第13章 暗い空間
Kynoは黒く広がる空間に浮かんでいた。そこには、細かい粒子のかたまりが、あちらこちらに人間や犬や猫の形をして浮かんでいた。まるで、それらの粒子のかたまりの人間たちは、普通に歩いて買い物をしたり、書店で立ち読みをしたりしているように思えた。試しに、近くにいた眠っている猫の形をした粒子のかたまりを触ろうとしてみたが、その瞬間にそのかたまりは消えてしまい、その少し先に消えたと同時に同じ姿で現れた。人々が、商店街の中を行き来しているのだが、彼らは全員粒子のかたまりである。でも、彼らはそのことには全く気が付かない様子で、日常を送っているように見えた。そして、いつの間にか、電話ボックスもJayの姿も消えていた。黒い空間に浮かぶ、人の形をした無数の粒子のかたまりの世界。しかも、それらのかたまりを手で触ろうとしても、触ることができない。商店街自体も、粒子で構成されているようだった。建物も、道路も、自動販売機も、自転車も、先ほど商店街にあった位置に、そのまま存在していた。ただ、それは粒子のかたまりの状態で存在しているのである。Kynoにはますますわからなくなってきた、実は今目にしているこの世界が本当の世界で、さっきまでJayと一緒にいた世界が実は幻影なのではないかとも思えてきた。実は、世界は何も変化していなくて、彼自身の認識のみが変化したのかもしれない。そう考えると、物には本当の意味での実体などというものは存在せず、われわれが見ているものは単なる心の中に投影された幻影なのかもしれない。
とりあえず、記号を探そうと思ったが、その記号というものが一体何を意味しているのか、彼には全くわからなかった。周りを見渡しても、記号と思われるものは、どこにも見当たらなかった。そもそも記号というものが一体何なのかさえ彼にはわからなかった。消えてしまったJayのことも心配だった。おそらく彼なら、彼なりになんとか切り抜けているだろうが、NaomiだけでなくJayさえも失うのかと思うと、だんだんと気が滅入ってきていた。この暗闇の世界のなかで、白いチリのような粒子のかたまり達に囲まれて、一体この先どうしろと言うのだろうか。
しばらく、粒子のかたまりでできた商店街の通りを歩いてみたが、何も見当たらなかった。駅の方にも行ってみたが、粒子のかたまりの電車がホームを行き来しているのが見えた。商店街を出て、駅の周辺をいろいろと歩いていたが、どこにも何もめぼしいものは見当たらなかった。Kynoには気が付く手段がないのだが、Kynoが視線を向けた先にある物については、その直前まで波として存在していた物質が、視線を向けた瞬間に粒子のかたまりの物体として収束するのである。よって、彼の周りの世界だけが、粒子で構成された物質で出来上がっているが、それ以外の領域は、いろんな波長の波がただよっているだけだった。波が粒子になり、粒子が物質を構成し、Kynoの視覚にて認知されている。ただ、その物質が本当に存在しているのかはわからない。単純に、Kynoが認識している視覚は、Kynoの心が作り上げた幻影なのかもしれない。そこには、実は何も物質は存在せず、彼の意識が物質が存在していると勝手に解釈しているだけなのかもしれない。電話ボックスに入る前の世界と、今目の前に繰り広げられている世界とでは、同じ世界とは思えるが、見え方が全く異なる。でも、どちらが本当の世界かなんて、誰にもわからない。こちらの波と粒子の世界が実際は本物の世界なのかもしれない。Kynoにはどちらの世界が真の世界なのか、知る由もなかった。
上の存在「Naomiを探しに来たのか。」
Kyno「誰ですか。どこから僕に話しかけているんですか。」
上の存在「Naomiはすぐ近くにいると同時に、ものすごく遠くにもいる。」
Kyno「どういうことですか。まるでNaomiが何人かいるようなことを・・・・。」
上の存在「Naomiだけではない、どんな存在も、複数存在し、それらは時空を超えて、違う場所と時間に並行して存在している。君も例外ではない。」
Kyno「僕も複数存在しているということですか。」
上の存在「それが宇宙の真理だ。君も複数存在しており、違う場所で、違う時間に、並列して存在している。」
Kyno「Naomiに合わせてください。Naomiを元の世界に連れて帰りたい。元の普通の生活に戻してやりたい。何も特別なことなんて望んでいないのです。普通に暮らしていければ、それで満足なんです。」
上の存在「もうひとつの世界にいる君自身に会うといい。彼もNaomiのことを知っている。彼の世界にも、Naomiが存在している。」
Kyno「Jayはどこに行ったのですか。何か知ってますか。」
上の存在「Jayはすでにもうひとつの世界に行っているよ。今頃、君のことを探していると思う。」
Kyno「それでは、別の世界にはどうしたら行けるのですか。行く方法を教えてください。」
上の存在「もう一度、電話ボックスを出しておく。この粒子と波の世界での電話ボックスだ。そこに入れ。あそこには、特別なバックドアを設置している。」
Kyno「さっき見たときは、もう電話ボックスは無くなっていました。」
上の存在「そう、勝手にあそこに入られると困るから、こちらの世界では普段は消している。あれは、この世界を管理する者だけがアクセスできるドアなのだ。」
Kyno「世界を管理する者?いったい、何を話しているのか、わからないのですが。」
上の存在「君はすでにわかっているよ。君の心の奥深くの無意識の中に、君が知りたい情報はすでにびっしりと詰め込まれている。君の行動のほとんどは、君の無意識が自動的に君の体に命令を下して行っている。ほら、君は意識して呼吸をしているのかね。」
商店街の辺りをうろうろと回ってみたが、何もめぼしいものはなかった。仕方が無いので、電話ボックスに戻ってみた。先ほどは、すでに消えていたので、あまり期待はしていなかったが、その場所に行くと、電話ボックスがあった。そしてその隣に、なんともう一人の自分がいた。彼は、着物のような仰々しい衣装を身につけており、なにやらどこかの国の位の高い人に見えた。Jayが言っていた、Kynoにそっくりな人というのは、この人のことだとすぐに分かった。
仮想実体B(Milo)「どうやら、Jayとははぐれたようだな。」
Kyno「ああ、JayとNaomiを探している。彼の居場所は知っているだろう。俺を連れて行ってくれないか。」
Milo「ああ、そのつもりだ。だが、Jayとは会えると思うが、Naomiについては非常に難しい事態が発生している。」
Kyno「難しい事態。どいういうことだ。」
見れば見るほど、MiloはKynoにそっくりだった。というか、一卵性双生児でもここまで同じ容姿というのはありえない。ほくろの位置、瞼の形から、眉毛の濃さ、身長、肌の色、なにもかもが同じ見た目なのである。違うのは、来ている衣類だけだった。
Milo「私の世界に来てもらうことになる。」
Kynoには直感でわかった。あのテレビで報道していた、あの20代くらいの女性が電車に乗っているときに紛れ込んだ世界だと思った。
Kyno「君は、その世界の住人なのか。俺たちの世界とは違った世界なんだろ。」
Milo「そうだ。君にはさっきまで神社で会っていた。気が付かなかったか。」
Kyno「神社?まさか、あの小さいおじさんは、君なのか。それじゃ、記号ってなんだ?」
Milo「君とNaomiは、前世で同じ記号をもった集団に属していた。残念ながら、君たちはその後別々に引き裂かれて、ふたりとも狭い建物のなかで殺された。」
Kyno「Naomiが以前言っていた話と同じだ。俺たちは欧州にいたと言っていた。彼女が大病を患っていた時に、夢のなかで見たことと良く似ている。」
Milo「印とは、三角形が2つ重なったものだ。そして、その印はさきほどまで君がいた君の世界の神社にも刻まれている。今度、神社の石灯篭を良く見てみろ。そこに、三角形が2つ重なった同じ印があるはずだ。」
Kyno「三角形が2つ重なった印。それは、日本にもあるのか。」
Milo「ある。誰も気が付いていないだけで、実はあちこちの神社に存在している。」
Kyno「その印を探せば、Naomiは見つかるのか。」
Milo「わからない。でも、Naomiがその印を探しているのは間違いない。彼女は、前世でできなかったことを現世でやろうとしている。だから、君とその印を同時に探している。」
Kyno「Naomiも俺のことを探しているのか。」
Milo「そういうことだ。」
Kyno「Jayはどうなんだ。彼は一体どういう因縁で俺とNaomiの近くにいるんだ。」
Milo「Jayは君たちを迫害した側の人間だった。でも、彼は君たちを救おうとして命を落とした。彼は、彼の運命を呪っていた。そして、彼自身の手でその呪いを消し去ろうとしていた。」
Kyno「Jayはわれわれの敵だったってことか。」
Milo「敵の勢力に所属していた。だが、彼は君たちの側に寝返った。彼以外にも、君たちを救おうとした人たちは大勢いた。だが、あまりにも敵が強大すぎた。」
Kyno「なぜ、彼は現世で俺とNaomiの側にいるんだ。」
Milo「それは、彼の意識が選んだことだ。彼が生まれ変わる前に、現世の人生を選んだのだ。彼は、前世でも君たちの仲間だった。」
Kyno「でも、彼はわれわれを殺す側にいたということか。」
Milo「そういうことだ。あの時代は、誰も自分の人生を選べなかった。選ぶ勇気がなかったのだ。だが、彼は自分の人生を自分自身で選んだ数少ない勇気ある者のひとりだった。過去には、そういう暗い時代があったのだ。」
Kyno「今のJayには、その当時の記憶は残っているのか。」
Milo「いや、彼のなかには何も記憶は残っていない。だが、彼の意識の深い部分で、君たちに対する特別な感情があるようだ。それは、君たちに対して、許しを請うという感情だ。彼は君たちのために、精一杯やった。そう、あれ以上のことを彼ひとりの力でなしとげることは不可能だった。彼は彼なりに精一杯苦しんだのだ。」
Kyno「今のJayに対して、俺は何の憤りもない。ただ、彼が過去に一体何をしたのかは知っておきたい。」
Milo「そのうち知る時がくるだろう。そして、その事実を知ったとき、君はJayの本当の心を知るはずだ。だが、すでにそれは起こったことだ、しかもそれは今起きていることでもあり、将来起きることでもある。いずれにせよ、それは起きることとしてすでに決められている。君やJayがどうこうできることではない。それは、すでに本に記述されているのだ。」
Kyno「本?いったい、なんの本だ?」
Milo「世界の全ての出来事が記述されている本がある。全ての出来事、過去、現在、未来すべての出来事がすでに本に記述されている。今、われわれがこうやって話をしていることも、すでにその本にあらかじめ書かれている。」
Kynoには意味がわからなかった。ずっと、わからないことが続いている。この目の前にいる、もう一人の自分。NaomiとJayとの前世での関係性。粒子と波の世界。小さいおじさん。別世界の出入り口としての電話ボックス。一体、どういうことなんだ。
Miloが電話ボックスに入ったので、そのままKynoも中に入った。入ったと同時に、ガラス越しにみる世界の景色が歪み始めた。モノトーンの粒子と波の世界が、急に普通の町の風景に変わった。そして、Miloに促されるまま、電話ボックスの外に出てみた。しかし、そこはKynoが知っている商店街とは別の世界だった。看板の文字も読めない、人々の会話も何を話しているのかわからない。かなり違和感を感じる世界だった。一体、ここはどこなんだ。ただ、この世界はなんとなく記憶の中に残っていた。そうだ、あのテレビでやっていた再現ドラマの世界とそっくりではないか。あの電車で別世界に行ってしまったあの20代くらいの女性が紛れ込んだ世界。そうか、Kynoがいる世界とは別に類似した世界があり、その出入り口のひとつが、あの電話ボックスなのだ。でも、Jayと一緒に電話ボックスに入る前に、別の水商売風の女性がなかで電話をしていたが、彼女には何も不思議な現象は起きていなかった。でも、なぜKynoとJayが入ると、別世界に来てしまうのだろうと思った。人を選ぶのか?
KynoはMiloに促されて、電話ボックスを出た。電話ボックスを出た瞬間に、Miloが消えた。そして、KynoはMiloがまとっていた衣装を身に着けていた。一体何が起きたのかわからなかった。Miloはさきほどまで一緒にいたのにも関わらず、電話ボックスを出たまさにその瞬間に消えてしまった。おまけに、Miloが来ていた衣装を自分が身にまとっている。Miloが消えてしまったら、Jayの居場所もわからないし、ましてやNaomiの居場所はますますわからなくなる。しばらく、自分の身に起きていることが理解できず、ただ狼狽するばかりだった。しばらく、混乱していろいろと考えてみたが、その現実を受け入れるしかなかった。しばらくしてから、少し落ち着いてきたところで、気が付いたのだが、目の前に見えている街並みがいつもと違うのに気が付いた。当たり前で、別の世界に存在している町に自分は来ているのである。だが、そういうことではなかった。目にする普通のものが、いつもと異なって見えているのである。例えば、青果店らしき店で売られている、ふつうのりんごの色が赤ではなく、赤紫に見える。電話ボックス内の電話は、普通は薄緑なのだが、青に見える。自分の手のひらを見てみたが、いわゆる肌色ではなく、薄い水色に見えた。ますます混乱してきた。通りを歩いている人々の肌の色も、薄い水色だった。髪の毛は、灰色だった。その色が濃い人もいれば、薄い灰色の人もいたが、全員灰色だった。ふと、目の前を見ると、そこにはJayが立っていた。
Jay「おお、そこにいたのか。探したぜ。」
Kyno「おまえが会ったという、もうひとりの俺に会ったよ。でも、彼は消えてしまった。しかも、なぜか彼が来ていた服を着ている。」
Jay「そうか。彼はお前自身の分身なんだよ。この世界にいたおまえと、元の世界にいたおまえが重なり合って、一つになっただけだよ。お前は、いろんな世界に同時に並行して存在している。そのうちの一体と物理的、時間的に同じ場所に存在することになったから、重なりあって一つになっただけだ。別に驚くことはない。」
Kyno「おまえまで、訳のわからないことを言い出すのか。俺には、いままで起きている出来事が、どれも全く理解できない。そもそも、ここはどこなんだ?」
Jay「俺たちの世界とは別に存在している、別の世界だよ。並行世界だよ。」
Kyno「なぜ、そんなことをおまえが知っているんだ。それと、なぜか見えているものの色がいつもと違う。人の肌とか、果物の色とか、なんかいろんな物の色が違って見える。」
Jay「色にしろ、形にしろ、物体の匂いも触感も、それぞれ人によって全く違うのは当たり前だよ。おまえが、赤と呼んで認識しているものが、他の人にとっては赤紫だったりするのは普通にあることだよ。だいたい、他人の目に映っている色をおまえが直接確認することは不可能だろう。」
Kyno「まあ、確かにおまえの言う通りだけど、そんなこと考えたこともなかった。まあ、確かに他の人に見えている物が、俺に見えているのと全く同じように見えているかどうかは確かめようがないな。で、なんでいきなりこの世界に来た瞬間から、物がいつもと違って見えるんだろう。」
Jay「おそらく、もうひとりのこの世界に存在しているおまえの知覚に切り替わったんだろう。いや、俺にも正確なことはわからん。」
Kyno「Naomiは見つかったのか。」
Jay「いや、一歩遅かったみたいだ。ただ、彼女は印を残していったよ。」
Kyno「印って、どんな印なんだ。」
Jay「三角形をふたつ、重ね合わせた印だ。一つは逆三角形だ。俺たちがいた神社の石灯篭にも同じ印が刻まれている。」
Kyno「印はどこにあったんだ。それをたどれば、彼女にたどり着くのか。」
Jay「俺は、過去の人生でおまえとNaomiに会っていたことを思い出した。俺はお前とは親友だった。お前とNaomiを救うために、いろいろと動いたんだ。おまえは思い出せないか、その時のことを。」
Kyno「それは、以前Naomiが夢で見たという世界と似ているな。ということはあれば夢ではなくて、彼女は過去を思い出していたということか。」
Jay「いや、それはわからない。俺にもわからないことが多い。とりあえず、その印のある場所に行こう。」
Jayが先に歩きだしたので、Kynoはそれに続いた。記号のある場所は一体どこなんだろうか。そこに行けば、Naomiが見つかるのか。商店街を出て、しばらく歩いたあと、電車に乗った。この別の世界で上手く電車に乗れるのかわからなかったが、Jayの言う通りに切符らしきものを買って、電車にのり2駅行ったところで電車を降りた。外は、暑くもなく寒くもない、ちょうどよい気温だった。空は、青いと言いたいところだが、空はクリーム色だった。相変わらず、周りの世界はいろいろと違和感がある。特に、色が微妙に慣れ親しんだ色とはことごとく異なっている世界だった。よく見ると、人々の眼球の色も緑だったり、オレンジだったりして気味が悪かった。道路は舗装されているのだが、元の世界の道路よりももっと霞んだ薄い黒だった。そもそも、別の世界だから色が違って見えるのか、自分の知覚がMiloのものに切り替わったからそう見えるのかさえわからなかった。ややこしい世界だと思った。いろいろと考えているうちに、Jayは神社の中に入って行った。
Jay「ここだよ。」
Kyno「なんだ、いつもの神社じゃないか。」
Jay「見ろよ、この石灯籠に刻まれている印。」
Kyno「確かに、三角形が2つ重なっている印だ。全く気が付かなかった。元の世界にある神社にも、こんな印があったのか。」
Jay「あったはずだ。誰も気にしてもいなかったけど。でも、俺はなんとなく、すごくこの印に気がひかれていた。なんだろう、遠い記憶のなかに、この印がはっきりと刻まれているというか。さっき、ぼんやりとだが、お前とNaomiと前世で会ったことがあることを思い出したって言ったけど、そこで何度も見ていた印だ。」
Kyno「あの小さいおじさんが、印を見つけろって言っていた。それと、俺にやって欲しいことがあるって言っていた。この印を見つければわかると言っていたけど、どういうことなんだろうか。」
Jay「おそらく、Naomiにたどり着けば、そのやってほしいことというのが何なのかわかると思う。俺もお前と一緒に行くよ。」




