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6-6 迎撃の剣

 ククリを振ったザリが、フィオリトゥーラと名乗った女剣士の連撃を前に、必死に身をよじり、後退を余儀なくされていた。

「ほう……。やはり、ただの盗人風情ではないというわけか」

 フィオリトゥーラの姿を見て、マントの男が小さく呟く。

 ゲインとザリが戦闘を開始してから、男は壁際に寄ったまま、フード越しにそれぞれの闘いを観察していた。

 曲刀の男にゲインが一撃を入れたところで興味を失った彼は、それまで闘いにすらなっていなかったザリの側に再び注意を向けてみたのだが、そこで今、面白いことが起こっていた。

 ゆらゆらと同じ軌道を描く両手剣。

 見覚えある剣だった。

 四年前だ。今や事実上の剣位筆頭と称されるあの金髪の剣士が、ガーデンで剣位として初めての試合に挑んだ際、苦境に立たされる中で、これに似た迎撃用の剣術を披露してみせた。

 当時の剣位八位、「熾烈(しれつ)」と謳われた双剣使いのラヴァンディエ。

 今、目の前で闘うゲインの双剣など軽く凌駕する、一瞬の中で繰りだされるその剣位が放つ無数の斬撃、そのことごとくを、金髪の剣士は残らず正確に撃ち落とし、そして勝利を掴んだのだ。

 それまで話に聞けど実際に目にすることがかなわなかった、高名な騎士団の剣技を目の当たりにした万を超える観衆は、一斉に沸きたち、スタジアムはいつまでもその余韻に震えていた。

 その頃はまだAランク中位に身を置いていた男は、鳴りやまぬ歓声の渦の中、自分ならばアレをどのように攻略するかと一人考えていたことを思いだす。

 身のこなしや速度こそ劣るが、その構え、動き、剣の扱い、全てがあの時見た剣に酷似していた。

 見れば、ザリが再び間合いを詰めていく。

 長い両腕を順に伸ばすが、それを両手剣が次々に襲い、ザリは再び後退させられてしまった。

 一定の範囲内に入った物に対して即座に反応し、そこに向けて剣が振られるのだろう。

 四年前に見たものと同じであれば、視線はどこか一点に定めたまま、視野全体に意識を広げているはずだ。

 絶えず続く八の字の動きが剣の初動を助ける予備動作となり、そこから繰りだされる剣撃は、定められた範囲内のいかなる場所にも効率よく最短最速で到達する。

 全ては推測に過ぎないが、その剣の扱いは即興的なものではなく、あらかじめ考え抜かれた複数のパターンを鍛錬で身体に染みこませたものなのだろう。

 ザリは警戒して次の攻撃に入れずにいた。

 その程度か、傭兵風情が。

 マントの男は、自らが雇った男を心中で罵った。

 ザリと相対する若い女剣士が、あの剣技をそれなりに形にしていることは見事といえたが、だが、総じて見ればあまりに拙い。それ自体がいかに優れた技術であったとしても、使い手次第でほころびは簡単に生まれてしまうものだ。

 あの程度、攻略の余地などいくらでもあろうに。

 男はそう考えながら侮蔑の眼差しを送るが、得体の知れない動きを始めた相手を前に、ザリはまだ次の動きを決めかねているようだった。

 ふと、女剣士へと視線を戻す。

剣を振った時に垣間見えたその端正な白い横顔。また、こうして闘う姿からも、何か特別な気品のようなものが感じられた。

この女剣士は、一体どのような背景を持つ者なのか……。

 黒衣に身を包んだ白金の髪の剣士の華奢な背を見つめたまま、マントの男はそんな疑問を頭に浮かべるが、それはすぐに打ち消した。

 どうせ殺してしまう者に対して、そのような想像は時間の無駄だ、と。

 そう思うと、攻めあぐねるザリの姿への失望もあって、途端に興味が失せていく。

 ふん、と鼻を鳴らした後、男はフードの中で一度目を閉じると、すでに闘いが再開されているゲインの側へと視線を移動させた。



 ゲインの双剣は変わらず冴え、鋭く速く、そして様々な動きでディルを襲う。

 ……いい加減、少しは衰えねえのかよ。

 ディルはゲインを軽く睨みつけながらも、視界の中で舞う二本の剣の動きに集中した。

 両膝にゆとりを持たせながら、それを巧く使って上下前後と身体を動かして、なんとか攻撃を躱す。

 先手を取ったゲインが息もつかせぬ連撃を繰りだし、それをディルが回避し続ける。それだけを見れば、ディルがダメージを負う前と変わらぬ図式のままだった。

 ただ、先までの攻防と違い、ディルの側にはいくつもの制限がかかっている。 

 怪我の影響から左腕は使えず、思うように上体を動かすこともできない。

 また、比べれば軽傷といえる右腕だが、シミターは逆手持ちで下向きにぶら下げたままで、下手に持ち上げようと力を入れれば、そのまま意図せず放り投げてしまうかもしれないほど、右手の感覚も怪しかった。

 そんな惨状は、当然のようにゲインにも伝わっている。

 もはや、ただ斬り刻むだけ。

 気を緩めれば何が起きるかわからないと自身に言い聞かせながらも、双剣を構えて飛びこんだゲインは、自然とそんな前提のもとに剣を振っていた。

 実際、相手は何もできずにいる。手癖になってしまっている左右の剣を揃えた振りを露骨に見せても、今となってはただ後退することしかできない。

 だというのに、この男はいまだに変わらず自分の攻撃を全て躱している。

 ほとんど上体を動かさず、脚の動きだけで、身体全体を器用に上下左右前後へと操作しているのだ。その動きは、むしろ怪我を負う前よりも、無駄なく的確ですらあった。

「チッ」

 間合いを外された瞬間、苛立つゲインは当たらぬとわかっている右剣を大きく振りまわした。

 それを見切っていたディルは、そこに反応することなく冷静に次の攻撃へと備える。

 やっぱり、今日の俺はちょっとおかしいよな……。

 この状況でも変わらずゲインの攻撃に対応できている自分自身を、ディルは他人事のように見つめていた。

 視える。動く。

 呼吸は乱れ、血も流れ続けている。だが、今の自分にできることなど限られているのだと納得した上で、それでも勝利が必須なのだと思えば、迷いがなかった。

 俺がこの状況で勝てるんなら、あいつだってザリを退けるだろうよ。

 ゲインを前にしたまま背後、少し離れた場所にいるはずのフィオリトゥーラの気配を感じていた。

 わかる――。持ちこたえてやがる。

 マントの男がこちらを見ているのもわかった。

 余裕かましやがって。二対一になっちまっても後悔すんじゃねえぞ。

 ゲインが飛びこんできた。

 はは。なんでイラついてんだよ、おまえ。圧倒的優勢だろうが。

 右に左に、双剣が空を切る。

 まるで身体が勝手に動いているようだった。

 おかげで、余計な思考ばかりが働く。

 ガルディアはまあ、どうせ要領よく逃げきってんだろ? なら、フィオを無事に帰せばこっちの勝ちってわけか。 

 ヒュンヒュンと、双剣が目の前で踊り続ける。

 そんな中、フィオリトゥーラがこの聖地に訪れてからの数日間で、もう何度も見てきたその可憐な微笑みが脳裏に浮かんだ。

 全力で振れるのは、一回ぐらいだろうな……。

 逆手でシミターを握る右手に意識を集中させていく。避けるのはそっちで勝手にやってくれと、身体と脚に語りかける。

 剣を取り戻せたなら、目一杯喜んでくれよ。

 ディルの顔が自然とほころんでいた。

「うらぁッ!」

 それを見たゲインが眉間にしわを寄せながら、左右に開いた対の剣をディルの両脚へと同時に叩きこむ。

 トーン、と軽やかに跳躍し、ディルが大きく間合いを外した。

 ゲインはそれを追わず、その場で、フウゥと強く息を吐きだした。

 なんなんだよ、くそがッ!

 自分の攻撃を軽やかに躱し続ける敵の姿は、どう見てもボロボロだった。

 服を汚す血の染みは、左上半身だけに留まらず、今は腰下のブレーにまで達している。激しく乱れた呼吸。それを整えようと無事な右肩だけを大きく揺らす。

 左腕は肩から力なく垂れたままで、右腕も斬られた上腕から流れる血が手首の辺りまで伝っている。そしてその怪我のせいか、右手は自身の曲刀を持ち上げることすらできず、逆手でその切っ先を地面につけたままでいた。

 見ればわかる。あの状態でできることなど限られている。

 無事な足を攻撃に使おうとすれば、ままならない腕や上体を危険に晒すだけなのだから、やはりあの曲刀で来るはずだ。

 逆手でしか維持できない状態で攻撃するのならば、そのまま下に突き刺すか、それとも振り上げるか。あるいは、振り上げるようにして投げつけてくるか。

 ゲインは、どうして自分がここまで苛立つのかがわからなかった。もう、明らかに自身の攻撃のリズムを崩しかけてしまっている。

「なんだよ、来ねえのかよ。それとも、こっちが勝手に倒れるのを待ってんのか?」

 ディルが言った。

 煽ってきやがるじゃねえの……。

 睨みつけるでもない、かといって絶望や諦めなど微塵も感じさせない、静かで、それでいて強い勝利への決意を感じさせるその眼……。

 その意志に呼応するかのように、わずかに動いた曲刀の刀身が、松明の明かりを受けて煌いた。

 シミターが放つ光を目にして、ゲインはほんのわずか、自身でもそうと意識しなければわからないほど、かすかに背筋を震わせた。

 俺は、怖がってんのか……?

 ほとんど選択肢のない攻撃だけを拠りどころにしてねばる敵を前に、いつかそれを喰らわされるのではないかと、そんな不安が自身の中に芽生えてしまっているのだろうか。

 いつか? それを、喰らう? 放たれる渾身の一撃を……。

 ゲインは構えていた双剣を下ろす。

「……いいぜ、やってやるよ」

 これまで甲高い声音で話していたゲインが、低く押し殺すように告げた。

「もう細っけえのはなしだ。渾身の一撃? 喰らわせてやるよ。そっちも出せよ。受けてやるからさあ」



 フィオリトゥーラは、ほとんど瞬きすらしないまま視線を中心から動かさず、足を開いた直立姿勢のまま、変わらず両手剣を八の字の軌道で動かし続ける。

 ザリはその場で唐突に、バッとマントを弾くようにして、その長い両腕を左右に広げてみせた。

 半ば予想していたが、フィオリトゥーラの動きに一切の変化は見られない。今の態勢に入る前は、あれほど一挙一動にびくびくと反応していたのが嘘のようだった。

「俺を倒すんじゃねえのかあ? それじゃ何もできねえだろう」

「問題ありません」

 ザリの言葉を受けて、フィオリトゥーラが強く言い放つ。

 ザリは口の中に溜まっていた唾を地面に吐き捨てた。

 視線を中心に固定したまま、何かにとり憑かれたように同じ動きを繰り返す彼女だが、流石にその意識までもどこかに行ってしまっているわけではないようだった。 

 ザリはククリを腰に収めたまま、両腕をゆっくりと下ろし、それからおもむろに歩きだす。ただし、その方向は前ではない。

 フィオリトゥーラとの距離を変えないまま、少しずつ左に、左に。

 彼女を中心に円を描くように、常に上体と顔は内側に向けたまま、ザリはその線上を移動していく。

先まで相対していた場所を基点として、四十五度を越え、六十度を越え、さらに真横まで踏みこもうとした瞬間、すっとフィオリトゥーラが動いた。

 無駄のない最小限の足捌きだけで、一瞬で身体を九十度回転させると、これまで同様の態勢をザリに向けた。

 その間、剣の軌道は止まることも乱れることもなく、一切の隙を感じさせなかった。

 あらかじめそうと決められた完璧な動きだった。

 流石に背後には回らせねえってわけかあ。

 ザリは仕方なく、先の攻防の最初の部分を頭の中で再生する。最初に近づけた右腕、それに応じて両手剣が鋭く反転したその瞬間……。

 あの辺かあ?

 その場所に大体の見当をつけた後、ザリは左手をマントの中に入れ、右手は顔の横に構えると、フィオリトゥーラに向かって軽やかなステップで間合いを詰める。

 明らかに両手剣本来の間合いの中に入ったというのに、案の定、まだ剣はこちらに向けて振られようとしない。

 このぐらいだろお?

 ザリが自身の中でイメージした線引き、彼女との間の空間にある見えない薄い膜を破るようにして、顔の横に掲げていた右手をほんの少しだけそこに差し入れる。

 最初からそうすると決めたとおりに即座に手を引き戻すと、一瞬だけ指先が入った空間を、斜め下から上へ刃が通りすぎた。

 怖えなあ……。

 ザリは後方に跳び退る。自身の想像通りならば慌てて間合いを外す必要もないのだが、両手剣の剣圧を前に自然と身体が動いてしまっていた。

 だが、跳んだ瞬間、ザリは空中でマントに隠していた左手を跳ね上げた。

 そこから二本のダーツが放たれた。

 ザリは、ダーツを放った左手の感触に思わずほくそ笑む。

 白い羽根の矢は首元に、黒塗りの矢は左膝へと、それぞれがフィオリトゥーラに向けて一直線に向かっていく。片手で二本同時に投げたにしては、どちらもほぼ狙いどおりだった。

 キキィン! と、ほとんどひとつの音のように重なった金属音が鳴り響く。

 ザリは着地すると同時にそれを耳にし、放った二本のダーツが弾かれのだと悟った。

 最初に右手を狙って上方に抜けた両手剣は、そのまま軌道を変え白のダーツを即座に弾き、そこから鋭く反転すると、今度は自身の脚を斬るのではないかというほど身体に近い距離で振り落とされ、それが到達寸前の黒のダーツを叩き落としたのだ。

 再び間合いをとったザリは、これまでずっと顔に張りついてた笑顔を薄め、その目を細めた。

 そういう技法かあ。なかなかに厄介じゃねえの……。

ザリは確信する。そんな芸当を眼前の女剣士が可能としていることには信じがたいものがあったが、これで理屈はわかった。

 つまりは、ある一定の間合いの中に入った物は全て、あの八の字の軌道でゆらゆらと動く両手剣が撃ち落とす仕組みなのだ。逆にいえば、範囲内に侵入さえしなければ攻撃されない。

 それにしても、黒塗りのダーツまで撃ち落とされたことは驚異的といえた。

 あの速度と精度で剣を操る技術もだが、一点に固定された視線は、その視野の中の物全てを完璧に捉えているのだ。

 今まで傭兵として数えきれぬほどの戦士を相手に闘ったザリだが、こんなものを見るのは初めてのことだった。

剣術を学んでこそいるようだが戦闘に関してはほぼ素人と、この相手を舐めきっていたが、認識をあらためざるを得なかった。

 相当な鍛錬を積まなければ、これほどの剣技を修得することは不可能だろう。そしてまた、このような離れ技を実践可能とする集中力も尋常ではない。

「さあて、どうしたもんかねえ」

 ザリは言い終えた後、再び額から流れ落ちてきた血とともにその唇をぺろりと舐めまわした。

 兄の剣に、教えに救われている――。

 そのことを実感しながらも、自身の落ちつきようにフィオリトゥーラは驚いていた。

 一度そうと決めてしまえば、ザリに対する恐怖はどこかへ消えてしまった。

 視野にある全ての動きが把握できる。そして自身の剣は、決められた間合いの内であればどこへでも届く。

 わずかな瞬きしか許されず目は乾き、また前に出した両手剣を常に動かし続けることでの腕への疲労の蓄積もあるはずだった。

 それでも身体は、全ての神経は、この状態を無理なく静かに維持し続けている。

 右脚の痺れはまだ感じるが、次第に感覚が戻ってきているように思えた。腹部の痛みも、もはや動きに大きく影響するほどのものではない。

 焦って考えずとも、そんな様々な状態が手に取るようにわかった。

 そして、自分自身を客観的に眺め始めた瞬間、フィオリトゥーラの頭の中に別の思考が流れてくる。

 ガルディアは今どうしているだろうかと想像した。いつも飄々としているはずの彼の必死な顔が浮かんだ。

 もしも追っ手を振りきることがかなわぬのならば、あの剣を置いてでも逃げてくれるだろうか?

 彼の身を案じた途端、もう一人の自分が現れる。

 いえ、それでは剣を失ってしまうでしょう?

 あの剣は、何よりも大切な物……。奪われれば、私個人の責任では到底留まらぬ多大な損失があり、皆との約束を違えてしまうことにもなる。

 いえ、違う。その程度ではない。「私の存在そのもの」と、私は口にしたではないか。

 あれは約束の剣。託された夢……。何よりも大切な、私にかけられた呪い。

 何よりも、何よりも……。何よりも――?

 自問自答する中、間近で闘うその存在を強く感じた。

 ディル……。

 あの剣が遠ざかっていく恐怖が、どこか静謐な場所にしまわれようとしていた。

 兄が聖地の頂を夢見たように、ディルもまた、この聖地で夢を見ているはずだろう。

 突然現れた暗闇に、理不尽に喰われて消える、儚い夢……。

 その闇を振り払うとするディルを、見つめていなければと思った。

 私はここを切り抜けます! ディル。貴方は、貴方の勝利を!


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