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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第七章 剣の物語
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7-7 闘いの夜の記憶

「失礼いたします」

 ガルディアがスラクストンとともに三号室から姿を消した後、フィオリトゥーラは、先までガルディアが座っていた椅子に腰かけた。

 あらためてそこに座ってみると、彼が眠っていた時はそうは意識しなかったというのに、今はその距離の近さを感じた。

 あまりに平然とした彼の様子に、これまでそうと感じなかったが、間近で見るディルの顔は明らかに血色が悪く、どことなく頬もこけ全体的にやつれていた。

 また、その右頬には大きな傷があり、そこには濃い紫色の傷薬が塗られている。

 先までの賑やかな雰囲気でなんとなく緩んでいたフィオリトゥーラの顔が、わずかに引き締まる。

 ディルは、そんな彼女の様子をぼんやりと眺めていた。

「本当に、その身体で試合に臨まれるつもりなのですか?」

 フィオリトゥーラが訊ねる。責める口調ではない。長い睫毛の下の伏し目がちなその瞳が、ただ彼の身を案じているのだと物語っていた。

「どう考えても勝算がないなら、無理をする気はねえよ。ただ、まだ時間はあるしな。最善は尽くす」

 その答えを聞き、ディルらしいなと彼女は素直に思う。そして、「無理をする気はない」というその言葉が本当であってほしいと願いながらも、同時に、彼ならばきっとこの状態ですら勝算を導きだし闘いに臨むのだろうと予感した。

「お待たせしましたー。すみません、開けていただけると助かります」

 扉の向こうからリディアの声が聞こえた。

 フィオリトゥーラは立ち上がり、足早に向かうと扉を開ける。

 現れたリディアは、その小柄な身体に不釣り合いな大きな銀色のトレーを両手で持ち支えていた。トレーの上には、パンに肉や野菜、スープとひととおりの料理が一切の隙間なく溢れんばかりに乗せられている。

「フィオリトゥーラさんの、夕食も、一緒に、持ってきちゃいました」

 それらを傾けないようにと、リディアは慎重に歩き、やがてベッドまで辿り着くと、その脇のテーブルの上にトレーを置いた。

「ガルディアさんは、外に出るついでに食事も済ませてくるみたいです。ちょっと待っててくださいね」

 それからリディアは一度姿を消すと、今度は必要な食器などを厨房から運びだし、部屋に戻ってくると、それらもテーブルの上に並べた。

 食事の支度を終えたリディアは、「むうう……」と睨むようにディルの姿を見た後に再び動きだすと、食べカスで汚れたベッドの上や彼の周辺を手早く片付ける。

「とりあえず大丈夫みたいですね。残りは、もう少し落ちついて食べてくださいね」

「ああ、悪かった。とにかく、しばらくはひたすら食べて眠って回復に努めるからな。頼むぜ」

「はい。リクエストがあればなんでも言ってくださいね。それでは失礼します。何かあれば遠慮なく呼んでください」



 リディアが三号室を去り扉が閉められると、先の嵐のような食べっぷりが嘘のように、ディルは落ちついた様子で静かに二度目の食事を始めた。

 右手しか使えないディルが苦労しないようにと、料理はそのほとんどが一口サイズに分けられていたが、それでも身体の不自由さで不便なところは、フィオリトゥーラがさり気なくフォローする。

 そんな彼女の助けに応じて、「悪いな」などと時折ディルが声を発する程度で、二人はほとんど無言のまま、ゆっくり淡々と食事を進めた。

「ディル、お話があります」

 その中で機をうかがっていたらしく、ディルが手を止めた隙にフィオリトゥーラは姿勢を正すと、意を決したようにその口を開いた。

「おまえが何者かって話か?」

 ディルは、特に構える様子もなく彼女の顔を見返す。

「そのようにおっしゃるということは、すでにお察しのことかもしれませんが……」

 フィオリトゥーラはうつむき加減におそるおそる切りだそうとするが、そこにすかさずディルが口を挟んだ。

「いや。昨日の夜のアール=デイのおまえへの接し方を見れば、普通じゃねえってのはわかるが、誰が誰より偉いとか、誰が誰に従ってるとか、俺にはそういうのはわからねえよ」

「それでは、あらためて私の素性についてのお話を――」

「まあ待てよ。それ、ガルディアにはもう話したのか?」

「はい。今日、ディルが目覚める前に、私からお話しさせていただきました。しかし、私が至らぬばかりに、ガルディアさんを困惑させる結果になってしまいました……」

「あいつは、権力とかに弱そうなタイプだからな」

 そう言ってディルは笑う。フィオリトゥーラは正直困惑していた。ディルがこの件についてどう考えているのかがわからなかった。

「俺はいいよ。おまえもまだ疲れてるだろ?」

 フィオリトゥーラとは対照的に、素っ気なくディルが言う。

「ですが……」

「いいんだ。別に知りたくないってわけじゃないぜ。今後もまた何があるかわからないしな。ただ、剣闘士としてここで過ごすおまえに、本来そういうのは関係ないんだろ?」

 ディルの言葉を耳にして、フィオリトゥーラが動きを止めた。

 それは、彼女が最終的に彼やガルディアに告げたいと思っていたことそのものだった。

「確かに、そのとおりです」

「じゃあ、わざわざあらたまって今話す必要はねえよ。フィオが嫌じゃなければ、俺はあとで適当にガルディアから聞いておく。でもまあ、おまえが何者でも俺は基本的に何かを変えるつもりはないぜ。聖地の頂点を目指すっていう無謀などこぞの貴族のお嬢様が、この屋敷の新たな住人に加わったってだけの話に変わりはないからな」

 自身がどうありたいのか。相手のことを配慮しつつも、まずはそれを大前提として自らの素性を明かすと決めていた彼女だったが、それでもディルがどんな反応を見せるかは不安でしかなかった。

 だが、ディルはやはりディルだった。この程度がディルを揺らすことはないのだ。

 変わらぬ彼を前にすれば、重苦しく話を切りだそうとした自分が滑稽に思えるほどだった。

 フィオリトゥーラの表情が自然とやわらいでいく。

「承知しました。感謝いたします」

「ああ。でも、ひとつだけ聞かせてくれ」

「なんでしょうか?」

「おまえの兄貴の名前、よかったらそれだけ教えてくれないか? 前から知りたかったんだ」

 思いがけない質問だった。だが、突然ながらも、兄の名をディルが知りたいと望むそのことを、フィオリトゥーラは嬉しく感じた。

「アルトゥラステリオ。それが、彼の名です」

 まるで自らが名乗りを上げるように、彼女は芯のある声でしっかりと告げた。

 ただ名を聞いただけで、ディルは思わず息をのんだ。

 どこか遠くを眺めるような眼差しで、今自分を見つめている美しい碧い瞳……。きっと、その剣士はこの彼女と同じ瞳を持っていたのだろう。

「そんな名前の剣士がいたってこと、俺も覚えておくよ」

「ありがとうございます……。兄の名を気にかけていただいたこと、大変喜ばしく思います」

 フィオリトゥーラは、静かにその瞳を閉じた。

 ディルは、もう見ることはかなわないその剣士の姿を漠然と想像すると、不意にそれが、目前のフィオリトゥーラにふわりと重なり、そこに微笑む誰かの顔を見た気がした。

 それから二人は、どちらからともなく食事を再開する。

「それじゃ、そのうちリディアも戻ってくるだろうし、部屋に戻って身体を休めておけよ。おまえだって試合を控えてるんだからな。目立って負傷した様子もなかったし、ザリは普通に出てくるだろ」

 食事が終わった頃、しばらく続いていた沈黙を破ってディルがそう言うと、フィオリトゥーラは「そうですね」と立ち上がるが、振り返ろうとした瞬間、彼女は何かを思いだし、ディルへと視線を戻す。

「あの、最後にひとつ、よろしいですか?」

「なんだよ?」

「ディルは昨晩の、〝あの時〟のこと。覚えておいでですか?」

 ディルがザリの名を口にしたことで、唐突にその疑問が口を衝いて出た。

 声を発した後に少し遅れて、銀色の髪を逆立たせヴェンツェルと対峙していたその背中が、フィオリトゥーラの脳裏に浮かぶ。

 思い起こせば、まるで夢でも見ていたかのような不思議な光景だった。

「……覚えてはいる」

 ディルが、茫然と口にした。

 フィオリトゥーラは「あの時」と曖昧な言い方をしたが、それがどの時のことを指しているのか、ディルは当然のように理解していた。

「だけど、思いだせねえんだ……」

 自分でも何を言っているのかと不思議に思うが、それがディルの素直な回答だった。

 目に映るガーデンの風景も、あの観衆の声も、イクリプスとは違う不思議な構えでヴェンツェルと剣を交えたことも、全ては鮮明な記憶として残っている。

 だが、それら全てが、誰か他人の様子を間近で観察していたような、そんな奇妙な形で脳裏に焼きついているのだ。

 何が起きたかを記憶していても、その時に自分が何を考え、何をしようしていたのかがまるで思いだせなかった……。

 自分ではない誰かが剣を振るっていたというならばそれも当然のことだが、あれは紛れもない自分自身だったはずだ。その証拠に、あの瞬間に何をどうすればいいか、どう動けばいいのかと理解していたその感覚だけはうっすらと残っている。

 ありえない話だが、誰か他人の記憶でも埋めこまれれば、ああいった感覚にでもなるのだろうか……。

 気がつけば、ディルの視線は当てもなく宙をさまよっていた。

 フィオリトゥーラも、そんなディルの様子に何かを感じたのか、続いて訊ねようとはしてこなかった。

 ――イメージしなさいッ!

 全ての引き金となったあの声が、ディルの頭の中で再生され小さく反響する。

 あの時、どうしてフィオリトゥーラは唐突にあんなことを口走ったのか……。

「おまえは……」

 思わず訊ねようとディルは口を開くが、それは途中で止まった。

 まるで自らに投げかける問いのように思えたからだ。彼女に答えを求めても、返ってくる答えは似たようなものでしかない気がした。

 覚えてはいるが、思いだせない――。

 あの時、自分もフィオリトゥーラも、自分ではない何か別のものに支配されていたのかもしれなかった……。

「いや、なんでもない。悪いな、うまく答えられねえ」

 苦笑するディルを見て、フィオリトゥーラもまた曖昧な表情を返した。 

「いえ。こちらこそ奇妙な質問をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 それから今度は振り向き、部屋の入口に向かうと、フィオリトゥーラは扉を開けるが、そこで振り返りディルの姿をあらためて眺める。

「……なんだよ?」

「ディル……。本当に、ありがとうございました」

 そう言って頭を下げるフィオリトゥーラを見て、ディルはわずかに顔をしかめた。

「そういうのはいらねえよ。さっさと寝ろよ」

 顔を上げた彼女は、そんなディルの姿を心配そうに見つめながらも、淡く微笑む。

「それでは失礼します」

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