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6-2 劣勢

「フィオッ!」

 ゲインと再び向かい合った瞬間、その光景がディルの視界に入った。

 向こうでも戦闘が開始されたことは把握していたが、気がつけばフィオリトゥーラが敵の目の前で仰向けに転がされていた。

 反射的に身体がそちらへと動きかけるが、ゲインがわずかに肩を揺らして、そこに牽制をかけた。

「チッ」

 ディルは小さく舌打ちし、ゲインとその向こうの様子を同時に視野に入れる。

「なんだよ、余裕あんね」

 ゲインが器用に、両手で双剣をくるくると回した。

「うるせえ……」

「避けんの上手だよね、あんた。でも、こっちはこっちでちゃんと、遊ぼうぜッ!」

 まただった。

 今度はわずかに姿勢を低くして、右肩を前にして滑るように飛びこんでくる。

 わかっていても先手をとられてしまう。ゲインの動きは全てが速い。これまでに闘った中でも、おそらく最速の相手だろう。

 だが、どうしてかはっきりと視える。

 順に振られた双剣をディルが左右に身体を揺らしてやり過ごすと、そこから再び先と同様の攻防が始まった。

 その中で、フィオリトゥーラが気になるディルは一瞬だけ視線を動かし戻すが、それが気に入らなかったのか、ゲインは交差させた双剣で露骨に顔の辺りを突いてくる。

 上体を反らせてそれを避けながらも、ディルはきっちり相手から視線を外さなかった。

 フッ、と鋭く息を吸う音が聞こえ、ゲインのむき出しの腹筋がわずかに膨れる。

 来るッ!

 一瞬の間の後、ゲインの両腕が、それぞれが意志を持つ生き物かのごとく激しくうねりだした。これまでよりさらに一段速い連撃。

 ディルの上半身がある空間そのものを細切れにするかのように、対の剣が目まぐるしく暴れ狂う。

 しかし、ディルはその空間の中で全てを回避していた。

ディルはそんな自分自身に驚愕した――。

 後ろに退がらなかったのは、フィオリトゥーラのところにすぐにでも駆けつけなければという意識が無自覚にそうさせたのだが、その場での回避を実行しようとし、それを遂行できたことが信じられなかった。

 視えるだけでなく、双剣が描く立体的な軌道の全てと、そこをそれぞれの剣が通るタイミングの全てが一瞬で把握できたのだ。

 ゲインの速度に対して限界かに思えていた身体も、その動作がより最小限のものに変化し、今の研ぎ澄まされた感覚と次第にリンクしていく。

 ゲインもその目を見開き、驚きを隠せずにいた。

 ……こいつ、全部避けやがった!

「フォウアッ!」

 一気に息を吐き、ゲインが双剣の動きを揃えて、左右同時にディルの両肩を斬りつけてくる。

 ここだ――!

 ディルは右肩だけを反らしながら、背後からシミターを振り上げる。揃った双剣の隙。上下逆ではあるが、先と同様の展開を狙った。

 身体を引きながら、通りすぎる二本の剣の間、ゲインの胸元へシミターを叩き落とす。当たればよし。当たらなくてもゲインが退けば、それでフィオリトゥーラのもとへ移動するための間が作れる。

 合わせは完璧だった。

 そう思った瞬間、目の前で双剣の軌道が変化していた。

 ゲインの右手の剣だけが、振り下ろされる途中で突然、見えない何かに弾き返されたかのように跳ね上がったのだ。

「くッ!」

 ディルは咄嗟にシミターを振る右腕から力を抜き、全力で身体をひねる。

 互いの剣が上下からほぼ同時に交錯した。

 ディルの左眼の前、斬られたかと思うほど近く、触れるような距離で刃が上に通りすぎていった。 

 ゲインも、途中で速度を失ったシミターを身体を引いて躱しながら、続いて下がっているもう一方の剣に力を込める。

「チッ」

 次の左剣は躱せないと瞬時に判断し、ディルはよろけたまま強引に地面を蹴って後方へと跳躍した。 

 それを見たゲインは左剣を振り上げるのをやめ、上体を前に倒して、前かがみの姿勢でディルを追って突進していく。

 崩れた体勢を戻すのが精一杯で、ディルは再び守勢に回らざるを得なかった。

 下から順に交差する左右の剣を避けながら、ディルは思考する。

 ゲインの剣の方が、わずかに早かった……。

 あのまま構わず攻撃していれば、こちらが先に斬られ致命傷を負っていただろう。

「そんな簡単じゃねえぞッ!」

 双剣を激しく振りまわしながら、ゲインが叫ぶ。実際そのとおりだった。やはり、到底一筋縄では行きそうにない相手だった。

 Aランクは、伊達じゃねえってか。

 身体能力の高さに頼って手癖と勘のよさだけで攻撃するタイプかと思いきや、先の左手の剣だけが突然違う動きを見せたあれは、おそらく練られた剣技だろう。

 適当に振りまわしているだけでも厄介なのに、その上、色々と用意された術が隠されている。

 流石に強えな……。

 我ながら絶好調と感じる最高の状態でありながら、まだ互角かそれ以下。

 再びステップも使い、ディルはゲインの周囲を回るようにして攻撃を避け続けた。

 細い身体だというのに、ゲインは一度動きだすとまるで止まる気配を見せず、二本の剣を短剣のごとく軽々と自在に操る。

 力も、スタミナも、凄え。

 振り下ろされた右剣を半身にして躱したと思えば、間髪入れず右から左剣が頭部を襲ってくる。

 身をかがめそれも躱すが、まさに紙一重の間で、ゲインの剣が通りすぎた軌道の上を、ディルの銀髪の一部がはらりと舞った。

 すかさず顔を上げ、次の攻撃に備える。

 いつの間にかディルの左頬には赤い筋が入り、そこから血が滴っていた。



 名を呼ぶディルの声を耳にした。

 私は一体、何をしているのだろう……。

 仰向けに倒れたままのフィオリトゥーラは、その一声で我に返った。

 ディルはまさに今、ただ私の剣を取り戻すためだけに闘っているのだ。

「もう少し遊ばせてくれよお。ほら」

 ザリの声に続いて、カランと音がすると、フィオリトゥーラの傍らにカルダ=エルギムの両手剣が転がっていた。ザリが足で蹴って寄こしたのだ。

「剣も上等だねえ」

 ザリが発した言葉どおり、完全に遊ばれていた。本来ならば追い打ちをかけられ、殺され、闘いはすでに終わっているはずだろう。

 自らの情けなさに思わずその顔をしかめつつ、しかしこの状況に救われているのだと、フィオリトゥーラはそうも考える。

 この闘いに誇りなどは必要ない。いかなる理由であれ、相手が手心を加えてくるのならば、それにもすがろう。

 ザリの足音が聞こえた。

 フィオリトゥーラは横目で剣のある場所を確かめる。

 身体に力が入るかどうかわからなかったが、そんなことは関係なかった。黙って倒れているわけにはいかないのだ。

 フィオリトゥーラが素早く上体を起こす。

「おおッ?」

 ザリはニヤニヤと笑いながら、歩みを止めない。すでにフィオリトゥーラの足先近くに、次の一歩を踏みだそうとしていた。

 上体だけを起こしたフィオリトゥーラは、右脚を右から左へと大きく振って、その勢いで自ら再び仰向けに倒れると、連続して左脚も同様に振りまわす。

「あん?」

 足を蹴り払いに来たと考えたザリは、それが当たらぬようにと足を止めるが、フィオリトゥーラの狙いは違った。

 風車のごとく順に振りまわした両脚の勢いで、その身体は回転しながら一気に伸び上がり、それで逆立ちのような形になると、彼女はそこからザリに背中を向けて立ち上がる。

 そしていつの間にか、彼女の左手には両手剣が握られていた。

 まだ腰を曲げた体勢のままで、右手を剣の柄に添える。

「ハッ!」

 立ち上がっても回転の勢いを殺さずに、フィオリトゥーラはそのまま両手剣を横向きに振った。

「おおっとお」

 マントを翻して、ザリが飛び退る。

 その一撃は空を切ったが、振り終わりの剣先がふわりと上昇すると、両手剣はフィオリトゥーラの正面に戻って、ぴたりと動きを止めた。

 フィオリトゥーラが再び剣を構えた。距離こそいくらか近いが、これで最初と同じ形に戻っていた。

 倒れた状態から剣を掴みながら立ち上がるこの術は、これもまた、いつか兄のアルトゥラステリオが彼女の前で披露したものだった。

 一人修練で剣を振るう中で彼が見せたその奇妙な動きは、一体どういう意味を持つものなのだろうと不思議に思った記憶が残っていた。

「まだまだ楽しめそうだなあ、おまえ」

 ザリは右手を突きだすと、手にしているククリをゆらゆらと揺らし始める。

 フィオリトゥーラは構えながらしっかりとザリを見据えるが、その呼吸は大きく乱れていた。

 腹部が激しく痛む。冷たい汗が幾筋か、彼女の頬を伝って流れ落ちた。

「どうしちまおっかなあ……。両腕両脚を切り離して、裸にひん剝いてそこらの壁にでも張りつけちまうかあ? いい見世物になるぜえ」

 そんなザリの言葉で、フィオリトゥーラの背筋に再び悪寒が走る。

 この男は、私を動揺させようとしているだけだ……。

 絶望へと揺らぎそうな心を、そうしてなんとか繋ぎとめる。

 まだ、目の前でククリが左右に揺らされていた。

 フィオリトゥーラは自分から動くべきか迷う。ザリが何を仕掛けてくるのかまるで想像がつかず、その得体の知れなさが恐れとなり、彼女の決断を鈍らせた。

 そうしているうちに、いつの間にかザリが左腕をマントの中に隠していた。

 フィオリトゥーラがそのことに気がついた瞬間、マントがパンッと弾け、ザリの左腕が跳ね上がる。

 小さく何かが光った。フィオリトゥーラはそれが何かわからないまま、反射的に両手剣を右に動かす。

 キィンッと音が鳴り、剣に弾かれた何かが後方に飛んでいくのがわかった。

 白い羽のような物が一瞬だけ見えた。ザリが何かを投げつけてきたのだ。

 そう理解した時、彼女は自身の右腿にずきりとした痛みを感じた。思わず目前のザリから目を離し、そこに視線をやる。

 見れば、右の大腿に小さな黒い矢が刺さっていた。手投げ用の小型矢であるダーツだった。そのダーツは、周到なことに先端から羽根まで全てが黒く塗りつぶされてあった。

 ダーツは一度に二本投げられていたのだ。

 彼女は咄嗟に一本を弾いたが、黒塗りのダーツの方は視認できず、その存在に気づくことさえできなかった。

 フィオリトゥーラはすぐさまそれを引き抜き、投げ捨てる。

 傷口は小さいようで、脚を覆う黒いホーズの表面に小さくうっすらとだけ血が滲んだ。

 慌てて視線を戻すと、ザリはククリを持つ右手をだらりと垂らし、左手はまだ前に出したまま、フィオリトゥーラをニヤニヤと眺めていた。

 するとザリは、左手の人差し指を伸ばし、おもむろに何かを指差した。その指が示す方向は、今ダーツが刺さったばかりのフィオリトゥーラの右腿だった。

 不審に思いつつも、彼女はザリから視線を外すまいとするが、その瞬間、自身の身体に起きた異変に気がついた。

 右脚の感覚が希薄になっていた。腿から膝にかけてが、ぼんやりと痺れたように感じる。

 いつの間にか矢傷の痛みも鈍くなっていた。

 フィオリトゥーラの顔が、一気に青褪めていく。

 毒……?

「安心しろよ、死にゃあしねえって。ちょっとしばらく痺れちまうだけだからよお」

 ザリの声が遠くに聴こえるよう気がした。

 右脚に力が入らない……。立っているのがやっとだった。

 恐怖と絶望が、再び彼女を支配し始める。

 ザリを前にしてフィオリトゥーラは、自身がいかに闘いに関しての素人であるかを思い知らされていた。

 闘いを、あの剣を、兄の夢を――。

 そう自らを鼓舞してみても、目の前にある望まぬ未来の像は次第に形を作り、そこには弄ばれ嬲り殺される自身の姿だけがあった。

「毒ってのはなあ、死ぬような強えのは駄目なんだよ。奪われててめえが使われちまったらアウトだからなあ。お勉強になりまちたかあ?」

 わざわざそんなことを説明してくるのも、圧倒的な余裕からなのだろう。

「さぁあ、次は何をすっかなあ」

 呑気な口調でそう言うと、ザリはゆっくりと足を踏みだしてくる。


 

 やっぱ、追いついてこれないか。

 ガルディアは呼吸も乱さず、一定のペースを保ったまま、十二番区の複雑な路地をさらに奥へ奥へと進んでいく。

 過信はよくないと理解しつつも、自信はあった。

 事前の調べで、なるべく真っすぐではない道ばかりが続き、かつ先回りを許さないように目的地を最短に近い形で目指せる逃走経路を選び抜いたのだ。

 しかも、スタート時点で足止めにも成功している。

 ガルディアが目指す目的地は、十二番区の街並みを抜けた先にある中程度の通りで、そこまでに追っ手を引き離せれば、その後は、その通りを全力で都市の外側に向かう方角に移動する予定で考えていた。

 そして、追っ手が適当に徘徊していた場合でも遭遇することがないだろうほどの距離を空けた後、そこから大きな通りを使わずに北へと向かって、ゆっくり時間をかけてスラクストンの屋敷まで戻っていくつもりだった。

 よしよし、順調順調。

 段々と大きなケースを抱えて狭い路地を行くことにも慣れ、疲れるどころかガルディアのペースは次第に上がっていく。



 すっかり月が顔を出していた。半月近くまで欠けた月は、東の空から街を控えめに照らしている。

 広大な夜空を背にして立ち上がると、デロルトは耳に手を当てて、しばらくその音を聴いた。

 彼は今、石造りの建物の屋上に立っていた。袋小路の三方を囲う建物の壁を順に蹴り、手も使わずに鮮やかな身のこなしで、そこへと駆け上ったのだ。

 ふむ……。やたらと動いているのは攪乱目的か。だが、目指す方向は決まっているようだな。

 常人では音として捉えられるかどうかすら微妙な物音からでも、デロルトは相手の動向を読みとっていく。

 それなりに頭は回るようだが、この場所を選んだのは失敗だったな。

 デロルトは、十二番区の街並みを見渡した。

 所狭しと無数の建物がひしめきあう街も、こうして上から見ればただの平坦な荒野に等しかった。邪魔をするものがあるとすれば、ところどころにひび割れのように谷間がある程度といったところか。

 すっと音もなく駆けだすと、デロルトは屋上の縁で踏みきり、路地を挟んだ向かいの建物へと跳躍する。

 着地をする時でさえその足音をほとんど立てず、立ち止まることなくデロルトは、再び次の建物に向かって走りだしていった。


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