第二章 —SIDE:百合愛—
―二―
戦争が落ちついて、人々も落ち着いてから。
ようやっと、ちゃんと時雨のことを知ろうと少しずつ会話をしてみた。
いつからここにいるのとか。どうしていつも右目を隠しているのとか。気になったことをたくさん聞いたら、時雨はちゃんと答えてくれた。
時雨は生まれた時からずっとと言っていいほど小さなころからここにいるらしいということ。
親の顔は写真でしか知らないということ。
兄妹もいなくて、あたしと冬歌がうらやましかったこと。昔冬歌が言っていたことが当たっていて、今にして思えば冬歌の推理力はきっとここからきてたのかもしれない。
目は、右がすごく悪いらしくて、だから右目を隠して見てるということ。
こっちだけ質問していくのは不公平かなと思って、あたしのことも話したら、大体のことに「知ってる」と返されてびっくりした。好きな食べ物も、嫌いな食べ物も。何で知ってるのって聞いたら、見てたらわかるって返ってきた。
そうして、人々が戦争の始まる前の穏やかな生活に戻る頃。
「しーぐれー!」
あたしは、時雨を起こしに行くのが日課になり始めていた。
時雨は朝が弱いらしくて、たまに冬歌に引っ張られながら朝礼に来ていた。朝、いつもランニングや散歩をするから何の気なしに「起こしに行く?」なんて聞いてみたら「うん」と返ってきて。その日から起こしに行くようになれば、時雨は思ってたよりすぐ起きてきた。最初驚きながら手を振ったら振り返してくれて、それにも驚きつつ、何度も繰り返してやっと慣れたころ、たまに一緒に朝の散歩をするようになった。外に咲く季節の花々を一緒に眺めて、他愛ない話をして、時雨が早く起きた時は一緒にランニングをすることもある。
そうして日々を過ごしていけば、時雨からもよく話しかけてくれるようにもなって。
数年が経って、思うのは。
「時雨って結構人懐っこいよねぇ」
しみじみと冬歌にそうこぼすと、あたしと一緒に訓練所の上から時雨を見てた兄分は苦笑い。
「お前マジで言ってる?」
「ほんとだよ?」
「鈍感かお前……」
「えぇー?」
だってそう思うでしょう。小さい頃、時雨はずっと一人でいたから、一人が好きなんだと思っていたけれど、ふたを開けてみればあたしや冬歌を見かけると来てくれるし、いろんな話をしてくれるし、聞いてくれる。それを人懐っこいと言わずになんと言うのか。そう思って、それを本人に告げてみた。
そう、したら。
「本気で言ってる?」
「冬歌にも言ったけどほんとだよ?」
十四歳になった時雨はあたしの背をとっくに追い越して、見上げるようになったその瞳は口で言わなくても「本気?」と問い詰めてた。それに、首をかしげたら。
「僕は百合愛が好きだからアプローチしてるんだけど」
その口から出た言葉に耳を疑う。
「……はいっ!?」
「いやほんとに気づいてなかった?」
「き、気づかないよ! いつから!?」
「昔から」
その昔っていつ。けれど動揺してそれは聞けなくて。
「返事」
「へ」
「考えといてね」
そう言う時雨の後ろ姿を見るしかできなかった。
夜。
考えといてと言われたのでしっかり考えてみる。二段ベッドの下で、上のベッドの裏側を見つめながら考えるのは、彼のこと。
「……」
時雨のことは尊敬してたしあこがれもあった。けど、あの頃はまだ恋心とかはわからなかったっていうのが正直なところだった。小さい頃から必死で、恋なんてしたことないし。自分もいつか恋愛するんだろうっていうのはこの組織に入ってからはなくなって。
「恋……」
「なに百合愛、恋してんの?」
小さく呟いたら、それを聞いたルームメイトが上から話しかけてきた。それに見えないとわかっていつつ、思わず困ったように笑ってしまう。
「いやぁ、わかんなくて」
「え~、相手は時雨くん?」
「へ!?」
なんでその名前が。思わず飛び上がってしまう。その音であたしの行動がわかったのか、上にいる子はくすくす笑った。
「昔からあんたにぞっこんだもんねぇ」
周りはそんなにわかる状態だったの?? うそでしょ??
信じられずに話を聞いていくと、よく見てたよとか、あんだけ挑んでるの許されてたのは百合愛くらいだよとか、ぽろぽろいろんな情報が出てくる。
そんな話も聞いていけば、意識もしてしまうし。
「百合愛」
「……」
あれから妙に近くに来たり、ふれあいをしてくるようになった時雨に、その意識は加速する。
日課にもなり始めてる朝の散歩の時間。肩が触れそうな距離にいる時雨をにらむように見上げた。
「……わざと?」
「わざと」
そんな良い顔で微笑まれたら女の子はイチコロだよ。
「……」
じゃあ自分は、なんて。歩き出す時雨を追いながら自問する。
決して嫌いじゃない。むしろ好きだと思う。人として。
じゃあ、恋愛は?
「うーん……恋愛……」
「はたから見るとお前も大好きだけどな」
「大好きではあるけども……」
談話室で悩んでいたら、声を聞いたらしい冬歌に言われて、素直に返した。
「お前たぶん無自覚なだけだぞ」
「冬歌には言われたくなくない?」
「お前と違ってそういうのには敏感なんだわ」
昔行為丸出しの子のこと全然眼中になかったくせに、と思うけれど、ひとまず口には出さず。目の前に出された本を反射的に受け取った。
「なにこれ」
「指南書」
「え、冬歌こんなの読んで勉強してるの?」
「ちげぇよ、好きな作家だったから」
「へぇ~」
相槌を打ちながらその本をぱらぱらとめくる。あ、これ小説だ。ざっと見た感じ恋愛っぽい。いわゆるロマンス、的な?
「読んで自覚しろそろそろ」
「自覚したらすごそうじゃない? あたし」
「今でもすげぇわ」
笑って。冬歌にお礼を言って、早速その日の夜から借りた小説を読んだ。
そのお話は、学生同士の恋愛話。出会って、恋に落ちて。最終的に結ばれるというもの。
貸してくるくらいだからあたしの状況と同じなのかなと思ったけどそんなことはなくて。女の子は中学から好きだった男の子を追って高校に入学したらしい。そしてその子はずっとその男の子を目で追い、たまにデートに誘って、なるべくずっと一緒にいるように頑張ってた。あとはおしゃれも。
読み終わって、ほかの本も読んでみたら大体恋に落ちるとそんな感じになるらしい。ずっと目で追うとか、おしゃれするとか。
あたしは? 時雨のこと。
考えて、意識して自分の観察をしてみた。
たとえば、チーム訓練で時雨と離れた時。
「いた」
「見つけるの早ぇー」
たとえ遠くても、すぐに見つけられる。
「頑張れ時雨~!」
訓練中は、もともとずっと見てる。
「百合愛、本読み終わったか?」
「うん! 返すね――って時雨もいるじゃん!!」
「大体いつも一緒だわ」
「言ってよ!! 髪ぼさぼさだよ!!」
時雨に会う時は身なりを意識する。
そう、自分を観察して。
「恋してるみたい」
「誰から見てもそうなんだよ」
ようやっと自分の、時雨への想いを自覚したのが十五歳の冬。
「さっさとくっついて幸せになってくれよ」
「そ、んな! 急になんて!」
「周りはもう早くしろって思ってっから」
冬歌に茶化されながら、やっぱり心の中では「まだ」と首を横に振る。
自覚して、すぐにあの返事を、なんてできなかった。だって、さんざん昔は嫌な態度とってたのに。どうしても自分を許せなくて。机の上で紙に書いて、自分の気持ちを整理して。
「……よしっ」
英人、百回。
百回なれたら、自分を許して、時雨に返事をしよう。そう、決めた。
それまでは。
「百合愛」
「ビジネスライクだからっ!!」
そう、もう少しだけ時雨に待ってもらうことにした。
英人をもらおうと任務や訓練を頑張る中で、本もいっぱい読んだ。待たせすぎると心変わりしちゃうよなんていうのもあったけど、それでもいいと思った。
待たせているのも、心変わりするのも、努力が足りなかったのだから、あたしがどうこう言えることじゃない。
そうなったら、きっぱり諦める。
そう、決めて。
時雨と冬歌という強敵のおかげでなかなかなれない英人に苦戦しながら、時間が過ぎて。
「♪、♪」
「ご機嫌だね百合愛」
「うん!」
十七歳になった秋。英人の数は、着実に増えていっていた。嬉しくて、大好きな曲のワンフレーズを鼻歌で奏でる。
「何かいいことでもあったの?」
「ふふ、まだ秘密」
「へぇ」
朝の散歩の時間。時雨と庭園を歩きながら、昨日数えた英人の数を思い出して、顔がにやける。
今、九十個。目標まであと十個。そうしたら。
そうしたら――。
「……」
「なに?」
「なーんでも」
じっと時雨を見上げてから、笑う。時雨はこういうとき、秘密の方を大事にしてくれる。深くは聞いてこなくて、それが心地よかった。
もちろん、それで浮かれてはいられないから、日々の訓練も気は抜かない。
「っ」
「……」
昔から変わらず、今日も時雨と刃を交える。昔と違うのは、あたしの戦い方。
「!」
「それっ!」
時雨にはもう力じゃかなわないから、攻撃をしては引いて、また攻撃をして。そんな翻弄するような戦い方をして、時雨にダメージを与えていく。昔より長く、対等に戦えるようになっていて、嬉しくて踏み込む力が強くなった。それに時雨は笑う。
「なぁに?」
「ううん、強くなったなって」
「ほんと!?」
「ほんとだよ」
でも、と。
「わっ!?」
嬉しくなったのもつかの間。急に押し返されて、バランスを崩す。そのまま後ろに倒れたら、ビッと首元に刃が来た。見上げたら、時雨は妖艶に笑って。
「まだ、勝ちは譲らないよ」
楽しそうに言って、勝者の合図とともにその場を去って行った。その姿を見て、あたしも笑う。そうしてすぐに立ち上がって。
「そうこなくっちゃ!」
時雨の後を追いかけていった。
認められたことが嬉しくて、ずっと頑張ってきたことが時雨の言葉で報われた気がした。
「――……」
あとは、なんて少し欲深いだろうか。
クリスマス前夜。パパとママが映る写真立てを撫でて微笑む。寝息を立てているルームメイトを起こさないくらいの小さな声で、二人に話しかけた。
「……時雨がね、褒めてくれたの」
強くなったねって。
「嬉しかったなぁ」
ぎゅっと写真立てを抱きしめて、こぼす。
「早く、見てほしいな」
クリスマスだからかな。自然と願いがこぼれていった。
強くなったよ。パパが言った通り。だから、
「会いたいな」
静かな夜に、そんなあたしの音は包まれていった。
そうしてイブが明けて、英人の数が九十五個になったクリスマスの日。
「うそ」
こぼした願いが、
「パパ!?」
本当に、叶った。
「よかったね、百合愛」
「っ、うん」
自然とあふれる涙はそのままに、時雨に寄り添う。
小さなころ「強くなったらきっと」と言っていたパパが、本当に元気になって帰ってきた。
クリスマスパーティーも終盤に差し掛かったころ、上層部の人が紹介した新しい指揮官の補佐として、パパはやってきた。
「っ」
夢なんだろうとぎゅっと腕を握れば痛くて、「ほんとだよ」と言ってくれているようだった。
――嬉しい。
今、どんどんいい方向に行っている気がした。パパも帰ってきて、時雨に想いを伝えるまであと少しで。時雨と冬歌と過ごす日々はとてもとても楽しくて。なんて幸せなんだろう。
これが、ずっとずっと続けばいいと思うけれど。
幸せなはずの日々は、その日から。
どこかいびつさを含んでいった。




