シーン1:【豊穣の祝祭】甘い林檎飴と、覇王の蕩けるような微笑み
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夜空を焦がすような、無数の色鮮やかなランタンの灯り。
鼓膜を心地よく揺らす、軽快なリュートの音色と人々の明るい笑い声。
鼻腔をくすぐるのは、香ばしく焼かれた肉の匂いと、甘く煮詰められた砂糖の芳醇な香りだ。
王都の中心部を貫く石畳の大通りは、今夜、足の踏み場もないほどの人熱気と歓喜に包まれている。
数日前に私が降らせた『奇跡の雨』と、地下水脈から溢れ出した無限の泉。
それを祝して、この砂漠の帝国では建国以来最大規模となる『豊穣祭』が三日三晩にわたって開催されているのだ。
「はぐれないように、しっかり俺の手に掴まっているんだぞ」
すぐ耳元で、甘く低いバリトンボイスが響く。
私の右手をすっぽりと包み込んでいるのは、火傷しそうなほど熱く、剣ダコのあるゴツゴツとした大きな手だ。
ハッとして顔を上げると、深い藍色のフード付きマントで顔の半分を隠したレオン様が、私を庇うようにして人混みを掻き分けてくれている。
今日は『お忍びでの視察』という名目なのだが、上質なマント越しにも分かる彼のがっしりとした広い肩幅と、歩くたびに漏れ出る圧倒的な覇気は、どう見てもただの町人には見えない。
すれ違う街の女性たちが、フードの奥で鋭く光る黄金色の瞳に気づき、次々と頬を染めて振り返っているのが分かる。
「あの、レオン様。なんだかすごく、皆様に見られている気がするのですが……」
「気にするな。俺の目に映っているのは君だけだ。それに、君が今夜あまりにも愛らしいから、周囲の男どもが君を見ているようで……正直、今すぐこの場で全員の視力を奪ってやりたい衝動と戦っている」
「ひっ、ぶ、物騒なことを言わないでください!」
私の耳元でわざとらしく低く囁き、レオン様が意地悪に口角を上げる。
からかわれているのだと分かっていても、私の顔は一瞬にして林檎のように真っ赤に染まってしまう。
今夜の私は、侍女たちが「お祭りですから!」と張り切って用意してくれた、淡い珊瑚色の軽やかなドレスを着ている。
普段の青いドレスとは違う、少しだけ背伸びをしたような可愛らしい装いに、レオン様は部屋を出る時からずっと、甘く重たい視線を私に注ぎ続けているのだ。
『キュ、キュウウ〜!』
繋いでいない方の私の左腕の中で、チクタクが身を乗り出して高い鳴き声を上げる。
チクタクの丸くて黒い瞳は、屋台に並ぶ色とりどりの食べ物や、キラキラと輝くガラス細工に釘付けだ。
短い手足をパタパタと動かし、背中の水色の棘から嬉しそうに冷たい水滴をポロポロとこぼしている。
「ふふっ、チクタクも楽しいのね。こんなに賑やかで温かいお祭り、私も初めてだから……なんだか、夢を見ているみたいです」
祖国の地下室にいた頃は、お祭りの音など分厚い石壁の向こうの別世界の出来事だった。
私が目を細めてランタンの光を見上げていると、レオン様の大きな手が不意に私の頬に伸びてきて、そっと優しく撫でる。
「夢じゃない。君が自分の力で掴み取った、現実の居場所だ。……ほら、あそこを見てみろ」
レオン様が指差した先。
広場の中央には、あの日私が生み出した泉から引かれた水を利用して、新しく作られた巨大な石造りの噴水がある。
祖国の見栄張りの噴水とは違う、誰もが自由に水を汲み、子供たちが笑い声を上げて水浴びを楽しんでいる、命の泉だ。
『キュッ! キュキューッ!』
水しぶきを見たチクタクが、私の腕の中からぽーんと勢いよく飛び出し、噴水の中へダイブする。
ぽちゃんっ!という小気味よい音と共に水面に落ちたチクタクは、水風船のようにぷかぷかと浮かびながら、子供たちと一緒に嬉しそうに水を掛け合って遊び始めた。
その無邪気な姿に、私とレオン様は自然と顔を見合わせて吹き出してしまう。
「チクタクには、後でたっぷり水を飲ませてやらないとな。……君は何か食べたいものはあるか? 少し歩き疲れただろう」
「あ……それなら、あれが食べてみたいです」
私が遠慮がちに指差したのは、甘い匂いを漂わせている屋台の一つだ。
串に刺さった真っ赤な果実が、ツヤツヤの飴でコーティングされている。
「林檎飴か。よし、ここで待っていなさい」
レオン様は私を広場の安全なベンチに座らせると、人混みの中へ消え、すぐに二本の林檎飴を手にして戻ってきた。
「ありがとう、ございます」
受け取った林檎飴は、ずっしりと重く、表面の飴が街の灯りを反射して宝石のようにキラキラと輝いている。
そっと口へ運び、表面の飴を噛み砕く。
パリッ。
軽快な音と共に、口の中いっぱいに煮詰めた砂糖の強烈な甘さと、林檎の爽やかな酸味がジュワッと広がる。
「んんっ……! 甘くて、すごく美味しいです……!」
あまりの美味しさに、私は思わず両手で頬を押さえ、目を丸くして喜んでしまう。
美味しい食べ物を、美味しいと感じて、自由に笑うことができる。
ただそれだけのことが、今の私にとっては奇跡のように幸せなのだ。
「……そうか。君が美味しいなら、何よりだ」
レオン様は自分の分の林檎飴には口をつけず、ただ私の顔をじっと見つめている。
その猛禽類のような黄金色の瞳が、フードの影から私を射抜くように捉え、とろけるような熱を帯びている。
「レ、レオン様? どうして私ばかり見るのですか……?」
「君が、あまりにも無防備で可愛い顔をして食べているからだ。……口の横に、飴がついているぞ」
レオン様が私の隣に腰を下ろし、長い指先を私の口元へと伸ばす。
彼の硬い指の腹が、私の唇の端に付いていた小さな飴の欠片をそっと拭い取る。
そして、あろうことか、彼はそのまま自分の指先についたその飴の欠片を、ペロリと自身の薄い唇で舐め取ったのだ。
「ひゃっ……!?」
「うん。確かに、これはひどく甘いな」
私の頭から、ボッ!と火が出るような強烈な熱が吹き上がる。
心臓が警鐘のようにドクドクと高鳴り、持っている林檎飴を落としてしまいそうになる。
こんな、こんな間接的な……っ!
「れ、レオン様、そういうことは、軽々しくなさらない方が……っ」
「軽々しくなどしていない。俺はいつだって、君に対しては真剣だ」
レオン様の顔が近づき、サンダルウッドの香りが私をすっぽりと包み込む。
彼の大きな手が私の腰に回され、ぐいっと引き寄せられる。
周囲の喧騒が嘘のように遠のき、世界に私と彼しかいないような、濃密で甘い錯覚に陥る。
「君を泣かせるものは、俺がすべて排除する。君のこれからの人生は、俺がすべて甘く満たしてやる。……だからルリア、俺から絶対に離れるな」
囁くような、けれど絶対に揺るがない誓いの言葉。
彼の熱い吐息が私の首筋にかかり、私は反論する言葉を完全に失ってしまう。
ただコクンと、小さく頷くことしかできない。
こんなに優しくて、こんなに強く私を求めてくれる人を、どうして拒むことができるだろうか。
この平和で甘い時間が、永遠に続けばいいのに。
心からそう願った、その瞬間だった。
「陛下ァァァァッ!! お待ちください、陛下ァッ!!」
祭りの喧騒と、私たちの間の極上に甘い空気を無慈悲に引き裂くように。
血相を変え、完璧に撫でつけられていた銀髪を振り乱したグレン宰相が、凄まじい勢いで人混みを掻き分けて広場へと駆け込んできたのは。
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