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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第五章 決戦の日
37/68

5-9 戦闘開始

 無言のままディルが指で差し示した先を、ガルディアも同様に見つめた。

 街灯の明かりを受けて、ひとつの人影が路上に浮かんでいるのが確認できた。かなりの距離があるため、それは何かの粒のようにしか見えなかった。

「一人?」      

 ガルディアが言うと、視線を固定したままでディルがうなずく。

 ガルディアは身をかがめたままぐるりと見回し、周辺を素早く確認した。他に異変はない。

 人影は、ただ一人で産業路の中央を真っすぐに進んでくるようだった。

 ――斥候(せっこう)、か?

 一人しかいないことでディルはそう考えるが、それにしては人影の動きが、この距離で見てすら迷いなく無造作なものに見えた。何かを警戒する者が見せる動きとは思えない。

 違う、か……?

 そう考えた瞬間だった。

 人影の後方、二十メートル近くの間を空けて、そこに新たな人影が現れた。

 ディルは、それを凝視する。全身が引き締まり、一気に緊張していくのを感じた。

 ひとつ、ふたつ。少し離れて、後方にさらにひとつ。最初の一人と合わせれば、人影は全部で四つ。プレシャスからの情報の人数と一致していた。

「来たな……」

 事前に下から見える範囲を確認した上で位置取りしているものの、二人は自然とその身を一段低く構える。

「まだかなりある。焦るなよ」

「うん」

 ガルディアの横顔を見た後、ディルは手が届く距離にある連絡用のロープへと視線を移した。

 待機するフィオリトゥーラの姿を想像し、彼女にどれぐらいの時間を与えるのが適切か一瞬迷うが、すぐに決断し、ロープを大きく引いた。

 その隣で、ガルディアは限られた姿勢の中で、身体を動かし各部を順にほぐしていく。

「真夜の刻まで待たされるんじゃなくてよかったね」

「ああ。さっさと終わらせちまおうぜ」

 ロープが引き返されるのを確認しながら、ディルもまた、ガルディア同様に準備を開始した。



 程よい緊張感を保ったまま、余計なことは頭に浮かべず、無意識のような意識の維持に努める。一度その状態に入ることができてからは、不思議と時間の感覚すら忘れさせるほど、ただ待つということにフィオリトゥーラは困難を感じなかった。

 途中、外から物音がして、唐突に倉庫内へと差しこむ光の量が増した時も、慌てることなく、冷静に外の様子を推察できた。

 水面を漂う落ち葉のように、ゆらゆらと、ただ静寂の中に身を委ねる。そんな意識の内を漂っていた最中、彼女はふと思いたち、水筒を手にしてワインを口にした。

 その時だった。

 屋上から繋がるロープが、これまでの四回と違い、大きくずるずると引っ張られた。

 標的発見の合図だ。

 慌てて立ち上がり、自らの両手剣へと手を伸ばしかける。

 だが、すぐにそれではいけないと思いなおし、意識して動作を緩めると、まずはロープを引き返した。

 ふう、と息をひとつ吐きだし、それからまた深呼吸をする。

 ディルの事前説明のとおりならば、合図の後、標的の接近まではしばらくの間があるはずだった。

 すでに目が慣れた暗闇の中、フィオリトゥーラは腰のベルトに差していた一枚の布をゆっくり引き抜くと、それを頭に被り、各部を留めて形を作っていく。

 それは、このもうひとつの戦闘服であるインヴェルノに付属していた衣類の一部で、ウィンプルと呼ばれる頭巾のように頭全てを黒い布で覆い隠し、また口元も同様に隠してくれた。

 カルダ=エルギムの両手剣を手にして、ゆっくりと歩きだす。

 隙間からわずかに差しこむ街灯の明かりを受けて、剣身が鋭く煌いた。

 細身のドレス調のシルエットを持つ黒とグレーで彩られた戦闘服のスカートの裾が、彼女の脚の動きに合わせて音もなく揺れる。

 扉の前で立ち止まると、もう一度深呼吸を行い、フィオリトゥーラはゆっくりとその目を閉じた。

 目蓋の裏側に焼きついたままのその笑顔をぼんやりと眺める。

 アルト兄さま。どうか、私に力を……。


 

 その姿が視認できてからも、接近までにはかなりの間があった。

 急いでいる風もなく、四つの人影は緩やかに産業路を歩き、ディルとガルディアが待つ倉庫の方へと向かってくる。

 息を潜めて見守る二人の眼下を最初に通りすぎたのは、一人離れて先頭を行く男だった。

 薄汚れたマントでその身を覆った男は、だらだらとかったるそうに歩を進めている。

短く刈りあげた髪、マント越しでも細身とわかる体格だが、その背丈はかなりあるように見えた。頭上から覗く二人に気づいた様子など微塵もなく、周囲を警戒することもまるでせずに、左右の肩を大袈裟に揺らしながら歩いていく。

 後方を行く者たちとは二十メートル近い距離を空けているため、一見すると一人だけ無関係の者が歩いているようにも思えるが、この時間でたまたま別の通行人が居合わせているということは、流石に考えがたかった。

 続く人影の姿が見えてきた時、ディルは思わず口元に笑みを浮かべた。

 それぞれ白いフードつきのマントで身を隠した二人は、わずかに前後しているもののほぼ並んで歩いているが、右側を歩く男の右手に、はっきりと目的の物が確認できたのだ。

 フィオリトゥーラの背丈ほどもある、見覚えある黒いハードケース――。

 ガルディアを見れば、彼もまたケースの存在を認識したらしく、ディル同様に笑みを浮かべて無言でうなずく。

 さて、と――。

 次第に近づく足音を耳にしながら、ディルはすでに抜いてある自身の曲刀の柄を、確認するように一度強く握りしめた。

 すでに、その意識のほとんどは二人の男へと注がれているが、ディルは白マントの二人の後方へも視線を配る。

 最後尾につける四つめの人影は、五メートルほどの距離を空けて同様に進んでいる。先頭の男よりは近いが、初撃の邪魔になりそうな距離ではない。

 ケースを持つ標的が歩く速度を見極めつつ、頭の中でタイミングを計る。

 来る……。

 そう思った瞬間に、隣のガルディアが音もなく、すっとかがめていたその身を伸ばした。まるで日常でするようなその動きは、速くも遅くもない。

 大胆な動作だった。頭上を見てもいない相手に対して変におそるおそる動くよりも、こうして自然に動いた方がいいのは確かだが、それを実行するにはなかなかの度胸がいる。

 はは。やるじゃねえか……。

 ディルもわずかに遅れて立ち上がると、瞬時に狙いを定めて、間を置かずに音もなく跳躍した。 

 自重のある特注のシミターならば、無駄に振り上げる必要もない。ただ落ちる勢いそのままに、ケースを持つ男の手首辺りに刃を落としてやればいい。 

 落下していく身体。拡大していく標的の姿。

 黒いケースが、眼前に迫る――。

 構えた曲刀の位置をわずかに調整しながら、もらった、と思わず心中で呟きがもれた時、それが目の前から消えていた。

「な……!」

 寸前のところで、男がケースごと身を翻し、ディルの曲刀の一撃を紙一重で躱したのだ。

 ディルは相手を視界の端に捉えたまま、くるりと刃の向きを変えながらシミターを地面に置くようにして、着地と同時にかがむ。

 そして、曲刀の背を地面に反発させるようにしながら、自身もそれに合わせて伸び上がった。

「フッ!」

 返す刀の一撃が、逃げたケースを持つ男の手元へ吸い寄せられるように走る。

 同時に、ディルの背後の頭上で、何かが小さく煌めいた。

 シミターが空を切る。

 まただった。届きそうに思えた瞬間、ケースごと男の右手が、するりと寸前で逃げていた。

 しかも、男はそのままケースをくるりと回転させると、自らの頭部にめがけて放たれた短剣を、ケースの側面で見事に弾いていた。

「ええッ?」

 遅れて着地したガルディアが、思わず声を上げる。

空中から放った投擲用の短剣は、惚れ惚れするほどの完璧な軌道と速度をもって男の頭部へと突き刺さるはずだった。

 ディルは目を見開き、男を見た。

 咄嗟にこれだけの動作をこなした直後だというのに、男はまるで体勢を崩すことなく、軽やかにマントを揺らしたかと思うと、ディルとの間合いを空けた。

 なんだ、こいつ……。

 驚愕しつつも、ディルは思考を巡らす。このまま予定通りケースを狙い続けるか、それとも殲滅を狙った戦闘に移行すべきか。

 だが、目の前の男はなぜかその視線と意識を、相対するディルにではなく左、ディルから見た右側へと向けていた。

 男の視界の中で、何かが揺らいだ。

 街灯と街灯の明かりの隙間となる闇の中から、ぬるりと、黒い雫がそこからこぼれ落ちるようにして、黒衣に身を包んだ人影が出現した。

 顔や髪も黒装束で隠したその剣士は、滑るように前進しながら、半身の後ろに隠していた両手剣を、すうっと前に差しだす。

 フィオリトゥーラだった。

 ディルの声を耳にして迷わず飛びだした彼女は、眼前の光景から得た情報を元に、瞬時に思考を連結させる。

 黒いケースを持った男がいる。ディルとガルディアは初撃を外したのだろう。つまり、男はそれらを回避する能力を有していると思われる。

 ならば、躱すことが容易でない一撃を繰りださなければならない――。

 記憶の中のアルトゥラステリオの動きが一瞬で蘇り、自身の身体に宿る。

 かつて彼のその剣技を受けた時、彼女は必死に避けようともがいた挙句、結果、喉元に剣先を突きつけられていた。

 白マントの男は、かすかに身構える。

 女か……。顔を隠していても、その体躯からそれは明らかだった。

 動きは速いが距離はまだある。躱すことは容易だろう。

 炎の光を受け両手剣の剣身が煌めいた。こちらに向けようと、その剣先が動きだす。

 突いてくるか。

 そう考えた瞬間、迫りくる剣先がひどく不安定に揺れた。男は目を細める。

 意図的に振っているとも思えないそれは、まるで剣を操ることができない素人が、突きを繰りだそうとして、上手く固定できずに剣が暴れているかのようにも映った。

 こんな突きが当たるはずがない。

 反射的にそう考えつつも、だが、左右上下に不規則に揺れる剣先は、それが狙う先の予測を難しくもしていた。

 しかも、距離を詰めてくる動き自体は速く、到達までに猶予はない。

 男は即座に判断して剣先を見るのをやめると、代わりに、接近する女剣士の視線へと注意を向ける。

 隠された顔の中で唯一覗いたその碧い瞳と、目が合った。

 迷いのない真っすぐな視線……。狙いは頭部、あるいは正中線のどこかか。

 そう当たりをつけると、男は身体の力を抜き、背を預けるように後方へとゆらりと重心を傾けた。

「セァッ!」

 声と同時に、その華奢な身体と視線が、男の予測通り正中線を貫こうと真っすぐに突進してくる。

 だが、安定しない剣先だけが別の意志を持つかのように、ゆらりと振れた。

 右かッ⁉

 男は慌てて右手を引こうとするが、手にしたケースの重量がそれを阻害すると察し、咄嗟にそこから手を放す。

 引かれた手とケースの間の空間を両手剣の剣先が貫いた。そのままだったならば、男の手首は切断されていただろう。

 剣に続いて突撃してくるフィオリトゥーラの身体を右手でいなし、自身の背後に放ると、男はそのまま反対の左手で、宙に浮いたままのケースの取っ手を掴もうとする。

 だが、そこを真横からシミターの刃が襲った。

「チィッ」

 舌打ちしながら、男は伸ばしかけた手を止め、曲刀の軌道から逃れるように身を反らす。

 ディルはシミターを薙いだ勢いそのままに、くるりと身体を回転させると、地面に落ちかけた黒いハードケースを足で押しだすように蹴り、背後のガルディアへと向けて滑らせた。

「行けッ!」

 ガルディアは素早くケースを拾い上げ、それを左脇に抱えると、倉庫右の路地に向かって低い姿勢のまま走りだす。

「デロルトッ!」

 白マントの男がその名を叫ぶと、少し離れて後方に位置していた男がすでに動きだしており、すかさずガルディアのあとを追った。

 その動きは俊敏で、一気にガルディアの背に手が届くほどの距離まで迫るかに見えた。

 ところが、ガルディアが路地に入った途端、男はなぜか急に地面を蹴ると、後方へと大きく跳び退っていた。

 見れば、男の前の路上に不気味な緑色の液体が飛び散っていた。同時に鼻をつく濃い草の匂いが周囲に漂う。

「じゃあね!」

 明るいガルディアの声と遠ざかる足音。

 路地に入ると同時に、ガルディアが腰に下げていた細い水筒の栓を片手で開け、瞬時にその中身を後方へと撒いたのだ。

 それは、毒でもなんでもないそこらの草や食材などをすりつぶして作った無害な液体なのだが、その見目の怪しさから、勘のよい者であればこそ危険物と判断して咄嗟に反応してしまうのは、無理もないことだった。

 男は、地面に散らばった液体をしばらく眺めた後、無機質なその顔を上げた。

 他の三人と違い唯一マント姿ではない男は、身体の形にぴたりと沿った黒のチュニックを身にまとっており、その肌もまた、闇に溶けこむような黒に近い褐色をしていた。

 男は一度白マントの男を見た後、トン、と地面を蹴ると、飛び散った液体の上を一気に跳び越え、軽やかに細い路地へと姿を消していく。ガルディアから随分と遅れたというのに、慌てるどころかどこか余裕を感じさせる動きだった。

 ディルはさらに邪魔ができないものかと、男が跳躍すると同時に動きだそうと踏みこむが、瞬間、後方に空気の振動と風切り音を感じ、その足を止めた。



 ドンッ、と音を立てディルの目の前、その進路上の地面に何かが突き立った。

 それは巨大なナイフだった。

 短剣というよりはもはや小剣に近い大きさをしているそれは、先端に向けて幅が広くなっていく鉈のような形状をしており、その刀身は途中で「く」の字に湾曲している。

 なんだ、これ? ククリ、か?

 ディルは、以前に変わった武具ばかりを集める専門店で見かけた、巨大なナイフの名をすぐに思いだした。

 ククリは、大陸南東部に棲息する部族が用いるという汎用ナイフを発祥とする武器で、その刀身は肉厚で重量もあり、近接戦闘はもちろん、回転させて投げる投擲用武器としても使うことができる。

「なんだよ、ドンピシャだったのによお。勝手に止まんじゃねえぞお」

 背後から声が届く。声質は低いがわざとらしい裏声で、耳につく不快な響きの声だった。

 振り向けば、離れて先頭を歩いていたはずの長身の男が、いつの間にか戻ってきていた。今ククリを放ったばかりの、その長い右腕をぐるぐると回している。

 白マントの男二人とフィオリトゥーラを間に挟んで、まだかなりの距離があるというのに、男はここまで正確にナイフを投げてきたようだった。

 長身の男は、自分から一番近い場所にいるフィオリトゥーラの姿を見つけると、その背を少し丸め、大きな口を歪めた不気味な笑みをその顔に浮かべながら、ゆっくり彼女へと近づいていく。 

 それを見たディルは、再び動きだそうとするが、ケースを手にしていた男の隣に位置していた、やはり白いマントとフードで身を隠している男が、音もなく動き、ディルの背後へと回りこんできた。滑らかで隙のない動きだった。

 ディルは仕方なしに向きなおす。

倉庫前の道にフィオリトゥーラとディルを入れて、二人の男が前後から挟んだ形になっていた。

「悪いね、逃がさないよ」

 甲高い声。こちらは、まるで友人にでも話しかけるかのような気安さで話しかけてくる。

 白くほっそりとした両の手が、それぞれフードの縁とマントの端を掴むと、男は身を翻し、一気にマントを脱ぎ捨てた。

 こいつ……。

 あらわになったその姿を見て、ディルは唇を噛む。

 頭の先から爪先まで、見事なまでの派手な装いだった。

 下ろせば肩までありそうな長めの髪は、どうやっているのか固めて全て逆立たせてあり、その何かの植物のような形状を見せる金髪の、ところどころ先端部分だけが赤の染料で染められている。

 その下、白い額には大きく十字のタトゥーが入れられ、それを強調するためか、眉毛は全て剃られ無くなっていた。

 目つきは鋭く、その顔立ちはディルに似ていなくもないが、鋭角的なディルと比べるとやや平坦で、まだ幼さも残されている。

 服装は、聖剣教に属する者特有の白を中心に赤が配色された物だが、袖や裾に細く金の刺繍のラインが施されている。また、そのチュニックのデザインは非常に風変わりで、袖が長いわりに裾は極端に短く切られ、前の合わせが開いていることも含めて、男の白い肌と腹筋がむき出しになっていた。

 下半身は、一見するとスカートのようにも見える、裾が大きく広がった白のブレーで、やはり赤と金ライン。足元は深紅のブーツで覆われている。

 そして何より、その腰には左右対称にそれぞれ一本ずつ、対となる剣が携えられていた――。

 額に十字。ド派手な格好に、双剣……。金ラインは、剣律の隊長以上の証だったっけか?

「――名乗りを上げろ」

 低く厳格な声が響いた。

 声の主は、先ほどまでケースを手にしていた白マントの男だった。男はこの状況下でも戦闘態勢に入ろうとはせず、これから始まる闘いの傍観者に徹するつもりなのか、腕を組み悠然と辺りを見渡している。

「あーはいはい、そうだったよね」

 ディルの前で、双剣の男が口を尖らせる。

 男は椅子の肘掛けに腕でも置くかのように、自身の二本の剣の柄に手を乗せた。

「俺は、ゲイン・ローランド。南部でやってたから流石に知らねえかな」

 ディルの額からついと一筋、汗が頬へと伝った。

 マジかよ……。

 ディルは、我ながら自身の勘のようなものに感心してしまった。

 炎夢でフェリクスにゲイン・ローランドについて訊ねたのは、ただの気まぐれに過ぎなかった。ザリと一緒にいたという男のことが、単純に頭の隅に引っかかっていただけなのだ。

 そうなると、あいつは……。

「面倒くせえなあ」

 のっぺりとした不快な裏声。長身の男は、わざとらしく伸びをして、あくびをする仕種を見せた。

「ザリだよお。俺の相手は女かあ?」

 そう来るよな……。

 その名を聞いても、もはやディルに驚きはなかった。ライマーからの話の中でも二人は一緒にいた。ゲインがこの場にいるのならば、ザリがいることは必然と言っても過言ではない。

 むしろ、今はそれとは違うことに動揺していた。

 ――名乗らせやがった!

 マントの男が二人に「名乗りを上げろ」と命じた理由。それは、礼儀を重んじるといったような綺麗事からではないだろう。

 絶対に生かして帰すなという指令なのだ。

 ザリに向けて剣を構えようとするフィオリトゥーラの背からも、明らかな動揺が見てとれた。彼女のそれは、おそらく「ザリ」という名に反応してのことだろう。

 ゲインとザリ。そして、あの驚異的な反応と回避能力を見せたマントの男……。

 なんだよ、これ……。やばすぎるだろ。

 いつの間にか東の空に顔を覗かせていた月の光が、立ちすくむディルの横顔を、松明の明かりに混じって淡く照らしていた。




 第五章 完


 六章に続きます。

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