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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
終章 闘いの舞台へ
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8-2 フォルトン

 銅製の参加証のメダルを神官に渡すと、ディルは近くにある剣闘士の控室の中を覗いた。

 メイン以外の出場者の待機所となっている合同控室の中は、広々としていて、試合を控えた剣闘士や関係者の姿で埋められている。

 だが、そこにフォルトンらしき者の姿は見当たらなかった。

 直接顔を見たことはないが、特徴は聞いているため、見れば確信できずとも何かしら引っかかるはずで、該当する者がいないことはすぐにわかった。

「……チッ」

 小さく舌打ちしてから、ディルは歩きだす。

 通路を行きかう観客たちの間をするすると擦り抜け、闘技場をぐるりと囲むスタンド席下の通路を半周進むと、フィオリトゥーラの控室付近まで戻ってきた。

 まだ四の刻の鐘は鳴っていない。第二控室に向かう通路には入らず、さらに先へと歩を進める。正面観覧席である「S席」の脇が関係者用の観覧スペースになっているはずだった。

 とても万全とはいえない状態で臨む今日の試合だが、すでに準備はほぼ済ませてある。直前でアルシェルといくつか確認する事項はあるが、それまでディルは他の試合を観戦するつもりでいた。エストック使いのクレイドにかぎらず、「単独」の闘技場で行われる同ランクの試合は、基本的にどれもディルの興味を引くものばかりだ。

「――あれ? ディルエンドさんですよね?」

 不意に、少し離れた背後から声が届いた。

 隣にいる者に語りかけるような口調でありながらも、この喧騒の中、よく通る強いその声ははっきりと聞こえた。ディルが聞き逃さないようにと、意識して発したのだろう。

 チッ、と密かに舌打ちしながら、ディルはあえてすぐに足を止めず、数歩前に進んでから顔だけを振り向かせた。

「ああ?」

 相手が自分の声に反応し足を止めたことを確認すると、その男は人懐っこそうな笑みを顔に貼りつけたまま、ディルへと小走りで駆け寄ってくる。

 綺麗な白いチュニックは余計なしわひとつなく、豪華な金色のベルトがやけに際立っていた。左腰にはロングソードが下げられているが、まだ盾や鎧などは装備されていない。

 歳は二十代半ば。それぞれの顔のパーツがはっきりとした濃い顔立ちの男だった。

 ウェーブのかかったふわりとした黒髪、太い眉毛に二重目蓋の大きな目、少し丸めの鼻の下では、ふっくらとした分厚い唇がわずかに開いている。アクが強いが、派手なその顔は美形と呼べなくもない。ディルが聞いていた特徴と一致していた。

「エディ・フォルトンです。今日はよろしくお願いします」

 二メートルほど間隔を空けたところで立ち止まると、冷めた表情のディルと対照的に、フォルトンは甘い笑顔を披露した。

「ああ」

 ディルが素っ気なく一言返すと、フォルトンはすぐに周囲を素早く見回す。行きかう人は多いが、二人を気にしている者はいない。

 まさか、と思いつつディルはわずかに警戒を強めるが、こちらに向きなおしたフォルトンの顔を見て、その行動の意味を理解した。

 笑顔であることに変わりはないが、そこにはこちらを見下した下卑たものが加わっていた。人目がなければすぐに本性を出すタイプらしい。

「ふうん」

 口を半開きにしたまま、一歩踏みだしてフォルトンがその顔を近づけてくる。

 背丈は幾分フォルトンの方が低い。微動だにしないディルの顔を下から覗きこむと、その視線は頬の傷で一度止まった後、サッと沈んでディルの右腕へと移動した。

 ブラウンのチュニックの半袖の下から、巻かれた包帯が覗いている。左肩と比べればシミターを振れるほどまでには回復したものの、右上腕の怪我もまだ完治はしていない。

 フォルトンが顔を上げた。

「なんだよ。失敗したって聞いてたけど、そうでもねえじゃん」

 ぼそりと呟き、歪んだ笑みを深める。ディルは変わらず冷たい視線をフォルトンに浴びせていた。

 フォルトンは少しの間ディルと目を合わせた後、再びその視線を素早く移動させる。

 今度は、ディルの左肩で止まった。

 チュニックの襟元などから包帯が覗き見えたりはしない。こちらは今日のためにすでに外してあるのだ。また、昨日まで固定していた左腕も今は解放してある。

「でも、本当に辛そうなのはこっちかあ?」

 そう言ってから、フォルトンは再びディルと目を合わせた。

 目敏い奴だな……。

 表情を一切変えずにいたが、ディルは感心していた。隠している怪我の箇所を一瞬で見抜くあたり、小細工を弄するとはいえ、やはりここまで順調に勝ち抜いてきた者なのだろう。むしろ、集めた情報だけではわからないフォルトンの嫌らしさを垣間見た気がした。

 簡単にはいかねえかな……。

 ディルは自然と口の端を小さく歪める。

「まあいいや。今日は俺のファンも結構来てるんで、せいぜい盛りあげてくださいよ」

 フォルトンはそう言うと、左手を差しだして握手を求めてきた。

 通常握手は武器を扱う右手で行うもので、ディルの左手の動きを見たいというその意図は明白だった。

 ディルは左手を持ち上げながらも、露骨に右手をシミターの柄に触れさせる。フォルトンが妙なことをするようであれば、即座に左腕を斬り落とすつもりだった。

 ディルは気取られぬよう全力で集中して、自身の左腕に違和感のない動きを命じた。

 差しだした左手を互いが同時に握る。

 予想していたとおりフォルトンは強めに握りこんできたが、それ以上は何も仕掛けてこないようだった。

 ディルも負けじと強く握り返しながら、その顔の笑みを深める。

「そうだな。期待に応えてやるから、楽しく遊ぼうぜ」

 二人は同時に手を離した。

 フォルトンは白いチュニックの裾を翻し、ディルに背を向けると、通路を元来た方へと足早に去っていく。

 行きかう観客たちの合間へと消えていくフォルトンの後ろ姿を見送ると、ディルは通路の途中にそれを見つけた。控室に続く通路から、顔だけを覗かせて彼女がこちらを見つめていた。

 フィオリトゥーラだった。目立つ白金の髪の大きな三つ編みを背後で揺らして、彼女は両手剣を背負った戦闘服姿で、通路に飛びだしてくる。

 ディルとフォルトンには目も向けなかった周囲の者たちが、突然姿を現した彼女へは視線を集めた。思わず足を止めてしまう者すらいた。

「ディル、大丈夫ですか?」

 フィオリトゥーラが駆け寄ってくる。

 声のかけ方からすると先の様子を見ていたと推察されるが、いや、とディルは考えなおす。

 フォルトンも自分も気づかなかったのだから、おそらくは一度見てその後に隠れ、壁越しに会話だけを聴いていたのだろう。

「問題ねえよ。対戦相手とのちょっとした顔合わせだ」

「どうでしたか?」

 フォルトンが消えていった通路の先を一度見た後、フィオリトゥーラが訊ねた。

 彼女の実際の意図は定かではないが、いっぱしの剣闘士のような、らしからぬその質問に、ディルは軽く目を見開かせる。

「そうだな……。わりと雰囲気はあったな。まあ、最初から楽な相手じゃねえとは思ってたから関係ねえよ。で、おまえも観戦か?」

「いえ。参加証の提出をと思いまして」

「それなら反対側だぜ」

「はい。あちらの待機所の方ですよね。それでは行ってまいります」

 まだ何人かの視線を引きずったまま、フィオリトゥーラもまた通路の向こうへと姿を消していった。

 その時、耳をつんざく大きな音が鼓膜を震わせる。隣の教会の尖塔からの、四の刻の鐘の音が、闘技場全体を覆った。



「結構降ってきてるぜ」

 髪と服を濡らしたディルが現れるなり言う。

 ディルは二試合を観戦して、控室に戻ってきた。その様子からして、外ではすでに本格的に雨が降り始めているようだった。

「使う?」

 ガルディアが身体を拭くための大きな布を手にして寄ってくるが、ディルは一瞬考えた後、答える。

「いや、どうせ着替えるからいい」

「そっか。アルシェルさんもう来てるよ」

 言われて中を見れば、部屋の奥、飾られた花々の隙間に身を埋めるようにして、アルシェルがその背を壁に預けて立っていた。

 一重の切れ長の目から覗く黒い瞳が、ディルを見つめている。

 華やかさはないがほっそりとした端正な顔立ち。艶やかな黒髪は襟元までと短く耳も出ていて、その髪型はガルディアによく似ていた。

 身長はクローディアと同じぐらいで百六十センチに満たない程度。ゆったりとした簡素な生成りの男物のチュニックをまとう彼女は、その手に大きな麻袋を下げている。

「悪い、待たせたな」

 ディルがフィオリトゥーラの脇を抜けて、アルシェルへと近づいていく。

 フィオリトゥーラは変わらず部屋の中央に座り、その隣にはクローディアが立っていた。

 ちなみに、この部屋に入ると皆一度はフィオリトゥーラに「どうぞ」と椅子を勧められるのだが、この控室には一脚しか椅子がなく、今日のファイナルを控えた彼女に対して丁重に断るというやりとりが繰り返されていた。

「いいよ。さっき来たばかりだし、ディルが試合を観戦してるなんてわかりきってたことだから」

 雑な口調に似合わぬ高い声でアルシェルが話す。

 彼女は麻袋を床に下ろし、そこから一本の短剣を取りだすと、鞘入りのそれをディルへと手渡した。

「ちゃんとベルトに固定できるようにしてある。見た目もシミターとセットっぽい感じになってるでしょ?」

 ディルは手にした短剣を少し観察した後、早速ベルトの左腰にそれを取りつけてみる。

「これなら使い慣れてる感じに見えそうだな」

 鞘と柄のデザインはシミターと揃いで、腰の左右に下げられたそれは、確かに形状や長さこそ違えど一対の剣として見えた。

「それ、今日は普段通りに抜いたりしてないよね?」

 ディルの右腰のシミターを指差して、アルシェルが訊ねる。

「ああ、大丈夫だ」

「万が一でも壊れたら馬鹿馬鹿しいから、試合の時は最初から抜いておいた方がいいよ」

「わかってる。そうするつもりだった」

 淡々と進められる二人の会話はクローディアにとって意味不明なものだったが、試合前の期間を一緒に過ごしていたはずのフィオリトゥーラとガルディアでも、それは同様だった。

 ディルは目覚めた翌日から、アルシェルとフォルトン戦に向けた装備の改良について話し、その後もほぼ毎日アルシェルが試作を持ってきてはまた相談するといった風に、今日まで準備を進めてきたが、その時はスラクストンやリディアだけでなく、ガルディアとフィオリトゥーラの二人にも、常に席を外すよう要求していたのだ。

 その度にディルは、

「まあ、本番の楽しみにしてろよ」

「おまえらが外でフォルトンが雇った連中に捕まっちまうかもしれないだろ」

 などと、冗談半分の軽口を叩いたりしていたが、部屋を出た後フィオリトゥーラと二人になったガルディアは、それが照れ隠しの一種なのではないかと語っていた。

「強度はまったく期待できない。振れるのは一回だけだと思って。いい?」

 アルシェルが語調を強めて最後にディルに念を押す。ディルはしっかりとうなずいた。

 すでに隠すことなく話される二人の会話の内容は、それでもまるで理解できなかったが、フィオリトゥーラはぼんやりとその様子を眺め考える。

 おそらくディルは、フォルトンとの試合で何か不本意な戦法を用いるつもりなのだろう、と。ガルディアもそれを察しているからこそ、この場で口を挟んだりしない。

 そしてその原因は、間違いなく怪我を負っていることであり、辿ればフィオリトゥーラの剣の奪還に協力したことが根幹にある。

 フィオリトゥーラは自身の試合のことも忘れ、ただディルの身を案じていた。かなうならば自身が代わりに闘えればと、密かにその唇を噛みしめた。

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