49. 怖い夜と横顔
「復習だ……銀貨一枚を銅貨にすると?」
「えっと、銅貨百枚!」
「ん、合ってる」
「やった!」
今わたしはグレンにお金の数え方を教わっている。
エイルメーアに来て最初の夏頃、アレンさんに文字を教えて貰って、わりとすぐに書けるようになった……と思う。
あれから時間を見つけて数字も教えて貰ったんだけど。
──サクラさん、計算の練習はグレンにも手伝って貰ってください。
アレンさんにそう言われたんだよなぁ。
あのときのアレンさん、少し困った顔して笑ってた。
今日はグレンが仕事終わりに「見てやる」って言ってくれたから、お願いしてるんだけど……。
「じゃあ次……銅貨が二百五十枚ある。銀貨に交換した後、銅貨は何枚残る?」
「……ん? ええと……五……五、枚……?」
「零、一つどこいった」
「あ……えっと、五百枚?」
「何でだよ」
あ、グレンの顔がげんなりした。
仕方ないじゃん、難しいんだもん……。
数字の書き方や順番、そこはアレンさんにも「覚えが早いですね」って褒められた。
でも計算とか数の大きさの問題となると、途端にわからなくなる。
ちゃんとした文字が書けて、計算もできる。
それはこれから大人になったら必要になること。
わたしもグレンの役にも立てるかもしれない。
「いいか、零の数で桁も変わる。五の次は五十、その次が五百だ」
グレンはものすごく根気強い人だと思う。
わたしが同じところを何回間違えても、怒らずに説明してくれる。
……顔はだんだん「大丈夫か、こいつ」みたいになっていくけど。
紙に数字を書いて、間違ったら線で消して。
それを繰り返すうちに、だんだん瞼が重くなってきた。
「……今日は次で最後だ。普通の計算だからな。二十五足す十二は?」
「うん……ええと……あ、十三?」
「……もう寝ろ」
グレンはさっさと紙とペンをまとめて、インク瓶の蓋を閉めてしまった。
もう少しやりたかったのに。
「……はーい……お休みなさーい……」
目を擦りながら、自分の部屋へ戻る。
部屋の扉を開けたところで、ふと何か歌のようなものが聞こえた。
……ううん、これは歌じゃなくて……祝詞?
“零は十二、十二は零”
“十二で終えし生”
“零より新たな世”
ドクンと心臓が鳴る。
「零を、終えた者は……次の、始まりへ……っ」
無意識に口から出た呟きに怖くなって、慌ててグレンの部屋へ戻った。
「グレンっ!」
バンッと大きな音を立てて開いた扉に、グレンがぎょっと振り返る。
「っ、サクラ!?」
いつもならこんなこと絶対しない。
部屋に入るときは必ずノックするように言われてた。
でも、どうしても怖かった。
「お前………」
どうした、とか、急に入るな、とか、グレンの言葉は続かなかった。
ただわたしの顔を見て、少し考えて、小さく溜め息をついて。
「とりあえず、入れ」
「……うん」
ゆっくり中に入ると、もうあの祝詞は聞こえなくなっている。
バクバクと早鐘を打つ心臓に、涙がじんわり浮かんだ。
「……こっち来い」
グレンに一歩近付く度に、強張っていた手から力が抜けていく感じがした。
「怖ぇ夢でも見たのか?」
「え……?」
まだ何も言ってないのに。
どうしてわかっちゃうの?
というか、自分の部屋に戻ったばかりなのに。
「夢、じゃないけど……」
ぽつり、ぽつりと話すのを、グレンは黙って聞いている。
「何か、声……聞こえた、気がした……」
何か頭の中に浮かんできて怖くなるのは、だいたい月影国のことを思い出したとき。
でも肝心なところはなかなか思い出せない。
「声が、か……」
グレンが小さく呟いたけど、どういう意味かはわからない。
「……あの、グレン……」
「ん?」
何となく視線を泳がせると、さっきまで計算の練習をしていた机の上には剣と布。
手入れをするところだったのかな。
言っていいのかな。
迷惑じゃないかな。
……ええい、言っちゃえ!
「今日、ここで寝ていい……?」
「…………」
だめ、かな……。
「わかった」
「……いいの?」
「怖ぇんだろ?」
それだけ言うとグレンは寝台を指差して、ギィと椅子に座って剣を磨き始めた。
少しすると、なんだか不思議なにおい。
これは……手入れ用の油?
寝台に座って窓の外を眺める。
景色はわたしの部屋からのとほぼ同じ。
……部屋、隣だもんね。
部屋の中に目を戻すと、魔石灯に照らされた横顔。
琥珀色の瞳が、時折きらりと光を反射する。
こちらをちらりとも見ない、真剣な目付き。
きゅっと結ばれた唇。
決して優しそうな顔立ちではない。
……かっこいい……。
わたしはできるだけ音を立てないように寝台に横になった。
それでも目はグレンから離れない。
眺めているうちに、だんだん眠気が戻ってくる。
そうだ、わたし眠かったんだ……。
もう少し眺めていたいのに。
グレンが剣の手入れが終わったら、一緒に寝たいのに。
まだ寝たくないのに、瞼はどんどん重くなる。
「……おい…………ラ……」
グレンが何か言ってるのが聞こえるけど、意識は微睡みの中に落ちていって、聞き取れない。
さっきのよりもっと小さい溜め息が聞こえた。
グレン、わたし寝てないよ。
起きてるってば……。
心の中で言い返すけど、言葉にならない。
そのうちに体がぽかぽかしてきて心地よくなって……──。
気付いたら、朝になっていた。
わたしの部屋とは微妙に違う天井。
ここがどこなのか、一瞬わからなくなる。
「……ん、ぇ……?」
ぼんやりした頭のまま、体を起こすと。
「……毎朝、ンな間抜けな声出してんのか?」
そうだ、ここ……グレンの部屋!
一気に目が覚めた。
「グ、グレン……おはよ……」
「おう」
昨日の夜、部屋に戻ったら変な声が聞こえた気がして……ここで寝たいってお願いしたんだった。
思い出した途端に恥ずかしくなってくる。
うう、このまま毛布に埋まりたい……。
「……眠れたか?」
「う、うん」
「そうか」
「あの……グレンもちゃんと寝た、の……?」
「当たり前だろ」
「そっか……」
わたし、本当にグレンの部屋で寝ちゃったんだ。
よく見るとわたしは寝台の壁側に寝かされていた。
横には、ほんのり残ったあたたかさ。
きっとグレンはもっと早くに目を覚まして、わたしを起こさないように寝台から出て、着替えて……。
「……おい」
あ、だめだ。
恥ずかしくて、グレンのこと見れない。
「……おい」
「は、はいっ!?」
「起きたなら自分の部屋戻って、さっさと着替えて来い」
「わかりましたっ!」
なぜかびしっと姿勢を正して返事をしたわたしは、熱くなった頬を隠すのも忘れて自分の部屋へ走った。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
サクラの頭の中に流れたもの、何だったんでしょう?
とりあえずグレンの部屋で熟睡できたようで良かったです(笑)
ではまた次回、エイルメーアでお会いできますように。




