第六話 翼を広げる日
時の流れは早いもので、僕が安倍侯爵家の「ボロ離れ」で爪を研ぎ始めてから数年の月日が流れた。
かつて泥だらけで殴り倒されていた少年は、十五歳を迎えていた。
栄養管理と計算された自重トレーニング、そして秘伝の薬草ケアを愚直に続けた僕の身体は無駄な肉が一切削ぎ落されたしなやかな筋肉を纏い、背もすらりと高く伸びていた。
鏡に映るのは涼やかで鋭い目元と完璧な鼻筋を持つ、ゾッとするほどの超絶イケメンへと成長した僕の姿だった。
(……前世の冴えない顔が嘘みたいだな。この顔と令和の知識があれば、どこへ行っても無敵だろ)
そして僕の袖の中には変わらず小さな相棒がいる。
竹筒に収まるほどの細長い身体を持つ管狐の紺だ。
「零、今日も例の肉はあるんですよね? 僕は十年間、一度も契約を破らず屋敷や帝都の情報をもたらしたんですからね!」
「もちろんだよ紺。君の完璧な仕事ぶりにはいつも感謝している」
僕が特製乾燥肉を差し出すと、紺は長い尾をパタパタと振りながら嬉しそうにそれに噛みついた。その姿には以前のような反抗的な態度はなく非常に従順だ。
この十年間で、紺がもたらした情報は山ほどある。安倍侯爵家が裏で進める違法な霊兵器開発の動向、陰陽寮の腐敗した内情、そして何より僕が次に向かうべき場所『帝国陸軍士官学校』の試験日程と詳細だ。
旧態依然とした陰陽師の血筋や伝統に縛られ、あやかしを「単なる討伐対象」としか見なせない時代遅れの安倍侯爵家。
それに対し、近代化を進める帝国陸軍はあやかしの存在すらも国の戦力として合理的に管理・運用しようとしていた。
僕が狙うのは、その陸軍の中に新設された特殊部隊【あやかし特命科】だ。
霊力ゼロの僕がこの腐りきった安倍家を離れ、世界をひっくり返す舞台としてこれ以上の場所はない。
ちなみに今回の旅立ちに必要な資金、電車賃や身の回りの準備費用はすべて自力で稼ぎ出したものだ。
裏森で採取した薬草から令和の知識で生成した「即効性の傷薬」や紺から仕入れた「あやかしの回避知識」を紺を通じて裏街の商人へ秘密裏に売却していたのだ。実家に頼らずとも、僕の頭脳があれば資金調達など造作もない。
そして運命の日がやってきた。
帝国陸軍士官学校の入学試験当日。
僕はボロ離れを出て数年ぶりに安倍侯爵家の「本邸」の大広間へと足を運んだ。
重厚な畳が敷き詰められた広間には当主であり僕の父親でもある安倍巌厳が上座に威厳を込めて座っていた。その脇には、十八歳になった長男の一馬と、十七歳になった次男の二葉が並んでいる。
一馬は相変わらず図体ばかりでかくなったポンコツだが、二葉は不気味な笑みを浮かべて僕を観察している。
僕が敷居を跨ぐと、巌厳は心底忌々しそうな目で僕を見下ろし、低く重苦しい声で言い放った。
「……何の用だ、零。霊力も持たぬ出来損ないが、本邸に足を運ぶなど万死に値する。離れでおとなしく死んだように暮らしておれば良いものを」
「父上、本日はご報告とお礼を申し上げにまいりました」
僕は完璧なお辞儀をして見せた。声はどこまでも優雅で、表向きは『従順な無能の弟』という立ち振る舞いを崩さない。
「報告だと……? 無能のお前が何の報告だというのだ」
一馬が鼻で笑い、嘲るように腕を組む。
「おいおい零、また私塾で覚えた難しい言葉でも自慢しに来たのか? 陰陽師の家において、霊力のないお前の言葉など誰も耳を貸さんぞ!」
二葉も扇子で口元を隠しながら、嫌味っぽく追撃した。
「ええ、一馬兄様の仰る通りです。零、貴方がどれほど頭が良くとも式神一匹召喚できぬ貴方はこの安倍侯爵家の『恥』でしかないのですから」
親子揃って相変わらずの思考停止ぶりだ。
だが、僕は怒るどころか、優雅にふっと口角を上げた。
「本日、僕は帝国陸軍士官学校の試験を受けてまいります」
「……何だと!?」
巌厳の眉が跳ね上がった。
「陸軍士官学校だと……!? 貴様のような無能が何を寝ぼけたことを言っている!! 士官学校は帝国中の優秀な門閥や華族の英才が集まる場所だぞ! 式神も出せぬお前が合格できるはずがなかろう!!」
「いいえ、父上。実は一ヶ月前に受けた書類選考および事前の学力適性試験にて僕は全軍トップの成績を収め、すでに『一次試験合格通知』をいただいております」
僕は懐から、陸軍省の紋章が捺された正式な合格通知書を取り出し、静かに畳の上へと滑らせた。
「な……!!? 陸軍省の正式な認印……!? バ、バカな!!」
一馬が目を剥き出しにして書状を二度見した。
二葉も扇子を落としそうになりながら、顔色をサッと変える。
「ぜ、全軍トップ……!? 陸軍の試験は、帝都最高の頭脳が集まる難関のはず……! なぜ霊力のないお前が……!!」
「簡単なことです、二葉兄様」
僕は透き通った声で、優雅かつ冷徹に言葉を紡いだ。
「軍に求められるのは、古い伝承にすがって威張るだけの霊力ではありません。時代の先を見据える『高度な数学』『軍事戦略』『物理学』、新聞に出てくる最新の社会情勢、そして『圧倒的な論理的思考』です。それらを持ち合わせていない皆様にはご理解いただけないかもしれませんが……陸軍省は僕の『頭脳』を正当に評価してくださったのですよ」
「く、生意気なことを……!!」
一馬が顔を真っ赤にして立ち上がろうとしたが、僕はそれを手で制するように、完璧なお辞儀をもう一度重ねた。
「本日をもって僕は安倍侯爵家を去ります。これまで僕をボロ離れに隔離し、冷遇してくださったこと……心より感謝申し上げます。皆様のその冷酷さのおかげで僕は己の頭脳だけを頼りに生き抜く力を手に入れることができました」
「零……!! 貴様、家を捨てるつもりか!! 誰のおかげで今まで生きてこられたと思っている!!」
巌厳が怒号を飛ばし、豪快に机を叩いた。
だが僕はそんな父親の威圧など一蹴するように冷ややかな瞳で巌厳をまっすぐに見つめ返した。
「誰のおかげ、ですか? 冷えて固まったご飯と塩気の薄い漬物だけで侍女も兵も寄こさず放置してくださった『残飯のおかげ』でございますね。僕をゴミ扱いしてきたこと……どうか後悔なさらないでくださいね、父上」
「な……っ!!」
「それでは、行ってまいります」
言葉を失う巌厳、一馬、二葉を置き去りにし、僕は一度も振り返ることなく大広間を後にした。
(ハハッ……スカッとしたな。長年溜め込んできた毒を吐き出すのは、実に最高だ)
こうして僕は軽く鼻歌を歌いながら十六年間過ごした安倍侯爵家と完璧に決別した。
自前で稼いだ旅費を手に、僕は帝都へと向かう列車に揺られていた。
車窓から見える風景は、あやかしが存在するこの世界ならではの独特な空気感を纏っている。やがて列車が滑り込み、帝都・東京駅のホームに降り立った瞬間、僕は思わず足をとめた。
目の前に広がっていたのは、重厚な赤レンガ造りの壮大な駅舎___東京駅だった。
(……東京駅? 待てよ……歴史の知識だと、東京駅の開業は大正3年(1914年)のはずだ。えーっと、僕が今生きているこの年は……)
ふと、駅の柱に貼られた日めくりカレンダーのポスターが目に留まった。
そこに書かれていた文字を見て、僕は二度見どころか三度見した。
『大正二十年 帝都復興記念』
(……は? 大正……20年!? 待て待て待て!! 史実の大正時代って15年までだろ!? 昭和はどこへ行った!? というか、あやかしが存在する時点で薄々察してはいたが……今俺がいる世界は、過去の日本へタイムスリップしたんじゃなくて『大正時代っぽいパラレルワールドの異世界』かよ!!)
僕は思わず頭を抱えて激しい眩暈を覚えた。
(嘘だろ……! これから起きる史実の出来事や年表を丸暗記して、これからの歴史の流れに沿って投資や軍の動向、社会の裏をかく完璧な将来計画を網羅してたのに……!! 全部台無しじゃないか!!)
前世の歴史知識によるイージーモード計画が音を立てて崩れ去る衝撃に、僕はしばし天を仰いだ。
(……まあ、いい。年表が使えなくても、僕の令和の科学知識と論理的思考、そしてあやかしの法則を解明する頭脳があれば問題ない。あやかしもいれば歴史もズレている異世界……なら僕の知識で一から攻略してやるまでだ)
僕は顔を真っ青にしつつも不敵に口角を上げると、気を取り直して着物の裾をひるがえし歩き出した。
向かうは、帝都の中央にそびえ立つ石造りの要塞【帝国陸軍士官学校】。
門を潜ると、全国から集まった士官候補生たちの熱気が充満していた。
彼らは皆、名門の出身であったり、強力な霊力を宿した陰陽師の家系であったりと、己の力に絶対の自信を持つ者たちばかりだ。
「おい、見ろよあの奴……」
「凄まじい男前だな……だがどこの家柄だ?」
「安倍侯爵家の三男らしいぞ。だが……噂じゃ『霊力ゼロの無能』だって話だ」
周囲から聞こえてくるひそひそ話。
だが前世で天才とも持て囃され、どん底も味わった僕にとって、そんな外野の雑音など風の音と同じだ。
僕が案内されたのは広大な演習場を見渡す大講堂だった。
ここで二次選考となる「実践適性・総合能力試験」が行われる。
「受験番号一〇八番、安倍 零」
試験官である厳格な軍人が、僕の名を呼んだ。
「お前の書類は見た。筆記試験は満点……文句のつけようのない完璧な成績だ。だがここは陸軍士官学校。特に我が部隊が求めるのは知識だけではない。あやかしが蠢く現場で、いかに冷静に戦術を組み立てられるかだ」
「承知しております、試験官殿」
僕は姿勢を正し、淀みのない声で答えた。
「よろしい。ではこれより『あやかし対峙演習』を執り行う。……お前たち候補生には、今からこの演習場に解放される低級あやかしを、制限時間内に無力化してもらう」
試験官の合図とともに鉄格子が上がり、演習場の中央にどろりとした黒い影___【泥鬼】が放たれた。
「グオオオオオオッ!!」
泥鬼は実体が曖昧で、通常の剣や銃弾ではダメージを与えられない凶悪なあやかしだ。
他の受験生たちは一斉に青ざめ、自慢の霊力を練り上げて符を構えたり、式神を呼び出そうと呪文を唱え始めたりした。
「くそっ! 結界を張れ!」
「急いで術式を組むんだ!」
周囲が混乱に陥る中、僕はただ一人、ポケットに手を突っ込んだまま冷静に泥鬼を観察していた。
(……やれやれ。泥鬼の伝承における特性は『水気と陰気』。実体がないように見えて、あやかしの核は常に中心の『霊核』に集約されている)
「おい無能! ボーッとしてると食われるぞ!!」
受験生の一人が叫んだが、僕は不敵に口角を上げただけだった。
周りを見ろ。場を理解し操作しろ。
僕は自ら霊力を発動させる必要などない。
僕は絶好のタイミングを待ち、懐から自作の【魔改造リボルバー】を引き抜いた。
これは裏ルートで極秘に手に入れた普通の軍用拳銃だ。
そこに霊力を効率よく伝導させ、周囲の霊的な陰気を銃身に集めて弾丸に充填できるよう、独自に内部機構を削り出して改造を施した一品である。
(フッ……前世で趣味のエアガン分解・カスタムに没頭しまくっていた甲斐があったな。本物の銃弾をいじるのは初めてだったから命がけの微調整だったけど、完璧な作動精度だ)
「正体は見破ったよ。泥鬼……君の核は、胸の第三肋骨の奥だ」
バァンッ!!
一発の銃声が演習場に響き渡った。
僕が放った陰気集積弾は、泥鬼の核を寸分の狂いもなく貫いた。
泥鬼は悲鳴をあげる暇すらなく、一瞬でどろどろのただの水となって地面に崩れ落ちた。
「……な、なにぃぃぃぃ!?」
「符も使わず、式神も出さずに一発で……!?」
「あいつ、今何をしたんだ!?」
周囲の受験生たちが目を見張り、開いた口が塞がらない様子で僕を二度見した。
試験官たちも驚愕の表情で立ち上がり、手帳に何かを激しく書き込み始める。
(霊力がなくても、あやかしの構造と『伝承のルール』さえ解明すれば、最小の力で一瞬でハックできる。……これが僕のやり方だ)
僕は煙を吹く銃口にふっと息を吹きかけると、呆然とする試験官たちに向かって優雅にお辞儀してみせた。
「試験終了ですね。……ご指導、ありがとうございました」
こうして、僕は霊力ゼロでありながら、圧倒的な知略と令和のロジックで試験官や受験生たちの度肝を抜き、陸軍士官学校へのトップ合格を確実なものとしたのだった。




