5. あなたの声
寝起きの少し掠れた声で何か言うグレンさん。
「大丈夫か」とか、そんな感じかな。
コクンと頷くと、グレンさんも無言で頷き返してくれた。
無愛想な表情が、少しだけ柔らかくなったように見えた。
グレンさんはポキポキと首を鳴らしながら椅子から立ち上がる。
わたしに「ここにいろ」と言うと(多分そうだと思う)一人で部屋から出て行ってしまった。
昨日は一人になるのがとにかく不安で怖かったけど、今はそこまで感じない。
グレンさんならきっと戻ってきてくれる。
心のどこかでそう思うことができた。
少しして部屋に戻ってきた焦げ茶の髪は少し湿っていて、毛先からは水滴が垂れている。
水浴びしてきたんだ……いいなぁ。
そう思いつつ、鍛えられた裸の上半身から慌てて目を逸らす。
すごい筋肉……。
それに傷もたくさん……痛くないのかな?
見ちゃいけないと思うのに、どうしてもちらちらと視線がいってしまう。
気付いたグレンさんは、少し丈のある服をさっと着てわたしに手招きした。
もしかして、と期待しながらついて行く。
案内れたのは石の壁に囲まれた狭い部屋。
……たらいも桶もない。
水浴びができると思ったのに残念。
ここで何をするの? とグレンさんを振り返ると、壁を指差して何か説明している。
指の先を見てみると、壁の中に青い石と赤い石が同じように埋め込まれている。
グレンさんの真似をして、わたしに近い方の青い石に手をかざしてみると……。
わっ!?
つ、冷たい!?
石の上、グレンさんの頭の高さほどのところについていた如雨露の蓮口のようなところから、冷たい水が勢い良く降ってきた。
浴衣が一気にびしょ濡れになる。
慌てたグレンさんが赤い石に手をかざすと、今度は冷たかった水がどんどん温かくなってきた。
何これ、どういう仕組み?
竹の水筒でも、井戸でもないのに、水がこんな勢いで……しかも温かい。
よくわからないけど、ここで水浴びをしていい、っていうことらしい。
置いてあった石鹸で髪や体を洗うと、嗅いだことのない不思議な香りがした。
汚れていた浴衣も石鹸で洗って、できるだけ固く絞る。
さっぱりして狭い部屋から出るとグレンさんの姿は見当たらず、廊下には畳まれた布が置いてある。
これは手拭いと……服?
初めて着る形の服。
グレンさんのと同じだ。
グレンさんが着ていたところを思い出して、頭から被って着てみる。
全体的に大きくて、胴はブカブカ、袖はダボダボ、裾はふくらはぎの辺りで揺れている。
なんだか足がスースーして、ものすごく落ち着かない……。
どうにもならない違和感に固まっていたわたし。
迎えにきてくれたグレンさんを追いかけて部屋に戻ると、机の上に食事が用意されていた。
グレンさんを見ると「食べろ」と視線が返ってくる。
次いで顎で部屋の入り口を示す。
食べたら出掛ける、ってことかな。
なんだかわたし、グレンさんの言いたいこと、わかるようになってきてる……かも。
広口の椀の中には麦餅と、黄色い果物。
あと、長細くて、弾力のありそうな塊。
麦餅は今まで食べた中で一番柔らかかった。
果物も瑞々しくて爽やかな甘さ。
……あの変な塊は、怖くて食べられなかった。
最後に「ごちそうさまでした」と手を合わせるわたしを不思議そうに見ていたグレンさん。
わたし、何か変なことしたかな?
食後、グレンさんと一緒に建物の外へ。
広い通りは相変わらず賑やかで、活気に溢れている。
どんな楽しいものがあるのかな、とわくわくしていたけど、グレンさんが向かったのは反対側。
神様の大きな家の近く、尖った屋根の高い塔の方。
え、あそこにいくの?
入っていい場所?
ズンズン歩くグレンさんを追いかける。
中庭に出ると光る花が花壇で揺れていた。
すれ違う人たちはみんな大人で、グレンさんと同じ鎧姿、もしくは深緑色の外套を着ている。
塔に到着、と思ったとき。
グレンさんが誰かに話し掛けた。
女の人、かな?
深緑色の外套を羽織った、ものすごく綺麗な人。
さらさらした胸くらいまである髪の毛は鮮やかな金色。
グレンさんの肩越しにわたしを見る碧瑠璃色の瞳は穏やかに微笑んでいる。
……うん?
グレンさんの肩越し?
グレンさんは大きい。
わたしが今まで見たことのある中の、誰よりも。
そんなグレンさんの肩越しにわたしを見ているということは……。
二人の会話に耳を澄ませてみると、金色の髪の人は……男の人だ!
グレンさんの低くて太い感じの声と比べると、金色の髪の人の声は少し高くて柔らかい。
それにグレンさんより全体的に線が細くて、中性的な顔立ち……でもやっぱり男の人だ。
グレンさんが金色の髪の人を指して「アレン」と繰り返す。
この人の名前はアレンさんね、わかった。
「アレンさん……わたし、サクラ、です」
グレンさんを挟んで挨拶すると、アレンさんが頷き、グレンさんの横を抜けてわたしの目の前まで来る。
ゆっくり膝を屈め視線を合わせると、胸に手を当て優しい笑顔で挨拶を返してくれた。
アレンさんは再びグレンさんと何か話している。
たまに視線がこちらにくるから、わたしのことを話しているんだとは思うけど、何を言われているのかはわからない。
……あ、これ……。
森の中で見たような光の粒がふわっと目の前に現れたかと思うと、すうっと消える。
これは何だろう。
何でみんな気にしてないんだろう。
わたしにしか見えてないのかな……。
光の粒をじっと見つめていると、グレンさんとアレンさんに名前を呼ばれる。
振り返って二人を見上げると、グレンさんがアレンさんに小さく頷く。
アレンさんが微笑みながら一歩前に出て何か小さく呟くと、わたしの額に右手をかざした。
アレンさんの瞳が、まるで水面のように淡く光る。
ふわっと温かい風が吹いたかと思うと、その風に乗ってキラキラと光の粒がわたしの周りで踊る。
まるで竹林を抜ける月の光みたい。
その瞬間、耳の辺りにチリッと熱のような痛みを感じて、思わず手をやってしまった。
少しして温かさと光がゆっくり消えていく。
耳の痛みも、もう何ともない。
アレンさんだけが少しだけ怪訝そうな顔をしている。
な、何だったんだろう、今の……。
「……おい」
……え?
「おい、聞こえてんのか?」
この声って……もしかして……。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
サクラが初めて「言葉」と出会うこの瞬間を、少しでも一緒に感じていただけたら嬉しいです。
次回もどうぞよろしくお願いします。




