第六話
その視線にケイトリンも気が付き、思わず身体に力が入る。何か厳しいことを言われるのではと身構えていたが、予想に反して王妃はすぐに視線を外すと、無言のまま身を翻し席に着いた。すると隅に控えていた従者が素早く動き、用意していたグラスに酒を注いでうやうやしく王妃に手渡した。
おいおい、ここは神聖な裁きの塔だぞ、酒はないだろう。
パドフだけでなく、そこにいた全員が心の中で似たようなことを思ったが、勿論、それを口に出せる勇気のある者は誰もいない。
場の空気が音もなくざわついた時、中央の扉からもう一人、黒衣の男が現れた。少し時間に遅れた彼は裁判官への挨拶も省略して、足早に王族の席に向かった。
「姉上、遅れてしまい申し訳ありません……」
王妃の隣の席に落ち着くと、コリックス男爵は小声で囁いた。
「予想外の情報が入りまして」
「……何のことですか、ロバート。この大事な時に」
「それが実は……」
場をわきまえずひそひそ話を始める姉弟に、さすがに裁判官も苦い顔をしたが、小さく咳払いをしただけで何も言わず、手振りで全員に着席を促した。
「これより開廷する」
一呼吸置いて、裁判官は言った。
「……被告人、入りなさい」
裁判官が警備兵に目配せを送ると、兵はすぐに右側の扉を開けた。そこから現われたのはアレクを先頭に近衛兵たちに厳重に取り囲まれたひとりの青年だった。彼は軍服を着ていたが、軍人らしい堂々としたところは一切なく、手錠を掛けられ、腰を縄でつながれ、諦めたように項垂れて歩いている。証言台の後ろにある被告人席に倒れこむように着席した。
その様子は既に囚人のようで、項垂れた顔は青白くやつれきり、少し離れたところにいるケイトリンの目にもその様子は、はっきりと見て取れた。
……ああ、なんてこと。
あんなにも輝いていたセドリックさまがこんなお姿になるなんて……。
顔を覆ってしまいたくなるのを、彼女は何とか抑えて、必死でその場に耐えていた。
「大丈夫ですか」
そっとパドフがケイトリンに囁いた。弱々しく頷くことしかできないケイトリンにパドフは優しく言った。
「我々、証人の出番はまだ先ですが、耐えられますか?」
「……はい。あ、あの、裁判なんて初めてで、これからどのようなことが行われるのでしょうか?」
「そうですね、通常の裁判なら、先ずは裁判官から出廷した人物が起訴された人物に間違いないか、確認の質問が行われます。今回の被告人はこの国の民なら誰でもが知っている人物ですから、形だけのものになるでしょう」
「そうですか……」
ケイトリンは恐る恐るぐったりと座り込んでいる青年の背中を上目遣いにみつめる。
どうしてこんなことになってしまったのかしら。
今更、と思いながらも、彼女は疑問を感じずにはいられなかった。
ほんの数か月前までは私たちは平凡な娘で、色々な悩みを抱えながらも、それでも穏やかで幸せな日々を送っていた。なのに……本当にこれは現実に起きていることなの? まるで夢の中にいるようだわ。冷たくて暗い悪夢の中に……。
「……被告人、立ちなさい」
裁判官の声にケイトリンは、はっとして顔を上げる。少し遅れて反応した被告人は、自立できないほど疲弊しているのか、両脇を兵に支えられながら立ち上がった。
「名前を言いなさい」
「……セドリック」
低くかすれた声で彼は答えた。
「シアーレン公だ」
「間違いありませんか」
「間違いない」
「では……」
「お待ちください」
質問を続けようとした裁判官の言葉を遮ったのはグレイシア王妃だった。王族であろうと神聖な裁判の進行を妨げることはあってはならないことだ。静かだった場内が途端にざわつく。
「王妃さま、ここは裁きの塔です。許可なき発言はお控えください」
裁判官が顔をしかめてたしなめたが、グレイシアは意に介さず、はっきりとした声で言葉を続けた。
「間違いを正そうというのです。そこの被告人」
と、グレイシアはお酒の入ったグラスをサイドテーブルに置くと、まっすぐにセドリックを指さした。
「それは本当にシアーレン公ですか」
「何ですと? それはどういう意味です?」
「勿論、偽物ではないか、という意味です。直ちに確認なさい」
王妃の発言に裁判官だけでなく、その場にいた全員が凍り付いた。
何ですって?
ケイトリンは思わず息を呑む。
では、この方は……誰だというの?




