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千の剣の物語 ~ 約束の剣 ~  作者: 鈴木しゅら
第五章 決戦の日
29/68

5-1 ランズベルトの守護

 どこからか物音が聞こえる。

 自然と目蓋を開けば、暗闇に近い視界の中、うっすらと自室の天井が見えた。

 窓からの光はなく、代わりに扉の隙間から漏れる明かりだけが、わずかに室内を照らしていた。

 フィオリトゥーラは闇の中、身体を起こす。

 不思議と、不安も焦燥もなく、かすかな興奮すら自身から感じることができなかった。とはいえ、それも今だけのことだろうと思う。

 今日という決戦の日が始まる。

 扉を開けて廊下の様子を覗いてみれば、すでに多くの燭台に火が灯され、屋敷の中は明るかった。ただ、窓から差しこむ光は皆無で、その光景はまだ夜のものと変わらない。

 部屋の中の燭台に火を配ると、フィオリトゥーラは少しの間考え、やがてチュニックではなく部屋着のブリオーへと着替える。また、髪も簡単に整えるだけで、束ねず下ろしたままにした。

 部屋を出て一階に下りると、人の気配がある食堂へと直接向かった。

「あ! フィオリトゥーラさん、おはようございます!」

 真っ先に彼女の姿を見つけたリディアが、愛らしい笑顔を向ける。

「今日も素敵ですね!」

 リディアが目を輝かせていると、その向かい、フィオリトゥーラに背を向けていたガルディアも振り向く。

「あ、起きたね。おはよう」

「お二人とも、おはようございます」

 挨拶を返しながらフィオリトゥーラは、まだ何も並べられていない食卓の上に、唯一置かれた大きな器があるのを見つけた。

「それは、なんですか?」

 底の深い陶製の器の下三分の一ほどを、奇妙な黒い液体が満たしている。

 彼女の問いにリディアが答えようとするが、それより早くガルディアが答えた。

「毒だよ」

「え……?」

 思いもよらない回答にフィオリトゥーラは驚くが、すぐにリディアが付け加える。

「見た目だけですけどね」 

「あー。もう少しフィオさんを驚かせたかったのになあ」

「駄目です。そういうのは、ディルさん相手にやってください」

 残念そうにするガルディアを尻目に、リディアは手にした大きなスプーンでぐるぐると液体をかき混ぜ始める。

 液体はスプーンに適度に絡みつき、ハチミツのような粘度を持っていることが見てとれた。また、その色も完全な黒ではなく、光に当たると濃い緑色をしているとわかる。

「どうですか?」

「うーん、ちょっと粘りすぎかなあ」

「色はどうですか?」

「そっちも、もう少し緑がわかる感じでもいいかも」

「わかりました。それじゃ、ちょっと手直ししてきますね」

 ひょいと器を持ち上げると、リディアは一礼し、フィオリトゥーラの脇を抜けて厨房へと戻っていく。

 彼女が通りすぎた瞬間、青臭い匂いが鼻をついた。液体は何かの草などをすりつぶした物なのだろうか。

「あれは、今日のための物ですか?」

「うん。なんの殺傷力もないけど、結構使えるんだ。まあ試合じゃたぶん禁止事項に触れるけど、今日は違うからね」

 ガルディアはそこまで話すと、あらためてフィオリトゥーラの姿を眺める。

「フィオさん、今日はいつものチュニックじゃないんだね」

 フィオリトゥーラは、ちらりと自身の服に目をやった後、胸の辺りに手を当てた。 

「それをうかがおうと思っていました。本日行動する際には、どのような服装が適切かと悩みまして」

「ああ。それならディル隊長が隣にいるから、聞いてみたら?」

 ガルディアが言うと、それに反応してすぐに応接室から声が届く。

「違えっつってんだろ」

 それを聞いたガルディアは、笑いながら肩をすくめた。そんな様子に苦笑しながら、フィオリトゥーラは応接室へと向かう。

「ディルを見たらちょっと驚くよ」

 ガルディアが、やはり笑顔のまま、耳元でそうささやいた。

 フィオリトゥーラが応接室に足を踏み入れると、定位置のソファに座るディルの姿が正面に見えたが、確かにその服装は随分と見慣れないものだった。

「おはようございます」

「よう」

 挨拶するフィオリトゥーラに、ディルは少し睨むようにして視線を返す。だが、彼の服装を見たにもかかわらず何も質問してこない彼女を見ると、すぐに拍子抜けしたようにその表情をやわらげる。

「おまえは何も訊いてこないんだな」

「そうですね……。考えていました。それはどのような意図からなのだろう、と」

 簡素なチュニックではなく詰襟のダブレット。鮮やかな白色のその服は、ウール地のしっかりとした仕立ての物だ。下はいつものブレーではなく、彼にしては珍しくホーズを履いている。ディルは、普段の彼とは真逆ともいえる、貴族の正装を思わせるような服をその身にまとっていた。

 無造作に跳ねた銀色の短髪と鋭い攻撃的な顔立ちゆえに、正直その服装が似合っているとはいいがたかったが、ただ、無理矢理着せられたような雑な感じもしなかった。

「まあ説明はあとでする。笑えるだろ?」

「いえ。見慣れないものですから違和感こそありますが、しっかりと着こなされていますね」

「スラクストンに見てもらったからな。なんの気まぐれか前にこんなもんを買っちまってたんだが、着るのは今日が初めてだ」

「貴重なお姿を拝見できたということですね」

「そうなるな」

 フィオリトゥーラが微笑むと、それにつられてディルもまた嫌みのない素直な笑みを返す。

「それにしても、おまえはなんでだよ?」

 ディルが訊ね、ひょいと彼女を小さく指差した。ブリオーをまとい長い髪をそのままにしたフィオリトゥーラもまた、今日の装いとして適した格好ではない。

「そのことなのですが、ディルに助言をいただきたいと思いまして」

「なんだよ?」

「クローディアさんとの戦闘に臨む前、ディルは『レイピア相手に鎧は邪魔になってしまう』といったお話をされましたよね?」

「ああ。もしかして、今日の装備で悩んでるのか?」

「ええ。あの時のディルの判断は、結果として適切だったと思っています。今日についても、私一人で決めては何か見当違いな装備を選択してしまうような気がしまして、それで少し不安になりました。ディルとしては、どのような物がよいと思われますか?」

 フィオリトゥーラが訊ねると、ディルはわずかな時間思索した後に答える。

「そうだな……。まず、今日も鎧はなしだな。戦闘がある可能性は高いが、それが目的じゃない。奪って即逃げるのが理想的だからな。ある程度身軽な方がいい。まあ、いつものチュニックでいいだろ、って言いたいところだが、おまえ、あんな大荷物だったんだし、服は他にもまだ色々あるよな?」

「そうですね。実はまだ開けていない物も沢山あります……」

「じゃあ、アレだ。条件だけ言うから、ちょっと探してみろよ」



 フィオリトゥーラは七号室に戻ると、この屋敷に到着した後もそのままにしていた箱や袋を端から全て開けていく。

 朝食の時間まではまだ余裕があるらしく、服を探す時間は十分にとれそうだった。

 ディルが提示した条件は三つだ。

 まずは色。色は黒ないし、それに近い濃く暗い色彩の物が適している。実際に行動するのは夜になるのだから、それは当然のことだろう。

 次に生地の厚さ。これは厚すぎて重くても適していないが、逆に薄くて軽い物も好ましくないという。ディルの想定では、どの程度かはともかく戦闘が避けられるとは考えがたく、その際にはある程度の防御力は欲しいとのことだった。鎧でなくとも、厚手の生地の服ならば、刃物、鈍器に対していくらかの効果は期待できる。

 そして最後が、音の問題。これは、服が出す衣擦れの音をなるべく消したいということだった。目標に対して音を立てずに近づこうと考えた場合、そのためには身に着ける服自体も重要となる。

 生地が柔らかく、そして表面が起毛となっている物などがあれば最適だという。

 ディルの提案に納得はしながらも、彼女はその条件を全てかなえることは難しいだろうとも考えていた。

 部屋の隅に並んだ荷物はラクダ三頭で運ばれた膨大な量だが、持ちだした服はその三分の二以上を自分自身で選んでおり、その内容のおおよそを把握している。活動的な服であることが大前提である以上、ぱっと想像しただけでも、ほとんどの服が条件から外れてしまう。

 ただ、だからといって安易に妥協して選ぶこともできない。装備にも最善を尽くす必要がある。屋敷を発った後で、後悔などあってはならない。

 フィオリトゥーラは右から順に、外出用の活動的な服のみを選んでは並べ、確認していく。

 取りだされた様々な色彩のチュニックは、そのどれもが聖地の気候を想定して軽さや薄さが重視されてしまっている。また、それらの生地を擦りあわせてみれば、普段は気にも留めなかった衣擦れの音が、今はやけに大きく耳に届いた。

 色、生地の厚み、擦りあわせた際の音。その三点の確認を繰り返しながら作業を進めていくが、適切な物は見つからないまま、フィオリトゥーラはやがてひとつの箱へと辿り着く。

 単なる運搬用のためだけではない丁寧に作られた木箱は、その側面に焼き印が施され、「レオーネ」という職人の名と、これがフィオリトゥーラ専用の物であることがそこに記されていた。

 フィオリトゥーラは、その箱に手をかけて動きを止める。

 初めて見る箱だと思うと同時に、なぜか反対に見覚えがあるとも感じた。だが、それは当然のことだった。

 試合用の戦闘服が入っていた箱がこれに酷似していたからだ。記憶が正しければ、同様の焼き印も施されていた。

 二つの箱は大きさこそ変わらないが、戦闘服の方は明るく彩度が高い色の木箱で、こちらは反対に、くすんだような落ちついた暗い色味の木材が使われている。

 事前にランズベルトから説明を受けていたため、試合当日の準備の際には迷うことなく戦闘服の箱を開封したのだが、同様の箱が存在していたことに、彼女は今この瞬間まで気づかずにいた。

 何かに導かれるように、フィオリトゥーラはその箱を開けた。

 箱の中には丁寧に折りたたまれた黒い服があり、その上に一枚の紙が置かれていた。紙に書かれた文字は見覚えのある筆跡だった。ランズベルトのものだ。

『この〝インヴェルノ〟は、試合用の戦闘服〝プリマヴェーラ〟とは対となる服です。必要となる時が来ましたら、ご活用下さい』

 読み終えた途端、フィオリトゥーラはすぐに箱の中からその服を取りだす。

 柔らかい起毛の感触が心地よい。立ち上がり、ベッドまで運んでそこに広げてみれば、それは試合用の赤い戦闘服と似たような形状、仕立ての服だとわかる。ただし、そのシルエットは全体的に細く、スカート丈も膝上と短い。また、生地の厚さも全体の重量を軽減させるため適度に抑えられてあった。

 色は黒だが、中央に大きな黒に近いグレーの縦ラインが入り、それをまた明度の異なるグレーのラインが縁取っている。そして。胸元やスカート部分では、その縁取りが変化し、直線的だが複雑な模様を形成していた。

 片方の袖を手にしてそれをスカート部分に擦りあわせてみると、他の服と比較すれば無音に近い、ほんのわずかな衣擦れの音だけが聞こえる。

 完璧だった――。

 フィオリトゥーラはその黒い服を再び手に取ると、そのまま引き寄せ抱きしめる。

 ランズベルト……!

 思わず涙を浮かべそうになるのを堪えながらも、砂漠の長旅を共にした従者への強い感謝の念に、小さく身体を震わせた。

 それから箱の中をさらに覗いてみれば、そこにはこの服に合わせた同系色のホーズなどの一揃えも収められていた。

 フィオリトゥーラは、慌てて着替え始める。

 身に着けてみれば、試合用の戦闘服同様に、こちらもまたフィオリトゥーラの体型に合わせた完璧な仕上がりだった。動きやすく、それでいて身を守ってくれるような安心感もある。

 さらに、あらためて服の表面を見てみれば、起毛された素材によくあるような光沢がほとんど見られない。この戦闘服が黒を基調としている利点を損なわずに済むよう、意図的にそういった加工が施されているのだろう。

 続いて、髪をまとめる。

 鏡を前に素早く三本の三つ編みを作ると、中央の一本を巻いてピンで留め、そこに左側の三つ編み、続いて右側と順に巻きつけてやはりピンで留めていく。

 慣れた手つきで作業を終えると、彼女の後頭部には、花を思わせる綺麗な形の白金の髪の大きな団子ができあがっていた。

 最後に、革袋に移したカルダ=エルギムの剣を手に取り、そうして準備を終えた彼女は、足早に一階へと戻った。

「ディル!」

 応接室に着くなり、彼の名を呼んだ。ディルと、その向かいに座るガルディアが同時に振り向いた。

「ディル、ありました!」

 フィオリトゥーラは、二人のもとへと颯爽と歩み寄る。ディルとガルディアは、驚きとも感心ともとれるような表情で、その様子を見つめた。

「またなんだか凄い服だね」

「試合用とは別に用意されていた戦闘服です」

 興奮気味に笑顔を見せるフィオリトゥーラとその黒い服を、ディルはしばらく眺めた。

「凄えな……」

 ディルが小さく呟く。

「それを用意した奴、かなり考えてる。音もほとんどしてねえし、その似たような色の配色もおそらく意図してそうなってるんだろうな。この方が、完全な黒一色より暗い中じゃ見つけにくいぜ」

 ディルは、すっと手を伸ばす。

「悪い。ちょっと触らせてくれ」

「あ、はい」

 立ったままのフィオリトゥーラのスカートの裾を、ディルが指でつまんだ。

「この服、さっき俺が言った条件を完璧に満たしてるな」

「私もそう思いました。このような物が荷物の中に入れられていたなんて……」

 ディルは、そんな喜びを隠せない彼女の気持ちが理解できた。

 自分が振るうシミターが闘いの中で絶対的な信頼感のようなものを見せてくれる時、そこには自分以外の力も働いているのだという実感と喜びを得られることがある。

 この聖地で一人闘いに臨むフィオリトゥーラだが、それを支援する力、誰かの想いは、きっとディルの想像など及ばないレベルで彼女を守護しようとしているのだろう。


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