シーン2:【狂気の進軍】祭りを引き裂く凶報と、身勝手な所有権の主張
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「陛下ァァァァッ!! お待ちください、陛下ァッ!!」
鼓膜を打つ陽気なリュートの旋律と、人々の賑やかな笑い声を切り裂いて、悲痛な絶叫が広場に響き渡る。
ビクッと私の肩が跳ね、手から林檎飴が滑り落ちそうになるのを、レオン様の大きな手が咄嗟に支えてくれる。
振り返ると、人混みを強引に掻き分けてこちらへ向かってくるのは、完璧に撫でつけられていたはずの銀髪を振り乱し、片眼鏡すらズレたままのグレン宰相だ。
「……チッ。わざわざお忍びの変装までして抜け出してきたというのに、もう見つかったのか。あの鼻の利く猟犬め」
レオン様が深くため息をつき、私を庇うように一歩前へ出る。
しかし、駆け寄ってきたグレンの顔に浮かんでいるのは、いつもの小言を言う時の呆れ顔ではない。
血の気が引き、額に脂汗を浮かべた、極度の緊張と焦燥の表情だ。
「はぁっ、はぁっ……へ、陛下! 探しましたぞ! こんなところで油断されている場合ではありません!」
「騒々しいぞ、グレン。せっかくの祭りの空気が台無しだろう。一体何事だ」
「緊急事態です! たった今、東の国境砦から早馬が到着しました! ……『干ばつ国』の正規軍が国境を越え、一直線にこの王都へ向かって進軍中とのことです!」
――ドクン。
私の心臓が、嫌な音を立てて冷たく跳ねる。
干ばつ国。つまり、私の祖国。
あの日、水晶の映像越しに見た、完全に干からびて暴動の渦に飲まれていたはずの、あの死に体の国が?
「……正規軍だと? 莫迦な。奴らの水魔石はすべて機能停止し、武器一つまともに動かせないはずだ。その状態で過酷な砂漠を越えて軍を動かすなど、ただの集団自殺に等しいぞ」
レオン様の声が、一瞬にして冷徹な為政者のそれへと切り替わる。
その鋭い問いかけに、グレンは苦々しい顔で首を振った。
「それが……諜報部の報告によれば、あの愚かな王太子ザイードが、王城の地下深くに隠匿されていた『王家専用の非常用備蓄魔石』をすべて強引に掻き集めたようです。民の暴動を鎮圧するでもなく、残された最後の力を、すべて我が国への『侵略』に注ぎ込んできたのです!」
「なんだと……?」
「奴らは我が国からの水資源の輸出条件――国宝と領土の割譲――を完全に黙殺しました。そして、ザイードは出陣の際、狂ったようにこう叫んでいたそうです」
グレンが一度言葉を切り、酷く同情するような、痛ましい視線を私へと向ける。
「『ルリアは我が国の所有物だ。あの女が持つ水ごと、すべて奪い返してやる』……と」
ピシッ、と。
私の足元で、見えない氷がひび割れるような錯覚を覚えた。
所有物。
奪い返す。
その身勝手極まりない言葉の響きが、私の脳髄を直接殴りつける。
彼らはどこまでいっても、私を一人の人間として見てはいないのだ。
自分たちが不当に搾取し、勝手に無価値だと判断して見捨てたくせに。
私が彼らの予想を超えた力を持ち、隣国を潤していると知るや否や、今度は『自分たちの持ち物だ』と主張して強奪にくる。
あまりの傲慢さ、あまりの身勝手さに、吐き気すら込み上げてくる。
私が両手でギュッとドレスの裾を握りしめた、その瞬間だった。
ゴォァァァァァァァァッ……!!!
「……ッ!」
不意に、周囲の空気が急速に凍りつき、凄まじい重圧が広場全体を押し潰すようにのしかかる。
息ができない。
隣に立つレオン様の身体から、陽炎のような真っ黒な闘気が、天を衝くほどの勢いで立ち昇っていたのだ。
「……あいつら、俺の宝物に、なんだと言った?」
地獄の底から響いてくるような、低く、絶対零度の声。
レオン様の黄金色の瞳は、猛禽類どころではない。飢えて完全に理性を失いかけた、恐ろしい魔獣そのものの色に染まっている。
「ルリアが、あいつらの所有物だと? 奪い返すだと? ……舐めるな。一欠片の肉片、一滴の血すらも残さず、俺がこの手で砂漠の塵に変えてやる。グレン! 直ちに第一軍団を国境へ向けろ! 迎撃などという生温いものではない、完全なる『殲滅』だ!」
レオン様が漆黒のマントを翻し、腰に帯びた長剣の柄をギリィッ!と握りしめる。
彼の激しい怒りは、すべて私を守るためだ。
私の尊厳を傷つけようとする愚か者たちへの、純粋で激しい愛情の裏返し。
けれど。
(だめ……このままじゃ、だめだわ)
『キュルルゥッ!』
広場の噴水で遊んでいたチクタクが、ただならぬ殺気を察知して水面から飛び出し、私の胸の中へと勢いよく飛び込んでくる。
私は冷たく濡れたチクタクの身体をしっかりと抱きしめながら、自分の中で渦巻いていた恐怖と嫌悪感を、冷たい意志の力で完全に押さえ込んだ。
もしここで、レオン様が軍を率いて彼らを皆殺しにしてしまえば。
確かに私は安全な城の中で、彼に守られ、何一つ傷つくことなく終わるだろう。
でも、それでは今までと何も変わらない。
誰かに庇護され、誰かが血を流すのを安全な場所から見ているだけの、無力で弱い小鳥のままだ。
私の新しい居場所であるこの美しい国を、私が引きずってきた過去の亡霊たちの血で汚すわけにはいかない。
「お待ちください、レオン様」
私は一歩前へ踏み出し、抜剣しようとするレオン様の太い腕を、両手でしっかりと掴んだ。
ピタリ、と。
私に触れられたレオン様の動きが止まり、その恐ろしい黄金色の瞳が、驚いたように私を見下ろす。
「ルリア……? 手を離しなさい。君は安全な城の奥で、チクタクと待っているんだ。俺がすぐに終わらせて、君のもとへ帰るから」
「いいえ、私も行きます。最前線へ」
私の口から出た明確な意志に、レオン様だけでなく、横にいたグレン宰相までもが信じられないというように息を呑む。
「莫迦なことを言うな! 奴らは理性を失った獣の群れだぞ! 君の姿を見れば、何をするか分からない。危険すぎる!」
「危険なのは、レオン様やこの国の兵士たちも同じです。……これは、私の問題なんです」
私は彼の腕を握る手に、さらに強く力を込める。
真っ直ぐに彼を見つめ返す私の瞳に、一切の揺らぎはない。
「彼らは『私の力』を目当てに侵略してくる。ならば、彼らを止めることができるのも、私だけです。私はもう、地下室でただ震えているだけの小鳥ではありません。あなたが教えてくれたんです。『私は私の意志で、自由に生きていい』と」
「……ルリア」
「だから、お願いです。私を、国境へ連れて行ってください。私の過去は、私の手で完全に終わらせます」
祭りの喧騒が遠のき、私たちの間だけで、静かで張り詰めた時間が流れる。
レオン様は私の瞳の奥にある、決して曲がらない強い決意の光をしばらく見つめていた。
やがて、彼を包んでいた恐ろしい漆黒の闘気が、ふっと霧散していく。
「……君は、本当に強くなったな」
レオン様が苦笑するように唇を歪め、私の頬を包み込むようにそっと撫でた。
その手は震えていた。私を危険な目に遭わせたくないという過保護な感情と、私の気高い決意を尊重したいという為政者としての感情が、激しく衝突しているのが分かる。
「分かった。……だが、絶対条件だ。俺の背中から一歩も離れるな。もし君の髪の毛一本でも傷つけられそうになったら、その瞬間に俺は約束を破って、あいつらを皆殺しにする」
「はい。ありがとうございます、レオン様」
私は深く頷き、彼に向かって最高の笑顔を向けた。
もう、迷いはない。
私は真の聖女として、そしてこの愛する砂漠の帝国の一員として。
かつての祖国という名の亡霊と、完全なる決着をつけるために、決戦の地である国境へと歩みを進めた。
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