第三話 袖の内の小さな相棒
私塾で長男の一馬を完璧に論破し、物理的にも分からせてから数日。
安倍侯爵家における僕への扱いは目に見えて変化していた。
相変わらずボロい「離れ」での隔離生活に変わりはないものの、あからさまに殴りかかってくるガキはいなくなった。一馬は僕と視線が合うだけで露骨に怯えて立ち去り、他の親戚の子供たちも気味の悪いものでも見るような目で距離を置くようになったのだ。
人間、未知の知性と「何を考えているか分からない美貌」には恐怖を覚えるものらしい。
(……ふん、まあ第一段階としては上出来だな)
僕は離れのボロい縁側に腰掛け、自作の野草茶をすすりながら前世の記憶を脳内で整理していた。
僕の目標はこの時代遅れで腐敗した安倍侯爵家を完全に叩き潰し、僕を見下してきた連中に利息付きの絶望を与えること。
そのためにはこの小さな屋敷の中で威張っているだけでは足りない。
(大正時代……僕が狙うべきは国家規模の権力機関。【帝国陸軍士官学校】だ)
陰陽師の血筋や伝統に縛られた旧態依然とした世界に対し、陸軍は近代化を進める最前線。令和の現代軍事知識や組織論を持つ僕にとってこれ以上ない無双の舞台となる。
だが、そのためにはまず情報網が必要だ。
陰陽師どもは「あやかしはすべて穢れた敵であり、滅ぼすべき存在」という思考停止の固定観念に縛られているため、あやかしを情報収集に利用するという柔軟さすらない。だが令和の合理主義者である僕からすれば使えるリソースを使わない手はないのだ。
「……そろそろ出てきたらどうだい? ずっとそこで毛づくろいをしている癖に」
僕が静かに庭の古木へ向かって声をかけると空間がパチリと歪んだ。
「キ……ッ!? な、なぜ気付いたのだ人間……!?」
木の枝からボトリと落ちてきたのは竹筒に入るほど小さな毛並みの綺麗な狐だった。
そのあやかし___『管狐』である。
管狐は目を丸くし、短い足をプルプルと震わせながら僕を警戒していた。
本来、管狐は山伏や修験者が扱うものであり陰陽師の屋敷にいるはずもないあやかしだ。だがこの管狐は野良らしく、腹を空かせて屋敷の敷地内に迷い込んできたようだ。
(霊力なんて感じ取れなくても風の動きや枝のしなり、空間の光の屈折率のズレを見れば位置なんて一目瞭然だっつーの)
「君、ここ数日ずっと僕の行動を観察していただろう? 毛並みが荒れているし随分とお腹が空いているみたいだね」
「ぐ、ぐぬぬ……! 生意気な小僧め! 霊力もないくせに、我の姿を見破るとは……!」
管狐はシャアッと威殺して見せたが、そのお腹が『クー……』と情けない音を鳴らした。
僕はクスリと冷たく笑うと、懐から紙に包んだ『特製乾燥肉』を取り出した。
裏森で捕まえた小動物の肉を令和の食品科学を駆使してアミノ酸の旨味を凝縮させ、燻製にした代物だ。
「食うかい? 霊力で無理やり縛るつもりはないよ。ただの『ビジネスパートナー』としての提案だ」
「び、びじねす……? なんだその怪しげな呪文は……! くだらん騙し討ちには乗らんぞ!……モグッ……う、美味い!!? なんだこの肉は!!?」
警戒しつつも空腹に耐えかねて肉に飛びついた管狐はその極上の味に目を輝かせた。旨味成分を科学的に凝縮させた味覚など、この時代のあやかしにとっては禁断の美味だ。
「美味いだろ。僕と組めば毎日こんな美味しいものが食べられる。その代わり、君には僕の『目と耳』になってもらう」
「目と耳だと……? 我は気高き管狐だぞ! 人間のガキの手下など……!」
「手下じゃない、ビジネスパートナーだと言ったはずだよ。……というわけで、これに足型をしてもらえるかな?」
僕は懐から一枚の半紙と墨をつけた朱肉を取り出して管狐の前に差し出した。
「な、なんだこれは……!? 呪符か!?」
「いいや、『業務委託兼秘密保持契約書』だ」
「ぎょうむ……ひみつ……!? なんだその長くて禍々しい名前の術式は!?」
「陰陽師とあやかしなら血と血の契約を結ぶのが普通なんだろうけど、生憎と僕には霊力がないからな。だから現代的……ゴホン、合理的に『書面』で契約を交わすんだ」
管狐は目を白黒させながら、紙に書かれた文字を恐る恐る覗き込んだ。
【業務委託兼秘密保持契約書】
甲(安倍 零)と 乙(管狐)は、以下の通り契約を締結する。
第一条(業務内容)
乙は甲に対し、安倍侯爵家内部および帝都における情報収集・諜報活動を提供するものとする。
第二条(対価の支払い)
甲は乙の業務成果に応じ、特製乾燥肉をはじめとする高品質な糧食を遅滞なく支給するものとする。
第三条(秘密保持)
乙は、本契約を通じて知り得た甲の情報および自身の任務内容を、第三者(特に安倍侯爵家の者)に漏洩してはならない。破った場合、今後の糧食支給を永久に停止する。
「な、なんだこの細かくて恐ろしい文章は……!? 糧食支給が永久停止だと……!?」
「フフ、破らなければ毎日美味しいご飯が食べられる、君にとっても願ったり叶ったりの契約だよ。……さあ、ここに足型を押して」
僕が微笑みながら朱肉を差し出すと、管狐はその圧倒的な威圧感と、何より肉の誘惑に勝てず、震える肉球に墨をつけてペタリと紙に足型を押した。
「よし、契約成立だ。君の名前は……今日から『紺』ね」
「こ、紺……! 案外悪くない名だな……! おい零、契約通り次の肉を出すのだ!」
「仕事の成果を見てから。まずは安倍侯爵家が裏で何を進めているか、情報を探ってきて」
「ちぇっ、がめつい奴め……! 覚えておれよ!」
紺は悔しそうに文句を言いながらも、素直に僕の着物の袖口へとスルスル納まった。
(よし……情報網は確保した。血や霊力に頼らなくても契約と利益で人は……いや、妖怪は動く)
袖の中で早速毛づくろいを始める紺の気配を感じながら、僕は不敵に口角を上げた。
反撃の準備は、着々と整いつつある。




