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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第七章 剣の物語
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7-1 撤収

「ディルッ、聞こえますかッ⁉」

 駆け寄りかがみこんだフィオリトゥーラが、その肩に手をやると、手のひらがじっとりと濡れた。その感触を受けて、彼女は凍りついたように身を強張らせる。

「動かさぬ方がよいでしょう」

 いつの間にか剣を下ろしていたエリオスが、ゆっくりと近づいてくる。

「専門家でない私の見立てではありますが、おそらくすぐに治療を施せば命に別状はないでしょう。ただ、手傷を負った中で闘い続け、気力体力ともに限界を越えてしまったようですが」

 言われてディルを気にしてみれば、まだ意識はあるようで、小さく呻くような声と荒い呼吸の音が交互に聞こえた。

「エリオス!」

 フィオリトゥーラは顔を上げると、切実な目で訴えかける。それに心得ているとばかりにうなずき返すと、エリオスは従士の名を呼んだ。

「ファラール」

 見れば彼の斜め後方に、ほっそりとした藍色の戦闘服に身を包んだ彼女が控えていた。レイピアはすでに鞘の中に納められてある。

「四番区にある〝一級医師〟の医院を手配してあります。移動に使う馬車も間もなく到着いたします」

 エリオスに対しては丁寧な口調だが、彼女は特有の明るい声で告げた。

「ラーシアル様、ご安心を。このようなこともあろうかと、全ての手配を済ませております」

 負傷者を迅速に救うための事前準備は、実際にはフィオリトゥーラの身を案じての当然の措置だったのだが、エリオスはあえてそうとは口にしなかった。

「そうなると、残りは……」

 エリオスは呟きながら、ベッカーの倉庫の方へとゆっくりと振り返る。その視線の先には、倉庫脇の狭い路地があった。

 それにつられて、フィオリトゥーラも同様にその場所を眺める。すると、丁度その人影がゆっくりと路地から姿を現すところだった。

 黒い大きなケースを胸に抱えた、少年のようなその姿。

「フィオさん……。ディル……?」

 ガルディアだった。

「お待ちしていました」

 エリオスが優しく微笑みかけると、ガルディアは茫然と周囲を見回しながら歩きだす。フィオリトゥーラは気づかなかったが、ケースを抱えるその手は密かに震えていた。

 その時、環状路方面から規則的に連続する物音が届き、皆が視線を揃える。

目を凝らせば、街灯の松明に照らされて、二頭立ての一台の荷馬車を一頭の馬が先導して近づいてくるのが見えた。

「それでは、撤収の準備をしましょうか。彼のことはお任せください。ラーシアル様は、何かこの場に残している物などあれば、そちらの回収を願います」

 倒れ伏したままのディルにしばらく視線を置いていたフィオリトゥーラだが、やがて立ち上がると、エリオスからカルダ=エルギムの両手剣を受けとり、それからガルディアが立つ路地の方へ向かって歩きだした。

「ガルディアさん」

 呼びかけながら近づいてくるフィオリトゥーラを見て、ガルディアは一度強く唇を噛んだ後、にこりと笑う。

「一応無事に戻ってこれたよ。剣も、僕も」

 そんなガルディアを見れば、そのチュニックのところどころが、刃物で切られたのか裂けてボロボロになっている。濃い色の生地なのでわかりづらいが、そういった箇所のほとんどに血の染みらしきものもあり、ディルのような深手こそ負っていないものの、ガルディアもまた無事とは言いがたいありさまであることがわかった。

「よくぞご無事で」

 視線を動かし、ガルディアが抱える大きな黒いハードケースを目にすると、胸の奥につかえていたものが取れたような安堵感が得られた。だが、それよりも今、こうして三人が再びこの場に揃っていることに、フィオリトゥーラは強い喜びを感じていた。

「……ありがとうございました」

 微笑みかけたつもりだったが、フィオリトゥーラはうまく笑えず、その目の縁に涙が浮かんだ。

「急ぐみたいだし、とりあえずあの人に渡しておけばいいかな?」

 フィオリトゥーラは無言で、こくりとうなずく。

 ガルディアが近づきケースを渡すと、エリオスは簡易的にその中身を確認した。その頃にはもう、荷馬車と馬が近くまで迫っていた。

 こぼれそうな涙をほっそりとした指で拭い、フィオリトゥーラは意識して息をひとつ吐きだすと、倉庫に向かって颯爽と歩きだす。

「エリオス。ディルと〝剣〟を頼みます」

 倉庫内に置いたままだった革袋に両手剣を納め、それを背負うと、ディルが残した貴族風の服が入った袋や携帯食の袋などを回収する。

 倉庫を出て皆のもとに戻る途中、フィオリトゥーラは思いだし、路上に落ちているはずの自身が身に着けていた黒い頭巾を探すと、すぐに見つけてそれも拾い上げた。

 すでに屋上の確認を終えたガルディアが、ファラールの配下の従士たちと一緒に、動けないディルを幌つきの荷馬車の中に運びこんでいる。

 馬と荷馬車を運んできたのは藍色の服に身を包んだ彼らで、全部で何人いるのかわからないが、ここにいない他の者たちも含めて、エリオスやファラールの指示を受けて方々で動いているのだろう。

 負傷したディルが荷台の中央に寝かされ、他、剣が入った黒いハードケースも含めた全ての荷物が荷馬車に積みこまれたことを確認すると、ファラールがそれをエリオスに目で合図する。

「それでは、大変窮屈で申し訳ありませんが、ラーシアル様は馬車の荷台の方に上がってください。そちらの彼も同様に」

 エリオスは言いながら、自身は荷馬車を先導してきた一頭の馬のそばに立つ。

 見ればそれは立派な白馬で、エリオスは左足を鐙にかけると、そのまま慣れた様子で一気に馬上に飛び移り、そこに跨った。

 フィオリトゥーラが、ふと振り返る。

 ひっそりとした路上には、気絶して倒れたままのゲインと、頭部を失って大きな血だまりを作っているヴェンツェルの死体が転がっていた。血の匂いは周囲に充満しており、慣れてきたとはいえ、まだつんとした匂いが鼻をつく。

 このままでよいのだろうかとそんなことを考えた瞬間、頭上からエリオスの声がした。

「問題ありませんよ。この都市を統べる者たちが、勝手に後始末をしてくれることでしょう。彼らは面子が何よりも大事ですからね」

 彼女の思考を察したその声が、冷たい響きで降りそそぐ。

 フィオリトゥーラが荷馬車の中を覗くと、すでに荷台の中に移動していたガルディアが、用意された布を横たわるディルの出血している肩の部分に当てていた。フィオリトゥーラが中に入ると、彼はその顔を上げた。

「やっぱり、楽な闘いじゃなかったみたいだね……」

「ええ……」

 ディルを挟んだ向かいに座ると、フィオリトゥーラもその手を優しくディルの肩に触れさせる。

「ですが、ディルは誰が相手でも(おく)れをとることはありませんでした。信じられないような、見事な闘いぶりでした」

 フィオリトゥーラは一度ガルディアに微笑みかけた後、目を細めて眩いものでも見るようにディルの姿を眺めた。

「それでは出まーす」

 御者席に座り手綱をとったファラールの緊張感のない声が聞こえると、荷馬車が動きだし、ゆっくりと反転を始めた。



 世界の色が目まぐるしく変化する。

 数秒前に暗闇に近い黒い世界だったものが、どこからか光でも差したかと思った瞬間、今度は一気に白い闇に覆われ、ぐるぐると渦を巻いた。 

 目を開けたいと強く念じるが、分厚い鉄製の扉が厳重に鍵でもかけられたかのように、目蓋は微動だにしてくれない。

「――ディルッ、聞こえますかッ⁉」

 自分の名を呼ぶフィオリトゥーラの声が聞こえる。だが、それはどこか遠い場所から届くような声で、そのくせ安定しておらず、最後の「ますかッ⁉」だけが、ぐわんと突然大きな音量で鼓膜を震わせた。

 それから、様々な声と物音が、広大な空間の中で交錯する。

見えない集団が、慌ただしく周囲で踊りだしたような突然の騒がしさだった。

 声がよく聞きとれない。

 もっとはっきり喋れよ……。

 苛立ちながらも耳を澄ますと、「撤収の準備をしましょうか」と、男の声を聞いた。

 ああ。そういや、闘いは終わったんだな……。

 今のこの状況を理解できずとも、急に思いだしたそのことだけははっきりと認識できた。

 スラクストンの屋敷に帰るんだな……。

 そう考えた瞬間、自分のシミターはどこに置いたのかと急に不安になった。

 すぐ近くを様々な足音が行きかうが、誰もそれを気にしていないような気がする。

 自ら捜そうと考えるが、目蓋すら動かせないのに身体のどこが動くというのか。

 おいおい。ここに放置とか勘弁してくれよ。

 そう考えた時、唐突に地の底でカチャカチャと金属の擦れるような音が響いた。

「彼の剣は、この鞘に入れて一緒に積んでおいて」

 歌うような明るい声が頭上から降りそそいだ。

 よし、誰だかわからねえが助かった!

 安堵した瞬間、今度は身体がふわりと浮き上がる感覚があった。

 飛んで帰るのか、俺は。

 普段の思考ではありえない発想に納得しながら、ディルは風に吹かれるようにその身を任せるが、止まることを知らない上昇に次第に不安が募る。

 どこまで上がるんだよ……。

 視界は相変わらず白い世界に支配されたままだったが、すでに教会の尖塔よりもさらに高い上空まで舞い上げられているような気がした。

 そこで、今度は身体がくるりと横向きに回転を始める。

 うお……。

 その瞬間、白かった視界が一気に暗闇の中に落ちた。

 何かねっとりとした液体の中に全身を沈められたような感覚の中、次第に聞こえていた物音や声が遠ざかっていく。

 呼吸もままならなくなる中、ディルは動かない身体で必死に喘いだ。

 呼吸……。そもそも俺は、息をしてたか?

 そんなことを疑問に思う中、思考も急激に減速を始め、やがて全てが、粘液質の海の中で凝固していく……。



 気がつけば、静謐な場所にいた。

 静寂と白い霧に包まれた湖の上、その水面に一人ゆらゆらと浮かんでいる。

 何も見えず、身体の感覚も定かではないというのに、どうしてかそんなイメージが浮かんだ。

 夢……? それとも、これは……。

 再び湧いた不安に身体が軋む。

「ふむ……。問題ないな」

 突然、低く冷静な男の声が空間中に響きわたった。

 その余韻がまだ反響している中、ディルの身体が湖の中に引きずりこまれる。

「……ッ⁉」

 すっぽりと水の中に入ってしまったと思った次の瞬間、液体に触れる肌の全てが小さな針にでも刺されたような痛みに襲われる。それが一瞬で全身を貫く激痛に変じると、ディルは反射的に声を上げた。

「ぐぉッ……」

 自らの呻き声が、随分と遠くから、誰か他人の声の響きのように耳に届いた。

「ディルッ!」

 その声を追うように、フィオリトゥーラの声が続く。

 だが、呼びかける声も虚しく、ディルの身体は気がつけば何かに縛りつけられたように固定され、少しずつ湖の底へとさらに引きずりこまれていく。

「これで大丈夫です。どうか御安心を」

 再び聞こえる声。

 何が大丈夫なんだよッ、おいッ!

 声にならない叫びを発しながら、ディルの意識は再び緩やかに停止していく。

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