」
その静けさが、二人の気配がないだけではないと気付いたのは、着替え終わってから。廊下では人の足音や話し声も聞こえるのに妙に静かで。窓に向かう自分の足音が響いて聞こえた。その音を聞きながら、カーテンを開ける。
そこに広がっていたのは。
「雪……」
いつもの想い人ではなく、ちらちらと舞い、世界を真っ白に染める雪だった。
「メリークリスマス、時雨ー!」
「メリークリスマス百合愛。冬歌ももう来てたんだね」
「最後の準備もあったしな」
「起こしてくれればよかったのに」
「百合愛のときと別人かってくらい起きなかったわ」
朝礼もない、クリスマスの朝。広間へと行けば、冬歌たちやほかの大人たちもすでに集まっていた。百合愛の熱烈な抱擁に近い突撃を受けつつ、冬歌の恨みがましい目はスルーさせてもらって。
「ホワイトクリスマスだね」
「ロマンチックだね時雨!」
「なんだよ、今日はビジネスの皮は剥がれんの?」
「うっ、び、ビジネスでもこのくらいはするでしょ!」
「度合いにもよるけど」
離れていった百合愛にそう言って、僕も飾りつけを手に取る。
毎年恒例のクリスマス。今は不穏な事件がまだ続いているけれど、だからこそ、子供たちが不安にならないようにと、今年もパーティーは開かれることになった。これでひとときの間でも怖いことを忘れられれば。その願いが通じるように飾りつけをしていく。
折り紙で作られたわっかの連なる壁飾りを等間隔になるようにつけていれば、百合愛の声が聞こえた。
「結局時雨はサンタさんからのプレゼントもらった?」
その言葉に、またむっとしてしまう。
「僕もう子供じゃないから断ったよ」
「大人を語るにはあと二年先だぞ時雨」
「この前十八歳になったばっかりのくせに……」
たいして違いもないはずなのに、子ども扱いをしてくる二人のことはにらんでおいて。
あと少し、と。みんなの心が少しでも楽しくなるよう、そう願いを込めて、広間の飾りつけに集中した。
「今日はみなさんにお知らせがあります」
飾りつけを終えて、無事パーティーも始まり、子供たちの嬉しそうな顔を見てからしばらく。それぞれが席に着いて食事をしていれば、参加していた上層部の一人の声が聞こえた。
目を向けると、壇上に上がったその人はマイクを手ににこやかに話す。
「もう一つのクリスマスプレゼント、というわけではないのですが……。本日付でこの組織の指揮官が変わることになりました」
「……そりゃまた急だな」
「ね」
隣の席の冬歌に返しつつ、壇上にいる人の言葉も耳に入れる。
「まず指揮官として着任されたのはこちら。九之さんです」
「よろしく」
紹介を受けて壇上に上がったのは、黒い髪にゆるくウェーブがかかった男性。マイクを受け取ったその人は、自己紹介や指揮官になった経緯を話していく。
「思ってたより若い人なんだねぇ」
「もう少し年行ってる人かと思った。今の指揮官みたいに」
「あの人はもうおじいちゃんだろ……」
話半分に聞きながら話していると九之さんの紹介は終わり、上層部の人にまたマイクが渡って、その人は口を開く。
「続いて」
そうして壇上に上がった車いすの人を見て、百合愛の言葉が止まった。不思議に思い百合愛を見る。
「その指揮官の補佐として任命されたのが、春告笠葵さんになります」
続いて聞こえてきた苗字に、僕らも止まった。
――春告。
その苗字はよく知っている。
「春告って」
「嘘だろ、百合愛の――」
「パパ!?」
ガタリ、百合愛は立ち上がる。その視線を追うと、車いすに座った男性はにこやかに百合愛を見ていた。どこか百合愛の面影も見えるその男性は、マイクを受け取って一度会釈をする。
「ご紹介にあずかりました、春告です。もしかしたら予想している方もいるでしょうが……そこの緑の髪の女の子――百合愛の父になります」
瞬間、組織内はざわついた。
百合愛の父は戦争の数少ない生き残りだったそうだ。もともと後方支援部隊にいた人で、前線で戦う百合愛のお母さんをかばい重傷を負ったらしい。一命はとりとめたけれど、どこかでダメージが残っていたのか、百合愛が六歳になる頃には彼女の母を追うようにして意識を失ったと聞いていて。当時小さかったから明確ではないけれど、その顔は追悼の儀式で弔われる中に入っていた気がする。
けれど。
目の前に、その父と語る人はいる。そしてその人は穏やかに続けた。
「私は先の戦争で大きなけがを負い、一時は命が絶望的でした。倒れた時に運ばれた病院でずっと生死をさまよっていましたが……治療を続けてくれたおかげで命を取り留めることができました。当時はしゃべることもままならず、またどうなるかもわからなかったため、何も公表できませんでしたが……。安定し、みなの力になれる状態となった今、再びこの地に舞い戻った次第です」
そうして百合愛に向き、微笑む。
「百合愛には、連絡が遅くなったことの謝罪をまず。……すまなかった」
「パパ……」
「できれば、良いクリスマスプレゼントになっていればいいと思うんだが」
「っ」
涙を流しながら頷く百合愛の手を引き、一度座らせて、背をなでる。
百合愛は組織に来た当初、お父さんのために強くなると目標を掲げていたと、冬歌に聞いた。強くなれば元気になるという彼女の父の言葉を信じて、ずっと強くなろうとしていると。本人からそれを聞かなかったのは、当時僕は彼女の障害となっていて嫌われていたからで。僕はその頃から努力を怠らず一生懸命な百合愛が好きだったけれど、不器用すぎて伝わらず、ただただ彼女の努力を見ているだけだった。その努力は誰にでもできるものではなかったと、ずっと見ていたからわかる。体格のいい男相手でも刃の打ち合いができる筋力、そして女性ならではなしなやかさ。間違いなく、組織の女性陣の中ではトップクラスの実力になっているだろう。
その努力の日々を、ずっと知っていたから。
「よかったね」
心から安堵の声が出て、そっと、彼女の手を握る。
「うん」
百合愛は泣きながら笑って、大きくうなずいた。




