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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第七章 剣の物語
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7-4 真名

 様々な夢を見たような気がする。誰ともわからない人々がかわるがわる現れては消えて、何かに悲しんでは、何かに明るく微笑む。

 自然と目蓋が開いた。

 暖かな空気。カーテンの隙間から入る午後の日差しは朝のそれと違って、ベッドの上にはっきりとした光と影のコントラストを描いている。

 指が冷たい金属の感触に触れた。すぐ目の前に、黒壇の鞘を持つ兄の形見の両手剣があった。

 炎を象った真鍮の装飾をそのまま指でなぞっていくと、フィオリトゥーラはベッドに横たわったまま、その目をやんわりと細くした。

 失われた物が、今こうして目の前にあるという喜び……。

 いつまでもその余韻に浸っていたくなる気持ちを抑え、夕刻頃にはエリオスが来ることも思いだすと、フィオリトゥーラは身体を起こそうと力を入れる。

 信じられない重さだった。いや、動かそうとする力の方が欠如しているのか。

 ベッドを手で押しのけるようにしてなんとか上体を起こすと、あらゆる関節や筋肉が、その痛みを訴えるべくそれぞれ悲鳴を上げた。

 苦痛に顔を歪めながらも、フィオリトゥーラはよろよろと立ち上がる。

 強く意識して心身に鞭を入れると、まずは手近にあったブリオーを着て、それから髪を整える。固く結わえてあった髪は、ほどくと大きく緩やかなウェーブを描いており、これをまとめるのは困難と感じたフィオリトゥーラは、結わずにただ軽く整えるだけで、長い髪を両肩と背中に垂らした。

 最後にベッドの上の剣を黒いハードケースの中に戻そうと考えるが、少し迷った後、それはやめて、荷物の中から両手剣携帯用のストラップを探す。

 見つけたストラップを剣の鞘にしっかりと取りつけると、形見の両手剣を背負った。

 それから部屋を出ようと一歩踏みだすが、ふと鏡に映る自分の姿を見て、そのアンバランスさに驚き、思わず足を止める。

 垂らした白金の髪にスモークパープルのブリオーという組み合わせに違和感はないが、ふわりと膨らんだパフスリーブの肩から上に伸びた両手剣の柄が明らかな異物で、それが妙に際立ってしまっていた。

 なんという勇ましい出で立ちか……。フィオリトゥーラは、くすりと笑う。

 自身は至って真面目に取り組んでいたつもりでも、周囲からはこのように見えていたのだろうなと、彼女は今更ながらそんなことを思った。

 七号室を出ると、階段は下りずにそのまま廊下を進んでいく。三号室の扉は開け放たれてあった。

「おはようございます」

 入るなり挨拶をすると、リディアが振り向く。

「あ、おはようございます!」

 フィオリトゥーラの姿を目にしたリディアは、途端にその表情を明るくさせた。

「うわあ……。素敵です!」

 その視線は最初にフィオリトゥーラの髪に止まり、それから彼女の服へと移った。

 優雅に垂らしたウェーブのかかった白金の髪と、ふんわりとしたシルエットに控えめだが綺麗な色合いのブリオーは、リディアにはそれこそ優雅なお姫様の姿として間違いないものだった。

 ただ、そこに背負われた両手剣の違和感に気がつくと、リディアは目を瞬かせる。

 そんなリディアの様子に、フィオリトゥーラは肩のストラップをくいとつまんで、その微笑みに苦笑を混ぜた。

「不釣り合いですよね」

 リディアは激しく首を横に振ると、大きな声で答える。

「そんなことありません! なんていうか、フィオリトゥーラさんならではって感じで、これはこれで凄くいいと思います!」

 そんな彼女の言葉に笑みを深めると、フィオリトゥーラはベッドへと歩を進めた。そして、横になったままのディルの姿を眺める。

「まだ、目覚めてはいないのですね……」

 頭の先から上半身のほとんどを包帯で固められたディルは、昨晩ここに運びこまれた時同様に目を閉じたままでいた。

「あ、でも、大丈夫だと思います。見ていると、気持ちよさそうに眠ってますから」 

 フィオリトゥーラが少し顔を近づけてその様子をうかがうと、まず安らかな寝息が聞こえた。

 ディルの顔を見る。周囲を覆った包帯に一見惑わされてしまうが、確かにその表情は穏やかで、とても気持ちよさそうに眠っているように思えた。

 一度は心配そうに見つめたフィオリトゥーラだが、そんなディルの様子を確認すると、嬉しそうに淡く微笑む。

「よかったです……」

 フィオリトゥーラは小さく呟いて、深い吐息をもらした。

 安堵して周囲を見渡すと、リディアが用意したであろう料理や飲み物が、ベッド脇の大きなテーブルの上に置かれていることに気がついた。テーブルは昨晩は見かけなかったので、おそらくは今朝にでも運びこんだのだろう。

「あ、これは、ディルさんが起きたら、真っ先に何か食べたがるだろうなあって思って」

 そう言って笑うリディアに、確かにディルならば目覚めた途端に食事を求めそうだと、フィオリトゥーラも笑顔で納得する。そして同時に、雇われ人とはいえ、彼女のディルへの気遣いを嬉しく感じた。

「ところで、今はどのぐらいの時刻でしょうか?」

「正午を過ぎたばかりです。ガルディアさんは少し前に起きて、今は下で朝食? 昼食? とにかく食事中です。先ほど用意したばかりでもちろん二人分ありますので、フィオリトゥーラさんもよかったらどうぞ」

「ありがとう。それでは、私もいただきます」

 フィオリトゥーラは再び部屋の中を見渡すと、今度は部屋の隅に寝かされたディルのシミターを発見する。

「この剣はここに置いていきます。しばらくは、私も可能なかぎりこの部屋で過ごそうと思っていますので」

 フィオリトゥーラは背負っていた黒壇の鞘に納められた両手剣を下ろすと、それをディルのシミターに隣に並べて寝かせた。今の三号室ならば、常に誰かの目がある。

 それでも本来ならば自身が常に携帯すべきと思いつつ、今はどうしてかそうしておきたかった。

「それでは、とりあえず失礼いたします」

「あ。スラクストンさんは今お休み中ですので、何かありましたら、私までお願いします」

 フィオリトゥーラはこくりとうなずくと、三号室をあとにする。



 階段を下りて応接室に顔だけを覗かせると、隣の食堂の中、壁越しに一人食卓につくガルディアの姿を見つけた。

 フィオリトゥーラは応接室の入口で立ち止まり、両の手を順に自身の胸、心臓の上に重ねると、ゆっくりと深呼吸を始める。最後に長く緩やかな息を吐いた後、彼女は意を決して応接室へと入ると、そのまま食堂へと進んだ。

「おはようございます」

 緊張のせいか、フィオリトゥーラの挨拶は少し強めの口調になっていた。

 スープを口に運んでいたガルディアが、その手を止める。だが、彼はすぐに顔を上げようとはしなかった。

 少しの間の後、顔色をうかがうように、ガルディアがおそるおそるその顔を上げる。

「おはよう……、ございます」

 らしからぬ挨拶が返ってくるが、フィオリトゥーラは動じず、しっかり目を合わせようと、その碧い瞳をガルディアに向けた。

 そんな彼女に対し、ガルディアはすぐに目を逸らせると、再び顔をうつむかせてしまう。その顔色は優れず、フィオリトゥーラ同様に疲労とダメージが現れているというだけでなく、あまり眠れていないのではと心配になるようなやつれぶりだった。

「ガルディアさん!」

 その名を呼ぶと、ガルディアはびくりと肩を震わせる。

「そのままで構いません。よろしければ、私の話をお聞きください」

 よく見なければわからないほどだが、ガルディアは小さくうなずいた。

「まずは、あらためて名乗らせていただきます。我が名は、フィオリトゥーラ・ラーシアル・レア・ラスタート。すでにご存じの通り、七百年に渡りラスタートを統べる一族の末裔の一員です」

 フィオリトゥーラは片方の足を後ろに引くと、軽く膝を曲げて礼をしてみせる。

「え……?」

 ガルディアは思わず顔を上げていた。その目が丸く見開かれていた。

 ラスタートの名や、あらたまった彼女の礼に驚いたわけではなかった。

 フィオリトゥーラ――。

 ラーシアルを名乗るラスタート王女が告げた名の、一番最初にその名が冠されたことに、強い違和感があった。

 素性を隠していたのなら、それは当然、単なる彼女の仮初めの名だったのだろうとガルディアは考えていたのだ。しかし……。

「察しのとおりです。フィオリトゥーラ。それは何物にも変えられぬ我が名です」

 静かに語るフィオリトゥーラを前に、血色を失いつつある唇を震わせながら、ガルディアは辛うじてその言葉を発した。

「トゥルー……ネーム……?」

「素性を隠していた非礼をお詫びするとともに、最初に私が名乗った名に偽りなきことを申し上げておきたいと思います。〝ランズベルト〟は、我が一族に仕えし者の家名ではありますが、断りなく城を出た私は、今そこに一時的に籍を置いています。そして繰り返しますが、『フィオリトゥーラ』という名。これは、偽りなき我が〝真名〟です」

「なんで……」

 ガルディアは愕然とし、今更ながら耳を塞ぎたい衝動に駆られるが、それがすでに手遅れなのはわかりきったことだった。

 トゥルーネームとロイヤルネーム。

 大国の王家で用いられるその慣習は、千年以上の歴史を持つ帝国皇家の風習が発祥と伝えられている。

 聖剣教が力を持つ「聖暦」以前の世から大陸の半分以上を統べる帝国では、後継者争いによる国家分裂の危機を回避するため、古から現代に至るまで、新皇帝誕生の折には皇位継承者とその子孫を除く継承権保有者、つまりは新皇帝の兄弟の一族全てを、処刑、あるいは永久監禁とすることが慣行として続けられていた。

 そのため皇家の歴史には常に血生臭い話がついてまわり、いつしか皇家に名を連ねる者たちは、ただ一人の皇帝となるまで決して自らの真の名を表に出すことはせず、「ロイヤル(インペリアル)ネーム」と呼ばれる仮の名を名乗るようになっていった。

 当時、今は禁じられている魔導の術で真の名を用いた呪詛の法があったとか、謀り事を行う際に象徴となりつつも隠された名は都合がよかっただとか、その成立ちについては様々語られているものの、その真実は定かではない。だが、原初の理由がどうであれ、今では皇家の者は、その由来や意味を知ろうが知るまいが、誕生したその時に、必ず表と裏の二つの名を授けられる。

 そして、ラスタートのような他の大国も、帝国のような「兄弟殺し」の慣習こそないものの、いつしか同じような「名の慣習」を用いるようになり、以降、そういった国の王家に誕生した者たちは皆、「ロイヤルネーム」と「トゥルーネーム」という二つの名を持ち、表向きのロイヤルネームに対してトゥルーネームは、直接血の繋がった肉親と、ごくわずかな信頼のおける者のみが知る秘匿された「真名」として扱われるようになった。

 そんなトゥルーネームを、今、フィオリトゥーラが明かしたのだ。ただの一介の剣闘士に向けて……。

「古からの帝国の慣習にならい、我が国でも一族は皆、誰しもが二つの名を持っています」

 ガルディアは思わず立ち上がる。

「いやいやいやいや、駄目でしょ! そんな重要なものを、なんで――」

 思わず声を荒げるガルディアを、黙したまま静かな碧い瞳が制した。

 ガルディアの動きを止め、その意識を完全にこちらに縛りつけた後、彼女はゆっくりと目蓋を閉じる。

 ふう、と息を吐くと、フィオリトゥーラは目を開け、静かに語りだした。

「ガルディアさんもご存じのとおり、私は兄の夢を継いでこの地を訪れました。我ながら無謀な話ではありますが、亡き彼から託された剣を、自らの手でこの地の頂点にて掲げたいと考えています。……そして、そんな兄の夢は、それを〝自らの名〟で成し遂げることでした」

 自らの名。それが先に語られた真名、トゥルーネームを意味することは明白だった。

「アルトゥラステリオ。それが、〝フォルエス〟と知られる彼の真の名です」

 ガルディアはフォルエスという名も知っていた。知らぬはずがない。この大陸ではどれほど末端の矮小な貴族であったとしても、帝国とラスタート王家の者の名ぐらいは空で言えるのが常識というものだ。

 ラスタートの王位継承権二位を有する第二王子。元デートメルス騎士団長ランガルドの手ほどきを直に受ける剣の使い手で、ラスタート王子でありながらその腕前は、剣位二位として聖地に君臨するエリオス・アール=デイに匹敵するとも噂される――。

 閲覧した最新の文献にはそんな一文も記されてあった。

 随分と王子を持ちあげた記述だなと、それを見た時は心中で揶揄したものだったが、今にして思えば、なんとも符合する話だった。

 だが、そうと思わなければ絶対に結びつくはずのない遠い世界の話でもあった。何事もなければ、目にしていてもその意味や自身との関係性など考えるはずもない。

「彼は王家の人間としてではなく、その名で一人の剣士としてこの地に立つことを望んでいたのです。ゆえに私も、彼がそうすると決めたように、「我が名」を掲げて剣闘士の世界に身を投じました」

 そこまで言うとフィオリトゥーラは近くの椅子を引いて、優雅な仕種でガルディアの向かいに腰かけた。

「所詮は王族の戯れと思われるかもしれませんが、私は誰でもなく、〝フィオリトゥーラ〟という名の一人の剣闘士として、この地で闘う覚悟を決めてきたのです。ですから、どうか今までどおりの〝フィオリトゥーラ〟として扱ってください。とはいえ、全ての混乱を招いたのは私だとも承知しています。そうすることに時間が必要であるのならば、それでも構いません」

 それからフィオリトゥーラは小さく礼をすると、食器を手に取って、静かに食事を始めた。

 ガルディアは、そんな彼女を上目でこっそりと覗き見た。

 ここまで言われても、この場で食事を共にするそのこと自体が畏れ多いと、そんなことをほとんど条件反射のように感じてしまう自分に嫌悪感を抱く。だが、同時に彼女への苛立ちも感じていた。

 そんな無茶が通用するわけがない、これだから天上人は……。

 冷ややかな思いが自然と浮かぶ。きっと彼女は、聖地に旅立つと決めた今回の件で、これまでも多くの者たちに迷惑をかけてきたのだろう。

 振りまわされるのは、いつだって下々の人間だからね。

 ガルディアは止めていた手を動かし、スープを口に運ぶ。

 違う――。

 さらなる嫌悪感が、胸の奥でよどんだ。

 わかっていないと突き放す自分も、きっと何もわかっていないのだろう。

 再び覗き見れば、彼女はまるで自らと向き合うかのように静かにうつむいたまま、黙々と食事を続けていた。

 これまでの彼女を見ていればわかる。例え周囲がどう感じようと、それが誰かから見て間違った行為だとしても、彼女は純粋な想いと強い覚悟で臨んでいるのだ。

 ――この地までの旅路で私に同行した従者は、私にひとつ忠告をしてくれました。聖地では、全てにおいて私に協力してくれる者は一人もいないと思って臨むべきだと。

 剣を失った時、彼女が口にした言葉が思いだされた。

 王族としての彼女は、この地でただ一人、夢に向かって孤独に闘い続けなければならない。それは自ら選んだ道なのだから、当然のことだ。

 だが、剣闘士になった今の彼女ならばどうか。ただの偶然の巡りあわせに過ぎないが、この屋敷には自分とディルがいた。最初から圧倒的な身分差は歴然だったが、それでも、少し風変わりな新米剣闘士が一緒に生活することになったと、自分たちはその程度に考えていたはずだ。

 そこまで思考を巡らせて、ガルディアは昨晩のことを思いだす。

 エリオスは隠すことなく、「ラーシアル様」とフィオリトゥーラのことを呼んでいた。彼女の立場を思えば、不必要にその名を明かすことは適切とは思えない。少なくとも、自分があの場に戻ってから以降もあえて口にする必要はなかったはずだ。

 エリオス・アール=デイともあろう者が、そんな浅はかな振舞いをするだろうか?

 ガルディアは苦笑する。

 そうか、と納得した。

 自分とディルまでが彼女を王女として扱えば、彼女は一人になってしまう。あれは、協力者になれと暗にそう命じられたのではないだろうか?

 あは。流石に剣位様は違うね。察しがよすぎるでしょ。それとも、もう全て調査済みとか? 

 アルスタルトでの生活の中に、随分と難しい課題を与えてくれるな、とガルディアは眉をひそめる。

「ごちそうさま……」

 食事の手を止め、軽く頭を下げるとガルディアは素早く立ち上がった。

 気がついたフィオリトゥーラは、手を止めてその顔を上げようとするが、それよりも早くガルディアは、足早に食堂から出ていく。

 だが、扉をくぐってすぐのところで、彼は足を止めた。

「……フィオさんの希望はわかったから。とりあえず、変なかしこまった言葉で話すのはやめるよ。ただ、やっぱりまだ色々なことを保留にさせてほしいかな。こっちからすると、そんな簡単な問題じゃないからね」

 ガルディアは低く抑揚のない声でそう告げた後、再び歩きだす。理屈でわかっていても、まだその意志が固まらなかった。

 だが、それでもフィオリトゥーラの表情は、晴れやかなものへと変わっていた。

「ありがとうございます! 私は、いつでも変わらずお待ちしています!」

 フィオリトゥーラは立ち上がり、姿の見えない扉の先に向かって弾むような声を発した。

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