6-3 打開の兆し
連撃の合間、これまで何度かそうしてきたように、ゲインがまた双剣を揃えて振ってきた。
それは息つく間もない双剣の乱舞の中で、唯一存在する隙であることは確実だったが、あの唐突に変化した左剣の動きが意識に強く焼きつき、ディルはそこに反撃を挟むことができなかった。
「ほらよッ」
ゲイン自身それを理解しているのか、誘っているかのように大きな動きを見せる。
ブンッ、と大きく弧を描いて振られた双剣を躱し、ディルは後方へと跳躍した。
それをゲインが、当たり前に平然と追撃する。
いい加減、止まりやがれッ!
相手に当たらずとも双剣の動きの邪魔さえできればと、ディルは着地と同時にシミターを斜めに振り上げるが、その一撃をあっさりとかいくぐって、二本の剣が左右から順に伸びてくる。
まず、前に出した右腕が狙われていた。
シミターを持つ右腕を引いて肘を咄嗟に曲げると、それで空いた空間をゲインの左剣が通過する。そして、その下に右剣の像を一瞬だけ垣間見た。
こっちか――⁉
ディルは右足を引いて、腿の辺りを狙ってきた剣をも躱す。ほとんど見えていなかったが、もはや予測と勘だけで応じていた。
迎撃に転じたディルと、意に介さずそこに双剣を合わせたゲイン。退かない二人の身体が重なる。
半身になったディルがゲインの双剣の間に入る形で、二人はほとんど密着するような距離まで接近していた。
ディルは無理にシミターを動かすことはせず、前に出ている左肩をぐいと突きだしゲインに当てようとする。どんな形でもいいから、相手のリズムを狂わせたかった。
だが、それを予測していたのか、ディルが肩を出したその分だけ、ゲインも身を引いた。
そして、左右の剣を素早く引き戻す。
やっべ……。
ゲインの懐に身を預けるような至近距離のまま、後方の死角から迫る二本の剣の気配を感じ、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。
「シェアッ!」
鋭い呼気とともに、ゲインの両腕に力が籠もる。
拠りどころとなるのは、目の前のゲインの動きだけだった。その肩や肘の動きから、ディルはおおよその軌道を瞬時に予測する。
右へ身体を傾けながら、シミターを引き寄せると、自身の右耳の辺りにその刀身をぴたりと当てた。
次の瞬間、ディルの脇腹を裂こうとした右剣が空を切り、だが、もう一方の左剣がディルの側頭部を捕える。
ギィィィンッ!
衝撃と振動。耳をつんざく金属音が、まるで頭の中に雷でも落とされたかのように轟き、それが眼球までをも震わせた。
ゲインの左剣が、シミターの刀身を打って跳ね返っていた。
くそッ……。
首を持っていかれるほどの衝撃こそなかったものの、ディルは体勢を崩しかける。鼓膜が麻痺し、頭も揺らされたことで平衡感覚が怪しくなっていた。
ゲインを見る余裕などあるはずもなく、とにかく次の攻撃が来る前にと、倒れても構わないと地面を蹴る。
距離を空け、不安定ながらも着地し、左手と片膝をつきながら辛うじて体勢を維持すると、すぐさま顔を上げて追撃に備えた。
ところが、ディルの視界に映ったゲインは、なぜか随分と遠くにいた。
二人の間は五メートル近く離れていた。ゲインもまた、ディル同様に後ろに退がっていたのだ。
なんでだ……? 好機だったろうが。
「チッ」
ゲインは舌打ちしながら、確認するようにその場で左右の剣を順に振る。
ディルは警戒しながらも、あえてゆっくりと立ち上がった。ゆったりとしたブレーの右腿の辺りがざっくりと斬り裂かれていた。少量だが血も滲んでいる。
右耳には何かが詰まったような感覚があった。一時的に麻痺した鼓膜は、まだその機能を取り戻していない。
右肩にシミターを担いだまま、ディルはゲインの姿を見据えた。
わざわざ向こうも間合いを外しているのだ。何かこっちに有利な材料があったはずだ。
ディルは、先の一瞬の攻防を頭の中でなぞる。
今までになかったことが、何かあるか……。
至近距離での攻防となったが、そこにゲインが不都合を感じた気配はなかった。むしろ追いこまれたのは自分の方だった。
となると……。
シミターの刀身でゲインの剣を受けたこと――。
それは確か、この戦闘が始まってから初めてのことだったはずだ。そして、剣を受けた際の感触を思いだしてみれば、そこには何か違和感が残されていた。
あいつの剣、見た目以上に軽いのか……?
その仕様、外観からしてもディルのシミターの方が重量で勝っているのは間違いなかったが、それにしても、受ける直前に想像したより、その衝撃は遥かに軽く感じられた気がした。
よし……。
すぐに仕掛けようとしないゲインを前に、ディルはシミターを肩から降ろし、その切っ先を前方に突きだして構える。
普段はあまりシミターを前に構えることはしないディルだが、何かヒントがあるのならば、今は少しでもそこに近づかなければならない。明確なプランこそまだなかったが、そんな思惑から、少しでも双剣の邪魔ができるような場所にシミターを置いた。
ゲインが、わかりやすく眉をひそめた。
あれだけ迷わず飛びこんできた男が、すぐに動きだそうとしない。
その隙にディルは、視点はゲインへと固定したまま、フィオリトゥーラとザリの闘いの方へと意識を向けてみる。
安堵した。
彼女は今はもう立ち上がり、再びザリと対峙しているようだった。
あいつ、なんとかやれてんのか……?
戦況はわからないが、倒れていた先の状態と比べれば、少なくとも好転しているようには思えた。
いっそ、乱戦に持ちこむべきだろうか?
ディルがそんなことを考え始めた瞬間、ゲインが動きだしていた。
前に駆けだしながら、左剣だけが小さく振りかぶられる。
それに合わせようと、ディルはシミターを持つ右手をわずかに外に向けた。
いや、こいつは……。
すでにゲインの左剣は攻撃動作に入っているが、ディルはその軌道を冷静に見極めると、合わせようとした曲刀の動きに制止をかける。
すると左剣は、シミターの刀身から少し離れた先で空を切った。
ディルが避けたわけではない。最初からそれは、ディルに到達することはない距離と軌道で振られていたのだ。
やっぱり〝見せ太刀〟かよ。
これまでの剣捌きから考えて、ゲインが間合いを見誤るとは到底思えない。つまり、これはシミターを誘うための罠だったのだ。
ゲインの身体が、ディルから見て左側に沈む。
次の右剣に対応しようと、ディルが腰を落としシミターを左に傾けた瞬間、目の前でゲインの逆立った髪が、ぐん、と揺れ動いた。
右剣による左からの攻撃はなく、代わりにゲインは、伸び上がりながら反対の右側へと一気に跳躍していた。
ディルは素早く身体の向きを変えるが、シミターはついてこない。
「ファッ、ハッ!」
地面にその足をつけるより早く、空中から双剣が立て続けにディルを襲う。
身体を左右に揺らしてそれらを回避した後、ディルはシミターを戻して、ぴたりと自身の右胸の辺りに刀身を寄せる。
シミターを誘いだそうとした後、さらに変化をつけて間合いに入る辺り、ゲインがディルの狙いに気がついている可能性は高かった。
ディルの狙いは単純だ。
とにかく、シミターをゲインの双剣に衝突させる。それのみを考え、その後に何が起きてどうするかなどは、その瞬間に見て対応すればよいと決めていた。
今も、シミターを構えずも下げずにいるのは、露骨にそれを狙うがゆえだった。
ゲインの着地と同時に再び始まる攻防の中で、ディルは相手の行動の変化を歓迎していた。
どちらが優勢かはわからずとも、それは戦局が次の局面に移ろうとしている証拠だからだ。先までの流れのままでは、次第に劣勢になっていくことが目に見えていた。
荒れ狂う双剣に身を委ね始めると、フィオリトゥーラの側へ意識を向ける余裕がなくなっていく。
ゲインに勝利したとて、フィオリトゥーラが命を落とせば、この闘いそのものの意味が失われてしまう。
だが、そんな葛藤がわずかでも自分を鈍らせれば、このゲインの前ではひとたまりもないだろう。
集中しろッ!
ディルはフィオリトゥーラを信じると決めた。
この場は、互いの勝利を信じ、互いが目の前の敵に全力で集中しなければ、切り抜けられない。
ザリが右足を、トンと踏みこむと、フィオリトゥーラの身体が、びくりと動く。
ザリの一挙一動が、フィオリトゥーラを完全にコントロールしていた。
「ほうら、行くぞお」
言葉でも揺さぶりながら、ザリは幾度となくフィオリトゥーラを威嚇する。
これまでの戦況、ザリへの恐怖、自身が負っているダメージ。くわえて、先の蹴りやダーツを受けてしまったことで、警戒すべきは右手のククリだけではないのだという意識も強まり、それら全てがフィオリトゥーラの集中力を著しく乱していた。
「おおっとお」
ザリが突然何かにつまずいたように、右足をそこに固定したままふらりと上体を傾ける。そして、そのまま右肩から倒れこむようにして、よろよろとフィオリトゥーラへと接近してくる。
慌ててフィオリトゥーラは、両手剣を小さく斜めに振り下ろした。右脚の痺れと腹部のダメージの影響からか、自身がイメージする剣の動きとはかけ離れていた。
剣撃をたやすく躱すと、ザリは半身の状態からくるりと反転し、背を向けながら、その長い左腕をぶんと振りまわす。
翻るマントを押しのけながら、ザリの左拳が甲の側を向けた裏拳の形で、フィオリトゥーラの側頭部に迫る。
フィオリトゥーラは剣を振り終えた体勢のまま、首をすくめ頭を低くしながら、左肩をぐいと持ち上げた。
ドン、と鈍い音がして、フィオリトゥーラの身体が横に弾き飛ばされる。
頭部への打撃こそまぬがれたが、肩を強く打たれ、その衝撃で足がよろめいた。
なんとか倒れまいと踏ん張ったその時、彼女の視界の上隅で、刀身がギラリと煌いた。
「ヒョッ!」
ククリの肉厚な刃が、フィオリトゥーラの頭部めがけて垂直に落ちてくる。
足を動かすことがままならない彼女は、上体だけを無理矢理動かして、その一撃から逃れた。
ぞくりとするような重たい風切り音が間近で鳴った。
振り下ろされたククリを辛うじて避けたフィオリトゥーラは、意図せずザリの懐へと足を踏みだす。
自身が手にする両手剣の刃が、ザリの身体のすぐ近くにあった。
これを引けば……。
そう思った瞬間、ゴッ、と鈍い音が、今度は彼女の頭の中に鳴り響いた。
ククリを振ったのと反対の左腕が折りたたまれ、その肘が、待ち構えていたかのように彼女の右頬を叩いたのだ。
フィオリトゥーラは身体を仰け反らせ、それでも追撃を逃れるため、左脚だけを頼りに必死にザリとの距離をとる。
ザリは相変わらずの余裕で、その場に立ち止まったまま、そんな彼女を小さな瞳でじっと観察していた。
左肘は軽く振られた程度だったというのに、フィオリトゥーラは平衡感覚を失いかける。
どうにか構えなおしザリを見た時には、口の中に血の味が拡がるのを感じた。
「ほうらあ」
ザリが左手をすっと上に掲げた。それに反応して、フィオリトゥーラが必死に身をよじる。
だが、ザリは持ち上げたその左手で、ただ自身の頭を掻いただけだった。
「あっはあ」
呆気にとられるフィオリトゥーラに向けて、ザリは大きく目を剥いて、開けた口から長い舌を垂らす。
フィオリトゥーラは剣を構えなおしながら、その姿を見て歯噛みした。
この男を相手に、自分に何ができるというのか……。
兄の剣、兄との約束、兄から託された夢。全てが遠のいていく。
剣……。そうだ。
ガルディアさんは、無事逃げることができただろうか?
ふとそんなことが頭をよぎるが、彼が剣を持って逃げることに成功したとて、自身がこのありさまではどうしようもない。
いや、許可なく持ちだした剣が、私の落ち度で何者かの手に渡るよりはまだ……。
諦めにも近い思考を浮かべつつある彼女の前で、ザリがゆらりと動きだす。
惑わされまい。そう思い身体に力を入れた彼女に対し、ザリはククリを手にした右腕を、何かを遠くに投げるような動作で大きく振った。
そのリーチと身体の使い方から、相変わらず予想以上に伸びてくる。
一見届かないかに思えたククリは、フィオリトゥーラが剣を構えるその腕に、刃の先端を到達させようとする。
相手が何をしてくるのか警戒するあまり、彼女の反応は、本来のそれよりも遥かに鈍く遅れていた。
両手剣を動かすと、フィオリトゥーラはその剣身でククリの刃を逸らして、ザリの右に回りこむ。右脚が重い。
彼女を追って向きを変えてくるザリに、フィオリトゥーラは両手剣を右から左へと払った。
それを見切って鼻先で躱すと、ザリは身を伸ばし、彼女を遥かに越えるその長身を覆いかぶせてくる。
大きな左手が彼女の腕を掴もうと伸ばされ、それを凌いだ瞬間、再びククリの刃が今度は彼女の胸の辺りを薙いできた。
左足で蹴って、後方に退がる。
ザリはそれを追わず、ニヤニヤと笑いながら、またククリをゆらゆらと揺らしてみせた。
今の一連の攻撃はそれまでと違い、まやかしや駆け引きの類なくフィオリトゥーラに向けて繰りだされていた。
その動きの速さ自体は、先日闘ったクローディアと比較すれば遅い。だが、そんな攻撃でも、今はあの闘いの時以上に追い詰められている感覚が強かった。
予測しがたい動きで惑わし、攻撃の脅威も印象づけ、さらには事前に用意してある手段で相手の身体の自由も奪う。
それら全てが作用した結果、今は単純な攻撃に対してもフィオリトゥーラの反応は遅れ、ザリがその気になれば、彼女に致命傷を与えるのは時間の問題のように思えた。
闘いとはこういうものなのかと、フィオリトゥーラは初めての体験に戦慄していた。
当たらない攻撃は当たるように、逃げる敵は逃げられないように。ザリは幾多の闘いの中でそれを学び、そして知っているのだ。
肩で息をしながら、フィオリトゥーラはそこに対抗する手段は何かないかと考えるが、焦る彼女はただ表面をなぞるように、「どうすればいい? どうすればいい?」と、心の中で繰り返すことしかできなかった。




