2.死者の帰る日(1)
マイラが北の町に住み始めて一年が経った。
町一番の商会の娘と懇意なせいか、町に薬師がいなかったせいか定かではないが、よそ者のマイラは町の人達に比較的好意を持って受け入れられた。
玄関から来客を告げる音がしたため、扉を開けると角のパン屋の女主人が立っていた。
「マイラちゃん、胃のむかつきが続いてるんだけど、薬をお願いしてもいいかしら」
「用意するからちょっと待っててね」
顔色は悪くない。話を聞きながら胃が疲れているかもしれないと、棚から魔法薬の瓶を取り出すと、薬の飲み方について説明をする。
「この瓶を三回に分けて食事の前に飲んでね。もし飲み忘れたら食事の後でもいいけど、効果は薄れるからできるだけ空腹の時にね」
「いつもありがとうね。マイラちゃんの薬は良く効くから助かってるわ。これ良かったら食べて」
魔法薬の代金代わりに女主人がパンの入った紙袋をマイラに差し出した。パンの香ばしい匂いが辺り漂うと、マイラの腹が小さな音を立てた。
「ありがとう。早速お昼に食べるわね。おばさんのパンは本当に美味しいから嬉しい」
「お祭りには行くの?」
「人混み苦手だし家にいると思う」
魔法薬の入った瓶を受け取ると、パン屋の女主人は玄関から出て行った。
もらったパンを台に置いて薬草棚を点検していると、いくつかの薬草の残りが少なくなっている。よく使用する薬草のため補充した方がいいだろうと判断し、採りに行くことを決めた。
昼食の後片付けをすると、薬草採取に必要な道具を持って出かける準備を始める。
動きやすい格好に着替えたマイラは、玄関に鍵をかけると一人でも運べる小さな台車を引いて町外れの森を目指した。
森へ向かうマイラの耳に、甲高い楽器の音と祭りのざわめきが聞こえてきた。
「死者の祭りか」
今日から三日間、死者が愛しいものに会いに帰ってくる祭りが開催される。愛しいものとは家族であったり、恋人であったり、親しい友人だったりもする。
故人を悼んで悲しむのではなく、楽しく騒いで死者迎え、期間が終われば死者の国へ送り出すための祭りだ。
期間中はこの町だけでなく国中が賑わいをみせ、音楽に合わせて大声で歌い、酒を飲んで日常を忘れて祭りに没頭する。
祭りの中心となる広場には、死者を出迎えるための豪華な祭壇が設営されていた。
色鮮やかな花が飾られ、故人の思い出の品や好物、絵姿等が供えられている。壇上にある果物からは甘酸っぱい匂いがし、飾られた花からは甘い香りが漂っている。
露店が町のあちこちに出店し賑わっているが、本当の盛り上がりを見せるのは日が沈んでからだ。祭りを訪れる人の数は昼間の比ではない。
マイラがもし会えるのなら、喪った大切な友人に会いたかった。共に育った兄弟とも言える大切な茶色の大きな犬。
聞こえてくる音楽から遠ざかりしばらく歩いていると、森の入口に辿り着いた。
どこに何が自生しているかはおおよそ頭に入っているので、あとは時期と天候を考えながら向かう先を考える。森の奥は凶暴な獣がいるかも知れず危険なので、できるだけ森の麓で採取するようにしている。
群生している多年草をかごいっぱいにしたところで、何かに呼ばれたような気がして振り向いた。
目を凝らすと木陰に丸い形をした薬草が自生していた。火傷に効く薬草で、表はつるりとしているがひっくり返すと柔らかい毛が生えている。手に取ったマイラの頬が思わず緩む。
「立派な葉っぱ」
思いがけない収穫に喜んでいると、視界の端に白く光る何がが見えたような気がした。不思議に思って草をかき分けると、茸が地面に環状をなして生えていた。
白くてコロンと可愛い茸が描く円は、マイラ一人が優に入る大きさだ。
珍しい光景にマイラが見入っていると、小さな笑い声が聞こえた。声のした方をマイラが振り返ると、陰った木の陰から漏れ見える茶色の尻尾が目に入った。
「……狼?」
息を呑んで警戒するがそれが動く様子はない。逃げるにしても、相手の状況を把握してからでないと逆に危険だろう。
足音を立てないようにそっと茂みを覗くと、そこに寝ていたのは茶色の毛並みをした大型の犬だった。
「ギル!」
マイラは犬に駆け寄るが、犬が起き上がる気配はない。よく見るとあちこちに血がついていて、怪我をしているようだ。腹は上下しているので死んではいないようだが息が荒い。
致命傷となるような傷がないことを確認すると、マイラは茶色の犬を抱き上げた。懐かしい毛並みに何度も頬ずりすると涙が溢れ出た。
「会いに来てくれたのね」
今日は死んだものが愛しい者のところへ帰ってくる日だ。
載せていた薬草をすべて払い落とし、犬を抱き上げると傷を気にしながら台車に乗せた。無理のない体勢で寝かせると、できるだけ振動がないように台車を引く。
出血している傷は思ったよりも深く、寝かせているだけで傷に巻いた布がすぐに赤く染まった。
「ギルが戻ってくれた」
あの日血まみれで死んだ大切なギルが、再びマイラの前に姿を現した。救うことができなかった命が、目の前で息をしている。
「今度は絶対に助けるから」
行きよりも随分と重さの増した台車を引きながら、流れ出る涙もそのままにマイラは家へと急いだ。
家に帰り着いて、台車から降ろしたギルを毛布の上に寝かせると、出血している場所を注意深く調べる。どうやら獣に噛まれた傷のようだ。
ギルの腹にある古い傷に気付いたマイラは、息を呑んで傷跡に指を這わせた。
出血している場所の周りの毛を鋏で切って、出血を止めるための粘度の高い薬を塗る。薬の塗布された場所を目の粗い布で傷を覆うと、剥がれないように包帯で巻いた。
はっはっと舌を出して苦しそうに息をしているが、ギルは間違いなく生きている。
「会いたかった」
懐かしい毛並みを優しく撫でると、どうしようも涙が止まらなくなった。
どれくらいの間そうしていたのか。窓から入る赤みを帯びた光が窓越しに長い影を作っている。
いつもは早く終わればいいのにと思いながら過ごして祭りの期間だが、今日は違っていた。三日間だけでなく、この祭りがもっと長く続けばいいのにと、マイラは茶色の背中を撫でながら願わずにいられなかった。
死者は祭りが終われば、死者の国へと帰っていく。
「ずっと私の側にいて」
怪我の治療を終えたマイラは、どうかいなくならないでとぎゅっと犬を抱えたまま、いつしか眠りについていた。
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呪いを受けた。
愛せと言われて無理だと断ったら魔法をかけられた。
『愛してくれないのなら、私を愛するまでどこにも行かせない』
粉屋の女が狂気じみたことを言っていた。
女と一緒にいた、見たこともない鷲鼻の男に何か魔法のようなものをかけられたことは覚えている。
目の前が霞んで膝をつくと、かごを抱えた粉屋の女が近づいてきた。
朦朧とする意識の中でここにいては捕まると思い、必死に暴れて逃げ出した。あのまま連れ帰られたら一生取り籠められたに違いない。
追いかけてくる女達を撒いて、近くに停まっていた荷馬車の荷台に逃げ込むと、そこで意識が途切れてしまった。そのまま荷台で倒れていたのだろう。気がつくと知らない道を馬車が走っていた。
そこで初めて獣になっていることに気づいた。見たことのない前足と、明らかに感覚の異なる体。急いで荷台から飛び降りて、自分の居場所を確認すべく辺りを探った。
周りを野犬に囲まれたと気づいたのは、四方からうなり声が聞こえ、暗闇の中に光る獣の眼光を見つけた後だった。知らぬ間に野犬の縄張りに迷い込んていたのだろう。
何匹もの野犬に追われ噛みつかれ、必死になって野犬をまいたところで力尽きた。
目が覚めたのは夜も更けてからだった。自分を拘束する何かに警戒して目を開けると、目の前にあったのは女の顔だった。
拘束されているのではなく、抱きつかれているのだと気づいたのも同時だった。床の上で涙を流しながら抱きついているのは若い女だ。
緩い癖のある金髪が床に無造作に散っている。少しばかり気の強そうな端正な顔をした女は、自分と変わらないくらいの年齢に見える。
視線を下げると前足に巻かれた包帯が目に入った。どうやらこの女が怪我の治療をしたらしい。危害を与えられることはなさそうだとほっと息を吐くと、重くなった瞼を再び閉じた。
部屋中に薬草の匂いが充満している。悪い匂いではないが、犬の嗅覚には強すぎると思った。




