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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第七章 剣の物語
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7-6 目覚めたディル

 フィオリトゥーラが呼び鈴を振ると、リィーンと澄んだ伸びやかな音が響きわたる。

 すでに席を立ちコートを羽織ったエリオスは、その音を耳にして少し慌てたように、部屋の中央で佇むフィオリトゥーラへと振り向いた。その手にはすでに、剣が収められた黒いハードケースが下げられている。

「ひとつ忘れていました。後見人となる私から、お伝えしておきます」

「なんでしょう?」

「おそらくフィオリトゥーラ様は、ご自身の素性やこの剣について語ることの一切を禁じられていることでしょう」

「察しのとおりです。ランズベルトを中心とした私に協力した者たちの間で、そう取り決めたようです。そして、それには私も理解し同意しています」

 ゆっくりと階段を下ってくる落ちついた足音が聞こえる。スラクストンだろう。

「それを今、私の名において解除させていただきます。これからは、それらについて誰にどう語るかの全てを、ご自身の判断で自由になさってください」

「それは……」

「ランズベルトは貴女様を大事に思うあまり、見えぬところもあるのでしょう。私にはフィオリトゥーラ様がその判断を間違うとは思えません。今回の件では、共に戦った仲間に対して不自由を感じたことも少なくなかったことでしょう。クレートを通じてランズベルトには伝えておきます。今後は、必要な時に必要な言葉をお使いください」

 そんなエリオスにフィオリトゥーラはまだ何かを言いかけるが、そこでドアをノックする音が室内に響いた。

「どうぞ」

 フィオリトゥーラが声をかけると、扉が開きスラクストンが応接室に姿を現す。

 いつもながらの黒と白を基調としたローブに身を包むスラクストンは、先にはなかった小さな板のような物と畳んだ布などを控えめに左手で抱えていた。

「話は済みました。慌ただしく申し訳ありませんが、そろそろ失礼させていただこうと思います」

 スラクストンの案内で二人がホールに出ると、玄関前にはリディアが立っていた。

 リディアは、エリオスの姿を見ると一瞬その目を輝かせるが、そのまま深々とお辞儀をして、すぐに外へと出ていく。スラクストンの指示で、外の従者にエリオスが戻ることを伝えに向かったのだ。

 開け放たれた扉の向こうは、すでに夜と見まがうような夕闇の中にあった。

「それでは、こちらはお預かりいたします。明日にでも早速移動しますので、いずれプレシャス様からも連絡が届くことでしょう」

「よろしく願います」

 ケースを手にエリオスが外に出ようとすると、控えていたスラクストンが意を決したように踏みだし、フィオリトゥーラの隣に近寄ると耳打ちするようにささやく。

 それを聞いたフィオリトゥーラは少し驚いたような顔を見せるが、すぐにその表情を笑顔に変えると、エリオスに声をかけた。

「エリオス、ひとつ頼まれていただけますか?」

「いかがされましたか?」

「スラクストンさんが、貴方のサインをいただきたいとのことです」

 エリオスもまた、フィオリトゥーラ同様に柔らかな笑顔を見せた。

 フィオリトゥーラからすると意外なスラスクストンの要望だったが、聖地では、有名剣闘士にサインを貰って店や家の中などに掲げる行為が流行している。

 剣位であるエリオスは、そういったことをこの地に来訪した王族や貴族に特別に頼まれることなど日常茶飯事で、赴いた先でこのようにして求められることには慣れていた。

「承知いたしました。お安い御用です」

 エリオスの承諾を受けて、フィオリトゥーラがスラクストンをうながす。

「それでは、畏れ多くも、こちらに来訪された記念に一筆いただけますと……」

 スラクストンは恐縮した様子で、手にしていた板と羽根ペンを差しだす。ペンにはすでにインクがつけられており、三十センチ四方程度の大きさの板には上質な羊皮紙が綺麗に張られてあった。

 慣れた手つきで紙いっぱいに大きく自身の名を書き記すと、エリオスはスラスクトンへとそれを手渡す。

 壊れ物でも扱うような丁重さで受けとると、スラクストンはまず羊皮紙が張られた板を上質な布でくるみ、続いて受けとった羽根ペンも同様に別の袋の中に納めた。

「ありがたく頂戴します。こちらはこの屋敷の目立つ場所に飾らせていただこうかと考えております」

「光栄ですね」

 エリオスの言葉にさらに身を正したスラクストンは深々と礼をすると、フィオリトゥーラの少し後ろへと下がる。

「上手なものですね」

 これほどの大きさの紙目一杯に文字を書いた経験などない彼女は、名を記した際のエリオスの鮮やかな手つきに感心していた。

「お恥ずかしいかぎりですが、慣れてしまいました。この聖地では、上層で闘う剣闘士の名をこうして求める文化があるのです。フィオリトゥーラ様も練習しておくことをお勧めしますよ」

「私が……?」

「ええ。目指す場所を考えれば、そのぐらいの意気でなければなりません」

「なるほど……。機会があれば、練習しておくことにします」

 それからリディアが戻ると、エリオスは馬車まで見送ろうとする三人をその場に留め、早々に屋敷を去っていった。



 やがて、日没の鐘が鳴る。

 スラクストンとリディアの二人は玄関ホールで立ち尽くしたまま、つい先ほどまで剣位がこの場にいたという余韻にしばらく浸っていたが、不意にリディアが「あー!」と大きな声を上げる。

「すみません! お伝えしていませんでした。ディルさんが目を覚ましました!」

「本当ですか⁉」

 リディアのその言葉で慌てて身を翻すと、フィオリトゥーラは駆けだし、ドレスの裾を揺らしながら小走りで階段を上っていく。

「ついさっきのことです。ガルディアさんにはもうお知らせしてあります」

 そのあとを少し遅れて、リディアがパタパタと足音を鳴らしながら追いかけた。

「ディルッ!」

 扉を開けると、フィオリトゥーラは開口一番その名を呼んだ。

 部屋の中を見れば、ベッド脇に置かれた椅子に座るガルディアが、ベッドの上を眺め呆然としていた。

 フィオリトゥーラもまた、その姿を見て思わず動きを止める。

 怪我の状態から考えて、目覚めたとはいえまだ身体を起こせぬディルの姿を想像していたが、今そこに見られる彼の姿はそれとはまるで異なるものだった。

 上体を起こしたディルは、包帯で巻かれた右腕一本だけを忙しなく動かし、テーブルの上に置かれた料理を手で鷲掴みにしては、次々に口へと運ぶ。

 ベッドの上には食べ散らかした跡が見られ、様々な食べ物のカスや染みがシーツやディルの包帯を汚していた。

「チッ、痛えッ。くそッ、美味え」

 ほとんど「痛い」と「美味い」の二つの言葉だけを、食べ物を口に入れる合間に挟みながら、ディルは休むことなく料理を平らげていく。

「あ、フィオさん……」

 そんなディルの様子に呆気にとられていたガルディアが、ようやくフィオリトゥーラに気がつき、声をかけた。

「えー! もうそんなに食べちゃったんですか⁉ 二人分は置いてたのにー」

 フィオリトゥーラの背後からリディアの驚く声が聞こえる。テーブルを見れば、空の皿ばかりで料理はほとんど姿を消していた。

「お! リディア。追加してくれ、これじゃ足りねえ」

「はい! すぐに用意しますね!」

 リディアは嬉しそうに返事をすると、空になった食器を手早く回収してから、部屋を出て再び廊下を駆けていく。

「ディル……」

 フィオリトゥーラは再びその名を口にしながら、思わず目の縁に涙を滲ませた。

 ディルが目を開けて、動き、話す。そんな当たり前のことを目にしただけで、深い安堵感が身体中を巡った。

 ディルはそんなフィオリトゥーラに一度は視線を向けたものの、すぐに残った料理へと手を伸ばす。

 駆け寄りたい気持ちを抑えながら、フィオリトゥーラはゆっくり一歩一歩を確かめるようにディルへと近づいた。

 間近に寄ったフィオリトゥーラに構わず、ディルは最後の一口を頬張ると、それを素早く咀嚼してごくりと飲みこんだ。

「はああ、生き返るぜ」

 満足そうなディルを見て、フィオリトゥーラは目を細める。

「そのような食べ方をしては、身体を壊しますよ」

「ああ? 逆だろ。壊れた身体が必要だっつって、せがんでくるんだよ」

 ディルが彼女を見上げ言った。

 頭を巻いていた包帯は煩わしかったのか早速取り払われ、銀髪があらわになっている。だが、整髪用の油で固めた状態の上から包帯を巻かれ、隙間から飛びだしたりしていたせいもあって、ディルの今の髪型は、ぼこぼこと起伏の激しい岩肌のような奇妙な形状になってしまっていた。

「不思議な髪型になっていますよ」

 フィオリトゥーラは、控えめな仕種でディルの頭を指差した。

 言われて初めて気がついたディルは、すぐに右手を上げていつものように髪を掻きむしろうとするが、半分ほど上げたところで痛みに襲われ、びくりと動きを止めた。

「ディルさあ、安静って言葉、理解できてる?」

 ガルディアが言うと、ディルは諦めて右手を下ろし、上体をベッドにもたれかけさせる。身体が起こしやすいようにと、その背後にはクッションが山積みにされてあった。

「言われなくても、こんな状態じゃ動けねえよ」

 ディルはそう言って、右手で自身の胸の辺りを、触れる程度の力で軽く叩いてみせた。

 胸部には厳重に包帯が巻かれ、常に胸を張ったような状態になるようきつく固定されていた。左腕は肘を直角に曲げた状態で、やはり身体にしっかりと固定されている。どちらも、折れた鎖骨に対する処置だった。

「治療した医師の話じゃ、一か月は安静だって」

 ディルはガルディアの声を耳にすると、その顔から表情を消して視線を宙に泳がせる。

「とりあえずは一安心というところですな」

 遅れて部屋に入ってきたスラクストンが、扉を閉めながら言った。

「動けるようになれば、歩くことは構わないようです。ただし、強い衝撃を与えぬよう走るなどの急激な動作は控え、一か月ほどの間は胸の包帯をそのままに、左腕も肩に負荷をかけぬよう吊るして固定するようにとのこと。必要な物はすでに受けとっておりますので、その時には私とリディアの方で処置をいたしましょう」

 ディルは何も答えず、今度は視線を落とす。何か考えこんでいるようだった。

「差しでがましいようですが、十日後に控えられたディル様の次の試合は見送られた方がよろしいかと……」

 スラクストンが言うと、当のディルではなくガルディアとフィオリトゥーラの二人が反応を示す。

「そっか。次のフォルトン戦ってそのぐらいだったっけ……」

「私の試合と同じ日程だったのですね……」

 二人は揃ってディルに視線をやるが、それでもディルはまだ何かを思索したままでいる。

「Bランクの違約金って結構な額だったはずだけど、まあこれじゃあ仕方ないよね……」

「そういったことであれば、それは私に負担させてください」

「――ちょっと待て」

 ディルは右手を軽く上げて、左右から交互に話す二人を制した。そして、ゆっくりと顔を上げる。

「外野が喚くな。それを考えるのは俺だ。おまえらの領分じゃねえよ」

 ディルの表情にさほど変化はないものの、その眼だけが険しさを帯びていた。フィオリトゥーラは気圧され、思わず息をのんだ。

「スラクストン。今から出られるか?」

「構いません。どういったご用でしょう?」

「アルシェルに頼みたいことがある。今から行って、明日にでもこっちに来てくれるようにって伝えてくれ。あと、ついでにシミターも預ける」

 アルシェルという名は、フィオリトゥーラにも聞き覚えがあった。それは確か、ラモン戦を終えた後、屋敷の中で剣のメンテナンスの話をしていた時にディルが口にした名だった。

「承知いたしました。それでは早速――」

 スラクストンが承諾し礼をしかけた時、ガルディアが唐突に立ち上がっていた。

「それ、僕が行ってくるよ。ディルそんなだし、スラクストンさんも色々と忙しいでしょ? アルシェルさんの工房って確か三番区だったよね?」

 言うなりガルディアは部屋の隅に移動し、床に置かれているディルのシミターを手にする。

「いいのか?」

「怪我人の世話よりは、ちょっと外の空気でも吸ってきた方がいいかなって」

 ガルディアがわざとらしく冷ややかに笑ってみせると、ディルも似たような表情をその顔に浮かべた。

「確かに、こんな奴の世話は俺も勘弁願いたいからな」

 ディルが言うと二人は揃って笑い、それを見たフィオリトーラも楽しそうに笑みを浮かべる。まだこの屋敷に滞在し始めて一週間程度しか経っていないというのに、平穏な日常が戻ってきたのだという実感が得られた。

「それじゃ悪いけど頼む。詳しい住所はスラクストンに聞いてくれ。シミターはフルメンテの依頼で頼む」

「うん、了解」

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