第五話 不可能を解き明かす者
濡れ衣事件を完璧に返り討ちにしてから、僕を取り巻く環境は一変した。
二週間に一度開かれる私塾において僕、安倍 零はもはや『触れてはならない異物』であり、同時に『人知を超えた天才』として扱われていた。
家庭教師が提示する帝王学や複雑な古典・歴史の課題を、僕は前世の圧倒的な知識量と令和の論理的思考であっさりと回答してみせる。長男の一馬と次男の二葉は、僕が口を開くだけでビクッと肩を揺らし、質問すら挟んでこなくなった。
(表向きは「気弱だが極めて頭脳明晰な弟」を演じつつ、実家の膨大な蔵書と知識を極限までしゃぶり尽くす……。悪くない立ち回りだ)
僕が私塾の合間に没頭していたのは、安倍侯爵家が代々保管してきた古文書や陰陽道の伝承書を読破することだった。
「ふむ……やっぱりあやかしというのは物理的な攻撃や科学の常識が通用しない存在だな」
ボロ離れの縁側で古文書をめくりながら、僕はぽつりと呟いた。
あやかしは実体が不曖昧で物理的な罠を仕掛けたところで影のようにすり抜けて消えてしまう。煙や目潰しといった科学的なアプローチも概念的な存在である彼らには一切意味をなさない。
彼らを倒し、あるいは封じるには古来より伝わる「結界」「呪符」「妖刀」、または陰陽師の「式神」といった霊的な力やルールに従うしかないのだ。
「フフ、なるほど。科学では証明できない『不条理なルール』で動いている……面白いね」
前世で科学や論理を極めた僕にとって、この解明不能な領域は退屈な人生における最高のパズルだった。
霊力がない僕には、自力で強力な結界を張ることも、式神を召喚することもできない。
だが『あやかしの正体や伝承のルールを見抜き、霊的な道具の理屈を解明して利用すること』なら、令和の天才的頭脳があれば容易くできる。
「おい零……何を一人で怪しくニヤニヤしておるのだ?」
僕の着物の袖口から、管狐の紺がひょこりと顔を出した。
「紺、いいところに来たね。あやかしの伝承における『正体の見抜き方』と『弱点となる概念』についてちょっと教えてほしいんだ」
「な、なんだその目は……! 我はあやかしだぞ! 同類の弱点を売るような真似は……モグッ! う、美味い!!」
特製ジャーキーを口に放り込んでやると、紺は一瞬で買収された。
「……うむ! あやかしというのはな、古くから『正体を見破られる』ことや『名前を解き明かされる』ことを何より嫌うのだ。それから、人々が信じ込む『伝承の回避方法』には絶対に抗えん」
「回避方法……具体的にはどんなものがあるんだい?」
「例えば、百鬼夜行の通る日に夜間の外出を控えることや、昔から『絶対に入ってはならぬ』と伝えられる禁足地___裏森の旧社や祟り山のような場所には決して近づかないことだな。あやかしたちは『人が掟を守り、怯えて避けようとする領域』でこそ絶対的な力を得る。だが、正体を見破られたり理屈を解き明かされたりすると一気に存在が揺らぐのだ」
「なるほどね……」
僕は手帳に筆を走らせる。
あやかしたちは人間が持つ「恐怖」や「伝承」によってその存在を補強している。
ならば、彼らに近づかずやり過ごすための『回避のルール』を完璧に把握し、さらにあやかしの正体や構造を論理的に見破れば、霊力がなくても対峙することは十分に可能なはずだ。
さらに僕は、実家の蔵から密かに持ち出してきた古びた「呪符」や、霊力を帯びた「霊導具」の構造を物理的に観察した。
(自力で霊力を生み出せなくても符に刻まれた文字の術式や、霊力を伝導させる特殊な鉱物・触媒の仕組みさえ解明できれば……将来的には『霊力を付与した特殊な武器』や『妖刀』の扱いだってマスターできるはずだ)
科学の限界を知り、だからこそ世界の「霊的な法則」を頭脳でハックする。
これこそが霊力ゼロの僕がこの世界で無双するための唯一無二の武器だ。
「よし……道筋は見えた」
僕は手帳をパタンと閉じると、夜空を見上げた。
私塾での知識の吸収、紺からのあやかしの生態伝授、そして霊術とあやかしの法則の解明。
準備はすべて整いつつある。
そして僕が十代半ばを迎え、いよいよ『帝国陸軍士官学校』の試験へ挑む刻が、刻一刻と近づいていた。




