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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第七章 剣の物語
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7-8 ディルとガルディア

 カチャカチャとリディアが食器を重ねる音を耳にしながら、ディルは先までのフィオリトゥーラとの会話のことを考えていた。

 ヴェンツェルと対峙する最中で、やはり自分は夢でも見ていたのかもしれないと、ディルはあらためて思う。フィオリトゥーラが目にした自分と、記憶にある自分の姿が同一とはかぎらない。

 あの時目にしたガーデンの光景の話をすれば、彼女やガルディアはどんな反応をするだろうか?

 信じるにしても、簡単に現実のものとして受け入れるのは難しいだろう。

 いや。こうして今は回想できている自分自身も、もしかすると日ごとにその記憶は薄れ、あの出来事はやがて風化してしまうのかもしれない……。それこそ、目覚める直前に見た夢か何かのように。

 気がつけば、片付けを終えたリディアが目の前に立っていた。

「眉間にしわが寄ってますよー」

 そう指摘され、ディルは我に返る。

「それじゃあ、私は今日はそろそろ帰ります。明かりは消しますか?」

「いや。ガルディアが戻ったらここに顔を出すだろうし、そのままにしといてくれ」

「わかりました。何かあればスラクストンさんを呼んでくださいね。あれで結構心配してますから、すぐに飛んできますよ」

「ああ。この際だから散々こき使ってやるよ」

 そう言うと、二人は揃って笑った。

 リディアが退出すると、それからさほど間を置かず、扉がノックされる。

「入るよ」

 ガルディアだった。

 大きな音を立てないよう丁寧に扉を閉めると、ガルディアは足早にベッドへと近づいてくる。

「超不機嫌だったよ。あの人、怖いね」

「マジか。おまえ何言ったんだよ?」

 腰のショートソードを外しテーブルの上に置くと、ガルディアは先までフィオリトゥーラが座っていた椅子に腰かけた。

「最初は普通だったのに、『ディルは怪我で寝こんでるよ』って話したら、途端にこう眉がキュッてなってさあ……」

「あー。あいつは俺を使って自分の剣を宣伝しようとしてるからな。フォルトン戦の前に怪我したなんて言ったら、確かにそうなるかもな」

「あ、もしかして話しちゃまずかった?」

「いや。どうせ明日来るんだ。すぐわかっちまう。それに、この怪我でどうフォルトンと闘うかの協力を仰ぐんだからな。あいつに隠す意味はねえよ」

「よかった、じゃあ問題ないね。にしても、アルシェルさんって結構な美人さんなんだね。ちょっと怖いけど」

「そうか? まあ、俺にとってあいつの見た目は全く関係ないからな。って、こんなこと目の前で言っちまったら、またさらに不機嫌になっちまうか?」

 そう言って苦笑するが、何かに打たれたようにディルは唐突にその顔を歪めた。

 頬の傷が痛みを訴えてきたのだ。いつものように会話をしているものの、当たり前だが怪我や痛みが消えたわけではなく、ちょっとした動きだけでもそれはすぐに痛覚を刺激したりする。

「流石に辛そうだね」

 ガルディアは、ディルの姿をあらためて眺めた。

 包帯で厳重に固定された胸部と左腕はともかく、顔にもいくつかの傷が見られた。特に大きな右頬の傷は、血は止まり傷薬をべったりと塗られ塞がれているものの、その傷跡がまだまだ生々しい。

「顔の包帯、まだ巻いておいた方がいいんじゃないの?」

「ん? ああ」

 ディルはテーブルの上に放ってあった包帯を右手で掴むが、すぐに片手だけでどうすべきか思案する。

「やるよ。ディルってこういうのはほんと適当だよね」

 ガルディアは包帯を手にすると、それをディルの頬を軽く圧迫するように巻いて縛った。

「なんか喋りにくいな」

「明日デーニッツさんがまた来るらしいから、その時にちゃんと巻いてもらいなよ」

 ディルは少し不機嫌そうに黙りこむが、やがて吐息をひとつもらすと、その身体をベッドのクッションに預けた。

「で、アルシェルは来れるって?」

「うん。明日の二の刻ぐらいには来るってさ」

「そうか」

「アルシェルさんに相談ってことは、フォルトン戦用に何か新しい装備でも用意するとか?」

「ああ、そんな感じだ。目覚めてから、この身体でもなんとかならねえかって考えてたんだが、それでちょっと思いついちまったからな。少し装備に工夫をして、あとはここから十日間で身体がどれぐらい回復するかだ。まあ、まだ漠然としか考えちゃいないんだけどな……」

 答えてからディルは、今自分の中にあるアイディアを明確に具現化し、それをどうアルシェルに伝えるかを思案し始める。

「凄いね。あんな風に貪り食いながら、そんなこと考えてたんだ。知性の欠片も感じなかったのに」

 ガルディアが呆れ顔で言うが、ディルは答えない。

「ねえ、ディル。考えてるとこ悪いけどちょっといい?」

 その声でディルは顔を上げた。少しトーンが落とされゆったりとした口調が、何か大事なことを話すぞ、という空気を伝えてきた。

「……フィオさんと、何か話した?」

 その問いにすぐには答えず、ディルはしばらくガルディアの顔を眺める。

「あいつの素性がどうかって話か? つーか、おまえ、それで席を外したのかよ」

「まあ、そんなとこ」

 ガルディアは答えるが、それで口を噤んでしまう。

「らしくねえな。おまえはもう聞いたんだろ?」

 そんなガルディアに、ディルから先に訊ねた。ガルディアは小さくうなずいた後、再び口を開く。

「……ディルも話は聞いたの?」

「いや。面倒だったから、おまえから聞いておくって、スルーしちまった」

「はは。流石というか、あんまり興味なさそうだよね」

「まあな」

 そんなディルを見て、ガルディアはため息をひとつもらした。

「まあ、アレだよ。あの人は、見目に違わず正真正銘の〝お姫様〟だったってわけ。それだけ」

 抑揚のない声で早口に言うと、ガルディアはその顔をうつむかせる。

「そう、それだけ。それだけなんだけどなあ……」

 そうしてさらに頭を沈めるガルディアに向けて、ディルの声が降ってくる。

「おまえは明日から『フィオリトゥーラ様!』って、付き従うのかよ?」

 少しの間を空けてから、ガルディアが顔を上げた。

「いやあ……。だけどさあ。っていうか、ディルはどうなの? いくら興味ないっていっても、本当に今までどおりで行けるわけ? 〝ラスタート〟がどのぐらいの規模の国かわかってるよね?」

 ガルディアは軽く睨むようにしてディルを見る。その声が次第に大きくなっていた。

 だが、それに影響されることなく、ディルの表情は冷めたままだった。

「変わらねえよ。元々が、おかしな奴が来たなって話だったんだ。そこに何も違いはねえだろ?」

 そんなディルの返答に、毒気を抜かれたようにガルディアの表情がしぼむ。

「そっか……。そういうの羨ましいよね。でも、もしかしたら、想像もつかないような厄介事とかにまた巻きこまれるかもよ?」

「降りかかる火の粉は払うぜ」

 ディルはニヤリと笑いながら、右腕を素早く振ってシミターを払う仕種をしてみせるが、その途中で「うっ」と顔を歪めると、途端にもだえ始めた。

 胸の包帯がきつくてまともに身体が動かせないことにくわえ、斬られた右上腕がずきりと痛んだのだ。

「だから安静だって」

 そんなディルを見て、ガルディアはくすりと笑う。

 フィオリトゥーラがラスタート王女だったという事実に対して、いくらディルでもそれなりに思うところはあるはずなのだが、今はそれを微塵も感じさせない。少なくとも彼の中で現時点の優先順位は、もうフォルトン戦の方が上回ってしまっているように思える。

「なんかさ、ディルを見てると色々と馬鹿馬鹿しく思えてくるよね」

「おまえが考えすぎなんだよ」

 そんなことはないから、と心の中で反論しながらも、ガルディアは笑顔のままだった。

 まあ、ここは僕もディルを見習う方向でいいか……。

 あれほど飲みこめなかった出来事に対して、今ようやく、何かがするりと落ちた気がした。

 ガルディアは思う。きっと、明日からもフィオリトゥーラの顔を見れば、接し方や言動に迷いが生じるに違いない。そして今後、何か事あるごとに彼女が何者かという事実が、常に自分の中に重圧として存在し続けるだろう。

 ただ、それでもそういうものだと思って付き合っていけば、いずれそれにも慣れてくるはずなのだ。

 今までだって、新しい環境にはそうやって馴染んできたのだから。



 ガルディアが少し目を離した隙に、ディルはまた何かを考えているようだった。

 柔らかくボリュームのあるクッションに身を預けていながらも、胸を突きだした形に包帯で固定されたその姿は随分と窮屈そうに見えた。黙っていると普段のディルの面影はなく、今は顔の包帯も巻きなおしたので、なおさら重傷者という感が強い。

「それにしてもさあ……」

「ん?」

 ディルが顔を上げる。流石に学んだのか、今度は慎重に首だけをゆっくりと動かしていた。

「ほんと、結構やられちゃったよね」

 そう言われてもディルに不機嫌になる様子はなく、むしろ今の状態を完全に受け入れている諦観した雰囲気すら見られた。

「そっちはどんなのと闘ってたわけ? カルツって医者に診てもらってる時、僕は後ろの方から見てただけだけど、骨が折れたとか斬られたってだけじゃなくて、かなり衰弱してるとか散々言われてたよ」

「カルツ? 誰だよ、そいつ? 俺を診たのはデーニッツとかいうおっさんじゃないのかよ」

 二人は顔を見合わせる。

「おまえ、フィオから何も聞いてないのか?」

「いや、だって。そんなだったからフィオさんとはあんまり話してないんだよね。ていうか、ディルもどうやってここまで戻ってきたとか聞いてないんだ?」

「目が覚めてから、ひたすら食ってただけだからな」

「いや、そんな偉そうに言われてもさあ……」

「うっすらと記憶にある気はするんだけどな」

 二人は互いに、あの夜のことをまだ何も話していないのだという事実に今更気がついた。

「俺とフィオが誰と闘ってたか聞いたら、驚くぜ」

 ディルは嬉しそうにニヤリと笑う。

「そんな? 賢者の時でも十分に驚いたんだけどなあ」

 ガルディアはそう口にしながら、倉庫に戻った時に見た産業路の光景を思いだす。

 あの慌ただしい中でも、倒れている二人の男の姿は確認できた。路上に充満していた鼻をつく血の匂い……。その内の一人は、頭部を失った明らかな死体だった。

「それぞれ何があったか話そうぜ。それじゃ、まずはこっちからだな――」

 ディルは高揚した気分を抑えきれないといった風に、嬉々として話し始める。

 ザリ、ゲイン。それらの名を聞いたガルディアは、ディルの予想どおりに驚きをあらわにした。そして、ディルとゲインの攻防、ザリとフィオリトゥーラの戦闘序盤の断片的な様子などが語られると、微動だにせずただ聞き入るだけとなる。

 さらに、ゲイン戦の壮絶な決着の後には、ザリとフィオリトゥーラの接近戦が始まり、そこで思いがけない、数日前に話題にしたばかりの剣位昇格を決めたヴェンツェルの登場――。

 ヴェンツェルとの闘いについては、ディルはあまり多くを語らなかった。

 ただ、なんとかその場を持ちこたえ、エリオスとファラールがあの場に現れるまでを凌いだと、それだけを話す。

 最後には、カルダ=エルギムの両手剣を借り受けたエリオス・アール=デイが、ヴェンツェルと対峙し、剣律騎士団筆頭師範たる剣をまるで寄せつけずに、その首を刎ねた……。

 ディルがはっきりと覚えているのは、そこまでだった。

 話し終えたディルは、こうして話すとまるで嘘みたいな話だなと、思わず自嘲気味に笑うが、それには気づかず、ガルディアは放心したように固まったままでいた。

「はあ……。僕が戻ってきたのは、その後だったんだね。でも、そんな連中を相手にしてたんなら、そのぐらいで済んだのが奇跡に思えるよね」

 包帯でぐるぐるに巻かれたディルの姿を、ガルディアが小さく指差す。

「俺もそう思ってる。ゲイン相手だけでも切り抜けられたのが不思議なぐらいだったからな」

「でもさあ、そのゲインに勝てたんなら、Aランク、見えてきた感じじゃない?」

 ガルディアは明るく言うが、ディルの表情はわずかに曇る。

「どうだろうな。正直、あいつと闘技場でやってたら勝てたかどうか……」

 ディルは答えながら、ゲインと闘っていた時の自分自身を振り返る。ヴェンツェル相手の時と違い、その感覚や思考は今でもはっきりと思いだせた。

 自身の勝利だけを求める闘いならば、一度斬られた後にああも高いテンションを維持することができただろうか。

 ディルは無意識に唇を噛んだ。

 認めたくはないが、難しいだろうと思う。かといって、一概にあの時の自分の在り方がよかったとも言いきれないものがあった。

 燃えさかる炎の中に平然と飛びこめてしまうようなあの感覚は、本来の自分のそれとは明らかに異なる。

 本当に、このぐらいで済んだのが不思議なぐらいだよな……。

「で、おまえの方はどうだったんだよ?」

「ん? そっちに比べたら全然地味だよ」

「デロルトとかいう奴には勝てたのか?」

 ガルディアは即座に首を横に振った。今度はガルディアが話す番だった。

 どうやら建物の屋根の上を移動して追いかけてきたらしく、逃げきれたかと思った矢先に現れたデロルト。その後の戦闘では、両手にダークを構えて、時間稼ぎとも思えるリスク管理した闘い方をしながらも、終始ガルディアを翻弄していた。

 闘技場では速さと手数で優勢に闘いを進めるガルディアが、その土俵で完全に圧倒されたと聞き、ディルは少なからず驚きを隠せずにいた。

 しかし、突然のファラールの登場で、そんなデロルトが呆気なく倒れてしまう。

「こっちでも、ちょっとだけザリとやり合ってたが、あの女、相当なもんだぜ」

 ディルは自分が見たファラールについて触れたが、ガルディアはそこにはあまり反応を示さなかった。

「……なんかさ、今回はほんと駄目駄目だったなあって。自分の常識にとらわれてたら、大したことはできないんだってことを痛感させられたよ」

「なんだよ。おまえも同じようなことを考えてたんだな」

 ディルは、ゲインの剣のトリックやヴェンツェルの伸びてくる剣を脳裏に浮かべながらそう返すが、ガルディアはそんなディルを指差し、睨みつける。

「いやいや。そっちはなんか凄い〝やりきった感〟あるじゃん。僕の方は、ほんと結構ショックだったんだからさあ」

 突きだされた指先をひょいと躱すようにして、ディルがわずかに動いてガルディアの顔を覗いた。

「それにしちゃ、そこまで落ちこんでないように見えるのは俺の気のせいか?」

 その一言でハッとし視線を自分の胸元へと逸らすと、ガルディアはディルを指差していた手を戻し、その手でおそるおそる自身の頬をぽんぽんと叩いてみる。

 言われるまでもなく、自身でも気づいていた。

 計画通りに逃げきることもできず、その後の戦闘でも圧倒され、ファラールが現れなければどうなっていたかわからないというのに、それでもどうしてか、今はどこか清々しく満足したような感覚が自分の中に潜んでいるのだ。

「結局のところ、俺たちは勝てたのか……?」

 ディルはさらにクッションに深々と身を沈めると、全身から力を抜き、ふうと吐息をもらす。

「どうなんだろうね。アール=デイやファラールさんがあの場に現れなければ、今こんな風に話していられなかったかもしれないし。でもさあ、結果がああだったことを考えれば、それまでの時間を稼げたってだけでも、僕たちの勝利って思っていいんじゃないの?」

 ディルはすぐに答えないが、ゆっくりと目を閉じると、その口元にかすかに笑みを浮かべ、それから小さく一言呟いた。

「相変わらずポジティブで羨ましいよな」

 わかってないなあ……。

 ガルディアはそう口にしそうになるのを堪え、細めた目でディルを眺める。

 そして、あの闘いが始まる前に倉庫の屋上で話したことをふと思いだした。

「――そういえばさあ、誰かのために闘ってみて、それは結局どうだったの?」

 その質問を口にしてから、返答に困るだろうディルの顔をすぐに想像し、ガルディアはわざとらしくにっこりと笑ってみせる。

 ところが、返事はなかった。

 代わりに聞こえたのは、その寝息だけだった。

「え? ディル……? おーい」

 ガルディアはディルの顔の前に手をかざすと、それを何度も激しく振ってみせるが、やはりなんの反応もない。いびき混じりの寝息だけが、ただ繰り返される。

「えー、そんな都合よく寝れる?」

 ガルディアは立ち上がりディルの顔を覗きこむが、どう見ても完全に眠っていた。

 ただ、こうして眠るディルをあらためて眺めると、戦争か何かから帰還した負傷者のようなその姿に、むしろ今まで平然と会話をできていたことの方が不思議に思えた。

 ショートソードを手に取ると、ガルディアは部屋の明かりを順に消していく。

「……まあ、そう悪くはなかったんじゃない?」

 廊下から入る明かりだけが照らす部屋の中に向けて一人呟くと、ガルディアはゆっくりと扉を閉じ、そうして三号室の中は暗闇に包まれた。

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