34. 手首の桜色
月光祭が終わって約一ヶ月。
静かに雪が降っては積もり、街を白く染めていく。
まだまだ冬は終わらないみたい。
わたしはすっかり元気になった。
「あー、あー……」
うん、声はしっかり出るし、喉も痛くない。
風邪を引いてしばらくの間は咳が出ていたけど、アレンさんから“秘伝の薬草茶”を貰って飲んだら、一晩で治っちゃった。
ただ、もうあんなまずいもの飲みたくない……。
色もすごかったし、とにかくまずかった。
でもこれだけ元通りになれたのに、まだおかしいところがある。
ううん、“また”おかしくなった。
またグレンのこと、見られなくなっちゃった。
──月光祭の後。
エイルメーアの一年が終わって、また新しい一年が始まる。
ルミネスタでは新しい年になった瞬間、普段は鳴らない真夜中に、一度だけ鐘を鳴らすんだって。
聞いてみたい、かも。
わたしはいつ音が聞こえてもいいように部屋の窓を大きく開けた。
外は真っ暗。
冬の匂いのする冷たい空気が部屋に入ってくる。
騎士団は非番の人が多くて、詰め所の中はいつもより静か。
窓から見える街も、なんだかしんとしている。
新年は家族と過ごすものなんだって。
薬草茶を貰ったときアレンさんも「家で過ごします」って言ってたし。
わたしは帰る家がないから、ここにいるけど。
心の中で小さく呟くと、胸がきゅっとなる。
そういえばグレンはどうなんだろう?
家に帰って過ごすのかな?
そのとき。
廊下から話し声が聞こえる。
囁きとまではいかないけど、明らかに抑えた声。
「……や…………だろ……」
「んな……って……ほら」
なんだろう?
わたしも静かに部屋の入り口まで行って、扉に耳をくっつけた瞬間。
──コンコン……
「ほぁっ!?」
思わず出た変な声に、扉の向こうの空気が動くのがわかる。
「ほーら、言ったろ? きっと起きてるって」
この笑った声はレオンさん。
と言うことは。
「……お前、起きてたのか」
グレンだ。
どうしよう。
風邪が治って、まだちゃんと顔を見られるようになってないのに。
「え、と、あの……ええと……」
「入るぞ」
わたしの返事を待たずに開かれる扉。
「グ、グレン……」
グレンを真正面から見たの、久し振りな気がする。
顔がかあっと熱くなって、心臓がバクバク鳴り出す。
「おいおいグレン、サクラも一応レディなんだからさ、返事を待ってやれよな。着替えでもしてたらどーすんだよ」
「こんな夜中に着替えなんてしねぇだろ」
「まぁ、たしかに」
何で訪ねてきたのかわからない二人を交互に見る。
「ハァ、まぁいい。……サクラ、手ぇ出せ」
「え?」
よくわからないまま手のひらを上にするように右手を差し出す。
グレン、何をするつもりだろう……。
「それにしてもこの部屋寒みぃなぁ……って、窓開けてたのかよ!?」
「あ、はい。鐘の音、聞こうと思って」
「なるほどねぇ」
そのとき。
──カーン……
遠くで鐘が鳴って、響いた音が夜の暗闇の中に溶けていく。
新年の始まりを告げる音は、なんとなくいつもの鐘より厳かな気がした。
「……ん、できたぞ」
「うん?」
グレンの言葉に、差し出していた右手に目を落とす。
「……可愛い……グレン、これ……?」
「今日から新年だからな」
うーん……よくわからない。
レオンさんに目を向けると、エイルメーアの風習を教えてくれた。
今グレンがわたしの手首につけてくれたのは“結び紐”。
新年になると大人が子どもの手首や足首に、細い組紐を結んであげる。
一年の終わりにそれを取って、また次の年が始まると新しいのに交換するんだって。
その人との繋がりが絶えないように。
幸せや安全を願いながら。
「昔は生まれた月とか魔法の属性とか、そいつにちなんだ色のをつけてやったみたいだけど、今は好きな色のを選ぶ感じだな」
レオンさんの説明を聞きながら、もう一度手首を見る。
少し余裕を持たせて結ばれた、優しい桜色。
初めて買って貰ったワンピースと同じ色。
「しっかしウケるよな! この無愛想な大男が店先でピンクの組紐と睨めっ子してやんの!」
「っ……テメェ……」
拳をわなわなと震わせるグレンを宥めるように見上げると、小さな溜め息が降ってくる。
「……お前、この色好きだろ」
「う、うん」
グレン、気付いてくれてたんだ……。
そう、大好き。
優しくてあったかい春の色。
「俺は、もうちょい落ち着いた色でもいいんじゃね? って言ったんだけどさぁ、コイツが「サクラにはこの色だ」って譲らなかったんだよ」
「テメっ、いい加減に……!」
「う、嬉しいよ、グレン! これほんとに可愛い!」
「……ならいい」
心の中でほっと一息。
新年早々、喧嘩はよくない……!
「じゃあ俺たち、夜勤の待機番だから下に戻るわ。ゆっくり寝ろよ」
「あ、はい、お休みなさい」
「……窓閉めて寝ろよ」
「うん。……グレン……これ、本当にありがとう」
「……ん」
お休みなさい、と閉まる扉を見つめて、その場にしゃがみこむ。
どうしよう……。
顔も熱いし、グ、グレンの触れた手首も……なんだか変な感じ。
熱いような、くすぐったいような。
ね、寝るどころじゃないよ……!
──あれから半月以上経ったのに、やっぱりわたしは変なまま。
前に診てくれた医務官さんと廊下ですれ違ったときに聞いてみたけど、「それは病気じゃないからねぇ」って困った顔されちゃった。
でも、また前みたいにグレンと話せなくなるのは嫌だ。
ふ、普通に……できるだけ普通に……。
「……おい」
「ひゃい!?」
「……また具合悪りぃのか?」
「そ、そんなことないよ! 大丈夫、元気!」
うう……。
そんな変な目でわたしのこと見ないでよ……。
こうして何とも言えない雰囲気のまま、冬は静かに終わりへと近付いていった。
街や森の雪が少しずつ溶け始めた頃。
今日もわたしの手首には結び紐が揺れている。
寮の掃除をするときや厨房の手伝いをするとき、汚れないようにと捲った袖と一緒に、結び紐も肘の下へ。
いつでもこの桜色が気になって仕方ない。
こんなに細い紐なのに、とんでもない存在感。
お昼の皿洗いを終えて部屋へ戻る途中、広間の方から何か大きな声が聞こえてくる。
騎士団の人たちと……子どもの声?
「俺を…………って……ってば!」
ちらりと広間を覗くと、入り口を入ってすぐのところに人集りがある。
「だから! 俺を弟子にしてくれって頼んでんだろ!?」
声を張り上げているのは、わたしと同じくらいの大きさの男の子。
「だからもへったくれもねぇ。ワケわかんねぇこと言ってねぇでさっさと帰れ」
……え、弟子入りを志願されてるのって、グレン!?
「何でだよ!? 頼むってば!」
「…………帰れ」
あ、グレンの眉間のシワが深くなってきた。
「おーおー、また来てるよ、あのガキ」
「ほんっと凝りねぇよなぁ」
「つーか、いつまでこのやりとり続ける気だ?」
グレンと男の子の会話を聞いていた人たちが苦笑い混じりに話している。
あの男の子、こうやってグレンを訪ねて来るの、初めてじゃないんだ。
朽葉色の髪の毛に萌黄色の瞳。
春の森みたいな優しい色の子。
グレンはあの子に剣を教えてあげる気、ないのかな。
あ、でもまずは騎士団に入らなきゃだめとか?
そのとき、わたしの視線に気付いた男の子にビシッと指を差される。
「……何見てんだよチビ! なぁ、小さい子どもがいるじゃん! あいつがここにいるなら、俺だって入団させてくれよ!」
チ、チビ!?
わたしのことチビって言った!?
周りで聞いていた人たちが一気にざわつく。
「あんなチンチクリンなガキが入れるんだから、俺のことも認めてくれってば!」
っ……前言撤回。
わたし、あの子のこと、なんか苦手……!
思わず、手首の桜色をぎゅっと握りしめた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
エイルメーアはようやく新年です。
春ですね、ふふ。(意味深)




