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6-7 渾身の一撃

 その変化は明らかだった。ゲインから、常に感じられていた軽さのようなものが消えていた。

 安易に間合いを詰めてこようとはしない。

 ゆっくりと、だが、ギリギリと力を込めるようにして、ゲインが双剣を構えだす。

 左手を前に出し、そこに右腕を上から交差させると、その形のまま両腕を上げ、二本の剣をまとめて右肩に担いだ。

 そして、左肩を出して半身に構えると、両脚を前後に開き、膝を曲げて腰を少し落とす。

 それは、この闘いの中でゲインが初めて見せる構えだった。

 その顔に笑みはなく、かといって先までの苛立ちも見えない。そこには、この一撃で決めようとする覚悟の表情がうかがえた。

 はは。怖えな、こいつ……。

 ディルもそれに対して、同様に左肩を向けた半身で待ち構える。軽く膝を曲げ、体重をかすかに前に逃がす程度に、わずかだけ踵を浮かせた。

 そして、右手のシミターを少しだけ持ち上げ、逆手のまま右脇に構える。 

「ディルエンド、だっけ? 凄いよ。大したもんだよね、あんた」

 受けて立つ姿勢を見せたディルに向けて、ゲインは称賛の言葉を送った。

 一気に決着をつける。そんな選択をしたゲインの思考の中には、覚悟と駆け引きが混在していた。

 乱れつつある自身のリズムが本格的に崩れてしまう前に、一切の遊びを排したより純粋な攻撃を繰りだしたいという想いと、また、いつ来るかわからないディルが狙う一撃を、この瞬間に限定させたいという思惑。

 もちろん、ディルがここでの迎撃を考えていない可能性もあるが、どのみち自身の一撃で決める、という覚悟を前提とすれば、それは大した問題ではなかった。

 相対するディルからしても、長くは持ちそうにない自身の身体を抱えたままの長期戦よりも、この展開は願ってもないものだった。

 ――決める。

 両者の思惑と覚悟が一致した瞬間、ディルとゲインはともに、互いの間を埋める空気が、どこかへ吸いだされていくような不思議な感覚を覚えた。

 自分の意志ではない何かに引き寄せられるようにして、ゲインの身体が、すうっと動きだす。

 摺り足で、するすると深紅のブーツが前進していくと、やがて互いの剣の間合い同士が触れるその瞬間、ゲインは後ろの右足で強く地面を蹴っていた。

 ディルは微動だにせず、それを待ち構える。

 ゲインが、膝のバネで身体を持ち上げながら、右に担いでいた二本の剣に溜めた力を解放する。グン、と右肩を押しだすと、そこから交差した両の腕が一気に撃ちだされた。

 二本の腕と剣が鞭のようにしなり、それらは朧ろな像と線となって、ほんのわずかな時間差をもってディルへと襲いかかってくる。

 ディルの眼はその動きをしっかりと捉えた。先に体験したような不思議な時間感覚こそなかったが、確かに視えていた。

 横に薙ぎ払う左剣が来る。

 そして次の右剣が、異なる軌道でそのすぐあとを追いかけている。

 これまでの連撃とは、まるで圧力が違った。ただ感覚に任せて逃れようとすれば、身体は自然と大きく動いてしまうだろう。そうなれば、最初の剣を躱したとしても、次の剣が容赦なく逃れたところを斬り裂いてくる……。

 ディルは自身の動きの幅を明確にイメージする。壁から壁にぴたりと動くように、始まりと終わりを正確にコントロールしなければならない。

 顎をくいと上げ、右に首を傾けながら、膝を曲げて上体を落とす。

 目一杯見開いたままの左眼の間近、睫毛を斬り裂くほどの至近距離を、水平に振られた剣が一瞬で走り抜けていった。

 そして、その風圧に触れられたまま宙を見上げるディルの瞳には、すでに次の細い刃の線が映り、それは、その眼球を斬り裂こうと瞬時に拡大する。

 二本の剣の軌道が、十字を描いた。

 ひとつの塊のような連撃の二つめが、ディルの顔面へと落とされた。

 地を蹴り、同時に首をさらに右にひねる。

 上から下に見えない何かが走り抜け、それが鼻先をかすめた。

 マントの男が見てすら、一瞬ディルがゲインの剣撃の中に巻きこまれたように思えた。

 だが、勢いのまま前にのめるゲインの右脇から、するりと滑りだすようにして、ディルはその身を逃していた。

 躱した! 

 シミターを握る右手、右腕に念を込める。

 頼むぜ――!

 宙を泳ぐように右肩から傾いていくゲインの突きだされた頭部、その顎か喉元の辺りを狙って、ディルは逆手で構えていたシミターを、真下から振り上げる。

 迫る曲刀の刃を、ゲインの脱力した瞳がぼんやりと見つめた。

 躱された……。

 ディルに残されていた唯一の攻撃手段をその目で捉えながら、ゲインは自身の一撃が回避されたことを、そこでようやく理解した。

 これで終わらせると、覚悟を決めた渾身の一撃だった。ゆえに、それが当たらなかったことは、敗北にも等しく感じられた。

 刃が迫る一瞬の中で、身を焼くような屈辱の念が沸きあがる。

 もうシミターが間近にあった。

 来るとわかっている攻撃ならば、この状態でさえも躱せる。

 ましてや、今ディルが振るシミターには力を感じなかった。負傷した右腕を必死に動かしたのだろうが、これでは自分を仕留めることなどできない。

 とはいえ、おそらくこれが、力を振り絞ったこの敵の最後の一撃なのだろう。

 舞い上がる曲刀に合わせてゲインは、トン、と右足で地面を軽く踏みつける。

 その少しの力を利用して、くいと顎を持ち上げた。

 顎先からヒュンと、刀身が跳ね上がる。

 ゲインは、上方に抜けていくシミターの軌跡を、つまらなさそうに目で追った。

 ここから態勢を立てなおし、再び対峙する。力を失ったディルと、気力を失った自分。互いに抜け殻のような状態だが、それでも呆気なく終わってしまうだろう。こうなっては、勝負の行方は明白だった。

 ゲインの闘いへの意欲が急速に失われていく中、その勢いを緩めたシミターの刀身が、宙空で鋭く煌めいた。

「あ?」

 見上げた夜空を背景に、ゲインはそれを見た。

 くるりと刃の向きを変えようとするシミターと、そこに重なる、――足?

 唐突に、ディルの身体が奇妙な形で、ゲインの目前に出現していた。

 そう思った瞬間、視界を何かが覆い隠し、衝撃がゲインを襲った。

 ゴッ……と、鈍い音が鳴り、ドサリと何かが地面に落ちる音がそれに続く。

「ぐ……」

 ディルがもらす呻き声が、ゲインの足元から聞こえた。

 ゲインは宙を見上げたまま、よろよろと無意識に数歩後退りする。それで、ゲインの頭部に乗っていたシミターが地面へと音を立てて落ちた。

 ゲインはディルの様子を見ようと、顔を動かそうとするが、急速に身体の自由が失われ、それすらままならない。

 仕方なく、ぐるりと眼球だけを動かして、その姿を見た。

 仰向けに倒れたディルが、苦痛に顔を歪めながらもこちらを凝視している。

 薄れゆく意識の中で、思考が働いた。自分の目に焼きついた先の光景とディルの姿を結びつけ、ゲインは理解した。

 振り終わりのシミターに重なったのは、宙を舞うディルの姿だったのだ。

 シミターを振り上げると同時に、ディルは自身の身体を空中へと投げだし、そこで前方に回転していたのだ。

 そして、宙返りをしながら振り下ろす踵で、空中で刃を返したシミターを押し返し、それでゲインの額を打った――。

 ゲインは、自身の鼻筋にぬるりと温かい物が流れ落ちるのを感じながら、よろよろと天を仰ぐ。

「なんだよ……。あんたも結構、器用……じゃねえの」

 それだけ言い終えると、ゲインは笑みを浮かべながら、そのまま仰向けに地面へと倒れこんだ。



「ぐ……おぉ……!」

 激しい痛みに身体が激しく脈打つのを感じながらも、ディルは右手を地面について、強引に身体を起こす。

 終わったわけではない。

 頭の中だけで描いた動きを即興で遂行できたのは我ながら上出来だったが、シミターの刃を返しきれず、踵で押し斬るつもりだった予定が、結果、刀身の腹で鈍器のように相手の頭部を打ってしまったのだ。

 倒れはしたが、ゲインの状態はわからない。そして、まだマントの男も控えている。

 とどめを――。

 ディルは落ちていたシミターを素早く拾うと、片膝をついたまま右腕を振り上げようと力を込めるが、その動きが止まる。

「がッ……」

 上体を大きく動かそうとしたことで、斬られた左鎖骨の辺りに、何かが突き破り飛びだしたのではないかと思えるほどの激痛が走った。

 落としそうになるシミターを慌てて逆手で持ちなおし、その切っ先を地面に刺して、身体を支えて堪える。

 ふと、視界の隅で白いマントの裾が揺れた。

 ディルが慌てて顔を上げると、いつの間に移動したのか、そこにマントの男が立っていた。約一メートル半。もう完全に間合いの内だった。

 苦痛に顔を歪めながらも、必死に立ち上がり、ディルは一歩後退する。

 だが、マントの男は近づいただけで、まだ戦闘態勢に入ろうともしていなかった。

 マント越しに見える形状から、その左腰にはロングソードほどの大きさの武器を携帯していることが把握できるが、それに手をかける素振りもない。

 今のディルの反応と動きでは、男がその気ならばこの一瞬で終わっていただろう。

「ふむ……」

 男は、自身の足元で仰向けに倒れているゲインへとかがみこむ。ディルが退がったとはいえ、踏みこんでシミターを振れば十分に届く距離だというのに、男は平然とディルから視線を外していた。

 だが、ディルは動けなかった。

 痛みが邪魔をしているからではない。目の前の男は一見隙だらけのようにも見えるが、襲いかかれば簡単に対処されてしまいそうな、そんな予感がしたのだ。

 そもそも、最初の不意打ちをたやすく回避した男だ。意図して誘っている可能性も高い。

「死んでこそいないようだが、しばらくは起きれそうにないか……。未熟な」

 そう呟くと、男はゆっくりと立ち上がる。

「褒められた技ではなかったが、その意気は悪くない」

 ディルを一瞥すると、男はゆっくりと歩きだした。ディルに向かってではなく、その方向は斜めに逸れていく。

 ディルは身体を不用意に動かさないように注意しながら、呼吸を整えるよう努め、逆手のままシミターを右脇に構えた。

 男はそのまま、ガルディアが逃走に使った倉庫脇の路地の方へと歩いていく。

 まさか今更ガルディアを追いかけるわけでもなかろうと、ディルが黙ってその様子を見守っていると、やがて男は足を止め、今度はかがまずに腰を折って上体だけを傾け、地面に刺さっていたその物へと手を伸ばした。

 何を掴もうとしているのかと疑問に思った瞬間、ディルはそれを思いだしていた。

 ガルディアが逃走した時、追っ手の男を邪魔しようと考えたディルを遮った物。そう。それはザリが投げた巨大なナイフ、ククリだった。

 ククリを地面から引き抜くと、マントの男は向きなおす。

 しかし、フードから覗いたその視線は、ディルを見ていなかった。男が見たのはその向こう、フィオリトゥーラがザリと対峙している側だった。

「技に惑わされるな。そもそもの力量を考えて闘えッ」

 低いがよく響く声だった。それほど大声を出している風でもないが、その重厚な声は確実にザリまで届いただろう。

 ディルもまた、マントの男に注意を向けたままフィオリトーラの側へと素早く視線を向ける。

 剣を動かしながら構えているフィオリトゥーラの前で、長身のザリが間合いを空けたまま立っていた。何が起きているのかわからないが、不思議な構えを見せる彼女を相手に、ザリは明らかに攻撃の手を失っていた。

 声に反応したザリは、こちらへと視線を向ける。

 だが、相対するフィオリトゥーラの方はなんの反応も示さず、全く自身の動きを崩すことをしなかった。

 ディルがすかさず視線を戻すと、マントの男が手にしていたククリを無造作に宙へと放り投げた。

「使え」

 その声とともに、くるくると回転するククリが、空中で放物線を描きながらザリの近くへと落下していく。

 ドスッと重い音を立てて、ザリから少し離れた場所で、ククリが地面に突き刺さった。

 変わらず両手剣を八の字に動かし続ける彼女の前で、ザリは少しふてくされたように、だるそうな仕種でククリを拾い上げる。

 それを見届けるとマントの男は、フード越しにその視線だけをディルに向けた。

「しばしの猶予をやろう。私との闘いに備えろ。ただし、あちらに加勢する素振りがあれば、すぐにでも始める。無論、逃げることもかなわんぞ」

 そうディルへと告げると、男は倉庫の壁へと身を寄せ、そこに背を預けた。再びフードに深く顔が隠れ、その視線がどこを向いているのかはもうわからなかった。

 ディルは、マントの男を軽く睨みつける。

 備えろ、だ? 圧倒的に有利だってわかってんだろうが……。

 置かれた状況からすれば、ゲインに続きこの男と自分が闘うのは当然のことだが、それでも、この状態で「備えろ」と平然と酷なことを言う男の態度が気に入らなかった。斬られた傷が短時間で塞がるはずもない。

 容赦なく襲いかかってくる方が明快ですっきりする。中途半端に余裕を見せつけるその姿に虫唾が走った。

 とはいえ、時間が与えられたのならば有効に活用すべきともディルは考える。

 マントの男は、そのままザリとフィオリトゥーラの方を眺めているようだった。ディルも同様にそちらに視線を向けながら、そこから数歩後退する。

 逃げるのだと思われぬよう、急な動きはせず、かといって隠した密かな動作とも勘繰られぬよう、注意して移動した。

 場所を少し変えたことで、フィオリトゥーラとザリが対峙する様子を見ながらも、大して視線を動かさずともマントの男を気にかけることができるようになった。

 また、ディルはさりげなく周囲の状態も確認する。

 ゲインが倒れている場所、今ここにいる者たち全員と自分との位置関係。路上に落ちている小さな矢の存在にもそこで気がついた。

 さて、どうしたもんかね……。

 ククリを手にしたザリの動向を眺めながらも、ディルは意識だけをマントの男へと向ける。

 ゲインとの最後の一合の瞬間、ディルは残った力の全てを振り絞った。実際の力の配分など当の本人にも正確に把握できるものではないが、少なくともそういった意識で臨んだのは確かだった。そうでなければ、反撃はおろか、ゲインのあの攻撃を避けることすらかなわなかっただろう。

 あとどれだけの力が残されているかわからないこの状況で、未知数の、それもおそらく容易ではない相手との闘いが残されている……。

 ディルは、静かに思考を続ける。自分たちに残された実現可能な勝利の形と、そこに向かう最適解は何かと。


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