シーン2:【濁るオアシス】怯える精霊と、拒絶される浄化の光
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「きゃあああっ! 誰か、誰か来てください!」
悲鳴が響き渡る。
レオン様が弾かれたように立ち上がり、瞬時に冷徹な覇王の顔へと切り替わる。
私は胸元で苦しげに身をよじるチクタクを両手で包み込み、レオン様の大きな背中を追って私室を飛び出す。
長い回廊を駆け抜け、悲鳴の発生源である王城の『屋内庭園』へと急ぐ。
あの日、枯れ果てていた土に私が命を吹き込み、チクタクと出会った、あの美しく豊かなオアシスだ。
重厚な扉が開け放たれている。
そこに立ちすくむ数人の侍女たちが、口元を両手で覆い、恐怖に震えている。
「どうした! 何があった」
レオン様の低い声に、侍女たちがビクッと肩を跳ねさせ、道を空ける。
その隙間から庭園の内部を見た瞬間、私の足が床に縫い付けられたようにピタリと止まる。
「嘘……」
信じられない光景が広がっている。
数日前まで、透き通るような青い花が咲き誇り、清浄な空気に満ちていた庭園。
しかし今、空気を支配しているのは、酷く鉄臭い、血と泥が混ざったような腐臭だ。
中央にあるはずの澄み切ったオアシスの泉が、まるで煮えたぎる血の池のように、どす黒い赤茶色に染まり、ゴボォ、ゴボォと不気味な泡を立てている。
『キュ……ルルゥ……』
私の腕の中で、チクタクがひときわ苦しそうな鳴き声を上げる。
チクタクの身体を覆っていた水色のぷるぷるとした棘が、みるみるうちに赤茶色に濁り、ドロドロの泥水のように形を崩し始めている。
ひんやりと心地よかった体温が、不快な熱を持ち、私の指先をチクチクと刺すような嫌な感触へと変わっていく。
「チクタク! しっかりして!」
砂漠のオアシス精霊であるチクタクは、この国の水脈と直接リンクしている存在だ。
泉の水がこれほどおぞましい色に濁ってしまえば、チクタクの命そのものが削られてしまう。
私はパニックになりかける心を必死に落ち着かせ、赤茶色に濁った泉の縁へと駆け寄る。
「ルリア、待て! 迂闊に触れるな、何かの呪いかもしれないぞ!」
レオン様が鋭く制止する声が背後から響く。
けれど、苦しむチクタクを見殺しにすることなんてできない。
祖国の地下室で、私は毎日何千、何万という魔石の濁りを祓ってきた『浄化係』だ。
どれほど汚染された水であろうと、私の無尽蔵の浄化魔力を叩き込めば、一瞬で元の澄み切った清流へと戻せるはず。
「大丈夫です。私の浄化魔法で、すぐに綺麗に……ッ!」
私はチクタクを左腕に抱いたまま、右手を赤茶色の水面へと真っ直ぐに突き出す。
ドクン、と心臓が跳ね、私の細胞の隅々から高純度の青い水魔力が爆発的に指先へと集束していく。
祖国軍の武器を砂に変えた時と同じ、あるいはそれ以上の、絶対的な浄化の光。
私の指先から、眩いほどの青白い光の束が放たれ、濁った泉の底へと勢いよく撃ち込まれる。
――その、瞬間だった。
ガァァァァァァンッッ!!!
「えっ……!?」
私の放った浄化の光が、泉の水に触れた直後。
まるで、見えない分厚い鋼鉄の壁に真正面から激突したかのような、凄まじい衝撃が私の右腕をカチ上げ、全身の骨を軋ませる。
「きゃあっ!」
バチバチバチッ!と、青い光と赤茶色の泥が激しくスパークし、私の魔力が強引に弾き返される。
あり得ない。
私の魔力は、干からびた砂漠をたった数秒でオアシスに変えるほどの濃度を持っているはずだ。
ただの泥水など、触れた瞬間に浄化できるはずなのに。
(弾かれる……? 大地そのものが、私の魔力を拒絶している……!?)
指先から伝わってくるのは、泉という『点』の汚れではない。
泉の底、王都の地下深く、さらにその奥。
大陸全土の地下に張り巡らされた、星の血管とも呼べる『大地の水脈』そのものが、まるで重篤な病に侵された巨獣のようにのたうち回り、私の外からの干渉を強烈な力で拒絶し、押し返してきているのだ。
「う、くぅぅっ……!」
私は歯を食いしばり、さらに強く魔力を押し込もうとする。
しかし、泉の底から湧き上がるおぞましい泥の抵抗は、私の魔力を完全に飲み込もうと、底なし沼のような重圧となって私に襲いかかる。
ドロドロとした赤茶色の触手が水面から立ち上がり、私の右腕に絡みつこうと伸びてくる。
「ルリアッ!!」
バンッ!と。
レオン様の太い腕が私の腰を抱え上げ、間一髪でその場から後方へと大きく跳躍する。
私が立っていた石畳を、赤茶色の泥水がビチャァッ!と叩き据え、ジュワジュワと不気味な煙を上げる。
「はぁっ、はぁっ……」
「大丈夫か、ルリア! どこか怪我はしていないか!」
私を床に下ろし、レオン様が血相を変えて私の右腕を検分する。
幸い、泥水に触れてはいない。しかし、魔力を強引に弾き返された反動で、右腕の感覚が完全に麻痺し、指先がガタガタと制御不能に震えている。
「私の……私の浄化が、効かない……」
震える声で呟く。
こんなことは初めてだ。
私の魔力は、どんな汚れも洗い流せる絶対の力だったはずなのに。
『キュ……ゥ……』
私の腕の中で、チクタクが力なく鳴き、その身体が完全にドロドロの赤茶色に染まりきってしまう。
ひんやりとした命の輝きは失われ、ただの汚れた水たまりのように、今にも崩れて消えてしまいそうだ。
「チクタク……嫌だ、どうして……っ」
いくら魔力を流し込んでも、チクタクの身体はそれを受け付けない。
オアシスの泉は、さらに激しく濁った泡を吹き出し、周囲の緑豊かな植物たちが、みるみるうちに黒く変色して枯れ落ちていく。
たった数日前、私がもたらした奇跡の恵みが、今、私の目の前で恐ろしいスピードで腐り落ちていく。
「ただの毒や呪いじゃない。魔力そのものが、根本から腐敗しているような……こんなおぞましい気配、かつての砂漠の魔物たちですら発していなかったぞ」
レオン様が長剣を抜き放ち、濁る泉を鋭く睨みつけながら、私を庇うように背後に隠す。
彼の額にも、微かに焦燥の汗が浮かんでいる。
私たちの目の前で、王城のオアシスが完全に『死の泉』へと変貌を遂げた。
しかし、これはまだ、これから訪れる本当の絶望の、ほんの小さな前触れに過ぎなかったのだ。
バンッ!!!
庭園の扉が、再び乱暴に開け放たれる。
そこに立っていたのは、私室にいたはずのグレン宰相だ。
彼の顔は、先ほどザイードの没落を報告した時の余裕など微塵もなく、まるでこの世の終わりでも見たかのように、紙のように真っ白に青ざめていた。
「へ、陛下……! ルリア様……! た、大変なことが起きました!」
息を呑むような沈黙。
腐臭の漂う庭園に、グレン宰相の震える絶望の声が響き渡る。
「濁ったのは……この城の泉だけではありません……!」
彼の口から紡がれる次の言葉が、私たちを、国家間の争いなどという小さな次元を超えた、途方もない恐怖の底へと突き落とすことになる。
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