第五話
時計の針がいよいよ正午をさそうという時、裁きの塔に召喚された人々の緊張と不安は頂点に達しようとしていた。
セドリック殿下の部下が裁きの塔を急襲するという噂が流れる中、警備はいつもにまして厳重で、彼らはぴりぴりする空気の中、警備兵によって塔内にある大法廷に案内されていた。
裁判官が座る法壇を中心に、右側が被告人を守る弁護人、左側に事件の訴追を行う検査官の席がある。そしてその後ろの一段高い所に設けられているのは、王族が裁判を傍聴するために設けられた席である。まるで観劇を楽しむような豪華なつくりの一画は法廷に不似合いなようで不思議とこの場の空気に溶け込んでいた。
裁判官と距離を取って向かい合うように設置されているのが被告人や証人が立つ証言台。その更に後方にあるのが事件の関係者などが座る傍聴人の席となる。証人として呼ばれた面々はその最前列に落ち着かない様子で着席している。彼らはお互いを探るように控えめながらも視線を交わし合うのに忙しく、大法廷の大理石の壁や細かなレリーフが彫り込まれた木製の扉、ステンドグラスをあしらった美しい窓など、本来なら目を見張るような装飾に誰も関心を向けていなかった。
黒色の正装に身を包む人々の中で、ひとり軍服を着た初老の男がいた。彼はセドリックが軍に入ったばかりの頃、指導を任されていた上官だった。名をパドフという。
パドフは今回の裁判を密かに苦々しく思っていた。
王命だ、と言われれば拒むわけにはいかないが、殿下の素行の悪さを証言しろとはずいぶんと無茶な話だと思う。確かにセドリックには手を焼いたが、しかし、軍人としても次期王としても光るものがある彼を、このような形で潰してしまうのは気が進まない。だいたい私が知っているのは十代の頃のセドリック殿下だ。そんな昔の証言が今更何の役に立つというのだ。
溜息をつきつつ、彼は隣に目を移す。
その席に座っているのはうら若き女性だ。彼女は例の、殿下に一方的に婚約破棄されたというウィルローズ家の令嬢だろう。
不利な証言をして、殿下を追い落とそうとでもいうのか。それとも私同様に強制されたのか。
思いを巡らせていると、視線に気づいたらしく令嬢が不意に顔を上げた。小さな帽子から下がる黒いヴェールの向こうから少し驚いたようにこちらに目を向けた。パドフが慌てて軽く会釈をすると、令嬢も控えめに微笑んで小さく頭を下げる。
なんと可憐な。
さっきまでぎすぎすしていた彼の心はその一瞬で柔らかくほどけた。
これほどに無垢な娘をこんな場所に引っ張り出すとは……。
「失礼だが」
パドフは声を落として令嬢にそっと訪ねた。
「あなたはウィルローズ侯爵家の……」
「はい」
令嬢は不愉快そうな顔ひとつせず、静かに肯定した。
「ケイトリン・スザンナ・ウィルローズと申します。あなたさまは……」
「パドフ少佐です。かつてセドリック殿下の上官でした」
「まあ、そうでしたか。あの、それでここに来られたのは、つまり……」
「殿下にとって不利な証言をしなくてはならないでしょうな。それはあなたも?」
「……はい」
苦しそうに目を伏せると、彼女は続けた。
「一方的に婚約破棄されたことを証言せよと」
「証言したいのですか?」
ぐっと押し黙ったケイトリンに、パドフはそれ以上何も言えなくなった。申し訳なかったと頭を下げると、彼は懐中時計を手に取った。
「……そろそろ開廷ですな」
その言葉が終わらないうちに中央の扉が開き、黒衣の裁判官が現れた。その後ろを副官と書記官が続く。
ますます場内の空気が引き締まった時、右側の扉から弁護人、左側の扉から検査官がそれぞれ入廷し、重苦しい表情のまま着席した。
ああ、セドリックさま、と小さく隣の令嬢が呟く声を聞いて、パドフは悲しい気持ちになった。
このご令嬢はまだ殿下を愛しているのだ。
膝の上でぎゅっと手を握りしめるケイトリンの様子を見てパドフは深く息を吐いた。
このような裁判は茶番だ。早く終わってしまえばいい。
だが、その時、殿下はどうなっているのか。
殿下が無実だとしても、無罪放免、今まで通りとはいかないだろう。国王暗殺未遂事件の事実がどうであれ、王妃も殿下も今度ばかりは後に引かないはずだ。どちらかが倒れるまでこの争いは続く……。
もう一度、溜息をつきそうになった時、その場にいた全員が一斉に立ち上がった。慌ててそれに倣いながら、パドフは見た、中央の扉から、艶やかな婦人が現れるのを。
黒いドレスを身にまとい、堂々と胸を張って法廷に登場したのはグレイシア王妃、その人だった。
ふわりと甘い香りが立ちのぼったように感じたのは気のせいか、パドフは不覚にもその美しさに呆然としてしまった。
王妃は自分に集まる視線など気にも止めず、裁判官に軽く頷いて会釈すると、ぐるりと横柄に法廷内を見渡した。そして、俯き加減に震えるように立ち尽くしているケイトリンに目を止めた。




