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第10章 仮想世界D

 火星に人類が送り込まれて、200年以上が経過した。火星のテラフォーミングは、いろいろと紆余曲折があったが、ようやく軌道に乗りかけていた。まだ、火星の表面積の2%程度しか開発ができていなかったが、火星人類は徐々にいろいろな面で力をつけてきた。まるで、アメリカが独立後に、粛々と経済力と軍事力を発展させてきたように、この火星人類も火星自治政府を樹立し、いまや地球の各国政府からの独立を画策するようになってきていた。元々、火星には地球上の複数の国家から、定住化のための移民が送り込まれていたが、徐々に火星人類は国籍は異なっても、本国政府よりも、同じ火星に暮らす別国籍の人々を同志と考えるようになり、火星政府が樹立された。ただし、火星政府は地球上のどの国家からも未承認国家と見なされていた。特に、火星開発に莫大な投資をしてきた主要国の政府内では、独立阻止に向けた働きかけが計画されていた。米国、ロシア、中国、日本、欧州、インドの6大勢力は、火星の独立運動に際して外交交渉か軍事的介入かで意見が割れていた。火星自治政府側も、火星人民軍という軍事組織を編成し、万が一の軍事介入に備えていたと同時に、こちらも外交交渉の糸口を探っていた。


 まだ、いわゆる兵器を使用したホットウォーは始まっていなかったが、それらに先行して、いろいろな戦いが水面下で進んでいた。一つは、サイバー戦争で、敵方のシステムに侵入したうえ、システム破壊、機密情報の獲得、システムの乗っ取りなどの古典的な戦いが進行していた。いわゆるシギントと呼ばれる古典的な戦いであった。また、一方では、サイキック戦が繰り広げられていた。これらは、脳の能力拡張処置を施された、一部のサイキック能力を持った人たち(能力者)によって戦われる戦いであった。こちらは、精神的な肉弾戦に近い戦いだが、敵方の一般人、一般兵士を遠隔で操ることをしたり、敵方の軍事基地の場所や能力を遠隔で遠視する能力などが含まれる。また、当然従来から行われてきた、インテリジェンス活動による情報収集も実施されていた。ただ、従来からのインテリジェンス活動では、入手できる情報が限られたり、いわゆるヒューミントによる活動でも、スパイの命がリスクにさらされたりするため、かなり限定的な戦いである。これらは、いわゆるコールド・ウォーと呼ばれ、いまやコールド・ウォーの主戦場はサイキック戦となっている。


 火星からは、地球に様々な資源が送り込まれていたが、一方的な富の流出に対して、地球からの投資は徐々に減少してきていた。火星で採取できる食料はまだ限定的であり、食料自給率を上げる必要があったが、地球側の関心は火星から送り込まれる、金、銀、その他貴金属、ダイアモンド、その他宝石類、レアメタルだけであり、火星に定住している火星生まれの人類に対するサポートが不足していた。火星における資源の採掘については、地球の資本家の資産であるため、彼らは火星人類の労働力と土地を使って、利益を最大化することにしか関心がなかった。また、地球から火星に送られてくる移住者のほとんどは、地球に居場所が無くなったような、犯罪者や重大負債者などであり、それも火星人類には不満だった。ただ、火星では重力が軽い分、様々な物の加工や混合が地球よりも容易であり、品質の良い資源製品が自動化によって大量に生産されている。一方で、生活用品の極度の不足により、インフレーションが進み、人々の不満は募るばかりだった。


 また地球勢力は、意図的に火星の通貨の偽通貨を大量に流通させ、更にインフレーションを加速させており、それが火星社会を混乱させていた。とはいえ、すでに貨幣は電子貨幣となっていたが、地球勢力は火星の電子通貨システムにアクセスし、その総通貨量を増やしていた。そもそも、火星の中央銀行のシステムに侵入し、通貨量の増減を実施すること自体が火星政府の主権をないがしろにする施策である。これだけでも十分、宣戦布告に相当する事態である。地球勢力は、物資の供給をする代わりに、一時的な対応策として、各火星人類の電子通貨口座の残高を割り増ししたのだが、当たり前だがインフレーションを起こすだけで、何も経済的な解決にはなっていなかった。火星政府は、地球からの物資の供給が止まりつつあることを重大にとらえ、火星資源の輸出を停止した。その後、地球側のいくつかの勢力が、火星に対する武力介入の本格的検討を始めたとのことで、火星自治政府内では緊張が高まっていた。

 

 地球勢力からは、火星政府軍の兵力を探るため、いろいろなサイキック戦を仕掛けてきていた。一方の火星政府側も、地球勢力からのサイキック攻撃に対して、同じサイキック能力による防御網を築いていた。地球勢力側の能力者からは、しきりに軍事基地内の遠隔透視が行われていたが、一部の火星人類はそれを感知することができた。中国系を先祖の持つ3人兄弟のCheng兄弟(Lun, Ren, Xin)も能力者で、彼らもまたサイキック戦に参加していた。火星人類内にも能力者は多数おり、地球勢力側と比較しても遜色ないほどのサイキック戦力を備えていた。ただ、最近不思議なことに、地球勢力とは別の勢力が彼らの基地を遠隔透視していることがわかってきた。最初に彼らがそれを感じたのは、ある軍事基地内で従軍していたときだった。彼らの上から彼らを遠隔透視している者がいることがわかった。若い男女が別々の場所から同時に遠隔透視をしているようだった。しかも女性のほうは、どうもこの世界とは別の世界からさらに別の世界に移動中に遠隔透視を行っていたことがわかった。すでに、数十年前に彼らが存在している世界とは別の世界があるということが理論的には証明されており、いわゆる並行世界もしくはパラレルワールドという言葉で呼ばれていた。ただ、現時点ではいわゆる別世界に物資を送り込んだり、その同じ別世界から物資をこちらの世界に戻す方法はわかっていたが、特定の並行世界を選択して何かを送り込むことはできなかった。実際、技術的には別世界との物資のやり取りは可能だったものの、理論的にその現象が解明されたわけではなかった。また、意図的に別の並行世界に人を送り込むことは倫理上の観点から、国際条約によって禁止されていた。


 地球勢力も同じことを研究しており、どちらが先にこの技術を獲得するかが、この先の独立戦争の行方を大いに左右することとなる。というのは、並行世界の時間の進み具合が実際は一定ではないため、ある並行世界を経由して元の世界に戻ってきた場合、その時間の進み方のずれによって、少し未来に戻ってこれたり、少し過去に戻れたりすることがわかってきていた。火星から地球に攻撃をしかけるにしても、今の技術ではあまりにも距離が離れているため、例えば長距離ミサイルをいくら地球に向けて発射したところで、地球に到達するまでには、ミサイルが検知されてしまい、容易に迎撃されてしまうのである。地球と火星が最も接近している時でも、光速で3分程度かかるため、実際のミサイルは光速よりもはるかに遅いため、地球到達にはもっと時間がかかるのである。だが、ミサイルを一旦別世界に移動させ、別世界の中で地球に近づけ、地球近傍でこちらの世界に戻せば、地球勢力から見たら、いきなり地球近くにミサイルが突然出現するため、迎撃がより困難になるのである。さらに、こちらに世界よりも数日間進んでいる別世界があれば、そちらの世界にミサイルを並行移動させ、すぐにこちらの世界に戻せば、ミサイルはその時間差分だけ早く地球に到達することができる。もちろん、地球側もそのことには気が付いており、並行世界との行き来を彼らも研究しているようである。


   話は、遠隔透視の件に戻る。それら2人の遠隔透視を行った能力者たちは、最初は地球勢力と思われたが、どうやら第3の勢力の能力者ではないかと思われた。遠隔透視がなされる場合、どちらの方向から遠隔透視されているのかはっきり把握できるが、先日発生した事例では、遠隔透視の方向が特定できなかったのである。最初は、地球側が方向を隠す新技術を適用したのかと思われたが、方向を隠したところで、遠隔透視が実施されていることは容易にわかるため、方向だけ隠すことに何もメリットは無いのである。よって、地球勢力からの遠隔透視とは思えなかった。一方で、第3の勢力といっても、他にこのサイキック戦争に割り込んでくるような勢力の存在は彼らには思いつかなかった。彼らは、その能力者の姿を透視しようと意識を集中させたが、相手の姿をはっきりと認識できなかった。しかし、彼らがどのような意図をもって、彼らの基地内を遠隔透視していたのかわからなかった。火星人民軍本部には報告を行い、専門官が調査に乗り出したが、はっきりとした足取りはわからなかった。ただ、興味深いことに、それらの遠隔透視は約250年前の過去からなされたようであることがわかった。250年前といえば、まだ火星に人類が送り込まれる前である。時間軸を超えて、彼らの監視を行うことが可能だということは理論的にはわかっていたが、実際の実例を見るのは初めてだった。しかも、250年前と言えば、まだそのようなサイキック能力が発見される前の時代である。サイキック能力が発見されてから、まだたかが50年程度しか経過していない。


 たしかに、約250年前の地球でも、そのような能力者がいたことが記録されているが、実際に実戦に投入されたという記録はない。いくつかの国で、遠隔透視の実験は確かに行われたものの、10年程度の研究期間を経て、全ての計画が無期限停止になっていた時代である。過去の主要国の軍部が、試験的な試みとして、彼らの世界を見てみたのだろうか。ただ、それを見たところで、250年前の彼らには、理解できたとは思えない。火星人民軍本部では、次回そのような遠隔透視がなされた場合、逆探知を実施のうえ、相手方を特定する体制が組まれたようだが、結局その後過去からの遠隔透視の事例は報告されなかった。Cheng兄弟も人民軍本部で面談で複数回呼ばれたが、彼らには第3勢力と思われる遠隔透視者からは何も敵意は感じられなかったと報告した。かすかに残る、彼らの遠隔透視の残照から、過去の日本が発信元であることがわかってきた。確かに、現在進行形の地球勢力との争いでは、日本も地球連合軍側であるため、敵国ということになる。ただ、火星への移住が始まる前の日本が、その時代に存在もしていない遠く離れた火星の国家に対して、遠隔透視をする必然性がない。さらに、その時代にはサイキック能力自体が、科学ではなく、単なるオカルトとして解釈されていた時代である。

 

 Amit(火星人民軍サイキック司令官)「彼らの姿は見えましたか。」

 

 Lun「見えませんでしたが、彼らの存在を感じることはできました。男性1名、女性1名です。敵意は感じませんでした。」

 

 Ren「私も敵意は全く感じませんでしたが、おそらく彼らはわれわれからの敵意を露骨に感じていたと思います。なんせ、地球勢力の連中と思っていましたから。」

 

 Amit「約250年前の日本から遠隔透視されていたそうですね。」

 

 Xin「はい、間違いありません。われわれ3人とも同じ見解です。われわれは、場所の特定、時間の特定について高度な訓練を受けてきました。間違いありません。」

 

 Amit「あなた方の祖先はどこからですか。」

 

 Lun「中国です。ですが、われわれは火星政府に忠誠を誓っております。」

 

 Amit「もちろん、そのことに疑いは持っておりません。彼らは、別々に遠隔透視をしてきたと報告書にあります。彼らは同じ組織には属していないとお考えですか。」

 

 Lun「わかりません。ただ、われわれが存在しているのと同じ時間軸の過去の世界からのアクセスには感じませんでした。うまく言えませんが。」

 

 Amit「別世界とか、別次元の世界とか、そういったところの人たちということですか。

 

 Xin「いや、兄の言っていることは、あくまでも仮設です。ただ、私も彼らがわれわれと同じ時間軸上の過去に存在しているとは思えませんでした。約250年前というのも、発信元が日本だというのも、そう感じただけです。」

 

 Amit「それでは、はっきりとした根拠はないと・・・。」

 

 Xin「ええ、根拠はありませんが、われわれ3人ともそう感じたのです。2つの波が偶然重なり合って、共振が起きるように、彼らの波長とわれわれの波長が偶然重なりあったというか。」

 

 Amit「ということは、彼らにはわれわれに対する攻撃の意図も意思もないということですか。」

 

 Ren「ええ、彼らからはいっさいの脅威は感じませんでした。ただ、その波長の重なり合いがどうやって起きたのかわかりません。原因が説明できないため、同じことを再現する方法は現時点ではわかりません。」

 

 Amit「先ほど、彼らはわれわれとは同じ時間軸上の過去には存在していないとおっしゃってましたが、それが正しいとしたら、彼らはいったいどこに存在しているのですか。」

 

 Ren「おそらく、まだ証明はされておりませんが、さきほどあなたがおっしゃったとおり、別次元の世界に存在しているものと思われます。」

 

 Amit「例の多次元世界というやつですね。私も話は聞いたことがありますが、まだ存在は証明されてませんよね。みなさんは、その能力を使って、別次元の世界のことも見えるのですか。」

 

 Xin「わかりません。ただ、たんなる遠隔の透視と思っていた出来事が、実は時空を超えた、別の世界の出来事ということはあり得ない話ではありません。なにしろ、サイキック透視自体、まだわからないことだらけですから。」

 

 Lun「われわれは、実用的だからこの能力を使っている。だが、その能力の詳細はまだ全て解明されたわけではない。だから、あらゆる可能性が考えられます。ただ、ひとつ断言できるのは、彼らはわれわれにとって脅威ではないということです。」

 

 Ren「専門官、彼らは確かに実体として存在しています。もしくは、かつて存在していたと言うべきかもしれません。」

 

 Amit「しかし、その2人は別々に存在していると。」

 

 Ren「ええ、それは間違いありません。同じ時間軸上のサイキック透視は理論的には可能と聞いております。ただ、このケースは別の時間軸上からの透視になります。これは、過去には事例がありません。」

 

 Amit「わかりました。どうやら、あなた方には、他のサイキック能力者とは異なる力があるようですね。出来れば、サイキック心理作戦軍の研究所で、いろいろと調査したいのですが、よろしいですか。ただし、私は強制はできません。みなさんが、国のために役に立ちたいと考えるのであれば、是非協力をお願いしたい。」

 

 Cheng兄弟「われわれは、よろこんで協力いたします。」

 

 Amit「よろしい。それでは、後日改めて、こちらから招集をかけます。辞令が出るまでは、今の部隊で待機してください。」

 

 火星では、地下水脈が次々と発見されており、それらを活かした農業、工業の発展が期待されている。地下水脈がどこで、どの程度のものが発見されたかということは、重要な国家機密になっており、特に地球勢力には絶対に知られてはいけない情報であった。火星の大気のほとんどが二酸化炭素だったが、地球から持ち込んだいくつかの植物を使って、徐々に酸素を増やしていく計画だったが、かなり大がかりで時間のかかるプロジェクトだった。電気は太陽光を電力に変換していたが、地球のようになんらかの動力を使ってタービンを回して電力を生み出すことは困難であった。地球連合軍との戦争とはいえ、距離が遠いため、相手からの物理的な攻撃も、こちらに到達する前に全て検知できるため、今のところ上手く防御できている。火星政府は、地球上にあるいくつかの国家と同盟を結びたいと考えていたが、なかなか同盟相手が見つからなかった。火星政府と同盟を結んでも、その同盟国が被害を受けるばかりで、彼らにはあまりメリットがないからであった。火星政府は、あえて地球に遠征軍を派遣する意図もなかった。彼らは、地球連合軍が火星政府軍を屈服させることができないと認識するまで、戦争を引き伸ばしたかった。物理的な戦いを行っても、彼らには何のメリットもないのである。外交交渉なども、いくども持たれた。火星政府の要求は、単純だった。独立を認め、国家承認を得ること。そして、いま止めている地球からの物資の供給を再開することである。更に、犯罪人の送り込みを停止することであった。物資の供給を止めて、圧力をかける政治的な方法は、双方にとって経済的な損失が多く、出来れば、火星政府としては貿易の再開を望んでいた。地球側の6大勢力は、火星に投資を行った分のリターンを求めてきたが、それを全て返済していたら、火星政府は財政破綻をしてしまう。今後、数十年にわたって、資源を無料で送り込まなければならないような無理な要求は飲めなかった。地球側に火星人類の代表を送り込み、彼らの国政に参加させる案も出たが、ほとんどの火星人類は独立を求めていた。


 火星には6大勢力からだけでなく、地球上のさまざまな国からの移民が暮らしていた。火星通貨であるマーズは、地球の基軸通貨である円と連動するように自動的に調整されていた。いまや、どの国でも中央銀行の役割は、AIに置き換わり、AIの経済状態の観察によって、自動的に政策金利が設定されている。円とマーズの交換比率も常に同じ為替レートになるように、通貨供給量が調整されていたが、地球勢力は火星中央銀行の口座に不正にアクセスして、そこから各住人の口座残高を増やしたりした。ここでも、戦争が起きているのである。


 Cheng兄弟がサイキック心理作戦軍研究所に来てから、数か月間が過ぎた。彼らは、彼らの前に姿を現した、あの3人の存在について、あらゆる可能性について検討を行った。同じ時間軸の住人ではないということは、彼らの能力から明確にわかっていたが、彼らがいったい何者なのかはさっぱりわからなかった。どういう意図で彼らの前に現れたのかもわからない。しかも、過去の日本からの干渉。敵意はない。わからないことだらけだった。もはや、彼らは意図してCheng兄弟の前に現れたのではなく、何かしらのエラーが発生したとしか考えられなかった。そして、その手掛かりになるような事態が発生した。その2人のうちの一人が、なんと火星政府の庁舎にある日突然現れたのである。その人物は、やはり遠隔透視どおり、日本人の女性だった。


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