第四話
裁きの場に出る身支度をするため、一旦、王妃と別れたコリックス男爵は、重い心をひきずりながら自分の屋敷へと戻った。
何だ、この不吉な胸騒ぎは。
セドリック殿下は姉の手に落ち、自由を失ったカゴの中の鳥だ。例の樹海の水も手に入ったも同然。姉にべったりの国王の存在は今や小さい。それを思えば数時間後に裁判が終わった時、この国の実権は確実に姉のものになっているだろう。
不安は何もないはずだ。
なのに。
黒衣の正装に身を包むと、奥方と使用人たちに恭しく送られてコリックス男爵は屋敷を出た。四頭立ての馬車に乗り込もうとしたその時、視界の端に引っかかるものがあった。それは屋敷の門の脇に、隠れるように立っている。
……カイル?
何だ? こんな時に現れるとは。
僅かに顔をしかめると、コリックス男爵は見送りの者たちに屋敷の中に入るよう指示を出し人ばらいをした後、周囲を気にしながらカイルに手振りで裏に回るよう促した。
「忘れ物をした。少し待て」
馬車の御者にそう言い置くと、彼もまた急ぎ足で屋敷の裏に回った。
「どうした、何の用だ」
苛立ちを隠さず、申し訳なさそうに立っているカイルに男爵は詰め寄った。
「お前とて今日が何の日か判っているだろう。もう裁判が始まる。どういうつもりだ」
「実は……その裁判のことでお伝えしたいことが」
「……何だと?」
きっとカイルを見据えると男爵は言った。
「重要なことだろうな」
顔を上げると、男爵をまっすぐに見てカイルは頷いた。
「セドリック殿下のことです」
「何? 今更、何だ。殿下は今、城の地下牢に繋がれているのだぞ」
「それは本物ですか」
「どういうことだ」
「俺には裏の情報網があります。信じるかどうかはあなた次第ですが」
「だから、どういうことかと聞いているんだ!」
「お静かに」
にっと笑って、激高する男爵にあえて穏やかにカイルは言った。
「城の内部に殿下と通じる者がいて、そいつは金で動き、そして金さえ積めば、簡単に情報も売るような奴です」
「……金か」
男爵は無表情で懐から金貨数枚を取り出すとカイルに見せて言った。
「まず情報を渡せ。私が買うに見合う内容ならこの金貨をくれてやる」
「……いいでしょう」
カイルは不敵に笑うと声をひそめて言った。
「実は……今、地下牢に繋がれているのはセドリック殿下ではないのです。牢に入れられる前に偽物と入れ替わったのですよ」
「何? 偽物だと? そんなこと、あり得るのか」
「お疑いなら裁判の場で確かめればいいでしょう。牢から引き出された男の顔をとくとご覧になるといい。牢に入れられて少しはやつれているかもしれませんが、本物かどうかぐらいの見分けはつきますよ。……本物の殿下は今頃、どこかに潜伏して反撃の準備をしているか、もしくはとっくにこの国の外に逃げ出しているかもしれません。もう、あなた方の手の届くところにはいないかも」
「それは……本当なのか。牢にいるのは本当に偽物……?」
唖然とする男爵に、カイルはたたみかけた。
「ですから、裁きの場で、大勢が見ている前で、殿下が偽物であることを暴けばいいのです。つまりそれは殿下がこの国を、この国の民を見捨てて逃げ出したということを知らしめることとなり、そして自分の罪を認めた証拠にもなるのではありませんか?」
男爵はしばらく沈黙していたが、不意に顔を上げるとカイルに言った。
「判った。その情報、買ってやる」
金貨をカイルに投げてよこすと、男爵は脅すようにカイルに言った。
「このことは誰にも言うな。いいな? もし私を裏切るようなことをすれば、妹が泣くことになるぞ」
妹と言われて一瞬、カイルの顔は強張ったが、すぐに真顔に戻って頷いた。
「心得ておりますよ。もうここまでくれば俺も腹をくくりました。俺も俺なりに考えたのです。最後まで男爵に従いますよ。妹の恩人のあなたにね」
「……判っていればいい。早く去れ。人目に付くようなことはするなよ」
深く頭を下げると、カイルは静かに素早くその場を離れた。その後ろ姿を目で追いながら、男爵は険しい表情を崩さなかった。
殿下が偽物だすれば、姉上はどうなさるか。
いや、それよりも、殿下が地下牢に繋がれていないという事実が重要だ。
自由を得たあの方が国外に逃げ出すとは思えない。
だとすると……姉上の身が危ない!
男爵は身を翻すと馬車へと急いだ。




