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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第七章 剣の物語
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7-11 物語を紡ぐ幾千の剣

 夕陽を浴びた白壁の屋敷が、オレンジ色に淡く輝いている。

 五の刻の鐘も鳴り終えてしばらく経った頃、馬車はスラスクトンの屋敷に到着していた。

 開け放たれた門の前で、三人は振り返り西の空を眺める。

 まだ上方に青を残した夕焼け空。それを背にした遥か遠く、その巨大なシルエットの頂点には、小さな針のような大教会の尖塔の姿がうっすらと浮かんでいる。

 視線を戻せば、フィオリトゥーラの前でレディシスがうやうやしく跪いていた。

「今日はなるべく控えていたが、いずれまた私の方からも、貴女という奇跡のような存在を鑑賞し称賛するためだけの席でも設けさせていただきたいと考えています」

 真顔でそんなことを言うレディシスに、フィオリトゥーラは困ったように笑みを返している。

 今日のレディシスは、こういった行動や言動の素振りを見せた瞬間、常にクローディアの黒いブーツに小突かれ、仕方なく自身でも抑えてきたが、今は最後とばかりにこれを解禁させていた。

 クローディアも別れ際ぐらいは仕方ないかと、腕を組んで呆れた表情のまま黙ってその様子を眺めている。

「三日後の試合、華麗に勝利する姿がすでに私のこの目には浮かんでいます。妬ましくもあるが、その優美で可憐な姿を存分に群衆どもに見せつけるといいでしょう」

 レディシスは顔を上げてにこやかに微笑むと、颯爽と立ち上がった。

「それでは、今日はこれにて失礼させていただきます」

 モスグリーンのフレアスリーブの袖を優雅に翻すと、レディシスはクローディアの脇を抜けて、路上に停めてある自身の馬車へと向かう。

「それじゃまた試合会場で、だね。私を退けた剣を存分に見せて。期待してるわ」

「はい。お待ちしています」

 フィオリトゥーラが笑顔で答えると、クローディアも同様に笑みを返す。

 それから彼女は、黒いコートの裾を揺らして振り向くと、レディシスのあとに続いた。

 三人はそのまま眺め、二人を乗せた黒塗りの馬車が去っていく様子を並んで見送った。



「これで全部解決かな」

 ガルディアはそう言うと、両腕を上げて伸びをする。

「そうだな。それじゃ戻るか」

 ディルはゆっくりと振り向き、ガルディアもそれに続こうとするが、フィオリトゥーラだけがまだ動こうとしなかった。

「フィオさん、どうしたの?」

 ガルディアが訊ねると、フィオリトゥーラがゆっくりと振り返る。

 その白い頬が夕陽の色に染められていた。心地よい涼やかな風が、彼女の前髪を小さく揺らす。

 彼女は一度その目蓋を閉じると、再び覗かせた瞳で二人を順に見つめた。太陽を背にしているというのに、まるで陽光を目にするかのようにその目を細めている。

「この場で、あらためてお礼を言わせてください」

 ディルも足を止め、ガルディアと顔を見合わせた。

 何か言いかける二人より先に、一歩踏みだして彼女がそれを制する。

「今回の件、無力な私一人では何もできなかったことでしょう。この地で貴方たちに出会えた幸運に感謝するとともに、ディル、ガルディア、お二人からの多大なご協力をいただけこと、心より感謝いたします。その叡知と力を称えさせてください」

「はッ、随分と大袈裟だな」

 ディルは笑うが、ガルディアは少し困ったようにうつむいている。

 フィオリトゥーラは数度瞬きをした後、その揺るぎない眼差しを二人へと向けた。

「この先お二人に何かあれば、私は全力を挙げて支援いたします。そして、このご恩をいつまでも忘れないでしょう。この気持ちはひとつの形で収まるような軽いものではありません。お二人が何かを求めれば、私はこの恩義に報いるべく、終わりなき感謝の意とそれを示す行動をこれから先、幾度でもお二人へと捧げていくつもりです」

 唐突にフィオリトゥーラが歩きだし、そのままディルへと身を寄せる。

 怪我を負った身体を優しく包みこむように、ディルの背中へとその細い腕を回し、顔を上げて、その頬に唇を触れさせた。

 離れ際に呆然とするディルの顔を見つめ、こくりとうなずいた後、今度は隣のガルディアの正面に立つと、同様にハグをし、硬直するガルディアの頬にやはり唇を当てる。

 心地よい香りとその柔らかな感触を受けて、二人は動揺を隠せずにいた。突然の出来事にうろたえ落ちつかない様子を見せる二人を前に、彼女は優しく微笑んでみせる。

「今お話ししたこととは別に、今回の報酬としてまずはどうか、この場で何かお二人の望みをお聞かせください。なんの力も持たぬ身ですが、そんな現在の私でもお引き受けできることがあれば、なんなりと申しつけいただけたらと思います」

 ガルディアは思わず後退りしそうになる。

 いやいや、今のでもう十分な報酬でしょ……。

 そう言いたくなるのを堪えながら、ちらりと隣の横顔を覗けば、ディルはその口元に手を寄せ、何か真剣に考えているような表情でフィオリトゥーラを見つめていた。

 そんな彼の様子に、何かとんでもないことを言いだすのではと危惧し、ガルディアは我先にと慌てて口を開く。

「えーと、僕はとりあえずはいいかな。あ、そうだ! 何気にまだ預かってた金貨を返してなかったから、あれを報酬として貰っちゃおうかな」

 何を自分でもこんなに慌てているのだろうと思いながら、ガルディアは引きつった笑いを浮かべて言った。

「なんだよ、結局金かよ」

 横目でガルディアを見ながらディルが呆れ顔で呟く。 

「いいじゃん、別に」

「あの、金銭を報酬とするのであれば、もう少ししっかりとした金額でお渡ししたいと思うのですが……」

「いやいや。普通あのぐらいあれば十分だから」

「そうですか……」

 不思議そうにガルディアを見つめるフィオリトゥーラだが、すぐにその顔に笑みを戻すと、今度はその瞳がディルの顔を覗いた。

「ディルは、どういたしますか?」

 口元から手を外すと、ディルはニヤリと笑う。

「俺の報酬はな。フィオ、おまえにあることを約束してもらいたい」

「構いませんが、それはどういったことについてでしょうか?」

 ガルディアは息をのみ、続くディルの言葉に耳を傾けた。

「いずれ、おまえが俺と闘うことになった時、その時は、一切の躊躇なく全力で闘ってくれ。それをここで約束してほしい。俺も当然そうするつもりだ」

 フィオリトゥーラは、その目をわずかに見開かせる。

 それからゆっくりとうつむきかけるが、途中でそれを止めると彼女は顔を上げ、どこか寂しげな笑みをディルへと向けた。

「この聖地で闘い続けるかぎり、それは十分にありえることなのでしょうね……。承知いたしました。その時は、私も覚悟を決めて全力で臨むと、この場で約束させていただきます」

「よし。そう来なくちゃな」

 それは、自身にも向けた約束だった。ディルは嬉しそうに笑みを深め、それに合わせてフィオリトゥーラも再び微笑む。

「うわあ……。僕は遠慮しとくね。フィオさんと当たったら迷わず勝利を献上するし、ディルと当たったら、フォルトンよろしく事前に裏工作でもさせてもらうから」

「おまえには期待してねえよ」

「そんなこと言ってると、今のうちから色々と仕掛けちゃうよ?」

「ああ?」

 二人は睨み合うが、すぐにその表情を緩めると、同時に笑いだしていた。そんな二人の様子にフィオリトゥーラも、くすりと笑みをこぼす。

「……あの、もう少しここでお話しさせてもらっても構いませんか?」

「ん?」

「なんだよ?」

 首をかしげるガルディアと、まだ口元に笑みを残したまま振り向くディル。

 そんな二人を前にフィオリトーラは、ゆっくりと、目蓋を閉じた――。

 漠然としたこれから先の未来の映像が、凄まじい速度で瞬いたかと思うと、全てが通りすぎて残った暗闇の中に、その顔がぼうっと浮かびあがった。

 目蓋の裏側にいつまでも焼きついている、アルトゥラステリオの儚げで優しい笑顔……。

 深く息を吸い、それを長く緩やかに吐きだすと、フィオリトゥーラはその目を開けた。

 冷たい空気を含んだ風が通り抜ける。

 凛とした眉の下、一点の曇りもない澄んだ碧い瞳が、二人と、もう会うことはできない最愛の人へと向けられた。

「私の兄、アルトゥラステリオは、死の際にその夢と剣を私に託すと告げ、去っていきました。あの〝炎の剣〟を、自らの〝真の名〟で聖地の頂点に掲げること、それが病に身体を侵されながらも、兄が描いた夢でした」

 フィオリトゥーラは振り返り西の空を見上げると、オレンジ色の光を受けながら、遥か遠く、物理的なその距離よりもさらに遠い場所にある、聖地の頂きをぼんやりと眺める。

「その最後の言葉は、私の中に強く刻まれました。ガルディアさんはそれを〝呪い〟と表現されましたが、私も同感です。それからの私に選択肢などありませんでした。そうしなければ呼吸が止まって窒息してしまいそうな強迫が、日常の全てに押し寄せ、そこから逃れるべく必死に画策し、城を抜けだし、この聖地まで無我夢中で辿り着きました」

 喘ぐように吐息をもらし、フィオリトゥーラが再び二人を見つめる。

「私は、〝夢の奴隷〟となっていたのです。もっとも、その事実に気がついても、それで構わないと自ら納得してもいましたが……。ですが、今回の件を通じて、様々な感情や考えが私の中に芽生えました。私に託された夢のために闘うお二人の姿を見て、全てがひどく揺らぎました。兄の夢より優先すべきことは本当に存在しないのか……? 今でも、そこに明確な答えなどありません。ただ、それでおそらく、私の目は覚めたのです」

 フィオリトゥーラは、そっと自身の胸に手を当てた。

「ただの勘違いかもしれません。でも、そう考えることで、私の中で燻り詰まっていたものが、綺麗に抜け落ちたのです。兄は、私に夢を託したのではなく、私に夢を与えてくれたのではないか――、と」

 自身でそう口にするだけで、温かな光が胸の中に灯る感覚があった。

 フィオリトゥーラはうつむき、唇を噛みしめる。

「空っぽな私の中に、夢を、道を与えてくれた。そう思えた瞬間、どこからか光が差した気がしました。私は私、フィオリトゥーラとしてこの聖地で夢を見てよいのだ、と。あの夜、ザリと闘う中で、そこに思いいたり激しく高揚しました」

 不意に、ぞくりとするような視線を二人に向け、彼女は自身を突き動かす衝動を抑えるために、華奢な腕をその両手で掴んで抱えた。

「――このアルスタルトという巨大な都市の中には、ディルが進む道があり、ガルディアさんが進む道があり、スラクストンさんが進む道も、リディアさんの進む道も、プレシャスさんも、クローディアさんも、ヴァレルさんも、レディシスさんも、ネイサンさんも、ライマーさんも、クリスタさんも、フェリクスさんも、カミロさんも、そしてエリオスも、ザリにも道がある。その中で、ソロンさんやヴェンツェルのように途絶えてしまった道もまた……」

 彼女はその目を細めて、この上なく嬉しそうに微笑みながら身震いする。

「私が……、そこに加わったのです。何が何より優先されることなどない、それぞれの無数の夢、様々な道が交錯するこの世界に、物語を紡ぐ幾千の剣の、そのうちのひとつの剣として――」

 うわずった声でそこまでを言い終えると、フィオリトゥーラの大きな目の縁から、涙が溢れだす。

 両の頬を伝うその雫に、ディルとガルディアはその視線を奪われ離せずにいた。

 幾千の剣、か……。

 自分が当たり前と思っていた日常と等しいものに感動する彼女の姿を見て、ディルはその大きな奔流の中に自分も存在し漂っているのだと、そんなことをふと考えた。

 そして、これからの彼女はさらに強いのだろうな、と漠然と予感した。

「はは……。歓迎するぜ」

 彼女は、一体どこまで駆け上がっていくのだろうか……。

 新たな光を宿したその美しい瞳の中に何かを見て、ディルは彼女に呼応するかのように、その身体をかすかに震わせながら、自らも目指すその頂の姿を遠く見上げた。




 第七章 完

 終章に続きます。

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