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35. 最初の一年


風の匂いや温度が少しずつ優しくなってきた。

まだ朝の空気は冷たいけど、昼間は日差しがポカポカして気持ちいい。


朝、寮の三階の窓を拭きながら東の空を眺める。


うん、今日もいい天気。


「おい、もたもたすんなよ黒猫女」


「う、っ……」


「おいおい、喧嘩すんなよー?」

「ま、喧嘩するほど仲がいいって言うしな」

「青春だなぁ」


他の見習い騎士の人たちが笑いながら通り過ぎていく。


誰もわたしのことは助けてくれない。

みんな一定の距離を保って遠巻きに見ているだけ。


「……はぁ……」


何度目の溜め息だろう。


グレンに弟子入りを頼み込んでいたのはトビアスっていう男の子。

小さいときにご両親を流行り病で亡くして孤児院育ち。

年はわたしより三つも下だった。


月光祭のときに酔っ払った人に絡まれていたところをグレンに助けて貰って、それから何度か騎士団に来てはグレンに弟子入りをしたがってたらしい。


騎士団や魔術師団は毎年春になると、入団を志す人たちで一気に賑やかになるんだって。

身分も出自も問わずに希望者が入団するけど、その中で残れるのは、ほんの一握りだけ。


三年以上の見習い期間中に退団する人が大半の厳しい世界。


それでもトビアスは何度もここへ足を運んで、グレンに直談判していた。


あの雪溶けの頃にわたしがトビアスを見たのも、それだったんだ。


あのときは、午後の鐘の少し前にトビアスが暮らす孤児院の院長さんが騎士団に来て、何度も頭を下げていた。


院長さんとバルタザールさんが奥の部屋で話しをして、トビアスは特別に、他の人より一ヶ月早く見習いとして入団できることになった。


部屋から出て来たバルタザールさんは「あのしつこさは、ある意味才能だな!」って笑っていて、院長さんはひたすら恐縮して頭を下げっぱなしだった。


それで今に至るんだけど……。


「おい黒猫女、チンタラすんなって言ってんだろ」


「く、黒猫女じゃなくて……わたしにはサクラって名前が……」


「なら俺より早く掃除終わらせてみろよ」


なんだか、いつもわたしへの当たりがすごく強い。

年が近いのがわたししかいないからなんだろうけど。


「はぁ……何でお前みたいな鈍間(のろま)なやつが俺より先にグレンさんと知り合ってんだよ……」


「そ、そんなこと言われたって……」


わかんないよ……。


キッと向けられた鋭い目に、言葉を飲み込む。


「お前の保護者がグレンさんとか、俺は認めないからな!」


別にトビアスに認められなくてもいいよ。

トビアスが認めようが認めまいが、グレンはわたしの保護者だもん。


でも……。


“保護者”、かぁ……やっぱり“保護者”……。


何に対してかわからないモヤモヤが、ずっと心の中で(くすぶ)っている感じ。


「……わたしにばっかりそんなこと言って……グレンに全部言っちゃうから!」


ほんとはそんなことする気なんてない。

こんな「わたしイジメられてます」みたいなこと、グレンには言いたくない。


グレンを後ろ盾みたいにしたくない。


それでもわたしが言い返したのが意外だったのか、グレンに告げ口されるのが嫌だったのか、この日は夕方までトビアスに嫌な言い方をされることはなかった。


数日後の夕食前。

厨房で手伝いをしていると、珍しくいつもより早く戻ったグレンが来た。


ガルドさんと何か短く話すと、わたしの方へ体の向きを変える。


「サクラ、ちょっとついて来い」


「うん? はーい」


何だろう?


一緒に入ったのは、バルタザールさんの団長室。


「おう、サクラ、急に呼んじまって悪かったな!」


相変わらず大きい……ううん、元気な声のバルタザールさん。


「いきなりだが、今日が何の日かわかるか?」


「え、ええと……うーん……何の、日……?」


どういう意味だろう?

今日は三月の火の週の一日目だけど。


どうしよう、わからない。


困ってグレンを見上げると、グレンはもうわたしの方を見ていた。


「……今日で、お前がここに来てちょうど一年だ」


「……ふぅん……?」


いまいちピンと来ないわたしに、バルタザールさんが大きな声で笑う。


「ハッハッハ! 何が何だかわかってねぇ顔だな、サクラ! この調子だとグレン、話してねぇな?」


「……まさかここまで……」


何か言いかけて、言葉を止めたグレン。


少し言葉を選ぶように眉根を寄せたグレンが、今呼ばれた理由を教えてくれた。


騎士団は入団して初めの一年で、たくさんの人が辞めていってしまう。

体力や継続力がない人は、自然と脱落しちゃうんだって。


逆に最初の一年目を乗り越えた人たちは、その後も残る確率が高いんだそう。


「グレンがお前の保護者になったのはもう少し先だがな! それでもこんなちっこくて細っこい子どもが、このむさっ苦しい男所帯でよくやってる!」


……褒められてるんだよ、ね?


「まあお前がここに住むようになったのはいろいろあったからだが……お前ももう立派な騎士団の仲間だ!」


「あ、ありがとうございます」


だからもう式典では寝るなよ? とニヤリとしたバルタザールさんに釘を刺されて、うっとなってしまったのは仕方ない。


「つーわけでサクラ、お前夕食のとき挨拶しろ!」


「……えぇ……?」


本当に、本当に何が何だか……。


バルタザールさんが言うには、入団して一年が経った頃、夕食のときに見習いの一人が代表として全員の前で挨拶するんだそう。

これからも頑張ります、みたいな感じかな?


わたしがここに来たのは、騎士団が新人を募集する少し前。

今いる一年目の見習いの人たちより、わたしの方がほんの少し長く騎士団にいることになる。


わたしは騎士の見習いじゃないけど、もうかれこれ一年ここで過ごしてるんだから、わたしが挨拶しても問題ない、と……。


え、何でそんなことに……。

問題ないなんてこと、ないよね!?


それにわたし、たくさんの人の前で話すなんて、したことない!


無理だよ、嫌だよ!


助けを求めてグレンを見上げると、すっと目を逸らされた。


もうっ!

グレン、わたしのこと見捨てた!

ひどいっ!


バルタザールさんは「異例中の異例だが、面白そうじゃねぇか!」なんて笑ってる。


ちっとも面白くない!


結局わたしの拒否は受け取って貰えなかった。


食堂に向かいながら、グレンと挨拶の内容を考える。


ええと、そもそもわたし、何でここにいるんだっけ。

森でグレンと会って、一緒にここへ来て……。


何を話したらいいのか、頭の中は真っ白。


隣を歩いているはずのグレンが、今は少し遠く感じた。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

エイルメーアに春の嵐がやって参りました。

どんな暴風が吹き荒れるのでしょうね?(笑)

ではまた次回、エイルメーアでお会いできますように。

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