第20章 欧州での再会
Jayが気が付くと、全く知らない部屋のベッドに横たわっていた。かすかに遠い記憶が残っていた。どこか遠い国の何か宗教施設のある場所で、もうひとりの男性と一緒にいた記憶が残っていた。たしか、大きな地震があって、その後で目の前が真っ暗になり、そしてその後の記憶が全くなかった。一体ここはどこなんだろうかと思った。ひどく肌寒い部屋だった。しかも、全く何もない、無機質な部屋だった。壁には軍服のようなものがかかっていた。ドアをノックする音が聞こえた。返事をする間もなく、大柄の白人の男性が入ってきた。
Emmet「仕事だ。もうすぐ、ソ連に攻め込むとのことだ。すぐに終わると思ったのに、こんな戦いに何の意味があるんだ。」
Jayはなぜかだんだんと自分が今置かれている状況が理解できた。そうだ、俺は軍隊にいるのだ。先月まで、フランスにいたではないか。それが、今度は東に移動することになったのだった。
Emmet「今から、またあのトラックに揺られて、ポーランドに移動するらしい。気が滅入るよな。」
Jay「ああ。でも、あまりそんなことを人前で言わない方がいい。誰が聞いているか、わからないじゃないか。」
Emmet「そうだな。ただ、俺は本当に戦争なんかに巻き込まれたくないんだ。人を殺せって言われても、できないよ。なんの憎しみもないのに、目の前の相手を殺せるか、お前は?」
Jay「いや、俺にも無理だ。俺は、ワルシャワで育ったから、なおさら気が引ける。あそこには、俺の親友が住んでいる。あいつがまだ生きているのか知りたい。」
Emmet「そうか、お前はワルシャワ育ちだったな。ポーランド語もできるのか。」
Jay「ああ、話せる。多分、それもあって、東に行かされるんだろう。」
Emmet「そうか、それは辛いな。」
Jayは同僚のEmmetに促されて、出発の準備をした。集合時間に遅れると、厳しい体罰が待っている。集合時間のかなり前に、彼らが滞在していた建物の前にある広場に整列した。そこで、司令官の訓示があったが、具体的にどこへ移動するのかさえ伝えられなかった。そう、所詮彼らは戦争のコマなのである。単なる、数字なのである。兵士何名のうちの、1名が自分なのである。そこでは、血の通った人の営みなどは完全に無視されている冷たい世界である。これから一体どうなるのだろうか。Jayはポーランドにいた時の親友のKynoのことが気になっていた。あいつは今頃生きているのだろうか。Kynoはユダヤ人だったため、特に気になっていた。捕まっていなければいいがと思った。だが、そんなことは口が裂けても人には言えないことだった。ナチスの国策として、ユダヤ人の根絶が謳われており、とても親友がユダヤ人などということなんかは口にできなかった。ドイツ国内にいるうちは、まだ戦争の気配はほとんど感じることはなかったが、ポーランド領内に深く入るうちに、だんだんと戦闘があったことを感じさせる風景が広がっていた。通りの陰に潜む、ドイツ軍の戦車や、道路沿いに掘られた塹壕などが目に付くようになっていた。ただ、ポーランド軍はほとんど抵抗らしき抵抗もできないまま、降伏したような印象だった。
Jayは何とかしてKynoに連絡を取りたかった。彼の無事を確認したかったのである。とはいえ、この混乱した戦時下で、しかも戦場になった場所にいた友人を探す手段も思いつかなかった。トラックの荷台に揺られながら、ひたすら悪路を進んでいた。いつか、この道に戻ることが出来るのだろうか。考えるだけで気が滅入ってきた。彼はこのドイツ国内の状況が我慢できなかった。ユダヤ人排斥にも、この独裁体制にも、そしてこの無意味な戦争にも耐えられなかった。こんな戦いに何の意味があるのだろうか。だが、ヒトラーは圧倒的な支持を国民から得ていた。ドイツ国内でも、多くの人達が虐げられていた。身障者、同性愛者、少数民族など、とにかく社会的弱者がどんどん町から消えていっていた。彼らは一体どこに連れて行かれたのだろうか。そういう人達のことを考えるだけで、Jayの気持ちは沈んでいった。だが、そんなことはこの軍のなかでは口に出来ないことだった。個人というものが圧殺されている社会だった。彼らドイツ人にも、自由なんて一切なかった。Jayのような若い男性は問答無用で戦地に送り込まれていた。そこに、本人の意思なんて介在する余地さえなかった。そうこうしているうちに、どこかの小さい町に着いた。すでにそこには、先行していたドイツ軍の兵士がいた。ドイツ軍によって接収された大きなホテルで今晩は過ごすとのことだった。もうかなりの距離をきていた。兵士達は、黒パンとスープの食事を済ませ、各部屋に割り当てられた。すでに、水道は止まっており、水が必要な場合は外にある井戸まで汲みに行かねばならなかった。仕方ないので、夜になってJayは外に水を汲みに出た。昼間は曇っていた空だったが、今は満天の星が輝いていた。
上の存在「君は、ここにいてはいけない。」
どこからか聞きなれない男性の声が聞こえた。いや、聞きなれない声だと思ったのだが、以前どこかで聞いたことがある声だった。でも、それが誰の声なのか全く思い出せなかった。Jayは声を殺して、囁くように問いかけた。
Jay「誰ですか?」
上の存在「君はベルリンに行かなければならない。」
Jay「ベルリン?」
上の存在「そうだ。君はあの男を倒さなければならない。」
Jay「あの男って、まさか総統のことですか。」
上の存在「もう自分でも分かっているのだろう。君はすでにわかっているはずだ。」
Jay「ええ、そうですね。分かってます。彼を排除する必要がある。彼は人では無いということも分かってます。彼は人の姿をした悪魔です。」
上の存在「そうだ。彼に悪魔が乗り移っているのだ。元々は何の害もないさえない貧乏画家だった。だが、ある時彼は深い森の中で封印されていた悪魔の精を解き放ってしまったのだ。あれは完全に偶然の出来事だった。」
Jay「ただ、どうやって彼を排除すればよいか分かりません。協力者もいないし、武器も無いし、しかもここから抜け出すことさえ出来ない。」
上の存在「出来る。いずれ、Kynoと彼の友人のNaomiが君に合流する。Kynoはヒトラーをどうやって排除するか分かっている。彼とはもう間もなく会えるよ。」
Jay「でも、まずはここを抜け出さないと始まりません。」
上の存在「今夜、ここを出ろ。深夜2時ごろがよい。この建物の北側に広がっている森を徒歩で抜けろ。森を抜けた先に移動手段が用意されている。そこからベルリンへ向かえ。」
Jayはその声の主の気配が消えたことが分かった。彼には分かっていた。そう、最初から何をすべきか分かっていたのだ。もう彼の心の中に迷いは無かった。どちらにせよ、ソ連に攻め込んだ時点で、遅かれ早かれこの命は無駄に消費されるのだ。それだったら、一か八か賭けてみるしかなかった。その時、Kynoの声が聞こえたような気がした。Naomiのことも、以前Kynoからもらった手紙に書かれていたので、おおよそのことは知っていた。彼らに合流して、ヒトラーを排除する。彼の心ははっきりと決まった。そうとなれば、もう今夜決行しようと思った。井戸で水を汲み、部屋に戻った。薄暗い中に、仲間の兵士達がかすかに見えた。一体何時なのか分からなかったが、すでに何人かはイビキをかいて眠っていた。昼間の移動は思いのほか体力を奪っていた。Jayもかなり体が重かったうえに、なんか熱っぽかった。明らかに体調を崩していた。粗末な衣類、粗末な食事、非衛生的な環境の中では体調を維持するのはかなり難しかった。そのうち、ヒソヒソ話をしていた連中も眠りについたようだった。深夜に、トイレに行くふりをして、静かにその建物を抜け出した。月が信じられないほど輝いていた。満月の夜だった。
あたりは漆黒の闇だった。時々、獣の唸るような声が遥か遠くから聞こえてきた。こんな時間に森に入るのは正直言って恐ろしかったが、意を決して足を踏み入れた。こんなところで狼の群れにでも遭遇したら一貫の終わりである。ただ、もう前に進むしかなかった。満月の月は明るかったが、森の中は木々の枝葉に光が遮られているため、全くの暗闇だった。ただなぜか、彼にはどこをどう進めば良いか分かった。ひたすら勘に従って森の中を歩いた。時々、大木の根っこのところで休憩をとりつつ前に進んだ。そして、だんだんと周りが明るくなりつつあった。日が昇るのと同じくらいの時間に、ようやく森を抜けることが出来た。森を出た先には、広い牧草地のような平地が広がっていた。そして、その先に一軒の大きな家が見えた。武器はピストル一丁しかなかったうえに、来ている服はドイツ軍の軍服だった。ポーランドの民兵なんかに出くわしたら、とても勝ち目はなかった。その家に近づき、そっと窓から家の中を覗いてみた。中には人の姿は見えなかったが、人の気配がずっとしていた。明らかに誰か人がいるのが感じられた。Jayは誰も傷つけるつもりはなかったが、相手がどんな人なのか分からなかった。そっと、建物の裏側を回った。そこにも窓があったため、そこから中を覗いてみたが、そこからも人の姿は見えなかった。人の気配はしているのだが、誰の姿も見えなかった。その家の隣には納屋と家畜小屋があったが、そこには家畜はいなかった。そうやって、家の周りを警戒しながらうろうろしていた時に突然頭の中に声が響いた。
Naomi「表の入口から中に入って。」
Jayも頭の中で彼女に語りかけた。
Jay「君はNaomiだな。Kynoもそこにいるのか。」
Kyno「遅かったな。大丈夫だから、表のドアから中へ入れ。」
Jayは恐る恐る家の表に向かい、表の入り口のドアに手をかけた。ゆっくりとドアを開き、音を立てないように中に入った。奥のダイニングテーブル上には、三人分の食器が整然と並べられていた。キッチンには、大きな鍋が火にかけられており、シチューの良い匂いがした。ふと我に返ると、後ろに人の気配がした。そこには、久しぶりに見るKynoの姿があった。その横には同じ年くらいの女性が立っていた。JayとKynoは強く抱擁を交わした。二人の目からは涙が溢れていた。
それに先立つ数日前、KynoとNaomiはシベリア鉄道で東に向かっていた。ところが、そこから再度西に移動させられていた。そうあの列車内で眠りについたあと、あの声が聞こえてきて。その後のことはあまり記憶になかった。二人とも目を覚ますと、この家の2階の部屋のベッドにいたのである。一緒に行動していた、あの10歳の少年はいなくなっていた。おそらく、あのままシベリア鉄道で東の地に向かっているのであろう。無事に逃げ切って欲しいと思った。ただ、ここでJayと再会できたのは、Kynoにとってありがたかった。唯一、信用できる友人が一緒にいるのである。しかも、Naomiも一緒だ。ここからは、彼らに課された使命というものに向かって前に進むしかなかった。とはいっても、3人ともこれからどこで何をすればよいのか、全く分からなかった。
Kyno「Jay、お前はどこからどうやってここまで来たんだ。」
Jay「俺は、あの森を一晩中歩いて、ここまでたどり着いた。森の南側には、ドイツ軍の中隊が滞在している。だが、彼らは今朝東に出発しているはずだ。」
Kyno「やはり、ドイツはソ連と開戦するつもりなのか。」
Jay「上層部が具体的に何を考えているか、俺みたいな下っ端にはわからないけど、かなりの兵力を東に移動させている。まあ、何か大きな意図があるのだろう。」
Kyno「ドイツ国内の様子はどうなんだ?」
Jay「もう、ヒトラー一色だ。ナチスを否定することは、ほとんど死を意味する。おまけに、ユダヤ人、身体障害者、同性愛者、ジプシーなんかが、どこかへ連れ去られている。俺たちには、彼らがどこに行かされているのか、わからない。」
Naomi「また、3人で東に逃げたほうがいいんじゃない。ソ連との戦争が始まったら、もう東にも逃げられないわ。」
Kyno「いや、もう東も無理だろう。ビザも失効しているし。あのカウナスの日本領事もすでに退去していると思う。で、お前は何かプランを持っているのか。」
Jay「いや、なんか逃げてる途中に、男性の声が聞こえてきて、お前がその手段を知っていると聞いた。おまえこそ、何かプランがあるんじゃないのか。」
Kyno「いや、何もない。俺は何も聞いていない。」
Jay「俺は、おまえらと一緒にベルリンへ行けと言われた。」
Kyno「ベルリンか。さらに西だな。どうやって行こうというのだ。」
Naomi「列車しかないでしょう。でも、このパスポートでは無理だわ。もう一度、偽造パスポートを作らないと。できれば、ドイツのパスポートがあったほうが良いわ。」
Kyno「とりあえず、ここには食料がたっぷりとあるようだし、しばらくは静かに滞在していればドイツ軍に見つかることもないだろう。大きな街道から外れているようだし。しばらくは、ここで体調を整えて、計画を考えよう。」
Jay「そうだな。でも、あまりのんびりもしてられない。このままだと、ドイツとソ連の間で大きな戦争が起きると思う。ユダヤ人を根絶やしにするという噂も聞いている。」
Naomi「私たちも、ワルシャワのゲットーで同じような噂を聞いたわ。」
Kyno「そうだ。でも、われわれには何もない。武器もないし、情報収集の手段もない。嫌な時代に生まれたものだよ。」
三人の若者は、しばらくはその家に滞在することとした。そこは、いわゆる世界中にいくつか点在しているバックドアのある場所だった。バックドアは開いているときもあれば、閉まっているときもある。ただ、誰もその場所や開閉の時期については、何もわからない。何らかの大きな意思に従って、バックドアは開いたり閉まったりしているようであるが、KynoやJayでさえその存在については確信はなかった。幸い、そこには食料となぜか大量の本が置いてあった。中には、見たこともないような文字で書かれた分厚い書籍もたくさんあった。もちろん、ドイツ語やポーランド語で書かれた本もあったし、ギリシャ語、ロシア語、フランス語、イタリア語、英語などで書かれた本もたくさんあった。この年の7月はいつもよりかは、少し気温が低いようだった。手が届きそうな低い空に、雲が流れているのが見えた。時々、三人で近くの湖に泳ぎにいったりした。鳥のさえずりが聞こえ、風にそよぐ木々の葉の音が静かに聞こえてくる。日差しは強く、日は長かった。このまま、ここで永遠に平和を享受して人生を終えたいと思えるほどだった。ほんの、数十キロか数百キロ離れた土地では、血なまぐさい戦闘や、無抵抗の市民に対する虐待が行われていたが、そんなことが嘘のように思えてきた。
夜は、あまり目立たないように、窓のカーテンを閉め、部屋の中の灯りも出来るだけ暗くして過ごした。Kynoはあの10歳の少年のことを思い出した。彼は、今頃どのあたりを移動しているのだろうか。きっと、KynoとNaomiがいきなりいなくなって、困惑しているだろう。誰か親切な人が、彼を日本にまで連れて行ってくれると良いのだが。なぜか、Kynoにはあの少年が未来の世界に大きな使命を負っている気がした。彼には彼の使命があり、そのために生かされたのだろう。そこには、Kynoにはわからない大きな意思が反映されているのだと思った。俺たちも、同じなんだと思った。俺たち三人も、何か大きな意思によって、ここに連れてこられ、そして生かされている。でも、それが何なのか彼にはわからなかった。ただ、ひとつだけ彼にも理解できていることは、彼らはこの戦争が拡大する前に、それを止める必要があるということだった。
Noah「僕のことは大丈夫。」
Noahの声が聞こえてきた。そう、先ほどからNoahの気配を感じていたのだ。Noahの声が、Kynoの頭の中に静かに響いた。
Noah「今、ウラジオストックという町にいます。明後日、日本の敦賀というところに行く船に乗れることになりました。」
Kyno「そうか、さすがにそこまでは、ナチスも追ってこないだろう。」
Kynoはそのまま深い眠りに落ちていった。なぜ、俺はこんなところにいるのだろうか。なぜ、俺には使命があるのだろうか。JayとNaomiとこのまま普通に暮らしていければいいのに。ベッドのなかで、どんどんと気が遠くなっていった。外からは、遠くから獣の鳴き声が聞こえてきていた。この獣は何だろうか。聞いたこともないような鳴き声だった。狼でもないし、山猫でもない。
Kynoは自分を中心とした、球体に大きな映像が映し出されているのが見えた。彼は宙に浮いており、その周りには、古代の世界が映し出されているようだった。そして、その映像とともに、何か声が聞こえてきている。
映像の声「この世界は、2つの勢力によって支配されている。それは古代から続いており、現在もわれわれ人類の与り知らぬところでせめぎ合いが続いている。古代ゾロアスター教でも、善の神と、悪の原理というふたつの勢力の対立が描かれている。また、それらは秩序と混乱であり、光と闇であり、昼と夜であり、火と水である。どちらも永遠に存在すると信じられている。そして、それらは確かに古代より現代まで存在している。残念ながら、人々はすでにそのことを忘れているのだろう。ゾロアスター教におけるザラシュトラの教えは、啓典の教えの中にその名残が残っている。そして、ザラシュトラは、彼が存命の時に、天からの啓示により、西の果ての地に、大預言者が生まれることを知った。彼は、彼の国における三大博士を西に遣わし、その大預言者の誕生を祝福することにした。」
果たして、その大預言者は処女の女性から無事に馬小屋の中で誕生していた。東洋の三博士は、ザラシュトラの予言通り、その処女から誕生した男の赤子とその母親を無事に発見した。そこは、粗末な馬小屋であったが、あたりは夜中だというのに、その小屋は黄金色に輝き、周りには天使と思われる精霊が複数体飛び交っていた。その東洋の三博士は、ザラシュトラの指示どおり、その赤子に神からの祝福を与えた。そして、ザラシュトラから預かっていた、乳香、没薬、黄金を差し出した。博士たちには一目でその赤子の未来が見通せた。数々の奇跡、数々の救済、そして無数の人たちの祈る姿が見えた。三博士は、かれらができうる限りの祝福を与え、そのまま再び東に向かって旅立っていった。
その後、その三博士が無事に彼らの国にたどり着けたのか、誰もわからない。そして、ザラシュトラという人物が一体どういう人だったのかも、今となっては誰もはっきりとしたことはわからない。ただ、彼はこの世界にも通じる一つの真理を次元を超えて残していた。この世界では、ほとんどの人がその真理については知る由もないが、この世界は2つの大きな相反する世界で構成されているということである。どちらが正しいとか、どちらが強いとか、そういう話ではなく、この世界は二つの相反する世界によって構成されているのである。
上の存在「そう、すでに君たち人類は、はるか古代にすでに答えを知っていたのだ。この世界は、ふたつの背反する力、概念、勢力にわかれており、そのふたつの世界は相反するということを。すべてが、均衡しており、どちらが優勢ということはない。全くの完全なる均衡だ。」
Kynoはその映像が目の前に出てきたのか、彼の頭のなかで再生されたのか、彼にはいったいどちらなのかよくわからなかった。正直言って、よくわからない物語だったが、どうもキリストか聖徳太子、どちらかの話だと思った。馬小屋で生まれた歴史上の人物というと、その二人しか頭に浮かばなかった。そして、映像には中東系の肌が浅黒い顔をした人たちが出ていた。その母親、三博士、そしてその赤子も、明らかに白人でもなく、日本人でもなかった。馬小屋の背景になっている空には、様々な光る飛行物体が飛び交っており、深夜の荒野にある馬小屋なのだが、えらく背景が明るく見えた。ザラシュトラという登場人物もその映像に出ていたが、明らかに彼は人間ではなかった。どう見ても、大型の爬虫類のような見た目で、瞳孔は縦に細長く、口は大きく左右に裂け、細長い舌をしていたが、二本足で立ち、人間の言葉を話していた。彼は宇宙から来た異星人なのだろうか。それとも高次元の存在なのかもしれない。いずれにせよ、彼は高潔で霊的な存在であり、人を超越している存在だと思われた。
Kyno「でも、善と悪を比較したら、善が最後には優勢になるのではないですか。」
上の存在「何が善で、何が悪などという絶対的な基準はない。それは君たち人類が勝手に思い込んでいる基準だ。そもそも、人間界の善悪など、時代や地域によってバラバラではないか。」
Kyno「それはそうかもしれません。では、その二つの世界と今のこのわれわれが直面している問題とは何が関係あるのでしょうか。こんな古代の概念を持ち出されても、この血なまぐさい戦いをどうにかすることなんてできないのではないですか。」
上の存在「ところで君は、この世界の始まりを知っているか。」
Kyno「ええ、ビッグバンというものを聞いたことがあります。」
上の存在「そう、ビッグバンだ。ビッグバンの前の世界は?」
Kyno「多分、何もない世界。いや、正直言ってよくわかりません。」
上の存在「そうだ、何も存在しない世界、無の世界、空の世界だ。それでは、全くの0の世界から、君たちが今日目にしている物質にあふれた世界を作るにはどうすれば良いのかわかるか。」
Kyno「いや、わかりません。何もないところから、何かを作るなんて想像できません。」
上の存在「いや、もう君は知っているはずだ。簡単な話だ。0から+1と-1を同時に生み出せばよい。」
Kyno「+1と-1を同時に生み出す。そうか、確かにそうすれば、何かが出てくる。ただ、それらの相反する存在が結合すると、また0に戻るということか。」
上の存在「そういうことだ。君という、Kynoという存在がいる以上、どこかの世界に、-Kynoという君と同等の存在がいるはずだ。ただし、-Kynoが君の前に現れたとたん、君と彼は合体して0になってしまい、君らはもはや存在できなくなる。」
Kyno「ということは、今血なまぐさい戦いを進めようとしている勢力を、マイナスの彼らを使って打ち消すということですか。」
上の存在「そういうことだ。君がNaomiとJayと行うのは、そういうことだ。ヒトラーはもうひとり存在する。ただし、もう一人のヒトラーは、ヒトラーそのものではない、それは、マイナスのヒトラーだ。そして、マイナスのヒトラーは彼の世界で、全く同じようなことをしようとしている。」
Kyno「でも、どうやってそのマイナスの世界を見つけ出し、そのマイナスのヒトラーをこちらの世界に連れてくるのですか。」
上の存在「マイナスの世界は、君たちの世界の裏側に張り付いている。つまり、磁石のプラスとマイナスが一体化しているように、どの世界も二つの相反する世界が結合されているのだ。」
Kyno「そうか、ということは、どこかのバックドアーが開いていると言うことですね。」
上の存在「そうだ、だがそのバックドアーも永遠に開けておくわけにはいかない。君たちはそのバックドアーから裏の世界に侵入し、しかるべき連中をこちらの世界に連れて来なければならない。」
Kyno「理屈はわかりますが、そんな簡単にいくでしょうか。」
上の存在「君たち3人はそれができるようプログラムされている。あとは実行するだけだ。」
Kyno「プログラム?どういうことですか、われわれがプログラムで動くってことですか。われわれは、人間です。自分の意思で動きます。」
上の存在「まあ、いいだろう。いずれにせよ、あとは君たちに予定どおり動いてもらうだけだ。それが上手くいかなければ、私も別の手立てを考える必要がある。数日間そこで待て。君たちを導く者を遣わせる。彼女が君たちの手助けをするだろう。」
Kynoは具体的に何をすれば良いのかわからなかった。理屈はなんとなくわかったような気がする。だが、実際のアクションに落とし込むには、もっとプランを具体化しなければならない。そもそも、そのバックドアはどこにあるのだろうか。バックドアから裏側の世界から、しかるべき人物たちをこちらの世界に連れてくるなどということができるのだろうか。だが、まさに今二つの異なった世界で大きな戦いが始まろうとしている。というか、もうすでに戦いは始まっており、少なくない犠牲者が出ているのである。もう、一刻の猶予も許されない状況にまで人々は追い詰められているのである。こうしている間にも、罪の無い人達がどんどんと命を落としている。Kynoにはそれが受け入れがたかった。大勢の罪の無い子供達や高齢者なども、一部の権力者の欲望を満たすために命を落としているのである。もう、これも何かしらの運命と考え、自分の境遇を受け入れるしかなかった。なぜ自分がという気持ちがあったのだが、どうやら自分と自分の仲間たちがやらなければいけない仕事だということだった。前に進まなければ、元の平和で幸せな世界には戻れないことが、だんだんとわかってきた。
それと、あの声が言っていた、遣いの者とは誰だろうか。彼女と言っていたから、女性なのだろう。いつ、どのような形で彼女は現れるのであろうか。だが、Kynoにははっきりと確信できることがあった。そう、すでに駒の配置は終わったのだ。あとは、上の存在の指示で動けばいい。そう、俺は駒なんだ。駒として指示通り動けばいいんだ。そうすれば、元の世界に戻れる。




