第四話 浅薄な罠と冷徹な逆転
紺と『業務委託兼秘密保持契約書』を交わしてから一週間が経過した。
契約の履行能力において、あやかしという生き物は想像以上に愚直で優秀だった。
竹筒にすっぽりと収まるほどの細長い身体と長いしっぽを器用に使い、影から影へと滑り込むように屋敷内を駆け回った紺は、人間には絶対に届かない位置から安倍侯爵家の醜悪な裏情報をごっそりと持ち帰ってきたのだ。
「ぐふぅ……! 零、今日の成果だ! 肉! 肉を寄こすのだ!」
僕の袖口にポンと飛び出んできた紺は、細長いしっぽをパタパタと振りながらボロ離れの畳の上で胸を張った。
僕は約束通り特製ジャーキーを一片差し出す。紺は目を輝かせてそれに食らいつき、幸福そうに耳を澄ませた。
「で、何が分かったんだい?」
僕が自作の野草茶を口に含みながら尋ねると、紺はモグモグと肉を飲み込み、表情を引き締めた。
「む。……安倍侯爵家の当主、つまりお前の父親の『安倍 巌厳』の奴だがな。最近、陰陽寮の定例会議をすっぽかして裏で怪しげな軍関係者と頻繁に密会しておるぞ」
「陸軍の人間か?」
「左様だ! 陸軍の中でも、過激な霊的兵器の開発を目論む『特務機関』の将校らしい。巌厳の奴め、自らの権力を増大させるためあやかしの怨念を閉じ込めた危険な『霊導兵器』の試作品を陸軍に売り込もうとしておるのだ」
「なるほどね……」
僕は冷たく口角を上げた。
旧態依然とした陰陽道に固執していると思わせておいて、裏では軍部にすり寄り、怪しげな兵器ビジネスで莫大な利益を得ようとしているわけか。まさに腐敗しきった権力者の典型例だ。
(だが……これは僕にとっても絶好のチャンスだな)
将来陸軍という巨大組織にアプローチするための足がかりとして、この密約は極上の『切り札』になる。
だが当主を追い詰めるのはもっと先……僕が陸軍に入り、完全な力を手に入れてからでいい。今は焦らず証拠の存在だけを頭に留めておくべきだ。
「紺、素晴らしい手柄だ。特別手当として、もう一片あげよう」
「い、いんせんてぃぶ……!? よくわからんが、肉が増えるのは大歓迎だ!!」
喜んで肉にかぶりつく紺を横目に、僕が次の作戦を考えていた……その時だった。
「おい!! 無能の零!! 中に居るのは分かっているぞ!!」
バンッ!! と荒々しく離れの引き戸が開け放たれた。
土足同然で上がり込んできたのは、私塾で鼻を打ち砕いてやった長男の一馬とその弟である次男の二葉だった。一馬の鼻には痛々しい包帯が巻かれており、後ろには数人の武装した警備兵を引き連れている。
一馬がワーワーと前で騒ぎ立てる一方、次男の二葉は後ろで腕を組み、冷ややかな笑みを浮かべてこちらを観察していた。
二葉は一馬のような単純なバカではない。自分は絶対に手を汚さず、愚かな兄を一前に立たせて高見の見物を決め込む腹黒いタイプだ。
「一馬兄様、二葉兄様。……静かな離れに、大層なお騒がせですね」
僕は瞬時に表情を殺し、気弱な『無能な三男』の仮面を被った。
袖の中の紺には長いしっぽまでしっかりと隠して潜むよう指示を出す。
一馬は僕の美貌と冷ややかな視線に一瞬怯んだものの、後ろの兵士たちを盾にするように威張ってみせた。
「ふ、ふん! たかが屁理屈で調子に乗るなよ、零! 今日はお前に重大な容疑がかかっているのだ!」
「容疑……でございますか?」
首を傾げる僕に後ろから二葉が静かな、しかし嫌味な声で追撃してきた。
「ええ、零。本邸の宝物庫から、父上が大切にされていた霊導符が数枚紛失したのです。このお屋敷で霊力を持たぬ異端は貴方だけ……。嫉妬に狂った貴方が盗み出したと考えるのが自然でしょう?」
「ほう……宝物庫の盗難、ですか」
(ハハ、分かりやすすぎる濡れ衣だな)
私塾で恥をかかされた一馬たちが僕を罪に陥れて牢にぶち込もうという浅薄な策略だ。二葉が知恵を貸し、一馬を実行犯(出だし役)にしたのだろう。
「さあ兵士ども! このボロ屋敷を捜索しろ! 証拠が出てきたら、こいつを即刻牢にぶち込め!!」
一馬が下品に叫び、兵士たちが離れの狭い部屋へと踏み込もうとした。
だが僕はすっと立ち上がると、兵士たちの前に優雅に立ちはだかった。
その立ち振る舞いには一切の隙がない。
「お戯れを、一馬兄様、二葉兄様。僕を罪人に仕立て上げたいのでしたらもう少し頭をお使いになられた方がよろしいかと」
「な、何だと……!?」
「宝物庫は強力な結界と厳重な施錠で守られているはず。霊力ゼロの僕が、結界に触れず、鍵も壊さずに進入することなど物理的に不可能です。それとも二葉兄様は……ご自身たちの管理する結界が霊力のない無能に破られるほど『ザル』だと自白されるおつもりですか?」
二葉の眉がピクリと跳ね上がった。
計算外の反論に、後ろの警備兵たちも「確かに……」という顔でヒソヒソと囁き始める。
「それに……」
僕はふっと目を細め、一馬の右袖のあたりをじっと見つめた。
「先ほどから、一馬兄様の右の袖口から……微かに『霊導符特有の白檀の香』が漂っておりますよ? 自分たちで盗み出した証拠を懐に忍ばせたまま僕を陥れようとするとは……あまりにもお粗末な自作自演ですね」
「ひっ……!!? な,なぜそれを……!!?」
一馬が思わず自分の右袖を押さえた。完全な墓穴だ。
(前世で観察眼を極めた僕に隠し事などできるわけがないだろ)
室内を一瞬で支配する、圧倒的な静寂。
二葉は顔を歪め、「このバカ兄が……!」と言いたげに一馬を睨みつけた。
僕は冷徹な微笑みを浮かべると、二人に向かって優雅に一歩を踏み出した。
「さて……ご自身で符を盗み出し、僕に濡れ衣を着せようとしたこの事実。当主である父上や私塾の家庭教師様方にお報告しましょうか? 跡取りとしての信用は完全に地に落ちるでしょうけれど」
「くっ……!! 引き上げるぞ!!」
追い詰められた一馬と二葉は、兵士たちを引き連れて逃げるように離れから去していった。
静けさを取り戻した離れで、僕は袖から出てきた紺の頭を撫でながら、冷たく笑った。
(ふん、ザコどもが。……だが、これで僕の頭脳と存在感は屋敷内で無視できないものになった)
実家を捨てるカウントダウンは始まっている。
僕は倒すべき敵の情報を握り、邪魔な兄たちを退け、着々と『帝国陸軍士官学校』へ羽ばたくための力を蓄えていくのだった。




