44. 雨の中で握った手
「おい……どうした?」
「……え?」
気が付くと、手に持ったスプーンが止まっていた。
グレンは何事もなかったみたいにお茶を飲んでいる。
さっきの言葉を言った本人だけが、平然としていた。
「ううん……何でもない」
琥珀色の中に映るわたしがハッとして、慌ててお皿に視線を戻す。
店員さんに“アイス”と呼ばれたものが少し溶けて、とろりと広がっていた。
口の中の甘さが少しずつ戻ってきたけど、胸の奥のムズムズするような熱さのせいで落ち着かない。
溶けたアイスをスプーンで一掬いして口に入れた後にタルトの周りを飾る果物を一つ食べると、ほっぺの内側がキュッとなった。
甘酸っぱさが不思議と心地いい。
自然に手が動いて、また口の中に幸せが広がっていく。
いろんな種類の甘さをぎゅっと詰め込んだ、宝箱みたいなお皿。
あっという間に食べ終えて、お皿と一緒に出されたお茶にも口をつける。
「わぁ、これも美味しい。いい香りがする」
アレンさんのところで飲んだのとは違う、透き通った赤茶色のお茶がカップの中で揺れる。
「お客様、お口に合いましたか?」
「はい、すごく美味しかったです!」
「それは良かったです。お誕生日や特別な日のお祝いに選ばれる方も多いんですよ。是非またお越しくださいね」
誕生日はわかるけど、“特別な日”って、どんな日だろう。
ううん、それより……さっきのグレンの言葉の意味って……。
わたしが考えている間に、グレンは先にお会計に行ってしまった。
慌ててグレンを追い掛けると、店員さんは微笑んで、ちらりとグレンに視線を向ける。
「可愛らしいお連れ様ですね」
「……ああ」
「っ……!?」
今度こそダメだった。
ぐらっと足元が揺れて、すぐグレンに支えられる。
「おい……ったく、ほんとに大丈夫か、お前」
やっぱりグレンはいつも通り。
わたしだけが、熱くておかしい。
グレンが扉を開けてくれて、お店の外に出る。
外の空気は思ったよりひんやりしていた。
「帰るぞ」
「うん」
さっきまでわたしたちを囲んでいた甘い香りが遠ざかっていく。
グレンはいつもと同じ、わたしが遅れないような歩幅で歩き出す。
「グレン……さっきの甘いの、本当に美味しかった。ごちそうさま」
「……」
「……グレン?」
わたしが呼んだ瞬間、前を見ていたグレンが小さい舌打ち。
「お、やーっぱりここにいたな!」
「レオンさん」
「そこの店で食べたのか?」
「はい、とっても美味しかったです」
「だろぉ? ここ、女の子に大人気だからな!」
だから女性のお客さんが多かったんだ。
男の人はグレンを入れて三人しかいなかったことを思い出す。
「……で? グレンは何食ったんだ?」
ニヤニヤとグレンを肘でつつくレオンさん。
あ……わたしにお店を教えてくれたときと同じ顔だ。
「……さぁな」
「なんだよ、秘密主義か?」
笑うレオンさんと、拳を握るグレン。
「あ、あの……グレンはお茶飲んでました」
「あー、あの店、紅茶も美味いもんな……って茶!? お前、それしか頼まなかったのか!?」
「他に頼むもんねぇだろ」
今度はレオンさんがわなわなと震えている。
そしてカッと目を見開いた。
「おまっ……違げーだろ! そこはお前も何か頼んで、サクラに分けてやんだよ!」
女心をわかってねぇ! と嘆くレオンさんを、グレンが冷めた目で見ている。
「レ、レオンさん……でもわたしもそんなにたくさん食べられないので……」
「んなのはコイツが食えばいい!」
「で、でも、グレン、甘いもの苦手……だよね……?」
そうだと思ってるけど……違うかな?
だとしたら無理に食べさせるのは可哀想な気がする……。
グレンを見上げると、すーっと視線を逸らされた。
「……苦手じゃねぇ」
「え、そうなの?」
「……好んで食わねぇだけだ」
「……」
それは、何か違いがあるのかな……。
わたしが首を傾げていると、レオンさんが何かに納得したように頷いた。
「なるほどな。つまり、“誰かと一緒なら食うこともある”ってこった!」
「……わけわかんねぇ解釈すんな」
「ハハッ、否定しねぇのな」
「……うるせぇ」
レオンさんが肩を揺らして笑う。
グレンは面倒くさそうに眉を寄せて……ふと何かに気付いたように顔を上げた。
「……サクラ」
「へ……っ!?」
急に名前を呼ばれて、肩がビクッと跳ねる。
何だろう、胸がうるさい。
「さっさと帰るぞ」
「え、あ……うん……」
グレンの様子を見たレオンさんも、何かに気付いたように目を細めて、わたしの肩にぽんと手を置く。
「ほんと、こういうとこだよなぁ……。サクラ、もうすぐ雨が降るから、早めに帰っとけ?」
「えっ、雨?」
見上げた空には一面に広がる分厚い雲。
朝より雲の色が濃い。
どこか遠くで雷の音が響いてきた。
「誰かさん、濡れるとすぐ風邪引くだろ?」
イタズラっぽく笑うレオンさんに何も言い返せない……!
でも風邪を引くのは嫌だし、グレンに迷惑も掛けたくない。
「うっ……はい……」
帰ろっか、とグレンを振り返る。
「あれ? ……あっ!」
姿が見えないと思ってグレンを探すと、もう先に一人で歩いていた。
「待ってよ、グレン! レオンさん、お疲れさまです!」
急いで走ってグレンを追い掛ける。
「もうっ、何で置いてくの!?」
「……こうしねぇと、お前いつまでも喋ってんだろ」
「……!」
なんだか、わたしのこと見透かされてるみたいで、恥ずかしい。
でも……嫌じゃ、ない……。
そのとき。
「チッ……思ったより早かったな……」
グレンが呟くのと同時に腕に当たった水滴。
ぽた、ぽた、と落ちてきた雫はどんどん増えて、サーっという雨音に変わる。
「……走るぞ、転ぶなよ」
「え、わっ!?」
グレンは片腕で荷物を持ちながらわたしの手を握ると、そのまま走り出した。
「ちょ、っ……グレン……は、速い……っ」
離れないようにしっかり握られた手。
わたしはただ転ばないように足を動かしているだけなのに、景色がどんどん流れていく。
石畳を打つ雨音が強くなっていくのも気にならないくらい心臓が跳ねた。
はぁはぁと息を切らして到着した詰め所。
廊下ですれ違った人に「一気に降ってきたみたいだな」と声を掛けられる。
たくさん走ったと思っていたけど、髪も肩もそこまで濡れていなかった。
「ほら、さっさと中入れ。……風邪引く前に着替えろよ」
息ひとつ乱れていないグレン。
息切れが収まらないわたし。
グレンは荷物を持ったまま、わたしの部屋の扉を開けてくれた。
「あ、あり、がと……グレン……」
「ん」
それだけ言うと、グレンは自分の部屋に戻っていく。
わたしも部屋に入って、扉に背中を預ける。
新しい服。
宝石みたいなお皿。
「お前がそんな顔して食ってりゃ、十分わかる」
「可愛らしいお連れ様ですね」
雨の中で握られた手。
思い出すたびに顔が熱くなる。
誕生日って、こんなにドキドキして、甘酸っぱくて、胸がいっぱいになる日だったんだ。
わたしは手首の結び紐にそっと触れながら、自分の部屋の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
最後はちょっとバタバタしてしまったようですが……サクラ、改めて誕生日おめでとう!
ということで、グレンの誕生日祝でした!




