シーン1:【甘すぎる戦勝報告】属国と化した祖国と、覇王の膝枕
毎日投稿チャレンジ挑戦中です。
20時に投稿しますので、よろしくお願いします。
ふわりと、鼻腔をくすぐる落ち着いたサンダルウッドの香り。
窓から差し込む柔らかな午後の日差しが、レオン様の私室を暖かく照らし出している。
最高級のベルベットで覆われた長椅子の上。私は今、あろうことか砂漠の帝国を統べる皇帝陛下の、引き締まった太ももの上に頭を乗せている。
いわゆる『膝枕』という状態だ。
「レ、レオン様……やはり私、起きます。こんな、はしたない……っ」
「だめだ。君はあの国境での一件で、自分の思っている以上に魔力を消耗している。もう少しこうして、俺の魔力に触れて休んでいなさい」
私が身をよじって起き上がろうとすると、レオン様の大きな手が私の両肩をそっと押さえ、再び彼の上に沈み込ませる。
彼の長い指先が、私の水色の髪をすくい上げ、サラサラと愛おしげに梳いていく。
剣を振るうための硬いタコがある指先なのに、私に触れる時の力加減は、まるで壊れやすいガラス細工でも扱うかのようにひどく優しい。
頭の真上から降ってくる甘い声と、頭皮を撫でられる心地よい刺激に、私の全身からふにゃりと力が抜けてしまう。
『キュウ、キュピィッ!』
私の胸の上では、チクタクが仰向けになって短い手足をパタパタと動かし、レオン様が私の髪を撫でるリズムに合わせて嬉しそうに鳴いている。
チクタクのぷるぷるの水色の棘からこぼれるひんやりとした冷気が、私の火照った頬を微かに冷ましてくれる。
国境で武器を砂に変え、過去と完全に決別してから数日。
私はこうして、政務の合間を縫っては私室へ戻ってくるレオン様に、甘やかされ、溺愛されるという信じられないほど穏やかな時間を過ごしていた。
コンコンッ。
「陛下。グレンです。例の件で、最終報告をお持ちしました」
扉の向こうから、几帳面なノックの音と共にグレン宰相の声が響く。
私がビクリと肩を跳ねさせると、レオン様は不満げに低く舌打ちをしたものの、「入れ」と短い許可を出した。
ガチャリと扉が開き、分厚い羊皮紙の束を抱えたグレンが足を踏み入れる。
彼は長椅子の上でレオン様に膝枕をされている私の姿を見ると、片眼鏡の奥で呆れたように目を細めた。
「……陛下。真の聖女様をクッション代わりにするのはおやめくださいと、何度申し上げればお分かりになるのですか」
「クッションではない。俺の宝物を磨いている最中だ。用件を手短に済ませろ」
「はあ……。まあよろしいでしょう。ルリア様がそこにいらっしゃるなら、ちょうど良い」
グレンは深くため息をつきながら、手にしていた羊皮紙の束をテーブルの上へ置いた。
そこには、仰々しい真っ赤な封蝋が押されている。
見覚えのある、双頭の鷲の紋章。私の祖国の王家の印だ。
「先ほど、東の『干ばつ国』から正式な親書が届きました。彼らは我が国の提示した法外な水資源の輸出条件を、一言一句違わず、すべて丸呑みいたしました」
「ほう。あのプライドだけは高い愚か者どもが、ついに白旗を揚げたか」
「はい。条件通り、彼らの王城の宝物庫にある国宝のすべてと、我が国に隣接する領土の三割を割譲。そして今後、我が国から水一樽を買うごとに金貨百枚を支払うという、完全なる不平等条約への署名です」
グレンの言葉に、私の胸の奥でドクリと心臓が跳ねる。
金貨百枚。それは平民の家族が数年は遊んで暮らせるほどの途方もない金額だ。
それを、生活に不可欠な水一樽のために払い続けなければならないなんて。
それはつまり、祖国が今後永遠に、この砂漠の帝国に経済的に搾取され続ける『属国』に成り下がったということを意味している。
「あの軍事侵攻の失敗が決定的でした。丸腰で逃げ帰った軍隊を見て、彼らの王もついに事の重大さを理解したのでしょう。……ちなみに、ルリア様に暴言を吐き、無謀な侵攻を企てたザイード王太子ですが」
グレンがそこで言葉を切り、私の方をチラリと見た。
「彼は国王の逆鱗に触れ、即日『廃嫡』となりました。王太子の身分を剥奪され、今は王城の最も深く暗い地下牢に、あの偽聖女と共に幽閉されているとのことです。皮肉なものですね。かつてルリア様を閉じ込めていた冷たい石室で、今度は彼ら自身が、いつ与えられるとも知れない泥水をすすって生きていくことになるのですから」
地下室。
太陽の光が届かず、カビと埃の匂いだけが充満するあの冷たい空間。
そこに、あの見栄っ張りで傲慢だったザイードとアリスが閉じ込められ、絶望の中で干からびていく。
その光景を想像し、私は思わず自分の細い両腕をギュッと抱きしめた。
「……怖いか、ルリア」
私の頭上から、レオン様の静かな声が降ってくる。
彼の手が私の髪から離れ、私の頬をそっと両手で包み込んだ。
逆さまに見上げる彼の黄金色の瞳は、私の内側にある微かな揺らぎを、すべて見透かしているようだった。
「少しだけ……恐ろしいです。私の力が、私の選択が……たった一つの一国の運命を、あそこまで完全に壊してしまったのかと思うと」
同情ではない。
ただ、自分の中に宿っている『無尽蔵の水魔力』という存在が、これほどまでに強大で、恐ろしい影響力を持っているという事実に、微かな震えが止まらないのだ。
私が国境を越えなければ、あの国はまだ、偽りの繁栄を続けていたかもしれないのだから。
「君が壊したんじゃない。彼らが自分で壊したんだ」
レオン様が私の不安を断ち切るように、きっぱりと言い放つ。
彼はゆっくりと身体を前へ倒し、膝枕をした状態の私の顔を覗き込むようにして、至近距離で視線を交ませた。
「君は何も悪いことはしていない。彼らが君の優しさに甘え、搾取し、勝手に価値を見誤って手放した。これはその『正当な報い』に過ぎない。君が自分の幸せのために生きることで、誰かが不幸になったとしても……君は堂々と、ここで笑っていればいいんだ」
「レオン様……」
「俺が君のすべてを肯定する。だから、もう二度と過去の亡霊のために心を痛めるな。君の心は、俺とこの国を満たすためだけに使ってくれ」
彼の分厚い親指が、私の目尻を優しく撫でる。
その絶対的な庇護と肯定の言葉に、私の胸の奥に張り付いていた最後の薄い氷が、完全に溶けて消え去っていくのを感じた。
そうだ。私はもう、自分の力に怯える必要はない。
私を愛し、必要としてくれるこの人のためだけに、前を向いて生きていくと決めたのだから。
「……はい。ありがとうございます」
私が心からの笑みを浮かべて頷いた、まさにその瞬間だった。
『キュ、キュルルゥ……ッ!』
私の胸の上で、突然チクタクが苦しそうな声を上げた。
「えっ?」
驚いて視線を落とすと、今まで私の魔力に共鳴して淡く美しい青色に輝いていたチクタクの背中の棘が、不気味に明滅を繰り返している。
まるで、急激に酸素を奪われた小魚のように、短い手足をバタバタとさせて苦しがっている。
「チクタク!? どうしたの!」
「……どういうことだ。精霊の魔力波長が、急激に乱れているぞ」
レオン様が弾かれたように身を起こし、私の胸元からチクタクをそっと手のひらの上へ移す。
チクタクの透明だった身体が、どす黒く、赤茶色に濁り始めている。
それはまるで、泥水を無理やり吸い込まされたかのような、おぞましい変色だった。
ただならぬ異変。
平和で甘い時間が、一瞬にして不気味な暗雲に覆われる。
私とレオン様、そしてグレン宰相の三人が、同時に嫌な予感に顔を見合わせた直後。
王城の庭園の方角から、侍女の悲鳴のような悲痛な叫び声が、私室の窓を震わせて飛び込んできた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
ルリアのこれからを「応援したい」と感じていただけたなら、
評価や感想を入れていただけると、とても励みになります。
あなたの応援が、この世界をもっと広げてくれます。
次回もぜひ、お会いしましょう。




