第五話
どうしたものかと逡巡するアレクだったが、遠くから響いてきたショーンの声にはっと顔を上げた。
「そこにいるのは……誰?」
身代わりがバレた!
すっと血の気が引いたが、もう迷っている時間はない。脱兎のごとくアレクは牢に向かって走った。その間にも彼らの声は聞こえてくる。
「……ジェイド、そこに……お兄さまはいるの……?」
「お待ちを。私が確認いたします……」
待て! 確認するな!
アレクは心の中で叫ぶ。勿論、その声は届かない。そしてとうとう……。
「ショーンさま、お下がりを。お前は……セドリックさまではないな? 誰だ?」
「声が大きいよ。ばれたら身代わりの意味がない」
陽気なテリュースの声が辺りに響いた。
「ねえ、ピンとか針とか持ってない? そろそろここも飽きてきたところさ」
「飽きられては困る! まだ、牢から出るな!」
息を切らしながら走りこんできたアレクが言った。
「ショーンさま、こちらに!」
突然、登場してきたアレクに、ジェイドは慌ててショーンの腕を引き自分の背中に隠した。
「何者?!」
「……驚かせて申し訳ないが、それはお互い様というものだぞ、ジェイド」
「……あ、あなたは」
ランタンの光の中、困惑した表情でこちらを見る男には見覚えがあった。
「……アレク隊長?」
「そうだ。まったく、何をしている。ショーンさまをこんな場所にお連れするとは」
「はあ。それは……」
返す言葉が見当たらず、項垂れるジェイドを今度はショーンがかばうように前に出て言った。
「僕が頼んだんだ。お兄さまに会いたいって」
「それはそうでしょうが、いけませんな」
「だって、お兄さまがお父さまを暗殺しようとするなんて、信じられないもの! きっと罠だよ!」
「ショーンさま、お静かに。誰に聞かれるか判りませんぞ」
「誰に聞かれたってかまうもんか! お兄さまは悪くない!」
「確かにその通り。ショーンさまは正しいですよね、アレク隊長」
不意に皮肉に満ちた声が牢の奥から聞こえた。顔を向けると、鋭い視線でこちらを見るテリュースの姿があった。
「あんたはセドリック殿下の味方のような顔をして、俺を身代わりと知りながらこの牢にぶち込んでくれたが、それは一体、どういう了見だ」
「何?」
「俺は知っている。あんたが殿下のものではない短剣を暗殺の証拠だと言って身柄を拘束しようとしたことを。あれは王妃の命令なんだろ?」
ぐっと押し黙るアレクを見て、ショーンが声を上げた。
「それ、どういうことなの? 短剣ってなに? お母さまの命令って……!」
「確かに」
しばらくの間の後、アレクは仕方なさそうに口を開いた。
「あの短剣は王妃さまから手渡された。もともとは殿下のもので、極秘で殿下の部屋を捜索した折に軍服に忍ばせてあったものを押収したと仰っておいでだった。暗殺に使うために用意したものに違いないと」
「それを信じたのか?」
「……信じてはいない。だが」
「ああ、なるほど。王妃の言うことをきかないと自分の地位が危ないと。保身のために殿下を」
「馬鹿な!」
暗く狭い地下道に、アレクの怒声が落雷のように響き、思わずショーンは小さく悲鳴を上げた。
「ショーンさま、失礼を。……しかし、保身などと……それは断じてない」
「では、何だ」
牢の鉄格子の向こうから、テリュースは威圧するように低い声で問うた。
「現にあんたは王妃の言いなりになっているじゃないか。セドリック殿下を城の外に逃がしたが、それも何か策略があってのことではないのか?」
「違う」
「俺はあんたのことを信じきれない。俺はここを出て、殿下の傍に行く。そして最後まであの方をお守りする。その価値があの方にはあるからだ」
「……牢から出ることは許さん」
「あんたの指図は受けない。……ジェイド。ピンかなにか持っていないか。まずは手錠を外す」
「待て」
牢に近づこうとしたジェイドを止めると、アレクは溜息交じりに言った。
「俺も殿下を守りたい。だが、それと同時にこの国を守りたいのだ」
「何?」
「もっと、根本的なところだ。国王陛下、王妃、そしてセドリック殿下。この方々のもっと深い所にある闇に光を当てて正したいのだ」
「何のことだ?」
「ショーンさまの御前で、このようなことを言うのははばかられるが……今の王家の家族の肖像は醜くひび割れている。昔はこうではなかった。エメリア王妃がご存命のころは、国王陛下はもっと毅然とされていた。セドリック殿下も快活で、あのように自暴自棄な態度は取られなかった。そして、なによりみんなが笑顔でいられた。しかし、今は……」
「それはお母さまのせい?」
小さな声でショーンが問うた。
「お母さまが悪いの?」
「ショーンさま……違いますよ。王妃さまには王妃さまのお考えが」
「ジェイドはそう言うけど、お兄さまがこんなことになったのって、お母さまのせいなんでしょう?」
「ショーンさま」
今にも泣きだしそうなショーンに、アレクが優しく語りかけた。
「何かがおかしい。それは事実です。それを正したい。そして正すには少しばかり乱暴な手も使わざるを得ないのです。テリュース」
アレクは牢に目を向けると言った。
「確かに王妃の言いなりにはなった。だが、そうして俺が動かなければ、憲兵が動いて殿下の身を拘束しただろう。そうなれば俺の手の届かないところに殿下は連れていかれてしまう。それは避けたかった」
「……憲兵か。そいつは面倒だな」
ふっと、テリュースの表情が和らいだ。
「ま、いい。今のところはあんたの言うことを聞いておいてやる。俺はここにいればいいんだな」
「ああ、そうしてくれ」
「ですが」
不安そうにジェイドが言った。
「裁判まで日がないのではありませんか? テリュースを殿下として裁きの場に出すつもりですか? 無理があります」
「そうだ。そこなんだ」
アレクが苦い顔をして頭を抱えた時、ふと、ジェイドが持っている古い地図が目に入った。
「ジェイド、それはなんだ」
「あ。これはその、書庫から拝借した地下の地図で」
「地下の地図?」
「はい。地下は迷路のようになっておりますから、迷子にならないように……」
「見せてくれないか」
「ええ、どうぞ」
古い紙を破らないようにそっと広げると、牢の向こうからテリュースも覗き込んだ。
「へえ、城の地下ってこんな風になっているんだ」
「なるほど」
ふむとアレクは考え込む。それから意味ありげにテリュースを見た。
「どう思う?」
「どうだろうね」
にやにや笑ってテリュースは頷いた。




