第一章 —SIDE:百合愛—
―一―
目の前の人に向かっていく。
「っ!!」
片目を隠した、あたしよりまだ小柄なその子は細い腕で簡単にあたしの刃を受け止めた。
「~~っ」
「……」
押しても、どこにそんな力があるのってくらいぐっと押されて、押し返しても微動だにしない。
「っわ!」
なんとか押し返そうと力を入れたら、急にぱっと押すものがなくなる。その子は身を引いていて、またすぐにぐっと間合いを詰めてきて。あたしの足を払って、首元に刃をつきつけてくる。
「っい、った」
「はい、終わり」
そうしたらあたしは何もできないから。
「勝者、時雨!」
「~~っ」
また今日も、時雨に負けてしまう。ぐっと下唇を噛んで、手に持った刃を強く握った。
「毎回懲りないね」
「……」
「僕に勝っても別に何かあるわけじゃないだろ」
冷めた目をにらみつけて、伸ばされた手は受けない。
「強くなりたいから! 誰よりもっ」
「ふぅん」
「だから、あなたにも勝てなきゃいけないの!」
強気で返しながらも、悔しくて涙が出そうになる。――泣いちゃだめだ。そう言い聞かせて、さっきよりも強く、ぐっと唇を嚙みしめて時雨をにらんだ。
「……」
その時雨は、珍しくっていうか初めて見る、少し驚いた顔。それにあたしも少しきょとんとした。
「……」
見つめあっていれば、時雨は目を伏せながらふいっとあたしから視線をそらして。
「……泣きたいなら、君の大好きな”お兄ちゃん”のところに行けば」
そう言って、去って行った。
なにあれ。
「なにあれ!!」
言われたことに腹が立って、思わず手に持ったオレンジジュースをぎゅっと握りしめてテーブルにたたきつける。
休憩所でこの収まりきらない苛立ちにもやもやしていれば、声を聞きつけたのか、その”大好きなお兄ちゃん”こと冬歌お兄ちゃんがやってきた。
「なんだよ、また仲良しから遠のいたのか?」
「最初っから仲良くする気なんてないけど!?」
苦笑いで隣の席に座ったお兄ちゃんに、時雨への怒りは止まらない。
「確かにお兄ちゃんのこと大好きだけど!! なんかこう、厭味ったらしいっていうか!! あんな風に言わなくてもよくない!?」
「まぁまぁ」
「勝てない上にあんな風に言われて……!! あたしもう今日からお兄ちゃんって呼ばない!!」
「そこは触発されんのかよ」
「だって絶対バカにされる!!」
悔しさでもう一度テーブルにこぶしをドンッと打ち付ける。そんなあたしを見て、冬歌お兄ちゃんはこぼした。
「……たぶん、いろいろ逆じゃね?」
と。言ってることがわかんなくて、冬歌お兄ちゃんを見る。
「うらやましいんだろ、たぶんな」
「……」
そういえば、少し前からルームメイトになったんだっけ。そこで何かを見たんだろうか。何かを聞いたんだろうか。はっきりとは言わないけれど、そう物語る冬歌お兄ちゃんを、あたしはただじっと見つめるだけだった。
日に日に嫌いになっていく時雨の印象が変わったのは、それから半年経って。あたしと冬歌が入隊して三年目の頃だった。
相変わらず時雨には勝てないまま。けれどあれからは悔しくてにらんでも同じようには言われず。ただただあたしの挑戦は受けてくれる、そんな日々。
その日の夜は、偶然眠れなかった。トレーニングを終えて、ストレッチをしても目がさえていて。どうしようもなくて、建物内を散歩することにした。
春の夜はまだ少し寒い。日付が変わりそうな時間の組織内は昼間と違ってとても静かで新鮮だった。物の配置も構造も同じなのに、暗くて雰囲気が違くて。真っ暗な廊下は不気味で、月明かりが入る場所は神秘的で。普段と違ったように見える景色を楽しみながら歩いていく。その中で時折出逢う大人の隊員には「眠れないから歩いてる」と素直に言った。そうしたらみんな、ほどほどにと笑う。
「……誰も怒らないんだ」
そんな、少し意外な事実に驚いた。だって子供がこんな時間にうろうろしてたら大人は怒るでしょう? 早く寝なさいって。けれどそんな風には言わない。入って三年経つけど、まだ知らないことがたくさんあるんだなと歩いていけば。
「!」
ふっと、曲がり角を曲がっていく男の子がいた。
あの子を、知っている。
見間違えるはずなんてなかった。毎日その姿に挑んでいるのだから。人が分かった瞬間、足は勝手に動いていた。曲がっていった奥を見たら、そこにはトレーニングルームがある。明かりがついているのはその部屋だけだから、きっと時雨はそこに行ったんだろう。
――こんな時間に?
なんて、今日は人のことは言えないけれど。疑問に思いながら、足は自然とそっちに向いていて。
「……」
そっと、窓から中を覗いてみたら。
「……!」
そこには、模擬刀を持って素振りをする時雨の姿があった。
その姿は見とれてしまうほど美しくて、洗練された動きはここ何日かで積み上げられてきたものじゃないということはあたしでもわかった。まっすぐに前を見て、真剣に素振りをする時雨に、小さくこぼれる。
「……ずっと続けてたの」
毎日、毎日。
同じ年くらいの子ならだれもが眠ってしまうであろうこの時間に、いつも一人で。すごい、と思いながら、どこかでそれを受け入れたくない自分もいた。
時雨は、何でもできる人だった。
入った時から強くて、新しいこともすぐ出来て。まだ子供でも戦場に行っていて、大人の隊員からも「天才だ」とよく褒められてて。うらやましくて、悔しかった。
天才は違うんだって。あたしがどんなに努力しても、きっと敵わないんだって。
たくさん頑張っても、また冷たい目で見下ろして去って行くんだろうって、そう思ってた。
でも。
「これは、敵うわけないよ……」
あなたの強さにも、ちゃんと理由があった。
「天才が努力したら、それはもう最強だよ……」
汗を流して素振りを続ける時雨を見て、勝手に涙が出てくる。
強くなりたかった。パパが元気になってくれると信じて。パパが言った言葉を信じて、ずっと努力してきたつもりだった。
そんな日々に、時雨が現れて。いつの日からか、「この人に勝てればきっと」。そう思うようになって、さらに必死に努力した。
けど。
「……」
けど、足りない。
こんなんじゃ、まだ追いつけない。
涙をぬぐって、窓の中を見る。視線の先の人はまだ素振りを続けたまま。
「……もっと強くなるから」
誰に言うでもなくそう呟いて、止まらない涙をまたぬぐって、あたしはその場をあとにした。
それから、さらにトレーニングを増やした。時雨とは時間が被らないようにしつつ、少しでも彼に追いつけるように寝る時間や娯楽の時間を削って、前よりもっとトレーニングするようにして。
「……」
「っ」
日中は変わらずに時雨に挑んだ。時雨がいる日は毎回、毎回。
「勝者、時雨!」
何回も、何十回も。
「勝者、時雨!」
勝てなくても、挑んだ。
相変わらず勝てないけれど、勝負の時間は日に日に長くなって。
「すごいな百合愛」
冬歌の褒め言葉に、嬉しくて頬が少し緩む。けれどすぐに引き締めた。
時雨はもちろん、冬歌も日に日に強くなっている。冬歌も昔から人一倍努力を重ねて、今では時雨と並ぶほどの実力になって。頭もいいから、最近は戦場で司令塔としても活躍してると聞いた。そんな二人の背を見て、まだ足りないと己を奮い立たせる。そうして来る日も来る日もトレーニングと勝負を繰り返した。
いつの日か、父が元気になるようにという思いより、この人たちに追いつきたいという思いが強くなって。
そんな日々の中で、その日はやってきた。
「これから戦場へと向かう」
あとになって、これが最後となる戦いの話。最後の領地を獲りに行くとき、あたしも任命された。
前から何度か行っていた時雨も冬歌ももちろんいる。今日は敵としてじゃなくて、仲間として戦うんだとしっかり気を引き締めて。
「――……」
赴いた戦場は、自分が思っていたよりも怖かった。
「……」
人が、当たり前のように死んでいく。
あたしと同じように今回が始めての子は、当然足がすくんでた。
「っ」
訓練とは違う。知らないにおい、飛び交う怒号。目の前で倒れる仲間たち。
パパも、ママも。こんな世界で戦ってたんだ。
「!」
こっちに向かってくる敵国の人が目に入って、反射的に銃を構える。けれど握った銃の引き金は、うまく引けなくて。震える手じゃ照準は合わない。それでも相手はこっちに向かって来る。
「百合愛、下がってろ!」
「だ、いじょうぶ!」
遠くに聞こえる冬歌の声には強気で返した。でも、言葉とは裏腹に体は震える。
「!」
冬歌が加勢してくれてその人は少し足が遅くなった。そのとき、しっかりと脳裏によぎる。
今がチャンスだと。
でも同時に、こんな言葉もよぎった。
今から、人を殺すんだと。
そう思ったとたん、恐怖で動けなくて。カタカタ震える指は、動かない。
――こわい。
「っ」
「百合愛!!」
「平気っ!! ほんとだよっ!!」
こわいけどなんとかそう言い聞かせて、震える指に力を込めた時。
「――百合愛」
知らない音が、聞こえた。
何度も呼ばれている名前のはずなのに、まるで知らない人の名前みたいに聞こえて、思考は一瞬止まる。けれど顔は自然とそっちに向いた。
そこには片目を隠した、いつの間にかあたしの背を追い越した時雨。その人はいつもの冷静な目であたしを見る。
「僕のアシストしてくれる」
「へ……」
突然の言葉に、あたしの音はうまく出ない。時雨は気にせず、あたしの銃を握る手に自分の手を重ねた。
「百合愛に頼みたいんだ」
「あ、たしに……」
「うん、たぶん一番できる」
鳴りやまない怒号や銃声の中で、必死に時雨の声を拾った。
「でも、合わせたこと……冬歌との方が」
自然とこぼれた言葉に、あ、またと咄嗟に口をふさぐ。そうしてよみがえるのは、あの頃の言葉。もしかしたら、また兄のことで言われるんじゃないか。
そう、思ったら。
「百合愛ならできるよ」
その声に、ぱっと顔が上がった。視線の先にあるその蒼色の片目は、あたしをまっすぐに見て。
「ずっと訓練して、いつも僕と戦ってたじゃん」
「……知って……」
「冬歌とは別の視点で、僕の動きとかわかるのは百合愛だから」
時雨はそっと、あたしの手を握った。
「人は殺さなくていい。ただ、僕が死なないようにして」
「……」
「死んだら百合愛と戦えないから」
なんて、最後には挑発的なことを言って、いつもの訓練を思わせるように冷たい目をして去って行く。そのまま時雨はあたしに向かってきていた人を倒して、前に進んで行った。
その背を見ている間に、震えは止まっていた。
銃を握りなおして、時雨の後を追う。倒れた人につっかえそうになっても、時雨を見て、追って。言われた通りにできたかはわからないけれど、時雨のサポートに集中した。後ろから時雨を襲おうとしてる人の足を撃って、動きを止めて。時雨が一番動きやすいようにしていく。どうしたら動きやすいのなんか、もうわかってる。
ずっと見てきたから。
怖かったけれど、ずっと時雨を追いかけて、追いかけて。まるで狼のように駆け抜けていく時雨を必死に追いかけて。
そうしたら、いつの間にか戦いは終わっていて。
あたしたちの領地が、この世界で一番になった。




