29. 甘酸っぱいパン
十二月、光の週の一日目。
今日の空も、突き抜けるように高く青く澄んでいる。
冷たい空気は少し甘い冬の匂い。
今日からいよいよ月光祭!
月光祭は光の週の一日目から三日目まで。
夏の星祭りと同じ。
午前の鐘が鳴って少しした頃。
最初に王様の挨拶があって、それが終わるといよいよお祭りが始まる。
「ね、グレン! どこから行く?」
月光祭の初日。
お祭りが楽しみだったわたしは、グレンへの何とも言えない気持ちになっていたことも忘れちゃって。
気が付いたら前みたいに話せるようになっていた。
今日のグレンの勤務は夜勤で、夕方の鐘までは自由時間。
昼までっていう約束で連れて来てくれた。
もしかして昼間にわたしとお祭りを回るために、夜勤にしてくれたのかな……?
「好きなとこ見ろ」
楽しみで早足になるわたしの後ろを、少し面倒くさそうにグレンがついて来る。
でもわたしは知ってる。
グレンは本当に面倒くさかったら、そもそも連れて来てなんかくれない。
……多分。
わたしはグレンに貰ったマフラーを巻いて、グレンの数歩先で振り返る。
「じゃあ何か美味しいもの食べたい!」
「……普通に朝飯食って、まだ入るのか」
あ、今のは本当に呆れたときの声。
でもそんなこと気にしていられない。
目の前にキラキラとわくわくがたくさんあるんだもん!
街を光らせる白や銀の飾りに目をやりながら賑わう大通りを進むと、一際大きな人集りに目が止まった。
「ねぇグレン、あれ何?」
お客さんたちの隙間から見えたのは、普段食べているのとは違う、雪みたいに真っ白なパン。
「いらっしゃい! 王都ルミネスタで一番古いパン屋だよ! オススメは月光祭限定の白パン、ルミの実ジャムが入ってるよ!」
元気なおばさんの声と、甘酸っぱい匂い。
「グレン、これ食べてみたい!」
後ろを振り返ると、澄んだ琥珀色と目が合った。
「ん」
グレンから受け取った白パンは柔らかくて、ほんのり温かかった。
パンを半分に割って、片方はグレンに。
パンの中には透き通った橙色のジャム。
これ、ルミの実からできてるんだ。
グレン、なかなか食べないけど……お腹空いてないのかな?
不思議に思いながらジャムの真ん中を食べる。
「すっぱ!!」
思ったより酸っぱくて、顔がくしゃっとなる。
慌てて周りのパンの部分を食べたらほんのり甘くて、頬から力が抜けた。
──ふ、……。
……うん?
今、誰か笑った?
ほんの少し、どこかから漏れた空気が揺れるくらいの小さい音。
涙目を擦りながら顔を上げる。
目の前にはいつもの無表情なグレンがいるだけ。
でも……。
眉間のシワはいつもより浅いし、眉尻も少しだけ下がってる気がする。
「グレン……わたしの顔見て笑った……?」
「……笑ってねぇ」
なーんだ。
じゃあわたしの勘違いかな。
「……ただ……」
グレンの言葉に、思考を止める。
「……お前、ほんと予想を裏切らねぇな」
無感情に結ばれた唇と細められた琥珀色。
ほんの一瞬。
その中に、僅かに意地悪な笑みが混ざった。
ま、まさか……。
「グレン、このジャム酸っぱいの知ってて黙ってたってこと!?」
「…………」
この無言は「そうだ」ってこと、だよね。
「これで眠気も飛んだだろ」
たしかにちょっと眠かったけど。
王様の挨拶のとき、ウトウトしてたけど。
「だ、だって……昨日の夜……」
言いかけて、昨夜の光景がふっと浮かぶ。
──月光祭の前夜。
夏の星祭りのときと同じで、王城の中庭で点灯式があった。
夏と違って、花壇や木の根元に置かれたたくさんのランタン。
そこから浮かび上がる銀色の光。
光はゆっくりと、でもたしかな軌跡で王城の一番高い屋根のあたりに集まって、雪の結晶を形作る。
「……すごい……綺麗……」
最後の一粒がそこに加わって、結晶が強く光ると一気に弾けた。
中庭に淡く光る雪が降ったかと思ったら、石畳や草にその光が移る。
いつの間にか銀色の光で溢れた中庭に感動したわたしは、興奮して眠れなくなって。
今朝はグレンの何回目かのノックでようやく起きたんだ……。
「──だって、昨日の夜……あんなに綺麗なものを見たんだもん」
「ったく……いくらガキでも、傍から見りゃお前も騎士団関係者だ」
「……うん、わかった……グレン」
「ん?」
「ごめん、なさい」
「……わかりゃいい。この話はもう終わりだ。好きなもん食え」
「いいのっ!?」
そこからわたしは、雪の結晶の形の飴細工を買って貰ったり、熱々のスープを飲んだり、ふわふわの焼き菓子を食べたり、月光祭を満喫した。
……もうすぐ昼の鐘が鳴る頃かな。
そろそろ詰め所に戻らなきゃ。
大通りを歩いていると、嗅いだことがある甘い匂い。
「いらっしゃいませ! 冬限定の“白い”チョコレートです!」
そうだ、この匂い!
チョコレート!
でも前に買って貰った茶色のときより、もっと甘い香りがする。
そういえばまだ茶色のが一つ、引き出しに残ってるけど……チョコレートって、いつまで取っておけるんだろう……?
ちらりとグレンを見上げると、切れ長の目は心なしかげんなりしつつ、もうわたしの方を見ていた。
「……食いてぇんだろ」
「バレちゃった?」
「……二つまでだ」
「ありがと、グレン!」
売り場のお姉さんがくれた試食を配っている。
本当に白いチョコレートだ。
どんな味がするんだろう、と口に入れる。
……何これ、美味しい!
茶色のよりもっと甘くて、優しい匂いがする!
「……やる」
グレンは今回も甘い匂いから顔を背けるように、自分のぶんの試食をわたしにくれた。
真っ白なチョコレートの入った紙袋を胸に抱いて、今度こそ詰め所へ。
「グレンは甘いもの嫌いなの?」
「いや……」
そうだよね、ルミの実は食べるもんね。
チョコレートの匂いが苦手なのかな?
「もし好きになったら、一緒に食べようね」
「…………」
返事はない。
でも、これでいい。
嫌だって言われてない、これだけで充分。
詰め所に着くと、グレンは夜勤の確認のために奥に行ってしまった。
いつか。
いつかグレンと、この甘いチョコレートを一緒に食べてみたいな。
胸の奥にほんの少しのあたたかいものを感じながら、わたしも夕食の仕込みを手伝いに厨房へ走った。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
甘酸っぱくて、ほんのりあたたかいサクラの気持ちを感じていただけたら嬉しいです。
ではまた次回、エイルメーアでお会いできますように。




